2026.09.18 Friday
今日の朝日新聞「天声人語」の内容が気に留まったので全文引用いたします。「道路脇に座り、地面に画材を広げて無心に絵に向かう。そんな姿を、町の人たちは覚えていた。2014年に101歳で亡くなった画家、江上茂雄さんである。先日、たまたま訪れた東京・上野の東京都美術館で、400点の作品に出会った。クレヨンや水彩、木版など、身近な画材だけでこれほど豊かな表現ができるのかと目を奪われた。むっとするような深い夏の緑、雨にぬれた夜の町、海に近い工業地帯。多くは長く暮らした福岡県大牟田市と熊本県荒尾市の身近な風景だ。幼い頃に父を亡くし、母子の貧しい生活が続いた。絵を学ぶ機会も、画材を買う金もない。15歳で三井三池鉱業所建築課に就職した後は、日曜だけが描く時間だった。『人は人を区別する』と、人間を描くことはほとんどなく『自然は誰に対しても平等だった』と、生前に語ったという。油絵を描かなかったのは、画材が高く、知識もなかったからだけではない。安価な材料でもひけをとらない絵を追求するという、静かな決意表明でもあった。次男の計太さん(75)は、『社宅の縁側でいつも絵を描いていた』と回想する。毎朝歩き回って描く場所を決めた。残した作品は1万点をゆうに超える。学芸員の大内曜さんは、同じ場所を何度も描いていることに気がついた。『表現は枯れず、毎回全力投球していたのがわかる』。人の評価を求めず、画壇とのつながりも持たなかった。生きる楽しみも悲しみも、すべて絵に託した『路傍の画家』に心を打たれた。」この人は創作の喜びを体現していて、目の前の事象を描き切ったことが、自分の納得や満足に繋がっていたのだろうと察しています。私も毎日陶土に触れていると、それだけで他のことは何も考えられない境地になります。今日はうまくいった、昨日よりもうまく描けた、日によってはなかなか構図も決まらず、タッチが上滑りしてしまう日もあったことでしょう。それでも表現する意欲に支えられ、今度こそ良い作品を作ろうと挑んでいく心意気が、誰かの心に刺さるのだと私は思います。
2026.09.17 Thursday
「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著 野中邦子訳 白水社)の第5章である「共感としての絵画」について、気に留まった箇所を取り上げます。本章はラヴィニア・フォンターナの絵画についての考察です。「(狼の風貌を持つ少女の肖像画など)これらの絵を目にした人びとの大多数にとって、ゴンサルブス一家は自然界の奇跡というより、むしろ自然界の恐怖の実例に思えたはずだ。神の不手際な被造物であり、そこでは天使が悪魔に負け、人間の奥底にひそむ獣性が露見される。~略~(絵のモデルとなった)トニーナを見た人びとにとって大きな衝撃だったのは、自分たちの顔とは驚くほどちがう奇怪な顔がこの世に存在するという明白な事実を目の前に突きつけられたことである。目の前にある、皮膚と血でできたその顔は、文明化された人間の境界を超えた存在を示唆していた。人間の顔が(キリスト教の教義がいうように)人体という聖なる殿堂の礼拝堂だとすれば、毛むくじゃらのトニーナの顔は野生のジャングルに飲みこまれて崩れ落ちた礼拝堂の残骸のようなものであり、人類の文明を侵食しようとする獰猛な自然の証だった。」ここでその絵を描いた画家の紹介を入れます。「ラヴィニア・フォンターナは1552年に生まれ、画家である父のプロスペロー・フォンターナを師として絵を学んだ。まだ若かった徒弟時代、プロスペローはミケランジェロへの紹介状をもってローマへ行った。すでに巨匠となっていた高齢のミケランジェロは親切にも彼を教皇ユリウス二世に紹介してくれた。」さて、ラヴィニアがトニーナに会った時のことが記述されていました。「二人の奇妙な出会いからどんな感情が生まれただろうか。この出会いによって、トニーナにはどんな変化が起こり、フォンターナにはどんな変化が起こっただろう。向かいあった二人は、おたがいに何を読みとっただろう。ソラーニャの着飾った人びとのあいだでトニーナが何を考え、何を感じたか、そしてイーゼルを構えたフォンターナの前でじっとモデルを務めたときに何を思ったか、私たちが想像してもかまわないのだろうか。」今回はここまでにします。
2026.09.16 Wednesday
来年の個展に向けて、現在陶彫による6点の塔を準備しています。陶は三層構造で、そのいずれの部品も陶彫で作っています。これはうしお画廊の床に点在させていく予定ですが、同時に周囲の壁をどうするのかもイメージすることになりました。個展会場がギャラリーせいほうからうしお画廊に変わったことで、画廊の空気感が違っていました。ギャラリーせいほうは壁の一面は大きなガラスになっていて、外に開かれた空間であり、その開放感が彫刻を効果的に見せていましたが、うしお画廊は4面とも白い壁に囲まれていて、閉鎖的な空間がありました。私はそれも面白いと感じて、今年から平面性の強い作品を作りました。ところが個展初日に来廊された方から厳しい指摘を受けました。7月27日付のNOTE(ブログ)に載せた文章を引用します。「『炭景』は木枠を作っていて、その中に展開する世界を描いていたのですが、その木枠が問題でした。絵画のような木枠、そこで区切られてしまうことに対し、床置きの立体作品は開放感のある空間を演出しています。つまり『炭景』と『発掘~六蹟~』の関係性に繋がりが感じられないと彼に主張されました。まさにその通りで、的を得たご意見に反論ができませんでした。」周囲の壁をどうするのかという考えはこの時に始まりました。6点の上昇する塔が点在する風景に見合う造形としては、蔦のように壁を這う紋様がイメージされてきました。しかも6本の塔の状態に対峙するとなれば、壁を這うのではなく、いずれも上昇する紋様にしようと考えています。横方向に這うのではなく、上へ向かう造形。それを壁にどう設置するのか、天井から吊るすのか、床から立ち上げるのか、まだイメージは靄に包まれていて具体性がありません。現在作っている6本の塔にしてもイメージが具現化するまでにかなりの時間を要しました。壁を這う紋様のイメージもおそらく時間を要します。頭の中でアップデートを繰り返しながら、具体的なカタチが見えるまで待っていこうと思います。
2026.09.15 Tuesday
「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著 野中邦子訳 白水社)の第4章である「目撃者としての写真」について、気に留まった箇所を取り上げます。本章はティナ・モドッティの写真についての考察です。「写真による映像はあっというまに世間に受け入れられ、空間と時間を征服するようになった。私たちは過去に起こった出来事の目撃者となったが、これはかつて例のないことだった。戦争、重大な事件、個人的な事件、見知らぬ土地の風景、祖父母の子供時代の顔などがカメラによって記録され、私たちはそれをしげしげと眺めることができる。レンズという目を通して、過去が同時代のものになり、現在は共有されたイコノグラフィーになる。~略~1920年、ウェストンは女優のティナ・モドッティと知りあった。モドッティは1913年、17歳のときに故郷のイタリアからアメリカに渡り、サンフランシスコのイタリア系劇場に出演して地元の人気スターの仲間入りをした。その後すぐ、ハリウッドに進出したが、そこでのキャリアは短期間で終わった。~略~ウェストンにとって、モドッティは本来、モデルであり、被写体にする女体であり、愛人であり、同僚というよりもむしろ気の利いた生徒でしかなかった。モドッティにとって、ウェストンやその後の愛人たち、たとえばディエゴ・リベラなどは、肩を並べる芸術家仲間だった。この差は決定的だった。~略~この時期、モドッティが撮った写真ーくたびれた足、鍬の柄を握った労働者の両手のクローズアップ、農婦と哀れな子供たちの肖像、質屋の前で待つ人びとや汚れた路上に横たわる人びと、労働者のストライキや政治デモーは見る者に現実を直視させるが、その現実にはそれ自体の注釈が含まれる。モドッティは、ある種のドキュメンタリー写真のように、見る者の共感を引き出したり、倫理的な立場を『補強』したりするため、ことさら野蛮さを打ちだす必要はなかった。民衆の覚悟、情熱、雄弁さを記録する彼女の観察力には静かな正確さがある。」今回はここまでにします。
2026.09.14 Monday
「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著 野中邦子訳 白水社)の第3章である「謎だらけの図像学」について、気に留まった箇所を取り上げます。本章はロベルト・カンビンの「暖炉囲いの前の聖母子」についての考察です。「伝統的に宗教絵画の素材とされるもののかわりに、日用品を描くことで、ここでは二つの目的が同時に達成されている。ごくふつうの家庭にいる人間の母親を神の母として描き、それによってキリスト教世界の神聖な高みにもちあげること。そして神聖さの特質を卑小化し、家庭の日用品になぞらえて、神聖な存在に人間味を与えることである。~略~ローマ帝国時代の後期には、太陽神アポロンが頭上に光線でできた冠をかぶった姿で描かれた。光り輝くイメージでは、最初のキリスト教徒の皇帝であるコンスタンティヌス一世の紋章になり(のちにヴェルサイユ宮殿で統治した太陽王ルイ十四世はその紋章を借用した)、またキリスト自身のシンボルにもなった。神の子羊たるキリストにならって、天使や聖人たちはみな神聖さをあらわすこの特別なしるしを受け継いだ。それが頭上の光輪である。そして、絵画表現の特質のなかで、西から東へ伝播した珍しい例の一つとして、光背は中東やインドを経由して広がり、ついにはブッダの頭上を飾ることになった。」最初の絵に戻ります。「暗い片隅には飾り気のない三本脚のスツールがひっそりと置かれている。三位一体の神の存在を思い出させるためだろうか。画家たちにとって、キリスト教美術の始まり以来ずっと、三位一体という考え方は神学の教義という範囲を超えて、扱いにくい図像学上の悩みだった。~略~性器はキリストの人間性をあらわす。永遠の存在としてのキリストは死や性欲とは無縁である。だが、人間としてのキリストはその両方に苦しんだ。したがって、キリストの性器は人間としての彼の人生の両極端を示している。幼児のキリストと死んだキリストである。後者の場合、性器は聖痕のある両手のひらで隠されていることが多い。」今回はここまでにします。