日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。現在の私は来る日も来る日も陶土と格闘し、自らのイメージを手探りで具現化しています。今日は陶彫という表現に至った自分の制作について振り返る機会を持ちたいと思います。陶芸の里ではない場所に育った私の成育歴では、陶との触れ合いは希薄なものでした。大学で彫刻を学んでいた私は、習作として人体塑造をやっていましたが、彫刻の面白さに目覚めると同時に、人体を作り続ける意味も考えていました。転機はヨーロッパで過ごした5年間にやってきました。日本の陶芸の美しさに海外で気づくのはよくあることですが、私も例外ではなく、西洋美術の本領である人体彫刻では西欧に敵わないことを実感し、陶で彫刻をやりたいという意志が芽生えました。帰国後、陶芸家として活躍している友人に技法を教わりつつ、陶土の混合を試しながら現在の陶彫に辿り着きました。もうひとつ、私が素材に陶を選んだ理由があります。私は生活を支える手段として教職に就きました。多忙な教職と創作活動との二束の草鞋生活になりましたが、自分の都合ではなく、陶は陶土の乾燥具合など常に気にしなければならない素材であったことが、多忙な中で陶彫を継続する要因になりました。学校の美術準備室に置いてある陶土を私は、どんなに忙しかった日でも一度は確認し、また時間があれば土練りをしていました。他の素材なら放っていたところを、陶土の具合に合わせて制作をしなければならないのが、結果として創作活動を続けられたのだろうと思っています。最後に陶は最終工程に焼成があることが重要で、窯に作品を入れてしまうと人の手が入れられず、作品の完成は窯にいる炎神に任せるしかないという魔力的な魅力に私は憑りつかれてしまったのでした。おまけに窯内で素材の変容が起こり、石化することが私には何とも不思議だったのですが、最初の頃は罅割れ等の失敗続きで、素材を上手くコントロールできない困難さも抱えました。簡単には獲得できない技法に戸惑うこともありましたが、それでも陶の面白さを捨てきれず、何十年も陶彫を作り続けているというのが 私が素材に陶を選んだ理由です。