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  • 「山の日」は創作活動一本
    今日は「山の日」です。私の個展オープニングが毎年「海の日」になっているので、それに対する日が「山の日」なのでしょう。ちょうど明日が旧盆なので、続けてお盆休みを取る人が多く高速道路は朝から渋滞が発生していました。「山の日」が祝日になった歴史は浅く、2014年に制定され、2016年の改正祝日法で新設されたようです。由来は分かりませんが、山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝することを趣旨としています。夏山の登山は絶好のレクレーションで、肉体的にも精神的にも健康に対する有効な手段でもあります。とはいえ私はこの日にどこかへ出かけることはなく、相変わらず工房に籠って創作活動一本で過ごしました。現在の私の創作活動時間はほぼ毎日午前中に限っています。猛暑が厳しく、とりわけ午後の工房は暑さが籠ってしまうために一日中工房にはいられないのです。昼ごろに後輩の木彫家が工房に現れました。彼は横浜市の公務員のために今日のような休日を使って、制作に励んでいるのです。私は工房を彼に譲り渡し、自宅で休憩することにしました。午前中は陶彫、午後は木彫という具合に、異なる技法を持つ2人の彫刻家が入れ替わって工房を有効利用しているのです。彫刻の制作が出来る施設はどこにでもあるわけではなく、時に騒音や臭いが発生し、また広い空間を必要とします。それが故に彫刻制作を諦めてしまう作家も少なくありません。横浜の市内でこうした活動が出来るのは幸運なことだろうと私は思っています。先祖の代から環境があったために、私は彫刻を生涯の友にすることにしたのです。工房には非日常の世界があります。人には意味のないことでも私たち彫刻家には有意義な時間が過ごせる場所であることは間違いありません。明日も制作は継続です。
    「建造物のなかの人体」について
    「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は10番目の「建造物のなかの人体」について、留意した台詞を取り上げます。「私たちはもう、美術館で建築から切り離された彫刻を見るのに慣れっこになってしまっています。だから彫刻がもともと建物の一部だったということを、本当に忘れがちですね。大半の文化にとって、そして歴史上も相当な長期にわたって、巨大なスケールの彫刻が当然のように設置される環境と言えば建築でした。~略~古代ギリシャまでさかのぼるその伝統においてはとくにそうですが、支柱や主柱というのは、たびたび人間のかたちを持つものとして着想されてきました。ギリシャのアクロポリスにある、エレクテイオンの人像柱が示すとおりです。ところがこの像は、相当な重荷を支えているにもかかわらず満足そうですし、こうして役に立てることを誇りに思っているようです。」(M・ゲイフォード)「中世の建物の屋上に登ったり、聖歌隊の席の下に隠れたミゼリコード〔起立時の体重を支える小さな突き出し部分〕を見たりすると、頭が牛で体が蛇になった怪物などの自由な発想のかたちが見つけられると思う。ゴシック建築の周縁部を飾る彫刻、とりわけガーゴイル〔怪物などをかたどった彫刻〕のような装飾も、同じように破壊的だ。こういう彫刻は、神のものであれ世俗のものであれ、権力を表す役目をうまく逃れている。それが空想を生んで、人間が支配することのできない力としての動物の世界と僕らとの、恐れに満ちた関係を表している。」(A・ゴームリー)やがて建築から彫刻が独立したことを彫刻家はこのように言っています。「彫刻の歴史には言外に物語るものがある。それは彫刻が建築的な制約から解放され、僕らと共通の土台の上に存在するようになったということだ。つまり僕ら自身が自分たちについて表現したり、語ったりしたものが、本当の生身の人間と同じ空間に存在している。これによって彫刻は建築や社会と和解するのではなく、むしろそれと対峙するものになったんだ。いまや彫刻は自由に問いかけることができるー物質化された問いになったんだよ。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。
    「青銅の時代」について
    「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は9番目の「青銅の時代」について、留意した台詞を取り上げます。「『青銅器時代』というのは人類史の転換期でしたが、その名称はまさにこの可能性と制作法の変化にちなんでいます。決定的になった発見とは次のようなものでした。つまり、銅に錫、さらに場合によってはほかのさまざまな金属ーなんの金属をどのくらい足すかについてはかなりの幅があるのですがーを加え、さらに砒素のような物質をそこに足すと、その合金全体が強化され、また融点が下がって鋳造しやすくなることがある。私たちが『青銅の』と呼んでいる彫刻も、まさにこのように合成された、純度の低い雑多な金属の合金によって鋳造されています。」(M・ゲイフォード)「ロダンが彼の画期的な人体像を《青銅時代》と名付けたのは、じつはこの素材に意味を持たせたいと考えていたことを示唆しているように思える。ほっそりとしたからだつきの裸の男は、片方の手はなにも持たず、眼を閉じて、もう一方の手で頭をつかんでいる。これはどういう意味なんだろうか?この作品でロダンがやっていることは、その金属を重要なものにすることだ。そして彼はその素材を特定の意味と結びつけている。青銅は人類の進化に関係のあるー剣や盾、矢をつくるのに用いられたー物質だ。武器を持たない裸の彼はこのことを理解するに至った。彼は僕らにも同様の理解を促していて、この彫刻は極めて高い水準で、見る者に心理的な共感を呼び起こすひとつの触媒となるものだ。」(A・ゴームリー)「近代社会では青銅彫刻というのは、それでつくられた像がなにかよくない印象を持っているから、問題になるのかもしれませんね。世界中の都市の街角に、青銅でできた馬上にふんぞりかえった王の騎馬像の大連隊や台座の上で威張る政治家の中連隊があふれているのがちょっと気になるな、というわけです。でもそれだけの数があるのもたいていは青銅が完璧な素材だからなのです。強く、多用途に使え、長持ちし、そして美しい。」(M・ゲイフォード)「ほとんどの青銅彫刻はある意味では僕らに一杯食らわせているんだ。もちろん意図的にそうしているわけではないのは明らかだけど、世界中に存在するものすごい数の青銅の泡、つまり清らかな女性のヌードや躍動感のある男性像を思い浮かべてごらん。作者たちが最後まで僕らに隠し通したいことは、そういう作品が外観だけのまやかしだということだ。でも僕にとってはむしろそれがすごく大きな意味を持っていた。空っぽであることは彫刻の有力なテーマであるということを、どうにかして受け入れなければならなかったということなんだ。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。
    「人体と石塊」について
    「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は8番目の「人体と石塊」について、留意した台詞を取り上げます。「3000年ほど前にメキシコ南部のオルメカ人たちが彫った頭像は、ほとんど抽象彫刻です。とても大きな玄武岩の塊は、かろうじて人間、それもおそらくは支配者層の顔貌とわかる程度にしか、変更も加えられていません。まだ自然のままの丸い塊に見えるのです。~略~石は自然の産物です。だからその特性も特質も、種類によってぜんぜん違います。鉄は鉱石を溶解してつくるものですし、粘土は焼成されてその物理的組成を変えてしまいます。でも石は、大地から掘り出されたままの性質で用いられるのです。」(M・ゲイフォード)話は石彫家ミケランジェロに及びます。「ミケランジェロにとってすべての《ピエタ》の展開ー半世紀以上に渡って3つの群像を彫り上げたーは、彫刻とは何か、彫刻はなにを成し遂げられるのかについての熟考だったと僕は考えている。と同時に、その作品は生と死についてのものであり、さらには死は避けることのできない僕らが支えあうための手段でもある。これは誰のからだなのか?誰が誰を支えているのか?彫刻することすべてが問いかけになることで、作品は力強くなっている。~略~《ロンダニーニのピエタ》の裏側に回ってみると~略~芸術家が石をかたちづくるのではなく、石そのものの言語を用いて石と親密に語り合っているような印象を受ける。石との交感がこの作品を突き動かしたかのようだ。その語らいは12年間も続いた。」(A・ゴームリー)次に石彫の超絶技巧というべきジャンボローニャの作品が登場します。「ここでの挑戦は、一片の石材から3つの人体を彫り出すことです。それだけでも大変な難題ですが、さらには同時にその3つを絡み合う蛇のような形態にまとめようとしたのでした。これはもう、人体の各部を組み合わせるジグソーパズルです。そしてもし、ジャンボローニャの身近にこの人体と同じだけの体長を持ったモデルが実際にいなければ、これは人体の表現としては辻褄の合わないものになってしまっていたでしょう。」(M・ゲイフォード)「女性像はまるで空の世界に住んでいるかのように見えてくる。ボッティチェルリの描く宙に浮かぶ人物像のように、そしておそらく彼女が飛び去ろうとした丁度そのときに巨人に捕まったのだと思えてくる。あらゆるつなぎの部分から眼を離せなくなるね。胸と太ももがどのように連動しているか、そしてそのあいだの溝がどれだけ深いのかと。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。
    週末 陶彫とのつき合い方
    週末のNOTE(ブログ)には、創作活動に関わることを書いています。現在私が進めている彫刻作品の素材はやきものです。つまり陶彫です。つき合いとしては30年以上にもなり、扱っている陶土は複数の種類を割合を決めて混合していますが、30年以上ずっと同じ割合で作っているのです。私の作品はやきものと言っても釉薬をかけず高温で本焼きをしているため、土肌の効果や釉薬の流れに景色を見ることもありません。そこが陶芸とは違っていて、所謂やきものの情緒的な良さを否定している面もあると思います。私にとって陶彫は単なる彫刻の素材であって、それ以上ではないのです。焼成が終わると、私の陶土は錆びた鉄のような雰囲気を齎せますが、鉄で作るよりも土特有の暖かさを感じさせてくれて、そこが気に入っている要素です。錆鉄であれば時間が経つと、錆が鉄そのものを腐食させていきますが、陶彫であればそれはありません。しかも鉄で溶接したり、鋳造したりすれば相当な手間がかかるところを、陶彫ならそこまで手間がかかりません。ただし、陶土とのつき合い方で難しいのは制作途中で長く放置できないことがあります。石や木や金属ならずっと置いておいても素材が変容することはありません。そこへいくと陶土はまさに生きもので、乾燥具合によって造形が不可能になります。私の造形方法はタタラと紐作りの併用で、タタラは若干乾燥をしていないと、立ち上げることができませんし、裏面補強する紐は乾燥してしまうと貼り付けることが出来ません。畳大のタタラを作った後、ビニールで覆いますが、どのくらいの湿り気が丁度いいのか、自分の感覚に頼らざるを得ません。裏面は櫛べらで削って、そこにドベと呼ばれる陶土を水で溶いた接着剤を塗り、陶土を紐状にしたものを貼り付けて補強していきます。彫刻としての造形をする上で、やきものとしての職人作業が必要なのです。陶土の柔らかさは作品のどこに使うかで微妙に変わってくるのです。そんなことを思いつつ、今日は汗を流しながら土練りとタタラ作りをやっていました。