2026.02.06
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「真っ先に絶滅していく行為っていうのは、人が工夫してやろうとしたことなんじゃないかなと思いますね。みうらじゅん」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「電灯の紐に別の紐をつけて寝ながら消す。通勤電車の中で新聞をうまく畳んで読む。そんな工夫に意味がなくなると行為もなくなると、イラストレーターは言う。モノを買い換えずに使い続ける文化があるから工夫もすると。どの動作も文脈を外して見れば、たぶん奇矯に映る。デザイナー・藪本晶子の『絶滅危惧動作図鑑』の巻末対談から。」世の中は凄まじい勢いで便利になって、アナログな世界はどこかへいってしまったようだと私も感じています。工夫をする必要がないのは、逆に怖ろしいことではないかとも考えます。もし電脳世界が全てストップしたら、何も出来ない人が溢れるのではないか、その時、手元にあるモノで何とか生きていこうとする意欲が残っているのか、甚だ疑問に感じます。工夫するという意味とは多少違いますが、ここで思い出したことがあります。私が教職に就いていた頃、鉛筆の芯を刃物で削れない子がいて驚いた記憶があります。出来ないならシャープペンを使えばいいと隣で言った子にも驚きました。私たちが生きていく上で便利なことは有難いけれど…考え出したらキリがなくなります。今回は文章ではなく、これを書いたみうらじゅんという人に目が留まりました。テーマが逸れますが、ラジオ番組でみうらさんが仏像について話をしているのを聞いて、何と楽しい話題に溢れている人だろうと感心したことを思い出したからです。その頃、私は中学校の教壇に立っていて、美術科鑑賞の授業で仏像を取り上げていたのでした。京都・奈良への修学旅行を控えていた3年生が、楽しく仏像が学べ、それらを印象に残すにはどうしたらよいか思案していました。そこにみうらさんの談話があって、よし、これだと思い立ったのですが、なかなかみうらさんのようにはいかず、知識偏重の紋切り調になってしまったのが悔やまれます。それから自分の興味関心もあって仏像の書籍を多く読みましたが、それは未だに実践できていません。