Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「シュルレアリスムの作家像」について➁

「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「シュルレアリスムの作家像」の後半に掲載されている芸術家の言葉についてピックアップいたします。芸術家はハンス・アルプ、サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト、アルベルト・ジャコメッティ、ホアン・ミロ、ポール・ナッシュ、パブロ・ピカソ、マン・レイ、イヴ・タンギーの9人の言葉が取り上げられていましたが、言葉によっては短文があり、主張が明確に述べられている長文の5人に絞らせていただきました。「理性は人間に向って、自然の上位に立ち万物の尺度となるように命ずる。そこで人間は自然の法則に反して生きかつ創造しうるものと思い込んでしまう。ところが彼の生むのは出来損ないだ。」(アルプ)「自発性というものについても、ぼくはやはり豚の脚だといいたい、しかもそれはあべこべの豚の脚であって、いわば伊勢海老の如きものである。これは人の知るように、豚の脚とは反対に、骨骼は外部に現われていて、美味な肉つまり狂気はその内面を占めている。」(ダリ)「一度物体が構成されると、ぼくはそこに自然に、ぼくを深く感動せしめた影像や印象や事物、自分になにか非常に近いと感じられる諸形態をふたたび発見するのがつねである。」(ジャコメッティ)「18世紀の終りに狂人呼ばわりされたブレイクは、万物のなかに彼がつねにアルビオンと呼んだ世界の秘められた意義を認めた。同時にその作品は彼の生国の強い影響を受けている。彼の詩は一言半句すべてイギリスから生まれたものである。彼の全生涯は彼の内部の眼が知覚するための象徴を発見するために捧げられた。しかし惜しくも彼の手はまれにそれを表現し得たのみであった。」(ナッシュ)「一枚のタブローを描きはじめようとする時のぼくはそれがどうなるかをまったく知らないのだ。ひとつの形体は、それがどんな形であるかを考えてみるまでもなく生まれ出てくる。他の形体もそれにつづいてくる。すべてが意識的な干渉なしに生じる。ぼくは最後の筆を措くまで、全体の観念を持たない。」(タンギー)今回はここまでにします。

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