Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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新聞記事より「時を刻むとは…」

今日の朝日新聞の「天声人語」の、時間に関する記事が気になりましたので、今日はそれを取り上げます。「私たちは、時間に追われて、生きている。あと5分で起きなければとか、次のバスは7分後だとか、つねに頭のどこかに時という物差しを置き、暮している。カチカチカチ。時計の針の音を聞きながら、思う。時を刻むとは何なのか。漠然とした問いを抱え、千葉県船橋市の菊野昌宏さん(43)の仕事場を訪ねた。設計から製作まで、年単位の時間をかけ、世界で一つの時計を手作りしている独立時計師である。『時代が違えば、異なる時間の読み方があります』。彼は言った。この国では一般に明治になるまで分も秒も使わず、24時間の一日ではなかった。江戸時代には夜明けと日暮れを境に、一日を昼と夜に分け、十二支などで表した。だから、幽霊が出るのは丑三つとされ、昼の12時を正午と呼ぶ。季節によって昼と夜の長さは変化する。それに合わせ、十二支が示す時間の長さも伸びたり、縮んだりする。そんな揺れ動く江戸の時刻が分かる腕時計を菊野さんは作っている。なるほど。変化する自然に向き合う生活には、江戸の時間が合理的なのだろう。でも労働時間で賃金を決めたり、電車を走らせたりする時代には、定まった時間が必要になる。そういうことだろうか。~以下略~」数年前まで私は教職に就いていて、勤務時間が決められていました。分刻みで授業が開始され、また終了する繰り返しでした。退職した時に、私は定められた時間から解放されました。これからは自分のやりたいように創作活動ができると思い、気の向くままに生きていこうと思いました。やる気が出れば作品を作る、そうでなければ気が済むまで休むという生活。ところがいざ退職となると、私は工房に行く時間をあたかも勤務時間がある如く決めることにしました。気が乗ろうが乗るまいが常に創作し続ける生活。江戸時代の時間の読み方が可能なのに、私は自分が決めた時間を自分に課していて、敢えて不自由な生活をしています。いつでもそれを変えられる生活、それが自分には心地よいのかもしれません。時間とは不思議なものだなぁとつくづく思っています。

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