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  • 災害大国に生きる
    今日は3月11日で、15年前に東日本大震災があった日です。15年前に私は横浜市立中学校の副校長の立場で震災を経験しました。場所は横浜であっても影響は大きいものでした。当時は2日前に卒業式は終わっていて(今年は今日が市立中学校卒業式でした)、しかも2時半過ぎという時間帯はその日の在校生の授業も終わっていて、部活で残留している生徒しかいませんでした。それでも校庭に生徒たちを集めたら200人以上が校内に残っていました。隣にある小学校から児童の叫ぶ声が聞こえてきましたが、中学生は静かに列を作って、私たち教員の指示を待っていました。隣の小学生との差が成長に現われていると感じました。当時のNOTE(ブログ)を探し出し、その一部を掲載いたします。「ついにきたかと瞬時に思いました。職場で書類を作っていたのが午後3時近くでした。微妙な揺れがあったかと思ったら、大きく揺れだし、しばらく揺れが止まりませんでした。緊急放送のあと一時避難したら、また揺れがきました。揺れが落ち着いてから施設を点検し、5時過ぎに職場を出ました。電車が止まっているので歩いて自宅まで行こうとしたところに、職員の一人が家の近くまで車で送りましょうと声をかけてくれました。国道は歩いて帰宅する人であふれていました。」あれから15年経っても日本は災害が多いことを実感する毎日です。台風被害もあり、自宅の屋根が壊されたこともありました。日本が台風被害を直接受ける場所に位置していること、また活断層が海中にも多く存在し、地震や津波被害に遭う恐れがあることなど、日本は取り巻く環境からして災害大国と呼ばざるを得ないと思っています。地球温暖化で日本以外にもさまざまな被害に見舞われる国もあり、災害があるたびマニュアルを残している日本が、それらの国の指導的役割を担わなければならないかなぁと感じています。今日は工房で作業をしていたら、いつも聴いているFMヨコハマから震災があった時間に畠山美由紀さんの歌う「わが美しき故郷よ」が流れてきて、思わず黙祷をしてしまいました。畠山さんは気仙沼出身の歌手で、毎年この時期にこの歌が流れます。
    「庭園論の礎石」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第3章  ピクチャレスクと庭園」に今回から入ります。まず「1庭園論の礎石」を取り上げます。本単元ではウェイトリー「現代造園論」が中心になっています。「ピクチャレスクと庭園を考える際、まず最初に取り上げたいのはウェイトリーの庭園論である。~略~『序論』において著者の庭園論の基本が表明されているが、それは庭園は自然風であるべきことを推奨しながらも、人為性をより尊重するいう立場である。~略~木々を大きな塊として把握してその色彩を絵画的に描き出そうとする視覚的アプローチと、その塊の表面の粗さや滑らかさなどの多様性を感じ取る触覚的アプローチ、これら両方を彼は採用している。その上で、『何を植えるか、あるいは何を取り除くか』が決められるべきなのである。~略~『現代造園論』の風景の特徴は客観性と構図あるいは構成への配慮が優先されていることであり、その基本にあるのは鮮明な絵画的視点であるとまとめることができるだろう。『多様性の調和』の尊重は18世紀前半の自然観を継承しているが、ポープの時代にその背後にあった宇宙観・世界観をウェイトリーの描写において見出すことは難しく、そこでは殆ど視覚的、審美的な意味しか持っていない。この点においては、ギルピンのピクチャレスクの風景描写に極めて近い。~略~ウェイトリーの描写の特徴は視覚を中心にした客観性に留まるものではない。高度な客観性の他に、もう一つ彼の記述に特有であると言えるのは、対象の『性格』の尊重だろう。~略~廃墟が『表出』する『性格』には二通りある。『残存する建築様式や状態が表出する』、つまり現存の廃墟の視覚的外観が直接に喚起する『性格』と、廃墟がかつての姿を想像することから生じる『観念』即ち『性格』である。前者をウェイトリーは『変遷、老朽、荒涼』であるとする。一方、後者は目の前にはないものから想像力を働かせることによって得られるのであるが、特に廃墟がその姿が『不完全』で『曖昧』であるという『特質』を持つため、想像力が活発に働く余地があるという。~略~ウェイトリーの庭園風景は絵画に立脚した人為性が強調されたものだったが、その一方で彼はそれと対照的な『ワイルドな』風景にも惹かれていた。これら静と動という相対立する二つの方向性の共存は、すでに述べたようにピクチャレスクの風景の本質である。つまり、ウェイトリーの庭園風景はピクチャレスクであったと言ってよいだろう。」今回はここまでにします。
    「自然と文明の対立」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第2章  ピクチャレスクと観光」の中の「4自然と文明の対立」を取り上げます。ここではギルピン著作「ハイランド観察紀行」が中心となります。「ピクチャレスク・ツーリズムの目的地として人気があったのはロンドンから遠く離れたイギリスのマージナルな地域であったが、その中で湖水地方やウェールズと並んで多くのツーリストが訪れたのがスコットランドである。~略~スコットランドは1707年にイングランドと合同されたが、その後も争乱は続き、平和が訪れたのは1746年の最後のジャコバイトの反乱であるカロディンの戦いの後であった。このような事情によって湖水地方よりはやや遅れたものの、1770年ごろからは多くのツーリストが訪れるようになったが、この時期はピクチャレスクの興隆期に重なる。スコットランドのピクチャレスク美を探求するツーリストにとって言わばバイブル的な存在になったのは、ギルピンによるスコットランドの紀行文である。~略~そもそも、ピクチャレスクの理想的風景は劇場に比した構図に対象を適合させ、牧場などの人為的風景も歓迎するという反・自然に与する側面を併せ持っているが、それは特に崇高さを特性とする風景とは相容れない。インヴェレアリーや他のハイランドの諸地域の風景に対するギルピンの評価の背景には、このようなピクチャレスクが持つ相反する側面が現れている。ピクチャレスクの流行がハイランドに及ぼした影響は、ツーリストの増加による物理的影響だけではない。初期のピクチャレスクの目は規定のパターンの中に全てを当てはめ、規定の言葉でその風景を表現しようとするが、それは風景の地域性を奪ってしまうことでもある。その結果、ハイランドの風景は、ウェールズやイタリア、さらにはインドなどの植民地と同様に画一化されていった。」今回はここまでにします。
    週末 社会派映画&卒制展の1週間
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いていますが、昨日書くはずだった1週間の振り返りを今日に回してしまったので、改めて先週1週間の振り返りを行ないます。先週は日曜日から金曜日までは朝から工房に行き、壁に掛ける新作の制作をやっていました。杉板の刳り貫き作業は1カ月もやっていて、新作ではこれが見せ場になるのかなぁと思っています。工房のある植木畑には桃の花が咲いています。寒さが和らぎ、制作には絶好の季節になりました。先週の印象に残ったことは木曜日に東京新宿にあるミニシアターで観た「死の天使ヨーゼフ・メンゲレ」で、ホロコーストを描いた社会派の映画でした。アウシュヴィッツ収容所でユダヤ人に人体実験を行なったヨーゼフ・メンゲレ医師は、戦争終結とともに南米に逃亡し、国際的捜査の眼をかい潜って生き延びた人でした。こうした実話を土台にしたドラマを私は若い頃からよく観ています。私自身は特定の思想を持っているわけではありませんが、近現代史の表に出ないエピソードに対し、自分なりの思いを確かめたいという欲求があります。大きな事件に対し、そこで生きた人はどんな思いに駆られていたのか、自分の成育歴からでは多々分からない部分もありますが、分かる範囲で考えてみたいのです。先日観た「ネタニアフ調書」ではイスラエル首相の公私にわたる行動をレポートしたドキュメンタリーでしたが、この映画でも考えさせられる箇所が随所にありました。これは自分とは遠い存在と片付けていいものなのか、若い頃ヨーロッパに暮らした自分の通っていた大学は、人種の坩堝で当然ユダヤ人もドイツ人も在学していました。彼らとはメンザ(学生食堂)で顔を合わせる程度の友人でしたが、今になって彼らの民族史を知れば知るほど妙な気分になっています。大学と言えば、昨日の土曜日は女子美術大学の卒業制作展に行ってきました。ここにも中国名や韓国名の卒業生がかなりたくさんいて、しかも留学生は優秀な作品を展示していて、日本人が見劣りしてしまう感想を抱いたのは私だけでしょうか。
    週末 女子美の卒業制作展
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行なうのですが、それを明日に回して、今日は女子美術大学の卒業制作展の様子を伝えていこうと思います。工房に出入りしている私の教え子に女子美大の工芸学科で染織を専攻している学生がいます。彼女は大学の課題のデザインや下書きを工房でやっているので、どんな作品を作ろうとしているのか私にはよく分かっていました。その完成した作品が展示されていて、その仕上がりに私は満足を覚えました。よく頑張ったなぁと彼女に労いの気持ちを持ちました。私は工房に出入りしている教え子たちを連れて美術大学によく出かけて行きます。今日は女子美の学生の他にもう2人を同伴していました。女子美の学生はこの3月で卒業し、4月からは社会人です。以前のNOTE(ブログ)に書きましたが、美術系大学の在学中は自分の好きなことを思いきりやらせてもらえる環境が揃っています。自分の内面に問いかけ、自分の世界を構築していくことの素晴らしさを感じ取れるのは、卒業を迎えるまでの4年間だけで、社会に出れば自己表現を封印しなければならない学生が数多くいます。今までやってきた己を表出することに対し、ここで幕引きを図るか、それとも諦めずに粘り強く取り組んでいくのか、決断するのがこの時期なのだと言えます。工房に出入りしている後輩の彫刻家は、私と同じ二束の草鞋生活を送りながら彫刻を作り続けています。彼も諦めの悪い人種だったわけで、生活するための経済的基盤と創作活動に追い立てられるような日々を過ごしています。大きな注染を展示していた彼女も、大学の師匠から公募団体の出品を促がされていたらしく、卒業後も工房を使わせて欲しいと言ってきました。そうか、この子も二束の草鞋生活になるのかなぁ。大学の他に創作ができる場所を持てるということはこういうことかと思いながら卒業制作展を後にしました。