「宗教図像学入門」(中村圭志著 中公新書)の3つ目のパート「神々のバリエーション」は5つの章から成り立っています。今回はそのうち後半の2つ「第12章 瞑想の中の救済者」と「第13章 絶対神の眷属」を取り上げます。「大乗仏教は事実上の多神教であり、如来(仏)、菩薩、明王、天といった存在(一種の神々)が信仰空間にひしめいている。ギリシャ神話の神々や神道、道教、ヒンドゥー教などの神々と少し様子が違っているのは、抽象的な教理の体現者としての性格が強いことである。~略~如来/仏陀は仏教的真理の体現者であるが、求道の最終段階にあるのが菩提薩埵、略して菩薩である。菩薩は如来に次ぐ地位であり、如来を本尊とする三尊像の両脇侍として造形されることも多い。他方、菩薩には自らが如来に昇格するよりも世俗の現場に立って民衆救済するというイメージがあり、そういう意味では有難い存在であるのみか、実力的には如来と互角だとも言える。~略~菩薩が慈悲深い姿をもっているのに対し、怖い顔をしているのが明王である。煩悩を打ち砕くために、忿怒相を表している。このようなやり方をとるのはインド仏教の末期に発展した密教の特徴である。」次に絶対神について。「大乗仏教において増殖した神霊的な救済者が菩薩だとすれば、一神教において増殖した神霊的な救済者は天使である。天使とは神の使い、伝令のことである。~略~いずれの一神教でも、神に反抗した天使、堕天使すなわち悪魔の存在が認められている。聖書ではサタンやルシファル、コーランではシャイターンやイブリースなどと呼ばれている。~略~天使が有翼になったことには、古代ローマ帝国における有翼の勝利の女神(ウィクトーリア)の影響もあると言われる。ウィクトーリアはギリシャ神話のニーケーに相当する。~略~インド発の仏教にも天界の楽人のようなものが存在し、西域から日本にかけて様々な『飛天』や『天人』『天女』の作例がある。しばしば楽器をもち、諸仏を賛美する。雲に乗っていたり翼があったり羽衣をまとっていたりする。」この文章を読んで私は平等院鳳凰堂にある52躯の雲中供養菩薩像を思い出しました。そこは私の大好きな空間なのです。今回はここまでにします。