今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「巧妙だというのは、必ずしもふんだんな材料を次から次へとくりだし使いこなすという点にばかりあるのじゃない。吉田秀和」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「調性や和声、リズムに関しその『安定と動揺の間の振幅を美しく拡げ』たのがモーツァルトだったと、音楽評論家は言う。すぐ聞き飽きる音楽はこの『複雑さの幅が狭い』と。使える材料や環境に限りがあってもそのなかで最大の効果をあげること。家事だってこの緊張が大事で、盛りだくさんが幸せなのではない。『モーツァルト』から。」音楽で言えば、多くの楽器を使ったオーケストラでも、最初はその迫力に驚いても、楽想が単調であれば忽ち飽きてしまう結果になります。クラシックでなくても周囲に流れている音楽を聴いていると、『複雑さの幅が狭い』音楽は数多くあると思っています。それは音楽に限ったことではなく、たとえば料理にも言えるかもしれません。あれこれ料理の素材が使われていても、工夫がなければ本当の美味しさは引き出せないように私には思えます。最良の例として日本の懐石料理は、ひとつの素材に対し、あらゆる吟味を試みて一番適した調理をしていると思っています。そこには味だけでなく、視覚的な効果も狙っています。どんな器に盛り付けるのか、そこに情緒のある風景を出現させ、料理という小宇宙を形成しているのです。それは私が専門としている造形美術にも当てはまります。今や現代アートの素材のバリエーションは豊富で、どんなものでもアートになり得ることができますが、そこに「安定と動揺の間の振幅を美しく拡げ」られた作品がどのくらいあるでしょうか。私も陶彫という素材に拘って長いこと表現をしてきていますが、「複雑さの幅が狭く」ならないように盛りだくさんであるが故に退屈にならないように、究極のカタチを追い求めていると言っても過言ではありません。