「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「イマージュの解剖学」について、気に留まった箇所を取り上げます。「『イマージュの解剖学』でベルメールは、少なくともメタファーとアナロジーの源泉については生理学的に、そして構造的に説明しようと努めている。そのようなシステムは身体に根づき、肉体の感覚とエロティシズムであまねく染めあげられている。肉体の欲求を満足させようとする努力こそが、メタファーの創造を、つまるところは知のあらゆる形態の創造を動機づけるエネルギーを供給することとなると彼は論ずる。~略~『イマージュの解剖学』の趣意は、非合理についての論説であると同時にある種の豊穣な非合理主義の実例でもあるという点で、ブルトンによる1924年の『シュルレアリスム宣言』を想起させる。~略~『イマージュの解剖学』は、肉体的無意識において作動する機構と人間的な表現を際立たせる過程とを描写するであろう。肉体と精神を連結させるこの機構を知れば、どうしてあるイメージ群が、表面上は非合理であろうとも、不可解なほど確実なものとして印象づけられているのか、そしてシュルレアリストたちが『痙攣的』と称した不穏の感覚をさえ呼び覚ますのかが明らかにされるだろう。~略~『イマージュの解剖学』を通じてベルメールは臨床の領域と芸術の領域を交互に行き来して語っている。というのも、想像力は肉体それ自体に根ざしているからであり、臨床的な徴候と誌的な、あるいは図像的なメタファーは、欠乏と欲望の接合によってひき起こされる転移においては類似しているからである。~略~ベルメールは個人の主体性=同一性と知覚の活動に関する問題について、思索を深めていく。彼によれば、知覚の活動はしばしば、われわれの側で主体的に選択されるものと考えられている。そしてイメージは、自我の側と外部の現実世界の側との間でふたたび舞台の中心を占める。『夢想はことごとく、自我の輪郭から逃れようとする唯一執拗な本能へと回帰する』と彼は断じる。」今回はここまでにします。