Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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宇都宮の「ライシテからみるフランス美術」展
昨日、車で宇都宮美術館に行こうとして、首都高速中央環状線「山手トンネル」でトンネル火災に遭遇し、美術館まで辿り着けませんでした。展覧会を諦めきれない私は、今日は公共交通機関を利用して宇都宮美術館で開催している「ライシテからみるフランス美術」展に行ってきました。家内は和楽器演奏があったため私一人で美術館散策になりました。横浜からJRやバスを使って片道3時間はなかなか遠いなぁと感じました。本展はライシテという概念を知らせる目的で開催された展覧会で、私も初めて聞くライシテの概念を学びました。入口にあった資料には「(ライシテを)まとめるなら、『共和国が宗教から独立して世俗的であるさま』とでも言えようか。フランスの歴史と結びついた独特の政教分離のあり方と言えば、ひとつの立派な定義である。」とありました。「1789年のフランス革命は王権神授説と教会の支配を否定し、自由と平等を原則とする新たな秩序を築こうとした。この転換点を経て、政治権力は宗教からの自律を獲得し、宗教は次第に私的な領域へと再配置されていく。~略~(本展は)『芸術の世俗化』や『宗教画から近代絵画へ』といった言葉から安易に連想されるような単線的で粗雑な図式には収まらないだろう。~略~ライシテ体制のもとを生きる芸術家たちが、政治権力や宗教的権威を意識し、ある場合には表立ってそれを批判し、別の場合には検閲やタブーなどの制約をかいくぐって新しい表現を模索する。そうした格闘から生まれた作品には、宗教についての新たな美的な語りの発明の跡が刻み込まれていることがあるだろうし、世俗そのものの宗教性が宿っていたりするだろう。」(引用は全て伊達聖伸著)本展はそんな概念が伝わる作品を各美術館から集めた展示で、芸術家個人の宗教に対する感覚が見て取れる内容になっていました。私はヨーロッパで生まれたわけではなく、自分の精神的土壌にキリスト教がないため、ライシテの概念は理解できたものの、今一つピンとくるものがないと感じました。展示作品は質量ともに良いものであっても、その方向性には自分との異文化相違のせいか、本当の理解には至っていないと思っています。私は特定宗教を持ちませんが、何か人智を超えたものに対し、祈る気持ちがあると思っていて、世俗的な造形作品を作っていても、実はそこに内在する祈りのようなものがあると信じています。それは前文にある「宗教についての新たな美的な語りの発明」かもしれず、宗教を宗教ではない何かと言い換えれば、世俗と人智を超えた何かが複雑に絡まっているように思えてなりません。本展を巡って、そんなことを考えてしまいました。