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  • 「詩と絵画について」のまとめ
    「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「詩と絵画について」について気を留めた箇所をピックアップいたします。本書で漸く美術に関する記述が出てきて、私としてはホッとしています。美術に関して言えば、私にも理解が出来る箇所があるのではないかと思うからです。「象徴主義のあるものから、超現実主義にいたる精神の表現史は、おそらく造型芸術の一分野に、決定的な、しかも不可避な協和を求めたであろうことは否定しえない事実である。あらゆる時代における、あらゆる芸術は、互いにその個有の領域で、多かれ少なかれその共通の理想に照応することは事実である。~略~ながい歴史を持つリアリズムの造型方法は、急激にその烈しい表現の精神を、写真とシネマに奪われて、その残流の多くは退屈なアカデミズムに化してしまった。そこで絵画は物質的分析と、古い原始に遡る精神的象徴力とに源泉を求めざるをえなかった。ピカソの変幻極まりない作画過程はこの過渡期をもっとも忠実に鮮明に物語るであろう。」外見を写実するだけの絵画は終焉を迎え、シュルレアリスムによる時代が始まったことを示唆する文章ですが、ここでアンドレ・ブルトンによる論考が引用されていました。「シュルレアリスムの芸術が利用しうる唯一の領域は、アンドレ・ブルトンによれば『純粋な心的表現のそれであって、単に幻覚的領域と同一視することなく、実際に知覚の領域の彼方にまで拡大される。そして重要なことは(オブジェの物理的存在の外における)心的再現は、フロイトのいわゆる〈心的機構のきわめて多様な最深部に展開する諸過程に関連した諸感覚〉を充たすことである。芸術においては、この諸感覚の必然的によりいっそう組織化された追求は、自我の彼方への揚棄に向かって努めるものである』。」美術に関しては予備知識もあり、私はシュルレアリスム関係の作品を思い起こすことができるので、何とか理解はできました。今回はここまでにします。
    「錬金術師の実験室」について
    ここ数日は京橋のアーティゾン美術館で開催中の「ブランクーシ展」についてNOTE(ブログ)に書いています。展示作品のほとんどすべてがロンサン小路のアトリエで作られたものであり、そこでブランクーシ自身が自作の撮影もしていました。表題にある「錬金術師の実験室」とは図録の文中にあったブランクーシのアトリエを例えたものです。「芸術家のアトリエは、概してその実践を説き明かすものであるが、同時に芸術的なプロフィールと探究も伝える。ロンサン小路にあったブランクーシのアトリエは、1916年以降、その制作の基盤として、我らが知る傑作の大半はそこから生まれている。このアトリエはまた、パリにおいてブランクーシの友人やコレクターたち(その大半はアメリカ人であった)が彼の作品を目にすることのできる唯一の場所でもあった。~略~高い天井と天窓から真っ直ぐに降り注ぐ光が来訪者の心を捉えたようで、マン・レイはこのアトリエを訪れた経験を、『いかなる聖堂よりも印象的であった』とし、『その白さと光に目が眩むほどであった』と述べている。~略~このアトリエを訪れた人の誰もが、超現実に接した、何か魔術的な雰囲気を経験したのである。マン・レイは、『ブランクーシのアトリエに行くことは、別世界に入るかのようであった』と書いている。その空間は神秘的な探求の源泉として、ほとんど錬金術師の実験室のように描出されている。~略~ロンサン小路に移り住んだ際、ブランクーシは自身の作品とアトリエ内でのその配置を記録するようになる。彼は写真家としての訓練を、まず友人であったエドワード・スタイケンから、次いでマン・レイから受けた。そのアトリエを撮影した写真から得られる事柄は多く、たとえば、写真の大半において台座が含まれていないという事実は、ブランクーシの中で作品と台座が一体をなすという見方を是正する。」(引用は全てジェローム・ヌートル著)ブランクーシは作品のみならず、その人柄の特徴も写真には現れていて、現在私が使っているアナログとデジタルをいう表現を、ブランクーシは当時から使っていたことになります。私が興味が尽きないのはそんなところにあるのだろうと思っています。
    週末 彫刻の配置を考える
    日曜日になり、創作活動について書いていこうと思います。現行の作品を考える上で、どうしても頭を過るのは先日出かけた「ブランクーシ展」の印象で、ここ数日はずっとブランクーシについてNOTE(ブログ)を書いています。彫刻作品は周囲の空間に与える影響があるため、作品をどのように配置するかを作家は熟考するのです。私は個展の時にギャラリーに作品をどう配置するのか、手伝ってくれるスタッフたちと相談して決めていきますが、作家によっては普段から工房(アトリエ)に複数作品を配置して、制作空間と展示空間を同時に見せている人もいます。大学時代に師匠の池田宗弘先生の自宅に伺った際に、真鍮直付けの作品が所狭しと置かれていたのに驚きましたが、それだけではなく、漆喰の壁にギャラリーのように展示されていた壁掛けの作品にも感銘を受けました。そこで鑑賞した先生の作品は、作家の世界観を雄弁に物語っており、自宅が仕事場兼用のギャラリーになっていました。大学を出て、ヨーロッパに渡航した頃に訪れたパリで、ポンピドーセンターの向かいにあったブランクーシのアトリエにも印象深かった記憶があります。もともとブランクーシはロンサン小路の集合アトリエに入居していて、そこを拠点に制作を長年続けていたようです。アトリエには展示空間もあって、それを見ればパリで個展を開催する意味がなかったのではないかと図録に書いてありました。京橋の「ブランクーシ展」でもアトリエを模した部屋があって、そこに抽象彫刻が複数配置されて、光を取り組むような照明が演出されていました。あぁ、パリではこんな感じだったなぁと私は思いを巡らせましたが、私が見たブランクーシのアトリエは作家没後に移転された場所だったようで、そこで作家が活動したことはなかったのでした。いずれにせよ、彫刻には配置が極めて重要な空間演出となるわけで、私の工房にはそんな演出はありません。旧作は木箱に入れてロフトに積んであるので、これは今後考えていくべき課題だなぁと思っています。
    週末 瞑想空間を感じた1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみようと思います。今年の個展が近づいてきたことで、陶彫制作に精を出し、今週の制作時間は日々午後4時過ぎまで延長していました。以前の教職との二束の草鞋生活ほどではないものの、朝目覚めると多少なり制作に対する強迫観念が沸き起こっていて、そそくさと工房に出かけていました。休憩を取りたいところを我慢して作業に打ち込む毎日でしたが、今週は窯入れをしなければならないこともあり、それを水曜日の夕方に設定しました。窯入れをすると窯以外のブレーカーを落として、焼成が滞りなく出来るようにしていたのでした。翌日は工房の電気が使えないために、それを口実に東京の展覧会に家内と出かけていきました。展覧会で印象的だったのは「ブランクーシ展」で、こんな大掛かりにブランクーシの作品を集めたのは日本では初めてではないでしょうか。現代彫刻では普通になっている幾何学的抽象形態や磨いた金属の質感など、実はブランクーシが先駆者なのです。現在の眼から見ると普通の形態だったモノが、何か特別な空気が漂っているように見えたのは、私だけだったのでしょうか。まさに私は瞑想空間に迷い込んだ錯覚に襲われました。書籍から知るブランクーシの性格も不思議だったようで、偏屈と思われがちな人とも言われていました。師事したロダンの作風を否定したブランクーシでしたが、ブランクーシの弟子であるイサム・ノグチはブランクーシを肯定し、その発展形で成功した彫刻家でした。私自身はブランクーシの創作の原型を知ろうとルーマニアまで出かけて行ったことがありました。ルーマニアの寒村で見た木彫柱に、形態を純化していく過程でブランクーシが参考にしたと思われるアイデアを見つけていました。それを彫刻の本質まで削ぎ落していき、まさに瞑想する哲学を彫刻に結晶させた作品に、私自身も自らの作品を振り返って思索を確認しました。今週は印象深い1週間でした。
    京橋の「ブランクーシ展」
    昨日、京橋にあるアーティゾン美術館で開催されている「ブランクーシ展」に行ってきました。コンスタンティン・ブランクーシ(1876ー1957)は、ルーマニア生まれの彫刻家で、後にフランス国籍を取得しています。ブランクーシはロダンの工房で下彫り工として働いたけれど、すぐ辞去しています。ロダンの塑造による表現や大理石の分業システムに反発し、作家が単独で素材から直に形を彫り出す方法を選ぶようになりました。それに伴い形態も単純化に進みました。展覧会場には初期の頃の具象作品があって、ブランクーシもまず塑造から始めた造形履歴が分かりました。しかし素材を直彫りするようになると、ブランクーシの特徴が現われてきます。図録に「これら木や石を用いた試みにおいて、作家の意が、材にそなわる質感や色味を活かした仕上げに注がれていたことは明らかである。同時期の他の作家による直彫りの作品は、面の連続する造形によって素材の硬質な性質を強調したり、彩色がなされるなど、表現主義的な性格を帯びたものが多いことを踏まえると、素材とフォルムの最高度の調和を追求するブランクーシのアプローチは異質である。」とありました。また私が注目したのは、彫刻に必要だった従来型の台座を止めたブランクーシの造形における台座の意味でした。「彫刻の『移動可能』性は、作品を下支えするという副次的な役割から台座を開放することになる。それは、彫刻と台座との主従関係、ヒエラルキーが可変的なものになるということで、極端な例としては《カリアティッド》や《無限柱》にみられるように、従来の概念なら台座に属するであろうものが彫刻として作品化されることになる。」(引用は全て島本英明著)展覧会場ではその実践と呼ぶべき作品があって、私は旧知でありながら改めて感銘を受けたのでした。ブランクーシが追求した革新性はこれに留まらず、自身のアトリエの状況や自ら撮影した彫刻写真など、まだ書き足りないことがあります。別稿を起こして次の機会に述べたいと思います。