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新聞記事より「固有の構築物」
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「感情過多なんて、感情の豊かさとは何ら関係ないよ。無関係。 田村隆一」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「感情の豊かな人は感情的ではない。ヒステリックな感情表現は『感情の貧しさ、卑小さ』を示すにすぎないと、詩人は言う。詩もなまの感情の発露ではない。言葉のリズムや色彩、語と語とのデリケートな関係などによって、人のもやもやした感情を内側から補強した『固有の構築物』だと。詩人の語りを編んだ『言葉なんかおぼえるんじゃなかった』(文・永薗安浩)から。」喜怒哀楽が即座に表に出る人は、実直な感情に左右されがちで、それでその人は自己完結していると私は思っています。あの人は感情に走りがちと周囲に思われている人は、きっと身近に一人や二人はいるのではないでしょうか。その人が豊かな感情表現を持っているとは限らないという意味はどこにあるのでしょうか。素直な感情を発露していることを人に伝えるとしたら、直情型では難しいと私も思います。他者に感情を伝えるとしたら、そこには表現のために必要な計算があります。どんな媒体であれ自己表現を行なう時には、感情が底辺に流れていたとしても、それをどのように表現として昇華していくのか、そのための技巧を駆使して、自分と同じような制作意図と感情を他者に汲み取ってほしいと願うのです。「固有の構築物」とはそういうもので、それを下支えするものが感情の豊かさであろうと思います。ましてや言葉を表現要素としている詩は、「リズムや色彩、語と語とのデリケートな関係など」とコメントに書かれていますが、練りに練って構築していくものなのでしょう。造形美術にしてもそれは同じです。ただし、詩と違うのは造形美術が言葉を媒介しないために、説明がなくても創造行為が成り立つところです。私はそこが気に入って日々制作しているのです。