「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「人形の遊び」について、気に留まった箇所を取り上げます。「ベルメールは自分の芸術が理解され、擁護されているとわかって満足感に浸り、勇気づけられた。その後、もう三年ほどベルリンに留まることになるが、シュルレアリスム運動への参加はすでに彼の生活の一部と化している。~略~シュルレアリストたちと接触して、ベルメールは『人形』から開始した作品制作を継続すべきであるとの確信を得た。~略~最初の人形制作と同様に今度もまたカメラが果たした役割は決定的であった。だが一方で、大きく異なる点もあった。以前は30枚程度であったのが今度は100枚を超える撮影が繰り返され、またかつては様々な段階で記録された人形の制作過程の物語はさらに洗練されて、倒錯的な性戯の演じられる凝った舞台装置が整えられた。~略~様々に展開される第二の人形表現は、明らかに『痙攣する美』と『過剰の礼賛』というシュルレアリスムの観念を要約していた。新たな写真の見本はパリに送られて、ブルトンがそのあまりの『倒錯性』ゆえに保留にしたものの、ヴァランセ、パリゾ、そしてとりわけエリュアールに暖かく受け入れられた。~略~『人形の遊び』という表題は意味深い。人形はベルメールの少年時代の遊戯との連結装置であり、また大人の遊びにふける際の要ともなる。『彼女らの誘惑はあらかじめ欺瞞を許している。それはうぬぼれであり、無用なものの美しくもあやしげな香りを宿している』。~略~様々な姿態の人形が、その派生的構築物とともに、1930年代を通じてベルメールの主な関心事であったが、もともとグラフィックデザイナーであった彼が絵画をやめるわけはなかった。彼は人形の限界を意識してことあるごとにそれを表明してきたし、同時期のドローイングを見れば、人形という基本的な着想をもっと融通のきく、開かれた可能性のものにする方法を模索し続けていたことがわかるであろう。~略~1937年にマルガレーテは結核で深刻な症状に陥ってしまう。彼女の生涯の最後の数カ月、すなわち1938年の1月と2月にベルメールは妻を慰めようと思い、小さなコラージュ作品を制作した。」今回はここまでにします。