Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ピクチャレスクのエネルギー」について

「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第1章  ピクチャレスクとは何か」の中の「6ピクチャレスクのエネルギー」の気に留めた箇所を取り上げます。「ピクチャレスクの風景の本質を考えようとする際に注目したいのは、定型的な枠組みが前提となっている一方で、その要諦が『粗さ』や『でこぼこ』などの物理的特徴や、それに伴う『偶然性』や『唐突性』といった動きを伴う要素だと当初からされていたことである。18世紀後半にはより多くの人々が自由に旅行を楽しめ、自らの目で風景を見てそれを表現できる時代になっていたが、ギルピンはそのツーリスト達の旅先での楽しみの一つとしてスケッチを挙げている。そこで彼が薦めるのは自由な筆致による、主観を許容する描き方である。『粗い』対象がピクチャレスクにおいて賞賛されるのは、その『粗さ』が『自由で大胆な筆致』に適合しているからであり、そのために彼は『黒鉛』を使って『淀みなく』そして『手早く』描くことを薦めている。~略~動きのあるものを捉えようとする方向性はピクチャレスクの時代の特性の一つであり、そこに想像力が関わる余地があったと考えられる。そして、その後の風景画の展開を見れば、例えばターナーの風景画に見出せる色彩や明暗などを駆使した、想像力の支えによる描法のまさに『自由で大胆な筆致』は、ピクチャレスクの風景に秘められていた躍動性を引き継ぎ発展させたものであると言えるだろう。~略~プライスのみならずナイトも、ピクチャレスクの規範は風景画であるという点に最後まで固執する。しかし、その絵画の額縁の中には外部に溢れ出ようとする内的エネルギーが醸成されていたという言い方は許されるだろう。彼らはそのエネルギーを、風景の中の村やそこでの住民の日常的営為、そして雑草などの目立たない植物が秘める生命力に見出した。あるいは、風景を見つめる彼らの目の中に、新しいものを見出そうとするエネルギーが蓄えられていたと言うべきだろうか。ワーズワスはピクチャレスクを『模倣芸術』と批判的に呼んだが、それまでに自然を見つめる芸術家の役割は模倣から創造へと変わり始めていた。」今回はここまでにします。

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