「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「終章 ロマネスクの美 」の気に留まった箇所を取り上げます。「封建領主がそれぞれの地域を治めるようになると、教会もそれに応じて増えていった。新しい領主は新しい村を興し、新しい村は新しい教区に属し、新しい教区には新しい教会がなければならない。もちろん、新しい教会には新しい洗礼盤、新しい祭壇、新しい聖書が要る。新しい美術はかなり具体的なかたちで必要とされ、待ち望まれていたのである。~略~ヨーロッパを南北に分かつ、地中海の文化とケルト・ゲルマンの文化、このふたつの異文化が民族大移動によって出会ったのが古代末期(4世紀)だったとすると、両者の融合が始まったのはカロリング期(8世紀)、一般化したのがロマネスク期(11世紀半ば~12世紀)だったと言えるだろう。~略~ルネサンス的な美的規範が優勢であり続けたおよそ500年間、つまりごく簡単にいえば近代において、人々がロマネスク美術に目を向けず、関心を払ってこなかったとしても一向に不思議ではない。現実世界の再現に頓着しないロマネスク美術は、遠近法にも解剖学にも用がないのだ。ロマネスク美術の作り手たちは、人体のプロポーションを自在に変えることができたし、画中の奥行きなど意に介さず構図を決めることができた。キリストの威厳、マリアの愛、聖人の喜び、地獄の苦しみ。絵画や彫刻は、こうした是非とも伝達したい主題や感情を簡潔かつ的確に表すための、見る者へ向けたいわば直球勝負だった。~略~ながらく忘却されていた、ロマネスク的な異なる美と価値。それが『再発見』されたのは、産業革命と機械化によって社会と風景がおおきく変貌し、そこで失われてしまった何かを取り戻そうと、ヨーロッパが自己を相対化し始めてからのことである。」私が高校生の頃は、ルネサンス期の写実表現に近づくためにデッサンの修得に終始していました。それが大学受験の課題でもありましたが、その時稚拙と思えたロマネスクは、その後次第に私の中で存在感を増し、あらゆる様式の中でロマネスクが徐々に好きになってきました。それがどうしてなのか、私自身にもう一度問いかけてみようと思っています。次回は本書のまとめを述べていきます。