「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第1章 ピクチャレスクとは何か」の中の「1ピクチャレスクの展開」の気に留めた箇所を取り上げます。「ピクチャレスクの流行に実際に貢献したのは、オリジナルの水彩画などの風景画ではなく版画である。ギルピンが『版画論』を書いた背景には、18世紀半ばからの版画熱があった。オリジナルを入手することが難しかったこの時代、版画は比較的簡単に手にはいるため関心を持つ紳士達が多かった。その版画市場を拡大した立役者がサンドゥビーであり、彼は風景画を中心に多くの版画を作成し、また自ら出版社を立ち上げて販売した。版画の版権対象は1767年に拡大し、その上に巧みな広告戦略などの効果もあって版画界は隆盛を見たが、そこに描かれた風景はピクチャレスクへの関心を高めるのに大いに貢献した。」ピクチャレスクとは風景画を準拠枠とする芸術表現形式であることは前のNOTE(ブログ)に書きましたが、それは写実表現ではあるけれど、見た風景そのものというより観念的な要素もあるようです。「美に主観を認める立場によれば、美の概念は文化や歴史によっても変化し、あらゆるものに見出すことが可能であるということになる。ナイトのみならずプライスまでもが『醜』にピクチャレスクさを見出していることはその証拠の一つである。そもそも眼前の風景がピクチャレスクだと言い始めたのは、風景そのものがピクチャレスクの理念に合致するように変わったのではなく、風景を見る目が変わったからである。一方、ピクチャレスクの対象から喜びを得るには『画家の目』が必要だとされるが、その目は絵画に精通することによって得られるとナイトは言う。そして、絵画から抽出されて記憶の中に蓄積された観念が、想像力の持つ『自発的な』作用と連合する必要がある。従って、絵画に親しむ機会の無い者は眼前の風景がピクチャレスクかどうか判断できないことになるので、ナイトにとってのピクチャレスクは教育や所得・資産に関わる、つまりは特定の階級の人々に限定された問題となる。それに対して、一定のルールのもとで風景を判断しようとするギルピンの形式主義は、見る側に条件を課さないと言う意味でナイトらのエリート主義に対抗する一面を持っていたと言うこともできる。」今回はここまでにします。