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  • 週末 20’RECORD4月~6月アップ
    週末になりました。週末のNOTE(ブログ)の記事は自分の創作活動に関するものをよく取り上げています。今日は陶彫制作ではなく、一日1点ずつ制作しているRECORDについて書きます。RECORDはポストカード大の小さな平面作品ですが、毎日制作をしています。RECORDは名称どおり日々の記録です。デザインは5日間で展開する方法を採っていますが、テーマとしては月毎に変えています。テーマが決まるとNOTE(ブログ)で発表し、テーマの動機や根拠等を記しています。RECORDはホームページに掲載していて、ホームページの扉からRECORDの頁に入れるようにしてあります。そのためにRECORDを撮影する日を設定していて、1年間分のRECORDを懇意にしているカメラマンにお願いしているのです。毎年9月末から10月のどこか1日を設定し、工房に保管してあるケースから1年間分のRECORDを取り出して撮影しています。現在ホームページに掲載している最近のRECORDは昨年の秋に撮影したもので、昨年の9月分までがデータとして保存してありますが、ホームページには私のコトバを添えるために、コトバが遅れてしまって、掲載が滞っていることがあるのです。やっと4月~6月までのコトバが出揃ったので、今回アップさせていただきました。これから残り3か月分のコトバを考えます。私は過去に何度かNOTE(ブログ)に書きましたが、高校時代に密かに詩人に憧れていて、幾度か詩作を試みたのですが、気に入った作品が出来ず、結局造形美術の道に進んできた経緯があります。その頃も文学性が反映できる絵画ではなく、私は建築や工業デザインを志望していたので、自分には文学は向かないと思っていました。ただし、彫刻に舵を切ると空間を造形する場合に詩的要素が根幹にあることを知り、再びコトバに向かい始めたのでした。ホームページに掲載された文字も、私は詩とは別物と考えていて、カタカナでコトバと称しています。コトバと造形との関連はありません。同一テーマで異なる媒体で試行しているのです。
    千葉市原の「メヒコの衝撃」展
    昨日、千葉県市原市にある市原湖畔美術館に「メヒコの衝撃」展を見に行きました。今年はメキシコ独立200周年になるそうで、メキシコと縁のある日本人芸術家8人による大規模な展覧会を見て、メキシコの独特な風土が日本人に与えた影響力を感じました。メキシコと言えば私は巨大な壁画運動を思い出します。図録からこんな文章を引用いたします。「暗黒の300年間、先住民が崇めていた神像は粉々に砕かれ、神殿は徹底的に破壊され、埋められ、その上にカトリックの寺院や副王の宮殿が建立された。しかし、その文化は脈々と生き続けた。文化革命運動は、その文化遺産に社会革命の精神を吹き込み、更に推進しようとしたのである。その中心となったのが壁画運動であり、それを牽引したのがディエゴ・リベラ、ホセ・クレメンテ・オロスコ、ダビッド・アルファロ・シケイロスだった。」日本人8人のうち、まず取り上げたいのは北川民次です。「豪胆な彼は、メキシコ各地を聖画商人などしながら旅した後、チェルブスコ美術学校『芸術家の家』でフリーダ・カーロらと共に1年ほど学び、メキシコ・ルネサンスのもうひとつの文化政策の柱であった『野外美術学校』の運営に1925年から参加する。それは新しい美術教育の試みであり、美術を民衆のものにする実験であった。」次に利根山光人。「利根山はメキシコ壁画運動のエッセンスを日本の文脈に移し替え、古代文明からの示唆を現代社会への問いかけとした数々の壁画、パブリックアートを展開した。」そして岡本太郎。「岡本は初めて訪れたメキシコで、『メキシコというのは、なんて怪しからん所だ。何千年も前から断りもなく、私のイミテーションを作っているなんて』と語る。」漫画家水木しげるはメキシコで収集した仮面を展示していました。「水木は妖怪研究家としての顔ももち、世界各地で『冒険旅行』と称するフィールドワークを行っている。メキシコでは、インディオの呪術的な信仰世界が生き生きと残る南部オアハカ州やゲレーロ州を精力的に旅した。」絵本作家スズキコージ。「人、動物、生きもの、精霊、悪魔と天使、祝祭、音楽、映画、世界の様々な場所がびっしり描き込まれたスズキの絵は、『手術台の上のミシンと蝙蝠傘』がぶっ飛んでしまうほどシュルレアリスティックで魔術的な、あらゆるものが混淆する、メキシコ的世界である。」(引用は全て前田礼著)その他に河原温や深沢幸雄、小田香の作品がありました。メキシコ本国の壁画の迫力と変わらない躍動感のある作品が、8人8通りの表現方法でところ狭しと展示されていた空間は、異様な印象を私に齎せました。欧米とは源泉の異なる生命を宿した強烈な作品を見て、私もパワーを貰いました。メキシコ本国にある壁画を一度見てみたいものです。壁画を図版で紹介されているものを私は持っていますが、こればかりは本物を見ないと語れない何かがあるように思えます。
    秋分の日 千葉の美術館へ
    今日は秋分の日です。例年ならもう少し涼しくなっているはずですが、今日は真夏日の気温でした。勤めをしていた頃は休日にならないと時間が取れなかったため、どこかへ出かけるのは休日しかなかったのですが、3月末に仕事を退職してから、混雑が予想される休日よりも平日にしようと思っていました。ところが今日は家内と時間が合わせられなかったために、祭日であるにも関わらず、出かけるハメになりました。出かけた先は千葉県市原市にある市原湖畔美術館です。車で横浜から1時間半くらいなので、ドライブとしてもちょうどいい距離でした。東京湾アクアラインを通るのは本当に久しぶりで、確かアクアライン開通時の間もない頃に、私は一度だけ通過した覚えがあります。高速道路の途中にあるパーキング海ほたるにも立ち寄りました。海ほたるは新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言下にあっても混み合っていました。周囲が海に囲まれた独特な景観を再び堪能し、そこのレストランで昼食を取りました。観光客がウロウロしている状況を見るのは久しぶりでした。市原湖畔美術館も地方にある美術館とは思えないほど多くの鑑賞者が訪れていました。この美術館は高滝湖畔にあって美しいロケーションに恵まれた美術館です。美術館の構造も面白く2013年にリニューアルオープンしたことが分かりました。そこで開催していたのが「メヒコの衝撃」展で、メキシコの美術に影響された日本人芸術家8人による大規模なグループ展でした。テレビで紹介された画像を見て、私も行ってみようと思ったのでした。8人とは北川民次、岡本太郎、利根山光人、深沢幸雄、河原温、水木しげる、スズキコージ、小田香で、8人とも表現手段はバラバラですが、それでもメキシコの多様な文化を吸い込んで具現化した芸術家たちでした。詳しい感想は後日改めたいと思います。今日は自分の制作を休んで、千葉県まで出かけたのでしたが、充実した一日を過ごしました。
    ヴァザーリのピエロ評と読後感
    「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)には最後に付録がついています。それはジョルジョ・ヴァザーリによる「ピエーロ・デッラ・フランチェスカ伝」です。ヴァザーリはルネサンス後期(マニエリスム期)の画家・建築家・ミケランジェロの弟子という位置づけがありますが、何よりも多くの芸術家の評伝を著した美術史家として後世に名を残しています。和訳された「芸術家列伝」を私はまだ読んでいませんが、イタリア・ルネサンスを研究するならば、「芸術家列伝」は避けて通れないスタンダードな著作になっています。ヴァザーリは本書を著したアンリ・フォションとも微妙に違った見解を持っていましたが、ピエロの寡黙な姿勢や優れた画法は一致していました。ヴァザーリの文章の中で、私はピエロならではのエピソードが気になりました。引用いたします。「ピエーロは研究熱心であった。とりわけ遠近法の造詣は深く、ユークリッド幾何学を完全に把握していた。正面体上に描かれた曲線を、いかなる幾何学者よりも明瞭に理解しており、この分野でのすべての光明はピエーロの手によって灯されたといえる。というのは、幾何学上の正面体について論文を著わしたフランチェスコ派の僧、ルーカ・ダル・ボルゴ先生はピエーロの教え子だったのである。ピエーロは死間近の老年期には、すでに多くの本を書いていた。巨匠の死後、本を手に入れた前述のルーカは、それをそのまま横取りして、自分の著作として印刷させたのであった。」こんな話は現在の博士論文だけではなく昔からあったのだろうと思いましたが、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵画自体も失われている場合もあって、最近の研究によって掘り起こされた作品もあると聞き及んでいます。ピエロの真筆となる残存作品はフェルメールよりも少ないのではないかと思いますが、願わくばもう一度イタリアに渡って、ピエロのフレスコ画をじっくり眺めてみたい欲求に駆られているのは私だけではないはずです。20代の頃にオーストリアに住んでいた私は幾度となくイタリアにも出かけていますが、慌しく美術館を巡る観光旅行になってしまっていて、イタリアの地方にある教会を訪ねて歩くことなど考えが及ばなかったのでした。イタリア・ルネサンスと聞いただけで頭がクルクル回ってしまった当時の私は、若いくせに咀嚼力・受容力が何故なかったのか、今になって思うと残念でなりません。もう一度チャンスがやってきたら、「芸術家列伝」を携えてイタリアに行こうと思っています。
    旧友の陶芸展に行く
    今日は午前中は工房で陶彫制作に勤しんで、昼ごろには水泳に行って来ました。いつも通りの一日のルーティンですが、午後から旧友の夫妻が陶芸による個展を開催しているので見てきました。場所は東京の都立大学駅近郊にあるnoie(ノイエ)という額縁店が営んでいるギャラリーで、旧友は毎年ここで個展をやっているのです。旧友の名前は佐藤健太・和美夫妻で、和美さんと家内は中学と高校の同級生でした。彼女は東京藝大に学び、都心でデザインの仕事をやっていましたが、一大発起して茨城県笠間に移り住んで、陶芸を始めたのでした。その頃、ご主人はコピーライターでしたが、健太さんも和美さんの影響で陶芸をやり始めたのでした。2人が陶芸に取り組み始めたちょうどその頃、私は海外生活を引き上げて帰国していました。私は海外でイメージを掴み、それを陶による彫刻にしたいという意思を固めていたため、家内の親友だった和美さんの窯場に通い、教えを乞うことになったのでした。笠間や栃木県益子に住む陶芸家仲間と触れ合えたのも、陶芸の専門店を紹介してくれたのもこの人たちがいてくれたおかげです。私はそれから焼成が上手くいかない時は、何度か和美さんに電話をして原因を聞いたことがあります。2人に陶彫制作の契機を作っていただいた後、私は独学であれこれ技能を身につけましたが、初めの一歩を忘れることが出来ません。夫妻の陶芸は土肌を生かした瀟洒でシンプルな造形です。器の表面に微妙に施した凹凸と、焼き締められたようにみえる素朴な風合いが特徴で、白壁に良く映えます。展示された作品も良く売れていて、毎年個展が盛況であることを証明しています。新型コロナウイルス感染症の影響で、夫妻は東京にずっと滞在することができず、和美さんと家内はラインで連絡を取り合っていました。コロナが落ち着いたら、また茨城県に会いに行きたいと思っています。