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  • 週末 冬に向う1週間
    12月に入って最初の週末を迎えました。今週の状況を書いていきますが、今週は11月から12月に月を跨いだ1週間になりました。とりわけ今週で気になったのは、気温の変化でした。愈々本格的な冬がやってきたのかなと思うくらい日を追って寒くなりました。私は毎日工房に通って、朝から夕方まで陶彫制作に励んでいました。陶彫の作業は、作業台にじっと座っている仕事ではないので、力仕事では寒さを感じないこともあったのですが、それでも今週は厚手の作業着に替えました。陶土に触れていると、手がガサガサに荒れてきました。あぁ、これはもう冬だなと感じました。工房の窓から見える雑木林は、まだ紅葉が残っていて冬ざれた感じはありませんが、樹木の枝に目をやると冬の気配がしています。枝に残った一枚の枯葉が風に吹かれていると、寂寥とした情緒を感じるからです。工房の気温はほとんど外と変らないので、否が応でも季節を感じて、それによって陶土も微妙に変化します。友人のいる茨城県や栃木県では真冬になると、陶土に含まれた水分が凍ることがあるようです。横浜ではさすがにそこまでいきませんが、陶土が冷たくなって作業が辛くなるのは事実です。夏の間活躍した大型扇風機をロフトに仕舞い、代わりに大型ストーブを出してきていて、このところストーブで手を温めています。室内全体を暖めることは不可能ですが、ストーブがないよりはマシという程度でしょうか。昨日もNOTE(ブログ)に書きましたが、今週はカタールで行なわれているサッカーワールドカップの試合結果に一喜一憂する1週間だったと思っています。日本は一次リーグを通過したのでまだまだサッカーは盛り上がりそうです。
    サッカーの話題に溢れた日
    現在、中東のカタールでサッカーワールドカップが開催されています。私は正直に言えばスポーツにあまり関心がないのです。もし関心があれば、2年前まで教職に就いていた私は、どこかの運動部の顧問になっていたはずですが、ついに運動部を受け持つことがないまま教職を終えてしまいました。それでも校長職になった時には、試合の応援には行きました。水泳は正式な顧問ではないにしても、生徒を引率したこともあります。その水泳は自分の健康のために教職にあった頃からやっていて、それは今も細々と続けています。今日は工房の作業の途中で、近隣のスポーツ施設に行き、水泳をしてきました。この時間帯に水泳ができるのは、私も含めて高齢な人が多いのですが、休憩の間はワールドカップの話で持ちきりでした。今朝4時に日本対スペイン戦があったのですが、眠らずに応援していた人が私の周囲に多かったので驚きました。私は日本対ドイツ戦の時は、前半にPKで1点を先取され、相手チームとの力量差を考えて、これは負けるだろうと判断して、早々に寝てしまったのでした。ところが朝起きてネットを見て啞然としました。奇跡が起こったのかと思いました。日本は強いチームになったのでしょうか。次の日本対コスタリカ戦では、それならばじっくり見ようと思って、テレビに齧りついていましたが、自分が勝手に描いたイメージで勝てると思っていた試合に負けてしまって、何とも言えない放心状態になりました。今朝は日本対スペイン戦、しかも深夜4時キックオフ。奇跡は2度起こらないと判断して、これも寝てしまいましたが、今朝のネットを見て2度驚きました。自分が見ていない試合には勝っている、これは次のクロアチア戦は見ない方がいいかも、と思ったくらいです。それにしてもサッカーという競技はどうしてこうも人を熱くするのでしょうか。しかも世界レベルで暴動が起きるほど熱くなるスポーツだと思いました。今日のNOTE(ブログ)には別の話題を考えていたのですが、あまりにも世間が騒いでいるので、今日はこれを取り上げるしかないと思いました。
    22’最後の1ヶ月
    早いもので12月になりました。光陰矢の如しでしょうか。12月は師走と言われていて、教職にあった頃は多忙を極めていました。今から振り返ると、年末の成績処理を含めてまさに師が走る状況でした。彫刻家一本になってから気持ちは落ち着きましたが、何十年もやってきた習慣から逃れることができず、どうしても焦りが先立ち、自分は何をそんなに慌てているんだと思ってしまうことが暫しあります。さて、12月の工房での作業ですが、新作の陶彫制作がずっと変らないため、11月と同じ作業を繰り返すだけなのです。予定としてはロフトの整理をしようと考えていて、工房に出入りしている若いスタッフの力を借りて、どこかのタイミングでやっていくつもりです。今月は年末年始の休庁期間がありますが、彫刻家一本の今となってはどうでもよくなっています。世相としては2022年最後の1ヶ月で、晦日を迎えますが、工房での生活はいつも通りで、今月も朝から夕方まで陶彫制作に明け暮れるだろうと思っています。本格的な冬になり、工房でも大型ストーブを出すことにしました。寒さの中で陶土に触れていると手が荒れてくるので、ハンドクリームが欠かせない季節です。今月の窯入れも最低2回はやろうと決めています。今月も先月並みに美術館や映画館にも鑑賞に出かけようと考えています。実技と鑑賞は車の両輪のようなもので、感性を鍛えるのに年齢は関係ないかなぁと思っています。感性は視覚や聴覚だけでなく、読書によっても鍛えられると思っていて、知識として得られるものは何でも吸収していきたいものです。創作活動をやっているにも関わらず、柔軟な心が失われていることに気づくことがあり、最近のサブカルチャーにも関心を寄せるようにしています。幸い工房には若い世代の子たちが出入りしていることもあり、現在のポップカルチャーのことでも興味を持てるようになりました。時代と共に変ってゆくものと変らないものがあって、媒体が多様化しても人の心を打つものは変らないのではないかと思うようになりました。寒さが増す12月なので、身体に留意して今月も制作に励んでいきます。
    実り多かった11月を振り返る
    芸術の秋とはよく言ったもので、気温が肌寒くなり、創作活動に拍車がかかるこの時期は、制作や鑑賞共に実り多かった1ヶ月と言えます。今日は11月の最終日なので、改めて1ヶ月を振り返ることにしました。11月は30日ありますが、そのうち27日間を工房に通っていました。工房を休んだ日は、家内の叔母の法事(召天者記念礼拝)、渋谷の山種美術館に出かけた日、千葉のDIC川村記念美術館に出かけた日の3日間でした。残りの27日間は、夏の蒸し暑い時期とは違い、作業時間も朝から夕方まで出来るようになって、陶彫制作に明け暮れていました。今月は2回の窯入れを行ないました。現在作っている陶彫による立方体はひと窯で8点の焼成が可能なので、今月だけで16点が完成しています。鑑賞では展覧会として「竹内栖鳳展」(山種美術館)、「マン・レイのオブジェ展」(DIC川村記念美術館)に出かけました。映画鑑賞として「すずめの戸締り」(鴨居TOHOシネマズ)、「宮松と山下」(相鉄ムービル)に出かけました。美術展にしても映画にしても充実した内容だったと振り返っています。その他では、前述した叔母の法事の他に、私が初めて建てた集合住宅「Raum」の完成と鍵の受け渡し、5回目のワクチン接種、川崎市の菓子店に旧友のパテシエに会いがてらシュトレンを大量に購入してきたこともありました。私は小さな手帳に日記をつけていて、それは教職公務員にあった頃から15年以上も続いています。公務員を退職してからは、内容が殆ど制作日記となっていて、その日に何をしたかを記録しているのです。工房にいた時間帯も記録し、しかも近隣のスポーツ施設に水泳に通っている時間もその中に含めて記入しています。手帳の記録の中で、唯一平面RECORDの制作状態が芳しくなく、これは今後の大きな課題です。読書は記録していませんが、NOTE(ブログ)に単元ごとにまとめているので、それを見れば確認できます。今月は「一期は夢よ 鴨居玲」(瀧悌三著 日動出版)を読破して、現在は「死と生の遊び」(酒井健著 魁星出版)を読んでいます。これも楽しみのひとつで、夕食前の夕方か、NOTE(ブログ)を書き終えた深夜に食卓で読んでいるのです。こんな感じで実り多かった11月を振り返りました。
    マン・レイの改題「破壊されざるオブジェ」
    昨日のNOTE(ブログ)に、シュルレアリスムを代表する芸術家マン・レイのオブジェ「破壊されるべきオブジェ」について書いたところですが、今日の朝日新聞夕刊にマン・レイの記事が掲載されていました。そこには「破壊されざるオブジェ」という見出しがついていて、私は訝しく思いました。私自身、マン・レイについては詳しいことは知らず、昨日のNOTE(ブログ)も展覧会場で購入してきた図録より抜粋したもので、当のオブジェの背景が分かっているとは言えません。今日の新聞より記事を引用いたします。「オリジナルの作品は1923年の制作とされ、当初の題は「破壊されるべきオブジェ」だった。その約10年後、オブジェをもとに描いたイラストの傍らに、作者は次のような文章を記している。『愛していたのにもう会うことの出来ない人の写真から、その目を切り抜く。メトロノームの振り子にこの目を取り付け、(中略)忍耐の限度まで鳴らし続ける。ハンマーで狙い定め、そのすべてを破壊する』。失恋による未練を断ち切りたいとの決意が、この時には託されていたらしい。しかし作品のタイトルは、やがて思わぬ事件を呼び込む。57年、パリの画廊に乗り込んできた若者たちが、展示中の作品を持ち去り、壊してしまったというのだ。マン・レイはその後、題名を「破壊されざるオブジェ」と改め、100個以上のレプリカを相次いで再制作することになる。~略~そうして生まれたレプリカには『永遠のモティーフ』という題が付けられたものも。マン・レイは自伝に、こんな言葉を残している。『わたしは、同じものをいとも簡単に作ることで、作品を破壊不可能なものにすることができたのである』」(西田理人著)昨日書いたエピソードと今日のエピソード、どちらが真実に近いのか、それともそんな動機の究明は作者にとっては必要ないのか、私には分かりませんが、マン・レイが題名を180度異なる意味に変えてしまったことは事実のようで、それもシュルレアリストの自己表現だったのでしょうか。