Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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上野の「チュルリョーニス展」

今日は午前中工房で制作し、昼頃に家内を演奏会場に送り届けて、その足で東京の上野にある国立西洋美術館に行きました。当館で開催中の「チュルリョーニス展」はネットの展覧会情報で知った画家で、その幻想的な世界を一度覗いてみたいと思ったのがきっかけです。ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスはリトアニアを代表する画家で、20世紀初頭に本国で活躍していたようです。父がオルガン奏者だったので、当初は父より音楽の手ほどきを受け、その後公爵の支援を受けて音楽の専門教育を学び、音楽家として認められました。さらに美術も学び始め、画家としても頭角を現したという特異な経歴を持っています。展覧会場には音楽から発想された幻想的な絵画が並んでいて、この時代に象徴性・抽象性を秘めた世界観は、革新的でもあったことが伺えました。しかも叙情性も豊かで、墓碑をシルエットとして描いた「リトアニアの墓地」や鳥瞰図的視点で描いたピラミッド状の量塊「祭壇」に私の眼は釘付けになりました。さらにチュルリョーニスは35歳で逝去したことも私には驚きでした。音楽も美術も彼が才能に溢れていたことは会場を見渡せばよく理解できます。リトアニアが旧ソビエト連邦から独立して、漸く独自の民族性が認められたことで、今までチュルリョーニスのことを知らなかった私は、ここにきて音楽との関連でカンディンスキーとの関係はどうだったのか、率直な疑問を持ちました。図録にそんなことが掲載されているかどうかを調べたら、こんな文章がありました。「1911年、カンディンスキーは最初の抽象画を描き、同じ年に偉大なリトアニア人画家M・K・チュルリョーニスが亡くなった。1904年以来、チュルリョーニスは今日では典型的な抽象画とみなされる類の作品を描いていた。カンディンスキーはその作品をよく知っており、深く感銘を受けた。~略~『絵画は何かを目指してもがき、古い枠組みを打ち破ろうとしているが、しかし未だその枠組みにとどまっている。』チュルリョーニスが見据えた絵画の未来は、いったいどのようなものであっただろうか。この問いの答えを明らかにしないまま、彼は1910年に病に伏し、翌年に命を落とした。まさしくカンディンスキーが『芸術における精神的なもの』において具象絵画との決別を宣言した頃のことである。」(山枡あおい著)

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