「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「ドイツ1902ー1933」について、気に留まった箇所を取り上げます。「ハンス・ベルメールは1902年3月13日、ドイツ帝国のカトヴィッツで生を享けた。そこは東の国境付近で炭坑の中心地だったが、第一次世界大戦後はカトヴィッツェの名でポーランドの一部なった。~略~母親はやさしく愛情にあふれた母性的な女性で、ベルメールは彼女に生涯を通じて依存し続けたが、暴君のようにふるまう夫に母親は完全に支配されていた。~略~父親には、21歳にもなって何ひとつ達成できていないと思われていたようだ。父親の権威に向けられた侮蔑と国家の法に対する抵抗とは、許しがたい傲慢を意味していた。結局、ベルメールは父親のような技師となるべくベルリン工科大学に入学することを余儀なくされ、それにともなって1923年、彼ら家族はその地へと旅立った。ただし、ベルメールが父親の決定によって士気をくじかれることは決してなかった。~略~ベルメールは線描画の才を早い時期から発揮していたが、グロッスはこの能力に磨きをかけるよう促した。しかもグロッスはベルメールの最初の、そして唯一の師であったが、彼らの関係は一方的なものではなかった。すなわち、グロッスはかわりにこのエンジニアデザインの学生から遠近法の教えを乞うたのである。~略~1928年、マルガレーテという22歳の若い女性との友情が、デザイン仕事からくる倦怠と、親しい女性の不在による欲求不満からベルメールを救った。彼女はほっそりとした体型で、虚弱ではあったが、愛嬌があり魅力的だった。深く愛し合った二人は同年に結婚。短い夫婦生活ではあったが、お互い幸福であった。~略~ベルメールの結婚とデザインの仕事は、既成の秩序に従う世界と自らとの和解を表面的に示していたにすぎず、1933年に国家社会主義者たちが権力を掌握したとき、この和解が短い運命であったことが明らかとなる。彼の父親、すなわち憎悪すべき権威の化身は、当然のごとくヒトラーの党に加入した。」今回はここまでにします。