「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「パリ1955-1975」について、気に留まった箇所を取り上げます。「新聞や美術雑誌におけるベルメールの作品評には、両極へ向かう傾向が見られた。20世紀の他の幾人かの芸術家たちが経験してきたのと同様に、彼のイメージはつねに論争の的となり、書き手たちの論調はそれを偏愛するか、憎悪するかのいずれかに分かれた。~略~生涯の最後の期間を通じて、ベルメールは版画制作に専念した。『ドローイングを銅版に写し、重いリープ・ペーパーに刷るというのは、描かれた鉛筆の線の魅力をひき立てるのに独特の効果をあげるのです』。~略~ベルメールは、リトグラフであろうとエッチングであろうと、版画の様々な技法に驚くべき能力を発揮し、それはかつてグラフィック・デザインに期待された能力をはるかに凌いでいた。しばしば彼は混合技法を使用したが、それによってエッチングとドライポイントは統合され、イメージは版上で厳密な精巧さを獲得することとなった。~略~ベルメールの作品形成において重大な役割を果たした人物は誰かと問うならば、それは間違いなくサドである。ベルメールは、感覚的な満足のために性本能を自由に使用すべきであり、あらゆる人間の精神にひそむ暗い衝動の幻想を自らの芸術を通じて伝達する必要があるというサドの信念に同意した。」ここからベルメールの生活や健康に関わる文章が登場します。「『マリオネット』が刊行された1969年に、ベルメールの健康は深刻なまでに悪化し、ウニカとの関係は極めて危機的な状況に陥っていた。彼らが最初から互いを必要としていたのは疑いようもない。ベルメールは孤独であったから、彼女の友情と激励が必要であった。ウニカもまた孤独で、自分の才能を信じてくれる人を求めていた。~略~ベルメールの長きに渡る重度の喫煙癖と飲酒癖とが健康を損なっていたのは明らかであった。すなわち、かれは重い気管支炎を患い、深刻な腸の疾患を抱え、不眠症にも悩まさせていた。」一時は医師の治療によって回復しましたが、錯綜した精神的な場面ではウニカが自死してしまいました。「1975年2月24日に(ベルメールは)死去し、故人の希望でパリのペール・ラシェーズ墓地にウニカとともに埋葬された。~略~墓碑には、かつてウニカの花輪に添えたのと同じ言葉が刻まれている。『私の愛はあなたを来世にまでも追っていくでしょう』」本書の内容はこれで終了です。