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新聞記事より「老いといふ…」

今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「老いといふやさしき闇に甘えるな火いろの言葉に見果てぬ夢を  春日真木子」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「百歳を迎えた歌人の歌集『宇宙卵』の巻頭歌。火いろは緋色。老いは穏やかで納まりのよい終いの季節などではなく、むしろ軽やかに赤々と燃える季節なのかもしれない。歌人はそんな思いで老いの未知の感触を探る。老いて人はかろみを得るのか。肉が落ちるからもあろうが、責任も記憶の容量も減って身軽になる。そして不意にどこかへ翔んで、行方知れずになりもする。」私には自分の終焉がまだ想像できないのですが、若い頃に比べると、確実に死に近づきつつあることを感じることがあります。身体の動きが以前より緩慢になったり、ちょっとした言葉が思い出せなかったりするからです。嘗てショーペンハウワーの書籍で死生観について気を留めたことがあり、逝去間近で綴った谷川俊太郎の詩からも、老いや死に至る心の変化を読み取ったことがあります。老いを感じるのは、1週間に2回近隣のスポーツ施設で水泳をやっている時に、以前なら大きく身体を使って、よりスムーズに泳ぐにはどうしたら良いだろうと考えながら、向上心を持って挑んでいましたが、現在は現状維持を目標にしていて、前と同じように泳げたら良いと思うようになりました。体力を維持することが何よりと感じているのは、老いのせいかもしれません。一方、創作活動は現状維持はなく、常に深化を狙っています。「火いろの言葉に見果てぬ夢」は自分の場合は創作活動にだけイメージされる状態なのだろうと思います。創作活動は悪魔のようで、そのゴールが見えません。まさに「見果てぬ夢」で、工房にいると身体のことは忘れていられるのです。工房から自宅に戻って来ると、身体がだるくなって、身体の各部分に故障個所があるのではないかと空しい気持ちになります。老いは気持ちの持ちようで何とかなる?いやいや、そうではないかなぁと思うこの頃です。

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