Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 9月から10月へ移行した1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。今週は9月から10月へ移行した1週間でした。暑さが多少変わってきて、凌ぎ易い気温になりました。新作の制作に拍車をかけたいところですが、気温の変化が身体に与える影響なのか、陶彫作業は思ったように進みません。窯入れを行ないましたが、その窯入れ準備にも骨が折れる始末でした。季節の変わり目は例年こんなものかなぁと思っています。今週は水曜日に家内と映画館に足を運びました。低予算で話題になっている映画「侍タイムストッパー」は、大変面白い内容でした。映画館のある複合施設で外食をしましたが、こういう機会も気分転換になるなぁと思いました。自宅と工房の行き来でも自分は満足を覚えていますが、美術館なり映画館に行けばさらにホッとできるのがよいと感じています。創作活動をしていると1週間が経つのが本当に早いと思っていて、自分では特に意識したことはありませんが、創作活動は心が満たされている分、時間が経つのが早く感じられるのでしょう。今日はいつも週末になると現れる後輩の彫刻家と、彼と同世代の教職に就いている教え子が工房にやってきました。以前彼女は油絵を描いていて、その作品を工房で預かっていたので、それを受け取りに来たのでした。昔話に楽しい時間が過ぎていきましたが、学校の現状にも話が及び、私も教職にいた頃に気持ちが戻されてしまいました。今の私は好きな創作活動を好きなだけやっていて、自分以外のことで力を尽くすこともなくなりました。でも教職にいた頃は、自分のことはひとまず置いておいて、生徒のため学校のために朝から晩まで心を砕いていました。自分の人生の中でそんな社会貢献があったことを、今となっては誇りにも感じますが、当時は右往左往していて大変な時間を過ごした記憶が残っています。過去を振り返るのもたまにはいいと思えるのは、自分がある程度やり切れたと感じているからで、今の自分がこうしてやっていられるのは、過去の仕事に精神的に支えられているのかもしれません。
    新聞記事より「情報など必要としていない」
    昨日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「私たちは本当のところは、情報など必要としていないのではないでしょうか。椹木野衣」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「情報検索で見つけた評判のいい店を訪ねるのは、費用対効果はあっても、経験としてはむしろ貧しい。文章の場合も、情報入手や渡航がうんと不便な時代に書かれたもののほうが『味わいがあり、得るものも多い』と美術批評家は言う。生活の雑事や記憶など『失われた時間や場所を想像力によって取り戻』せる場所につねに身を置いていたいと。『感性は感動しない』から。」新聞記事が昨日のNOTE(ブログ)から続いているのは、今日の内容が昨日の内容と関連していると私が感じたからでした。バーチャルでどこへでも行くことができ、情報は即座に入ってくる世界に生きている私たちは、物事が全て分かっているように勘違いをしていると私は思っています。昨日の芸術家李禹煥氏の言葉に「これからのアートは、経験、プロセス、時間を奪わない、人間として体験できることに立ち返った表現を考えること」という箇所があります。バーチャルで疑似体験しても記憶に残らないことが多く、寧ろその場に出かけて、自分の全身全霊で物事を味わうことの方が、心に刻まれるという体験を私は繰り返してきました。今でも私は頻繁に展覧会に出かけるのもそのためです。20代で渡航し、地中海沿岸に広がる都市遺跡を深く心に貯蓄して、それを今もテーマに作品化しているのはその証拠です。不便な思いをしてやっと辿り着いた境地、それが「発掘シリーズ」に結集しました。誤解がないように言えば、私はAIによる情報を否定する者ではありません。便利なものはどんどん活用すればいいと思っていますが、AIによる情報に左右されることがないようにしたいと思っているのです。情報過多になって心に迷いが生じるのであれば、本当に心に響くものは何か、もう一度立ち止まって整理したいと私は考えています。
    新聞記事より「場・空間との対話」
    先日の朝日新聞夕刊に掲載されていた記事に注目しました。「場・空間との対話 増す重要性」という記事で、「もの派」の旗手だった芸術家李禹煥氏のインタビュー記事でした。李禹煥氏は、韓国に生まれ日本を拠点に活躍する芸術家で、現在88歳くらいでしょうか。私にとって印象深い作品は鉄板の上に自然石を置いた「関係項」シリーズです。2005年に横浜美術館でまとまった作品群を見てから、その複数ある著書も手に入れ、場や空間に対して彼がどのような考えを持っているのかを知りました。私自身は作品に従来の彫刻的造形を施してしまうため「もの派」とは言えませんが、「もの派」の考え方は私の中に浸透しています。記事の中で本人が言った内容を引用いたします。「僕の作品は、自分のメッセージとかエゴを表現するのではなく、その場の力や場にある出来事、時間、あるいはもっと大きなものからのぞき見えてくるものをつくるものです。作品はそのための契機であって、作品だけを見せるのではない。そしてそういったことから、日常から非日常へと感覚を開かせていくこと、普段は見えないことや聞こえないことに気づく場を作ることが、僕たちアーティストができることだと思います。」素材に手を加えず、別の素材同士を組み合わせることで、多くの内容を孕んだ世界を創出することが李氏の世界観だと私は思います。「ますます大きな存在になる中で、AIは表現にとって最も重要な三つのこと、すなわち経験、プロセス、時間の全てを奪います。そして、バーチャルな情報では伝わることのない、身体で受け取る情報や現場性といった直接経験の重要性を軽視します。だからこれからのアートは、経験、プロセス、時間を奪わない、人間として体験できることに立ち返った表現を考えることが大切だと思います。展覧会やインスタレーションといったものは、AIが軽視する、現場に立つことや直接出会うということに回帰する場でもある。そういう意味でも情報や言葉を妄信せずに、まずは場や空間にぶつかってみるという経験から出発したもの派の試みは、今の時代、更に重要性を増していると思います。」私もこんなホームページのNOTE(ブログ)を書きながら、場や空間との対話を大切にしている者です。私に浸透した「もの派」の考え方はこんなところにあると感じています。
    映画「侍タイムスリッパー」雑感
    昨日、陶彫作品の窯入れをしました。今日は工房での作業が出来なくなったことを言い訳にして、家内と映画に行ってきました。観てきたのは「侍タイムスリッパー」。ネットで評判を知って観に行ったのですが、平日にも関わらず混んでいました。観客は高齢者が多い印象を受けましたが、平日で映画館に来られるのは私も含めた高齢者なのだろうと思います。本作は低予算にも関わらず時代劇への愛に溢れた秀作に仕上がっていました。低予算と言えば上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」の記憶が甦り、その面白さを彷彿とさせるものがありましたが、こちらは時代劇で演技の達者な役者を揃えていて、丁々発止の殺陣もあり、発想のユニークさもさることながら本格的な時代劇になっていました。折しも海外で「SHOGUN 将軍」がエミー賞を受賞したこともあり、侍が登場する物語は、現代風の多様な発想のもとで今後ますます新たに作られていくのではないかと期待しています。本作も幕末の京都で落雷に打たれて、現代にタイムスリップした会津藩士が、時代劇撮影場所に降臨し、周囲の人々とちぐはぐなやり取りをしながら、それを徐々に理解し、時代劇の斬られ役として活躍する物語でした。彼は役者ではなく本物の武士なのですが、そんなことは現代人にはわかるはずもなく、演技とは言えない真摯な立ち振る舞いに周囲を驚かすことも多々ありました。時代劇のストーリーが定番化し、斜陽産業になっていく時代の流れを、安田淳一監督は何とかしたいと思っているらしく、侍の美学が垣間見える脚本に私も監督の並々ならぬ意欲を感じました。私がやっている彫刻表現も同じで、映画監督が映像表現を通して自らの美学や主張を盛り込んで映画を作っているわけで、そこにビジネスとは違った創作的視点があるのではないかと私は考えます。「侍タイムスリッパー」のように発想を転換すれば、まだまだ面白い時代劇が作れそうだと思ったのは私だけではないはずです。
    涼しさを期待する10月に…
    今日から10月になりました。もう酷暑はないと考えてもよいのでしょうか。涼しさを期待する今月ですが、そろそろ新作に本腰を入れていきたいのです。現在の新作の制作状況は、陶彫部品は10数点が乾燥を待っていて、涼しくなれば窯入れも徐々に始めていきたいと思っています。私は今までは11月を待ち、ある程度寒くなってから窯入れをしてきました。というのは窯周辺が熱くなるため、焼成は冬にやるものという固定概念があったのですが、ここ2、3年は季節に関係なく窯を稼働してきました。今月も幾度となく窯入れを行なっていくでしょう。同時に工房の一角に立てかけてある古木と陶彫作品の組合せを考えていかねばならず、今月中には最初の繋ぎをやっていこうと思っています。古木にも最低限の鑿を入れて表面を整える必要があります。今月の制作目標としては古木と陶彫作品の繋ぎをどうするかにあります。ここは新作の重要な鍵になるので、じっくり考えていきます。常に当初のイメージを頭に入れながら、空間にモノをどう配置していくか、また空間に与える刺激としての空気感をどう演出するか、実は最初のアプローチとしては一番面白いところでもあるのです。新作は平面作品も作るので、平面的な空間の扱いも気にしています。頭にあるのは素材の風味を生かしたコラージュです。床に置かれた古木と連携した陶彫作品、壁に掛けられたコラージュがそれぞれ呼応するようにひとつの世界観を浮かび上がらせれば、私の当初のイメージとしては満足できるのかなぁと考えています。今月は従来からやっている小さな平面作品RECORDにも力を入れていく予定です。特別枠の2022年版があったために、従来のRECORDが遅れています。秋の夜長に読書とともにRECORD制作でも頑張りたいと思っています。鑑賞にも積極的に取り組みます。芸術の秋を精一杯味わい尽くそうと思っています。