Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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新聞記事より「与えられてあること」

先日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「内容を欠いた思考は空虚であり、概念を欠いた直観は方向を見うしなっている。イマヌエル・カント」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「人間の認識には二つの源泉がある。感覚に与えられるものを直観的に受け取る能力と、これらを通して対象を概念的に摑む能力だと、18世紀ドイツの哲学者は言う。直観を欠けば思考は野放図になり、概念を欠けば直観は偶然に流される。何かが在るというのは与えられてあること、でもそのためにどんな受け皿が要るかを忘れないこと。『純粋理性批判』(熊野純彦訳)から。」この文章で私が気になったのは通常使う直感とあまり気にしたことがない直観という語彙。直感は勘のようなもので、直観は本質や真理を一気につかむものとして理解しています。「感覚に与えられるものを直観的に受け取る」ことと「対象を概念的に摑む」ことの関係性を説いているのが「純粋理性批判」の中に収められているのでしょう。それは存在とは何かを考える上で、与えられてあることの受け皿を必要とすることだとしています。私は普段考えたこともないことをカントの言葉によって、もう一度頭の中で意味を組み立て直さざるを得ず、その試みは時にやってみるのも良いと思っています。またカントの考え方は、一般的にはほとんど生活に浸透しているものを改めて認識し直す作業になるのではないかとも考えます。難解な言葉であっても、深く知れば、実はシンプルな意味に辿り着くことがあり、それがどうしたと言えば、それまでで、物事の成り立ちを理解するかどうかは本人次第なのでしょう。私の親戚の中にカント哲学者がいた関係で、私もほんの少しだけ哲学を齧りました。亡き叔父の量義治と本当は哲学談義をしたかったのですが、私の力量不足があって及ばず、私の勉強を待たずして叔父は逝ってしまいました。叔父が個展に来てくれて、そこで残してくれた言葉を思い出すたびに、直観やら概念のことが頭を過ります。叔父は私の造形に対する結論しか言ってくれませんでしたが、その思考過程を今更知りたいと思っている私がいます。

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