2025.04.24 Thursday
「名画を見る眼 Ⅱ」(高階秀爾著 岩波新書)の最後の単元はモンドリアンの「ブロードウエイ・ブギウギ」です。「この大作は、驚くべきほど『老年』を感じさせない。いやそれどころか、あの1920年代の禁欲的な厳しい幾何学的作品に比べれば、はるかに明るく、軽快で、若々しい。モンドリアンは、多くの優れた革新的芸術家がそうであるように、早くから老成した面影を見せていながら、死ぬまで精神の若さを失わなかった画家であるが、しかしそれにしても、最晩年になって突如として燃え上がってきた青春の歌声のようなこの若々しいエネルギーは、普通ではほとんど信じ難いほどのものである。~略~幾何学的なものに対するモンドリアンの好みが、単に風土の影響だけでなく、彼本来のなかにひそんでいたものであったことは、1909年頃から何回か繰り返されたあの有名な樹木の連作にはっきりとうかがうことができる。それは、最初は大きくしなうような曲線を示す樹の枝をそのまま写し出したものであるが、何枚となくその同じ樹を描いているうちに、大小の枝の曲線は次第に真っ直ぐになり、最後には完全に垂直線と水平線の組み合わせにまで変貌してしまっているのである。~略~すべて論理的に考えていかなければ気のすまないモンドリアンは、オランダ時代にすでにかなり抽象化された作品を作っていたにもかかわらず、パリにやってくるとあらためてキュビスムの美学を最初からやり直し、それをいっそう徹底させることによって、あの純粋に抽象的な構成にまで達するようになったのである。」書籍の内容としてはここまでになりますが、「名画を見る眼 」ⅠとⅡを通して、私は俄かに覚えている箇所があるので、若い頃に本書を既読していたのだろうと思っています。その当時の書籍が手元に残っていないので証拠はありませんが、私の西洋美術に対する憧れに本書は一役買っていたと考えています。大学生までの私は西洋美術一辺倒で、「奇想の系譜」を著した美術評論家辻惟雄氏の書籍に出会わなければ、日本美術に目覚めることがなかったのでした。本書を著した故高階秀爾氏は、私の美術史に関する最初に導きを与えてくれた人で、ここから自分の学問としての美術好きが始まったと言っても過言ではありません。
2025.04.23 Wednesday
「名画を見る眼 Ⅱ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はシャガールの「私と村」とカンディンスキーの「印象・第四番」を取り上げています。まず、シャガール。「シャガールの『幻想』の持つ実在感は、彼が故郷の教会堂や農夫や動物たちに深い愛情を抱いていることに由来する。人は、愛する者が傍らにいない時、いっそう強く、いっそう鮮明に、そしていっそう慕わしくその姿を思い描くものである。シャガールはパリにやってきて、いっそう強く故郷に惹かれる自分を見出した。~略~この『私と村』がわれわれに教えてくれるものは、彼が生まれ、育った故郷の土地への郷愁と、パリに出てきてから学んだ新しい造形感覚だけではない。その両者の『幻想的』な組み合わせによって、それはシャガールというひとりの稀有の詩人の魂の本音をもわれわれに明らかにしてくれる。~略~赤や、青の華やかな主調色に彩られたパリは、シャガール自身の夢の世界にほかならない。そこでは、エッフェル塔やパンテオンと並んで、空を飛ぶ魚や、巨大な鶏、山羊、牛など、シャガールのお伽噺の国の動物たちもやはり登場してきている。かつて故郷のヴィテプスクの町の上を恋人のベラといっしょに飛んだように、彼は夢のパリを二度目の妻のヴァランティーヌと散歩する。古代ギリシャの神話によれば、ミューズの女神は記憶の女神の娘たちであったというが、シャガールにおいても、詩は回想に養われた時、最も鮮やかな映像世界を生み出す。」次にカンディンスキーです。「芸術家は、感覚を通して自己の魂の感動を表現し、見る者の魂に訴えるような『外的要素』を見出さなければならない。そして、ちょうど音楽において楽音が何ら現実の物音を再現していなくても聴く者の魂に訴えることができるように、色彩や形態もそれだけでじかに見る者に訴えかけることができる。ここで抽象芸術というものが、その成立の意識的根拠を得ることとなるのである。~略~1908年頃から第一次大戦前後にかけて、すなわち、抽象絵画の誕生の時期に、カンディンスキーの作品には、『印象』、『即興』、『コンポジション』と題する作品が、まるで連作のように繰り返し描かれるのである。ここまでくれば、われわれは、ここに取り上げた作品では、『松明行列』という具体的な題名よりも、『印象・第四番』という抽象的な題名の方がカンディンスキーにとってはずっと重要であったことに気づく。」今回はここまでにします。
2025.04.22 Tuesday
先日、家内と東京南青山にある根津美術館で開催されている「国宝・燕子花図と藤花図、夏秋渓流図」展に行ってきました。展示作品の数は少ないけれど、有名な屏風が3隻あって、それでも展覧会としての見応えが充分あると感じました。しかも外国人鑑賞者が多く、日本画の表現力を内外に誇っていました。まず、尾形光琳の「燕子花図屏風」です。作者は京都の呉服商に生まれたためか、意匠感覚に優れていて装飾的な作品を残しています。「燕子花図屏風」は六曲一双屏風に、燕子花の群生をデザインしていて、空間の在り方が現代風な感覚を与えてくれます。屏風仕立てのため、平面に描かれた燕子花に距離感が出てくるのが、私に面白さを齎せてくれます。この「燕子花図屏風」は国宝故か、私は何度も見たことがありますが、その度に新鮮な感動が甦ります。次に円山応挙の「藤花図屏風」です。総金地に藤を描いた作品は、幹や蔓は一気呵成の刷毛さばきによる「付立て」で描かれています。垂下する花房は微妙な色彩を重ね合わせ、ボリュームを実現させていて、まさに西洋の写実画のような趣で、墨の濃淡や広く空間をとった画面構成に、私は余白の美を感じ取ってしまいます。余白とは何も描かれていないのではなく、無が充満していると私は考えていて、描かないところが描いているところ以上に雄弁に空間を物語っていると私は見ています。画面全体を絵具で埋め尽くす西洋絵画との違いをよく示している好例ではないでしょうか。3点目は鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」です。檜の林と岩間を流れる渓流が連続する六曲一双屏風に、山百合の咲く夏の風景と桜が紅葉する秋の風景を描いていて、季節の移り変わりに装飾性を織り交ぜ、時に単純化して表現しています。鈴木其一は酒井抱一に学んだ画家で、琳派にあたります。他の2点に比べると絢爛たる風情がありますが、近代に近いためか、現代日本画に続く雰囲気を持っているように感じます。過去の琳派の画家の要素を取り入れてまとめあげた秀作だろうと思います。
2025.04.21 Monday
先日、家内と東京上野にある東京藝術大学美術館で開催されている「相国寺展」に行ってきました。相国寺文化圏というコトバをどこかで聞いたことがことがあって、表現力に長けた絵師たちが集ったことで有名なのは、私も知っていました。会場に入ると早速、文正筆による「鳴鶴図」に注目しました。図録から引用いたします。「絶海中津の渡海履歴は、相国寺の作品に一つの伝説を導いた。『鳴鶴図』である。天保7年(1836)作成の『賽物傳來之譯書』(相国寺文書)は、絶海が永和2年(1376)に帰国する船中のこと。一羽の鶴が空中を回旋しながら鳴いた。すると画中の鶴が鳴いて仲良く声を合わせた。以来この図は世に鳴鶴と称す、と記す。」とありました。それを契機にこんな環境が整ってきたのでした。「15世紀の相国寺には足利将軍家の唐物趣味と夢窓派が牽引する禅宗文化が交差し、化学反応をおこし新たな美を奏でる、相国寺文化圏と名づけられるべき環境があった。そして文化の高揚があった。」会場を巡るとよく知った筆致の作品に出会いました。「相国寺に梅荘顕常(1719-1801)という文化を愛する名僧が現れた。大典の名でも知られ、伊藤若冲(1716-1800)に若冲という名を授けた。『老子』の一節『大盈若冲(大盈は冲きが若し)』に拠った。その命名は、室町の世の絶海中津の如拙命名を想起させる。若冲もまた時代の『新様』を追求し、宝暦9年(1759)に鹿苑寺大書院に墨一色のパノラマの世界を描き、明和2年(1765)には『釈迦三尊像』、『動植綵絵』を相国寺に寄進し仏縁を結んだ。」(引用は全て高橋範子著)室町幕府三代将軍の足利義満が建立の発願をした禅宗の古刹である相国寺は、文化財の宝庫であることが本展を通して、私にはよく伝わりました。伊藤若冲の墨一色の表現を究めた作品の他に、長谷川等伯による「萩芒図屏風」の単純且つ繊細な画風や、円山応挙による「七難七福図巻」の世の苦難と寿福との絵解きをするために制作された巻物が印象に残りました。優れた作品を鑑賞した後は、何とも言えぬ心が満たされた状態がやってくるんだなぁと思いました。
2025.04.20 Sunday
日曜日になりました。日曜日は主に創作活動についてNOTE(ブログ)に書いていますが、今日のタイトルは過去に同じ内容で書いているような気がしています。なにしろ2006年からNOTE(ブログ)を書いているので、記述の趣旨が同じものは複数存在すると思っているからです。もうそんなことは気にせず、今思っていることを述べていきます。現在は平面作品の一部になる杉板を炙って、その素材感を全面に出そうとしています。木材を炙ることで炭化させた効果を表現にした作品は、過去にも作っていて、私はそれと陶彫作品と組み合わせているのです。陶彫作品は釉薬をかけずに焼き締めていて、分類で言えば炻器になるのかなぁと思います。私は陶土が窯内で火力によって変容し、石化するのが楽しみで、陶を始めた頃からこの方法をとっています。まさに素材の変容で、木材が焼かれて炭化するのと似ていると私は感じています。この炭化した木材と陶彫作品のコラボレーションは、私に火焔という共通項をもった造形的な満足感を齎せてくれます。因みに鉄も錆びていくので、これも素材の変容と言えますが、ただ、鉄は人が作り出した素材で、自然から生まれた土や木とは生成が違うので、私は未だに鉄を使用したことがありません。石は長年放置しても変容することはなく、その不変な美しさが石の特徴と言えます。そう考えると素材が変容するのは、限られた素材なんだと改めて思った次第で、私はその変容をコントロールしていきたいのです。火焔による変容は人の手が及ばないところがあって、そのコントロールは難しい側面でもあるのですが、作りっ放しで仕上げていくものより、何か神に似た聖域の過程によって素材が変容していくのは、自らのイメージの斜め上をいくような感覚を持っていて、難しさと共に素晴らしさも感じ取ることができます。今回の新作は平面作品も立体作品も炭化した木材と陶彫作品のコラボレーションがあり、それが見せ場になるのだろうと思っています。