Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 2回窯入れをした週
    週末になりました。週末になると1週間を振り返って、今週の創作活動に関することをまとめています。今週は最新作の陶彫部品を2回に分けて焼成したことが特筆すべきことです。窯を焚いている間は工房の電気が使えないので、月曜日と木曜日は窯内の温度確認のために工房に行きましたが、作業はやっていません。木曜日は前日夜にカメラマンに届けていただいた個展案内状を持って、東京銀座のギャラリーせいほうに行ってきました。その際に渋谷へ移動してBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「ボテロ展」を見てきました。渋谷はウィークディにも関わらず、人が混んでいて、コロナ渦が落ちついたためか日常を取り戻しているかのようでした。その他の日は、相変わらず工房で作業をやっていました。陶彫部品を収める木箱を13箱作り上げましたが、梱包をしてみるとやや不足していて、もう2・3箱は作らないと全部収まらないことが判明しました。梱包が完成するのは来週になりそうです。同時に最新作の陶彫制作も進めていこうと考えています。私は体力維持のために水泳をやっていて、それが月曜日と火曜日と金曜日の昼11時ごろから13時ごろまで近隣のスポーツ施設に通って泳いでいます。最近は真夏を思わせる気温が続いていて、空調設備のない工房に籠るのが辛いと感じていたので、スポーツ施設に水泳をやりに行くことで、身体としては救われているのかもしれません。水曜日と今日の土曜日は丸一日を工房で過ごしましたが、シャツが汗でびしょ濡れになり、なかなか厳しい環境だなぁと思いました。創作意欲が体力に打ち克って、身体が発する悲鳴が聞こえなくなることが私にはあります。工房から自宅に戻ってくると暫し動けなくなるのが、その証拠かもしれず、久しぶりに今日はそんな実感がありました。もう少し休憩を取る必要があるのかなぁと思っています。明日は教え子たちが来るので、丸一日工房に籠ることになりますが、充分注意をしていきます。
    渋谷の「ボテロ展」
    昨日、東京渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「ボテロ展」に行って来ました。ボテロ生誕90歳を記念して開催されている本展は、現在も生きて活躍する芸術家の中で、ボテロは最長老の巨匠であり、その長年の成果を展示している展覧会なのです。ボテロの世界観は一目で分かるもので、人物も静物も太っています。画面も大きく素描といえども油絵と同じ大きさがあり、あらゆる技法の作品が70点も居並ぶ展示風景はまさに壮観でした。図録にはボテロ本人によるメッセージが掲載されていました。「芸術が普遍的な価値をもつためには、まず地域的、個別的な価値をもたなければならないーこれは私の持論です。画家として歩み始めた頃から、私は自分のルーツ、出自、そして故郷であるコロンビアのメデジンで過ごした子ども時代の現実を、自分の創作活動の主題にしたいと考えてきました。私が描く日常は、記憶に刻まれた田舎の風景です。ただし、私はこの風景を写実的にではなく、ボリュームを強調した世界として描きます。そこでは、あらゆるものが同じ意図と意思をもって描かれます。つまり、ボリュームを表現することで、芸術的な美を表現することを目指しているのです。ボリュームと官能性に対する私のこだわりは、最も初期の作品にも見られ、例えば今回の展示にも含まれる水彩画《泣く女》は17歳のときの作品です。」(ボテロ著)図録には絵画の解説がありましたが、これもボテロが到達した世界観に対するこだわりでした。「1956年、穴があまりに小さくて楽器がずんぐりとして見えるマンドリンの静物画のシリーズで、ボテロはデフォルメ、つまり『形態の高ぶり』の法則を理性的に捉え、これが円熟期の彼の作品の堂々たる効果を決定づけた。静物画が他の絵画ジャンルよりも際立って形式的な探究に適しているのは、その名が示すとおり動かない具象的要素を問題としているからだ。探究していくにあたり、行為や人物の動き、あるいは物語に邪魔されることがない。」(C・ブラスキ著)もちろんボテロの広がる世界は、静物画に留まらず信仰の世界、ラテンアメリカの世界、サーカス、変容する名画に至るまで、どの分野も絵画はボテロそのものでした。名画のボテロ流再現で、私はピエロ・デラ・フランチェスカの「ウルビーノ公夫妻の肖像」に面白味を感じました。これはひときわ大きな画面に男女の横顔が描かれた絵画で、べた塗りで表現した比類ない作品になっていました。これを見ただけでも「ボテロ展」に来てよかったと思いました。
    Gせいほう&美術館散策
    昨日工房で窯入れをしたので、今日は電気の関係で工房での作業が出来ず、窯内温度確認に朝早く工房に立ち寄りました。今日は昨日カメラマンが持参してきた案内状1000枚を持って、東京銀座のギャラリーせいほうへ出かけました。家内が用事があったので今日は私一人でした。ギャラリーせいほうの田中さんに案内状を渡して、その後はどこか東京の美術館に行こうと決めました。せっかく横浜から東京に出てきているので、何か話題性のある展覧会をやっていないかと探してみたところ、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催している「ボテロ展」を見つけました。コロンビア出身のフェルナンド・ボテロの生誕90年を記念して本展を開催していますが、ボテロ本人は存命で、図録には本人からの言葉が入っていました。ボテロの作品は一目瞭然な特徴があります。それは副題にもなっている「ふくよかな魔法」です。人物も静物もすべてが豊満で、しかも大画面に描かれていて、その独特な世界観はあまりにも有名です。私はまとまったボテロの作品を観たのは初めてでした。ウィークディにも関わらず鑑賞者は結構入っていて、ボテロ人気がどのくらいなのかを伺い知ることが出来ました。詳しい感想は後日改めます。東京では大手の画材店にも立ち寄りました。私は陶彫新作には印を彫って貼り付けているので、大きめな印材が東京の大手画材店でないと扱っていないことがあるのです。工房には多少余分な印材はありますが、こういう機会にまとめて購入しておく必要を感じます。そして陶彫成形に使う掻出しベラが壊れかけているので、これも調達しました。陶芸用品は栃木県益子や茨城県笠間に行けば、あらゆる種類のものが手に入りますが、そこまで行く余裕がない時は都心の画材店に頼るしかないのです。そんな用事があって、私は時折東京に出かけて雑用を済ませています。
    図録色校正と案内状について
    今日は朝から工房に籠って、今週2回目の窯入れを行ないました。乾燥した陶彫成形にブロックサンダーを使って仕上げを施し、化粧掛けをして焼成するのですが、今日は立方体の形状をした陶彫部品6点を窯に入れました。これは来年発表を予定している最新作になります。同時に7月個展のための梱包作業もやっていて、もう少し余裕を持って作業をするつもりが、結構忙しく働いてしまいました。ゆったりと構えて作業をしていこうと思っていても、作業が始まると夢中になってしまうのです。これは自分の性分なので仕方がない面がありますが、疲労が取れないまま仕事をしているので、自分で自分の首を絞めているような気がしています。夜になって自宅にカメラマン2人がやってきました。先日、図録用の写真撮影が終わって、図録に掲載する写真も選んだので、図録色校正を持ってきたのでした。改めて確認をして印刷に回してもらうようにしました。図録は7月搬入の少し前に出来上がることになっています。図録は例年通りの定番の形式を採っていますが、作品が新作のために常に新しい状況が見て取れます。今年発表する作品は例年より密度があるように思えます。二足の草鞋生活から創作活動一本になった最初の作品なので、制作に懸ける時間が圧倒的に多かったのではないかと思っています。友人知人に発送する案内状も1500枚出来上がりました。そのうち1000枚は東京銀座のギャラリーせいほうに持って行きます。最近の案内状は野外で撮影したものを使うことが多く、今回も青空とぽっかり浮かんだ雲を背景に「発掘~崩層~」が写っています。撮影日は良く晴れた日で、空と雲の景色が美しかったので、カメラマンに青空を多く入れるようにお願いしたのでした。ギャラリーせいほうへは明日持参する予定です。
    高村光太郎「彫刻性について」の雑感
    「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の「2 高村光太郎と近代彫刻」について読み終えたところですが、文章の最後に注釈があり、J・G・ヘルダー著「彫塑論」について詳しい情報が掲載されていました。公刊されたのが1778年とあるので、日本では手に入らない書籍だろうと思いますが、そこに高村光太郎の「彫刻性について」から抜粋された文章があり、私はこれに注目してしまいました。そのまま引用いたします。「彫刻性は、もともと抽象的なものであつて、しかも其が自然現象の具象を媒体として表現されるところに彫刻の面白味もあり、又混乱錯誤のもともある。近代前衛派の創るところの『オブジェ』の如きは其の抽象を抽象として取り扱つたものであり、従つて此の彫刻性を具備しないオブジェは唯のがらくたであり、機知の景物となり了るのである。さういふものは永くみてゐるに堪へず、又保存して置く気にもならず、結局物置の中の廃品となるより外ない。彫刻性を有するオブジェは確然とした位置を保ち、明瞭に存在の美を示し、悠久の時間性を空間性に置換する不思議をわれわれに感ぜしめる」といった内容で、旧仮名遣いであっても、大変厳しい言い回しになっていました。高村光太郎の歯に衣着せぬ考え方に私は共感を覚えました。「オブジェ」という言葉が、光太郎の生きた時代に美術用語として使われていることにも私は驚きましたが、オブジェの持つ彫刻性の在り様にも彼の主張の明快さが表れていて、なかなか痛快でした。今や現代アートの概念の広がりに私はついていけないところがあり、美術や彫刻というコトバが意味をなくしているのではないかと危惧しているのですが、私自身は旧態依然とした彫刻という呼び名に拘りを持っています。私は今までオブジェという呼び名は使っていません。自作はあくまで彫刻なのです。J・G・ヘルダー著「彫塑論」の語ったであろうことを、私は300年近く信じて疑わない人なのです。もちろんロダンとは「意識を異にした領域に彫刻を変革しつつある者」に属していますが、私は彫刻性を捨てていないつもりです。