Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「語りだす柱頭」について

「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「第3章 語りだす柱頭」の気に留まった箇所を取り上げます。11世紀のヨーロッパでは建築ブームに沸いたようです。その要因は三つありました。「第一に、封建制の確立による社会のあらたな安定化である。ヨーロッパの11世紀とは、古代末期から断続的に興った民族移動(ゲルマン人の北から南への移動、フン族の東から西への移動、海岸や川沿いの町々への『ヴァイキング』の襲撃と定住、南欧でのイスラーム勢力の北進など)による動乱がほぼ一段落し、社会が安定化して発展へと転じはじめた時代だった。~略~第二の要因は、いわゆる農業革命。~略~刃に鉄を用いた有輪犂は、粘土質で重いが養分をたっぷり含むアルプス以北の土を深く掘り返した。さらに軛の開発によって、牛よりも耕作速度の速い馬を農作業に用いることができるようになり、より広い耕作地の管理が可能になった。~略~第三に、聖地巡礼の流行である。この時期、都市住民や農民の経済力が向上し、身分的な束縛も緩んだことから、しだいに移動の自由が認められるようになった。」次に建築の革新についての考察です。「柱頭に物語場面を刻む。そのこと自体が、まさに11世紀ロマネスク期の美的革新のひとつだった。渦巻きや植物から動物や人間へ、そして物語へーヨーロッパで千年近くもの間、ほぼ変わることなく柱頭に刻まれ続けてきた渦巻きとアカンサスの葉叢がここにようやく姿を消し、いわばその空き地に聖人や動物たちがにわかに躍り出て、のびやかなかたちをとりながら、さまざまな物語を繰り広げはじめたのである。~略~古代ギリシャ・ローマではもっぱらアカンサスと渦巻きが刻まれていた場所に、聖書の物語や偉人伝が刻まれ、動物や怪物たちが生動しはじめた。それはもはや古代的な規範を墨守する場ではなく、じつに多彩な美的可能性を秘めた描写空間へと生まれ変わったのである。~略~柱頭彫刻はロマネスク美術のなかでもっとも魅惑的なジャンルのひとつだが、残念ながらそうながくは続かなかった。ゴシック期になると徐々に消えていった。~略~垂直性を強調するゴシック聖堂にとって、垂直性を阻む柱頭装飾は邪魔になったという一面もある。それにくらべると、ロマネスクの柱頭彫刻は間近で眺められる。葉叢からのぞくおじさんのギョロ目、葉の上で足をぶらんぶらんさせる小人、そんな意外な細部を見つけるのは素直に楽しい。」今回はここまでにします。

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