「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第9章 聖母像の変容」は8つの単元から成っていて、今回は「5中国における観音の女性化と子抱き観音像の成立」と「6中国におけるマリア像の東洋化」の2つの単元を取り上げます。「明代の《普陀山子安観音》(拓本)は、白衣をかぶり、片膝を立てて流水のほとりに座し、子どもを抱き、上部には龍がいる。『マリア観音』の原型というべきであろう。そしてこの女性型観音は、白衣観音、龍頭観音、揚柳観音などと多くの共通点をもっている。これらはいずれもあるいは癒し、あるいは水、あるいは豊穣の恵みをもたらす女性神であり、付属物は水、木、水の化身としての龍である。~略~ヒンドゥー、中国仏教そして日本で広く崇敬された鬼子母神、送子観音、送子娘娘はともに子どもを抱いた母性像であり、子授け、安産、子育の願いを聞きいれる女神である。さまざまな母性原型を合流させながら、その定義がさだまり、仏教像としての、観音像が母性化したのは、中国においてであり、その社会的要因として儒教の世界観の基軸である家父長制的な先祖崇拝と、その血統を継ぐ子の生産という願望があったとみることができる。~略~16世紀後半にはじまるキリスト教の中国布教において、西欧の聖母像が、意識的にアジア化された可能性があるということである。中国布教において、聖母が日本同様に重要な位置を占めたことは、多くの報告によって明らかである。アンリ・ベルナールは、『中国ではいたるところに聖母像が流布し、奇蹟をおこした。スペイン人フランシスコ会士も多くの聖母像を携帯した』と述べている。~略~ここにおいて、すでに、中国における、聖ルカの聖母の明らかな『東洋化』が起こっていることがわかる。子どもは唐子のような髪型をしており、聖母の衣装は観音のそれと類似している。新関公子氏が指摘しているように、この像は福建省の徳化窯で作られ、日本に持ってこられた白磁の観音像ときわめてよく似ている。」今回はここまでにします。