Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • デューラー&ベラスケスについて
    「名画を見る眼 Ⅰ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はデューラーの「メレンコリア・Ⅰ」とベラスケスの「宮廷の侍女たち」を取り上げています。まずデューラーの銅版画から。「この版画は、つねに『メレンコリア・Ⅰ』という名前で呼ばれてきた。『メレンコリア』というのは、ラテン語の『メランコリア』と同じで、英語で言えば『メランコリー』、すなわち『憂鬱』ということである。だがそれでは、この一見雑多な画面の何が『憂鬱』なのだろうか。~略~このメランコリアの周囲に配された種々雑多なものが、いずれも学問や技芸の象徴であることに気づく。鋸や鉋その他の大工道具は、言うまでもなくものを『作る』ためのものであり、コンパスや、天秤や、時計は、ものを『測る』道具である。魔方陣の数字は数学の遊びであるし、球や多面体は幾何学であつかう対象である。つまりここでは、憂鬱質をあらわすこの女性像は、芸術家、ないしは知的活動に従事する者として登場してきているのである。もちろん、そうは言っても、社交的で活発な多血質と正反対の性格である憂鬱質の人間に、世俗的な成功は望めない。むしろ、現世の富や世間的な幸福には無縁で、人びとには認められず、ただ独り自己の創造の道を歩むというのが創造的芸術家の運命である。」次にベラスケス。「同じ写実主義と言っても、ひとつひとつの対象を綿密に、精妙に描写するファン・アイクの世界とは違う。15世紀のフランドルの画家たちは、たとえ遠くにあるものでも、自分たちが手に取って観察したように正確に再現しなければ気がすまなかった。しかしベラスケスは、すぐ眼の前のものでも、あくまで人間の眼にそう見えたように描き出そうとする。ファン・アイクの世界が実在するものの世界だとすれば、ベラスケスの世界は人間の眼に写った仮象の世界だと言ってもよい。~略~その絶妙な感覚というのは、正確な計算の結果というよりもむしろベラスケスの天性のものであったろう。生まれながらにして絶対音感を持っている人がいるように、生まれながら正確な色調の感覚に恵まれている人というのがいる。ベラスケスは、たしかにそのような天才のひとりであった。」今回はここまでにします。
    週末 書籍に纏わるあれこれ
    日曜日はいつも創作活動に関することを書いています。今回は陶彫による新作のことではなく、視点を変えてみます。先日、池袋の大手書店の芸術書のフロアをブラブラ歩いている時に、昔は頻繁にこんなことをやっていたなぁと懐かしさが湧いてきました。大学で彫刻を学んでいた頃は、それは人体塑造という習作であって、創作的なものをあまり感じなかった自分が、卒業間近になって創造的立体とは何だろうと思うようになりました。人体塑造に喜びを見い出せなかった自分は何をしたらいいのだろうと考えていました。その頃、どこかで読んだ書籍か、あるいは誰かの言葉か忘れてしまったのですが、立体造形とは空間を創りだす哲学だという言葉が頭に残っていました。素材に向き合う実技とそれを裏づける理論。だから自分探しを書籍に求めているのだというのが、その時私が到達した自論でした。読書は小学生の頃に何か読んだとは思いますが、実家は祖父が大工、父が造園業で、何代も続く職人家庭だったので書籍らしいものが全くない家なのでした。都会から嫁にきた母が、私が中学生になった時に百科事典全巻を買ってくれました。これが私のツボに嵌り、何度も事典を眺めたり、読んだりしていました。中学生で仲良くなった友人の影響で海外の翻訳推理小説を競って読むようになり、そこから背伸びするような読書癖が始まり、小遣いを貯めて宮沢賢治全集も買って読みました。最初は知識への飢えだったのかもしれず、そのうち高校生になり、現代詩に興味を持ち、さらに芸術の専門書へと進んでいったように思います。私の書棚は小説より評論の方が圧倒的に多く、実家から現在の自宅に引越しした際に、処分してしまった書籍もあります。現在は夜の時間帯に書籍を開きます。私は紙の手触りが好きで、ざっと読んだ後にもう一度振り返って読み直したりしています。昔読んだことのある埃を被った書籍に手を出す時もありますが、昔の記憶とは異なる印象や理解がある時は、ちょっぴり嬉しくなります。私の買った全集は全巻揃っていないものが多く、古本価値としては無いに等しいのですが、私にとっては重要な書籍なのです。
    週末 美術&映画鑑賞充実PartⅡ
    週末になりました。今週の振り返りを行ないます。今週は先週と同じ美術館や映画館に行く日があって、鑑賞が充実していたので先週に倣ってPartⅡというタイトルをつけました。新作の陶彫制作としては毎日朝から夕方まで精を出していましたが、水曜日の午後に家内と映画「ブルータリスト」を観に、鴨居にあるTOHOシネマズに出かけました。建築家の半生を描いた長尺の物語だったので、私は面白かったのですが、家内はやや退屈していたようです。木曜日は午後になって目黒区立美術館に「中世の華」展に出かけました。14世紀イタリア・ゴシック期のキリスト教絵画の修復をやってきた日本人画家による展覧会で、その細密さに私は眼を見張りました。キリスト教絵画と言えば、1月に私は玉川大学教育博物館に「イコンにであう」展に行っています。日本ではキリスト教美術に触れる機会が少なく、嘗てヨーロッパに住んでいた私は、その頃の懐かしさもあって、そうした情報があれば出かけて行くのです。私自身は宗教に疎いのですが、師匠がキリスト教の図像や磔刑像を創っていることもあって、その関連として関心があるとも言えます。この日は私一人だったので池袋まで足を延ばし、そこにある大手の書店に美術関係の書籍を見に行きました。最近は書店をブラブラすることもなくなっていて、久しぶりに楽しい時間を過ごしました。ジュンク堂書店はビルの階によって分野を分けていて、芸術書は9階にありました。西洋美術の書籍を読んでいると、よく登場するのがJ・ヴァザーリの著作である「芸術家列伝」で、これを一度は読みたいと思っていたところ、白水社の文庫本3巻を見つけて、さっそく購入しました。これを手に取った時は、おぉ!と思い、東京の大手書店は質量ともに凄いなぁと改めて感じ入った次第です。まだまだ欲しい書籍があったのですが、資金が足りなくて買い控えをしました。また機会を作ってジュンク堂書店に出かけて行こうと思います。今週は美術&映画鑑賞が充実していたにも関わらず、工房での窯入れはありませんでした。そろそろ陶彫作品が乾燥しているので、窯入れが出来そうです。
    レオナルド&ラファエルロについて
    「名画を見る眼 Ⅰ」(高階秀爾著 岩波新書)の次の単元はレオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」とラファエルロの「小椅子の聖母」で、2人ともイタリア・ルネサンスを代表する画家です。まずレオナルドから。「レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452ー1519)は、ラファエルロやミケランジェロとともに、盛期ルネサンスを代表する天才である。彼の多方面にわたる活動のうち、絵画の分野で彼が成し遂げたことは、遠近法や明暗法など、15世紀のイタリアが追求したさまざまな新しい技法を集大成して、完璧な絵画表現を作り上げたことである。~略~ルーブル美術館の油絵の方では、聖母の両腕をはじめ、脚も、頭もすべて斜めになっており、聖アンナの腕や脚でさえ、やはり斜めの方向を強調している。このように動きの多い群像をぴたりとピラミッド型におさめて、ダイナミックな効果を保ちながらしかも安定した印象を与えるように構成したところに、レオナルドの絶妙な技巧が見てとれる。そして、その安定した構図を永遠不動のものとするため、構図上の最も重要な点、すなわちそのピラミッドの頂点に、聖アンナのあの神秘の微笑が置かれているのである。現実と理想とを巧みに統一した見事な構成と言うべきであろう。」次にラファエルロ。「彼はレオナルドより30歳も若く、ミケランジェロと比べてさえ8歳年少であったが、それだけに、レオナルドやミケランジェロも含めて、多くの先輩たちが成し遂げた成果をすべて吸収して、理想的な美の世界を創り上げた。~略~ルネサンス期に支配的であった新プラトン主義の思想によれば、この地上の世界も、何がしかは理想の世界を反映している。つまり理想は現実を否定したところにあるのではなく、現実を延長した先にあるものなのである。とすれば、その理想の世界に達するために、まず現実から出発するのは当然であろう。理想の美を描き出すには、現実の美をしっかりと捉えておかなければならないのである。この『小椅子の聖母』の聖母には、ラファエルロの恋人であったというフォルナリーナの面影がうかがわれるが、それもその意味から言えば当然のことであった。つまりラファエルロは、恋人の姿を通して、永遠の美をこの世に実現しようとしたのである。」今回はここまでにします。
    目黒の「中世の華・黄金テンペラ画」展
    展覧会に行く日は、私は工房で窯入れをしている時と決めていましたが、陶彫作品の乾燥が進んでいないため窯入れは出来ず、今日も昨日と同じく午前中は陶彫制作をしていました。午後になって私一人で東京の目黒区美術館に出かけました。当館で開催していたのは「中世の華・黄金テンペラ画」展で、副題に「石原靖夫の復元模写」とありました。石原氏はイタリアでテンペラの修復を学び、また実践を通してその技法を日本に齎せました。展示された作品の数々は極めて細密で集中力の要る仕事だなぁと思いました。14世紀イタリア・ゴシック期のシエナ派を代表する画家シモーネ・マルティーニの「受胎告知」の復元模写を見ていると、おそらく当時は教会の中で光り輝く絵画を見て、中世の人々が十字を切って信仰を新たにしたのでしょう。図録の文章を拾ってみると、石原氏の実績が見えてきます。「1992年以降、石原とは、テンペラ技法をテーマにしたワークショップを7回重ねて30年あまりが経過した。一貫していたのは、本格的な技術獲得を目指す人を対象とし、板絵に描く、羊皮紙に描くという内容はもとより、制作するための道具、例えば箔台、箔刷毛、箔ナイフを自作するという内容や、中世の色材についての研究にも触れるなど、広い範囲でテンペラ画制作を扱ったことにある。~略~今回の展示のメインの復元模写《受胎告知》は、8年間のローマ留学を終えた石原が1978年の帰国時に持ち帰り、1975年にリニューアルした東京都美術館で、画期的な美術館事業を展開していた森田恒之氏を訪ねたことにより公開が決まり、当時珍しかった展示を組みあわせた公開制作と講演会が行われ、14世紀のテンペラ技法が披露されて話題になった。原寸より少し縮小して描かれたとはいえ、高さ2mほどの祭壇画模写、金箔を6枚の層に貼りそれを磨き上げる作業では、肩に支障が出るほどの力が必要だったと石原は語る。」(降旗千賀子著)本展ではメインとなる復元模写のための道具や技法の紹介の他に、石原靖夫氏によるイタリアの風景画も数点展示されていました。これもテンペラ画によるもので、正確な遠近法と緻密な描写に超絶技巧を感じさせました。