「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「第7章 ロマネスクの作り手たち」の気に留まった箇所を取り上げます。「ロマネスクの作り手たちは、いわゆる『芸術家』ではなかった。そもそも『芸術家』という語が『ある技術に秀でた者』を指し、さらには彼らを称揚する意味あいで使われるようになるのは、ヨーロッパでも13世紀末からのことである。~略~なお、中世美術の作り手たちの自画像でもっとも多く描かれているのは、跪拝像でも、まして肖像でもなく、作業中の姿である。12世紀ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂のブロンズ扉には、天秤と大きなやっとこを手にするブロンズ職人リクィヌスとその助手の姿が今に遺る。」この時代には女性の作り手もいたようです。「女性の作り手の名が残るのは、じつはふたつのジャンルに限られている。ひとつは、写本である。筆写は力仕事ではないが、繊細さと根気が求められる。才能ある修道女が登用されたとしても不思議ではない。~略~女性の作り手の名が残るもうひとつのジャンルは、刺繍である。現存する作例は写本よりずっと少なくなる。布という素材の性質上、長い経年変化に耐えがたいからである。」また名がなくても個性が目立つ作り手がいたこともあったようです。「署名は残らないし、史料に名前が記されているわけでもない。その意味ではまさに無名であるにもかかわらず、きわめて独特な作風から作品群が帰属され、当人の移動経路まで推測できそうな稀有な作り手がある。『カベスタニの匠』。」さらに時代が新しくなると作り手の名が残るようになりました。「ロマネスク期も12世紀に入ると、作り手の名声は次第に高まってゆく。作品に名を残すだけでなく、作り手自身が顕彰されるようになるのだ。ヨーロッパでいち早く、優れた建築家や彫刻家が活躍し、その名が高々と掲げられたのは北イタリアだった。イタリアの美術史家エンリコ・カステルヌオーヴォは芸術家意識の高まりと、自治都市の成立との関連を示唆している。~略~自治都市の成立によって、注文主が司教や領主など封建領主層でななく、複数の人物からなる『市民』となったとき、讃え、喧伝すべきは注文主の寛容さや建設の意図ではなく、作り手の才能となったのではなかろうか。」今回はここまでにします。