Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

Scroll
note
竹橋の「絶滅写真」展

現代美術作家の杉本博司氏の写真「海景」や「劇場」を、私はかなり前に見ていたのですが、まとまった作品群を見たのは2016年に東京都写真美術館で開催された「杉本博司ロスト・ヒューマン展」で、その時見た「廃墟劇場」に衝撃を受けました。それから暫くして小田原にある「 江之浦測候所」を訪ね、杉本ワールドに触れてきました。この作家は何をしようとしているのか、今までの作品を概観すると、その趣旨は理解しているつもりでも、さらに何かがあるような気がしていました。現在、東京国立近代美術館で開催している杉本博司の個展である「絶滅写真」展とはどんなものか見てきました。杉本氏は古美術をアレンジしたり、地霊を祀る神道を設えたり、多様化した表現は図録にあった「亡びの美学」という言葉に裏打ちされたものなのでしょうか。本展は杉本氏の原点とも言うべき写真のみを展示していました。それでは絶滅写真とは何か、図録より拾います。「絶滅を迎えている写真とは銀塩写真のことだ。旧来の、そして杉本が自らの方法として選択し、半世紀以上にわたって作品をつくり続けてきた銀塩写真というメディアが、デジタル技術の進展によって絶滅を迎えようとしている。それは単なる技術の転換ではなく、実はより重要な何かの終わりであり、弔いの場を設ける必要のある節目である。そうした状況認識と、自ら作家としてのキャリアが終章に近づいているという自己認識が、まずはこの展覧会の基本的な方向性をかたちづくっている、ということになる。」(増田玲著)さらにアーティストとしての杉本氏の言葉がありました。「そういう私自身の心の中にも神秘主義者という魔物と、合理主義者という妖怪が二匹住み着いている。そしてお互いがお互いを蔑み、時には罵りあったりしている。神秘主義者の私は魔物封じの真言の威力が発揮されたと思うのだが、合理主義者の私の方は、真言を唱えることによって心が静まり、動作がスムーズになったことによって摩擦エネルギーが減少したからに違いないと断定する。私は私の中の二重人格をうまく操りながら、アーティストとしての心の綱をうまく渡ってこられたと思う。」こうして彼はキャリアを積んで、ここに「絶滅写真」展を開催しているのです。写真表現に己を賭けてきた作家の生きざまを私はじっくり鑑賞してきました。

Archives