Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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新聞記事より「記録媒体としての和紙」

昨日の朝日新聞「天声人語」の内容が気に留まったので引用いたします。「修理する仏像の中を開けてみたら、源平合戦の頃の文書がぎっしりと納められていたー。800年以上前のものだ。この文書が、神奈川県立金沢文庫で20日まで公開されていると聞き訪ねた。高さ約1㍍の阿弥陀如来立像の中にあったのは全部で81通。8割が平安末期の貴族、藤原実清の書状だ。筆で書かれた字に重なるように、仏のかたちのはんこがびっしり押されている。当時は亡くなった人を供養するために、その人ゆかりの文書にこうした印仏をして仏像に納めることがあったそうだ。『紙が大変貴重な時代で、残っている文書は少ない。希少な1次史料です』と学芸員。文書のなかには、鳥羽天皇の皇女八条院に仕える実清が、自らの官職とひきかえに子息の昇進を乞うものもあった。これが没後800年以上未来の人に再読されるとは、想像もしなかっただろう。改めて記憶媒体としての和紙の優秀さに驚く。湿気と火、虫には弱いが、保管状態が良ければ1千年以上劣化しない。対する洋紙のうち、19~20世紀に大量生産された酸性紙は100年ほどでぼろぼろになる。デジタルの記憶媒体の多くは、寿命がさらに短い。大量のデータを保存しても800年後にどれだけ再生が可能だろう。私たちの多くが、小中学校で書写を習う。考えてみれば、字の練習にとどまらず、和紙に墨でことばを残してきたこの国の歩みを体験できる機会でもあったか。時には大人も、書を手に取るようなゆとりが持てたらいいのだけれど。」私は情報をキャッチできず金沢文庫の展覧会には行けませんでしたが、記憶媒体としての和紙の優秀さや和紙の手触りを含む魅力はよく分かっています。私は学生の頃からさまざまな和紙を集め、そこに版画を試したりしてきました。失われた私の作品は多いけれど、和紙が劣化したものではなく、作品が気に入らなくて処分している結果です。現在でも自ら印を彫って和紙に押し、それを陶彫作品に貼っています。嘗て紙漉きの体験もしましたが、表面が単一ではなく人の温かみを感じることが出来る和紙を今後も大切にしたいと思っています。

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