Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「南仏1945-1949」について

「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「南仏1945-1949」について、気に留まった箇所を取り上げます。「ベルメールは生命のある有機体としての肉体を強く意識して『愛と死』という中世のイメージに傾倒していったが、それは性的な存在として人間が死の運命を認識することであり、病的な性衝動の描写へと、死に対する賭けと見なされた求愛の描写へと彼はいざなわれていった。~略~サド、ボードレール、バタイユ、そしてベルメールはみな、タブーを無効にする必要性を認識していた。彼らは、人間的な状態に関する、性的欲望の限界と可能性に関する苦痛に満ちたありのままの真実を提示しようとする点で一致を見ている。~略~彼らの意見が深刻なまでに食い違っていた領域は、ベルメールにとって最も重要な領域、すなわちエロティシズムの領域であった。ブルトンはサドに、そしてエロスという『黒い神』にしばしば言及したが、その神の祭壇を崇めるのにいつも遠慮がちであった。バタイユは決してそのようなことはなく、彼にとってマゾヒズム、サディズム、そしてあらゆる悪徳は人間をより深く感受する唯一の手段であった。~略~ベルメールはジャン・ブランへ宛てた1948年3月7日の手紙に『紫色の心臓をもった薔薇』という文章のアナグラムを35個すべて書きつけたが、そのうち17個は、それらがノラ・ミトラニとハンス・ベルメールとジョー・ブースケとの共作であるとの趣意の脚注を付して『イマージュの解剖学』刊行の際に収められた。~略~個展は批評家や一般から注目されたとはいえないが、それをきっかけにその年の7月に開催予定であったマグ画廊のシュルレアリスム国際展『1947年のシュルレアリスム』への参加は決定的となった。戦時中、ベルメールはメキシコ(1940年)とニューヨーク(1942年)のシュルレアリスム展に出品したが、マグ画廊の展示は1938年のパリのシュルレアリスム国際展以来、最も野心的なものとして企画された。」今回はここまでにします。

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