先日、横浜の桜木町にある横浜美術館で開催されている「今村紫紅」展に行ってきました。日本画家今村紫紅のまとまった作品を見るのは私には初めてのことで、今さらですが、横浜の地元に生まれ35歳で早世した画家をもっと早く知るべきだったと思います。紫紅は10代の頃に粉本模写をしていて、その技巧を見ると早熟の天才だったことが伺えます。その後、紫紅は多方面に主題を広げていきました。私が見たかった「護花鈴」も展示されていて、これは原三渓の支援を受ける契機になった屏風で、大胆に構成され、かつ緻密な描写が際立つ作品でした。さらに紫紅はこんな文章を残しています。「一体、芸術に理屈は入らない。理屈が這入ると窮屈になる。窮屈になっては描けない。描くには暢気でなければならない。~略~ここに暢気と云うのは決して遊蕩せよとの意味ではない。」展覧会を見ていくうちに紫紅の画境が年齢とは別に老成していっているのが分かりました。夭折の芸術家には何かしら歴史に名を残す輝きがあると私は考えていて、紫紅も例に漏れずベテランの境地にあるような作品が散見されました。それは古典に根ざした革新性とも呼べる何かで、説明のしようがないものが作品の根底に流れていると感じました。図録より引用いたします。「紫紅はあるとき御舟たちに、『今迄のものは人に見せる絵であったが、友達に見せるような絵を一度描いて見たい』と語ったとある。胸襟を開いて語り合える仲間に吐露したこうしたことばからは、紫紅が《近江八景》そして《熱国之巻》という二つの画期作で『新しい日本画』への突破口を見出してもなお、優れた古画という巨大な存在から放たれて自由にならなければと気負い、格闘し続けていたことがうかがい知れる。~略~押しも押されもせぬ日本画の革命児として、若くして斯界を牽引し、旋風を巻き起こしてきた画家が、友達に見せるためだけに描きたかった絵、それは紫紅にとって、一つの理想の絵画であったのだろう。」(内山淳子著)