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「ゴッホの時代」について

「近代絵画史(上)」(高階秀爾著 中公新書)の「第11章 ゴッホの時代」について気になったところをピックアップしていきます。この時代、ヨーロッパでは日本の浮世絵が流行していました。「ゴッホやゴーギャンの場合は、異国的なものへの憧れと新しい造形表現の魅力とがひとつになって、彼らのあのきわめて独自な絵画様式が生まれてきたものと言ってよいであろう。ゴッホもゴーギャンも、未知の世界に対する強い好奇心を持っており、その意味では、エキゾティスムの誘惑のなかったわけではないが、それ以上に、彼らは、従来の印象派的な表現に対する不満から、これまでにない大胆な表現法を試みるためのいわば跳躍台として、浮世絵版画の造形性を学んだ。」さて、ゴッホの特異性について触れた文章がありました。「ゴッホは、セザンヌのように、絵画のために生きた人ではない。むしろ彼にとって、生きるために絵画が必要だったのである。自分自身をも燃やしつくさねばやまぬほどに激しいその生命力を、彼はつぎつぎと異なった対象に向けて燃焼させながら、最後にようやく絵画にたどりついたと言ってもよいだろう。」ゴッホと言えば誰もが知る大変なエピソードがありました。「秋とともに悲劇は始まった。十月にゴーギャンがやって来た時には、ゴッホは大喜びで彼を迎え、理想どおりの共同生活が始まったように見えたが、あまりに強いふたりの個性は、遅かれ早かれ衝突することを避けられなかった。激しい口論の後、剃刀を手にしてゴーギャンの後を追ったゴッホは、ゴーギャンに睨みつけられると、そのまま引き返して部屋で自らの片耳を切り落とし、それを紙に包んで顔なじみの娼婦のもとに届け、そのまま何も言わずに立ち去ったという。」ゴッホの生涯を語る文章もありました。「アルル時代がゴッホの古典主義時代であったとすれば、サン・レミ滞在の時期は、いわば彼のバロック時代であった。事実、激しく捩れながら燃え上がる糸杉、波立つような山脈、大地全体が震えている麦畑などが、彼の画面を大きく特徴づけている。しかし、冬になると、彼の情熱は、またもやそのエネルギーを失って深い絶望が彼を捉えた。」今回はここまでにします。

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