今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「道ゆく人は、見知らぬ者でも挨拶をかわし、夜明けの浜では、地曳網をひく漁師たちが、とれた魚をわけてくれました。 谷川健一」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「海や山で生きる人々は、岩や砂ですらよそよそしいものと考えなかった。自然への謙虚さを失うと、山の神が怒る。神と人と自然を結びつけるこの『親和力』に耳を傾けたくて民俗学を志したと、水俣出身の民俗学者は言う。だからそれを踏み潰したものへの憤りが消えないと。絵本『みなまた 海の声』(文・石牟礼道子)への寄稿から。」私が幼い頃、祖母に背負われていると、よく見知らぬ人から声を掛けられました。実家は半農半商だったので、ふらりと立ち寄った人を縁側に座らせ、祖父母は蒸した芋を振る舞ったりしていました。私の記憶の片隅には、人に接する時の敷居の低さがあって、現代とはまるで違うコミュニケーションがあったなぁと振り返っています。周囲には雑木林が点在していて、そうした山に入ると道に迷うことがあり、半べそをかいていると肥しを積んだ牛車に拾われて、自宅まで送ってもらったこともありました。山道には地蔵があって、それが風景の一部になっていましたが、横浜は宅地開発が進み、そうした自然はどこかへ消えていきました。人が自然をコントロールして、私たちに都合の良い自然を残してきた経緯があるのだろうと思いますが、自然の脅威に対峙するために協力してきた人々のコミュニケーションの関係性は、明らかに時代とともに変わってきたと実感しています。あらゆる自然には八尾萬の神が存在しているという日本人独特の信仰を私は認めていて、特定の宗教を持たない私でも自然との「親和力」を信じています。私たちが生活の利便性を求めるあまり、自然を踏み潰してきた、そのしっぺ返しとして最近多くなった自然災害があるのではなかろうかと考えるのは私だけでしょうか。