先日、上野にある東京国立博物館平成館で開催している「空海と真言の名宝」展に家内と行ってきました。本展の目玉は何と言っても数々の秘仏の開帳にあります。秘仏とは何か、図録より引用いたします。「厨子などに納め、扉や帳を閉じることで直接拝観が許されない仏像を『秘仏』と呼びます。秘仏は、そこに存在する仏像が見えない状況を人為的につくりだすことですが、厳密な定義がありません。事情はさまざまなのです。~略~『秘すれば花』は日本文化の本質の一側面かもしれませんが、見ぬものを信じろと言われても難しく、秘仏開帳に参詣者が殺到するのも無理からぬ話です。」本展に足を運んだ私もその一人で、美術の報道番組で紹介された瞬間から、これは稀有な機会でもあるので絶対に見にいこうと決めていました。案の定、私のような考えを持つ人ばかりで、秘仏の前には長蛇の列が出来ていました。聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像は二間観音と呼ばれていて、その精巧過ぎる造形に、これを作り上げるためにどんな工具を使ったのか、見れば見るほど人技とは思えない超絶技巧という言葉がしっくりくる仏像で、他に類のないものだろうと思っています。近づいて周囲に目を凝らし、衣文や光背に至るまで文様ひとつひとつにも神経を尖らせて見た仏像は、私にとって初めての体験でした。図録を引用します。「二間観音は後七日御修法の観音供の本尊です。年に一度その役割を果たしますが、御修法自体が秘儀ですので一般には公開されない秘仏です。」(引用はすべて児島大輔著)その他に注目した秘仏は数々ありましたが、妙に色香が漂う姿態が印象的だったのが如意輪観音菩薩坐像です。六臂すべてを含む一木造で、しかも妖艶な姿が秘される要因かもしれないと思いました。何しろ各地の寺院に出かけて行っても、厨子や龕に納められ拝観が許されない秘仏とあっては、この機会にしっかり見ておこうというのが人間の心理で、勿論秘仏に限らず美術作品はどれも一期一会と思っていますが、本展はとくにその心理が顕著に働いた一例だったと振り返っています。ともかく本展では眼が疲れました。私にとって仏像は美術として理解している立体作品で、その証拠に仏像に興味を持った最初が運慶でした。運慶はまさに西洋美術の彫刻的量感を持っていたので私にも理解が出来たのでした。本展の秘仏も少なからずそうした美術的鑑賞をしていると自覚があって、他の鑑賞者が合掌しているのをみて、私は思わず首を傾げました。そうか、これは宗教だった、眼ではなく心で見て感じ取るものなのかなぁとも思いました。