Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「南仏1939-1945」について

「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「南仏1939-1945」について、気に留まった箇所を取り上げます。「2週間をレザングレで過ごし、ベルメールは非常に多くの作品を制作した。アーモンドの木立ちと、アゲハチョウの飛び交う野生のラベンダーとローズマリーの野原に鼓舞されてジョイスも写生を楽しんだが、ベルメールはそれらを容赦なく破棄してしまった。彼いわく、『自然を描いたものなど誰も興味をもたない』。ベルメールの方はというと、『枝状に刻み込まれた流し目』風のコラージュ画の連作を制作した。~略~ヒトラーのポーランド侵攻に引き続いて、9月3日、フランスはドイツに宣戦布告した。続く7カ月の『まやかし戦争』の間に交戦状態になることはなかったが、にもかかわらず、フランス国内のドイツ人の同胞らは潜在的に危険視され、その多くが検挙され、敵性国人の収容所へと送られた。~略~ベルメールはまず第一に父親の権威に反抗し、それから祖国を離れた。というのも、彼はいかなる形においても全体主義を容認するつもりなどなかったからである。彼は自分が独仏戦争に巻き込まれる危険を冒していることに気づいてはいたが、それでも、敵性国人の収容所に監禁されるという衝撃は心に深い傷跡を残したにちがいあるまい。~略~窓のない煉瓦造りの独房で生活し制作した経験は、そこで過ごした7カ月という期間をはるかに超えてベルメールの作品に重大な影響を及ぼし続けることとなった。『イマージュの解剖学』に収録され、のちにマックス・エルンストにゆずられた1943年のドローイング《バスティーユ・コルセット》は、見たところ人形用の織物か衣服とも解せる、奇妙なうねる煉瓦製の壁を描いている。~略~『イマージュの解剖学』は1957年に刊行されたが、そのようなベルメールの論理的著作は著名な詩人ジョー・ブースケとの友情によって促された。ブースケは第一次世界大戦末期の数カ月に負った脊髄の損傷のために左半身不随となり寝たきり状態になって、生涯を執筆に捧げることとなった。」今回はここまでにします。

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