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  • 新年度という意識に…
    日本では4月初めに入社式や入学式が予定されているため、4月1日は特別な思いが沸き上がってきます。私が教職に就いていた頃は、4月から新しい学校生活が始まるという意識でしたが、教職に就く前に私が住んでいたヨーロッパでは、どの学校も10月に新学期が始まっていました。ウィーンでは冬学期と夏学期の二学期制で、翌年の7月に年度が終了して、長い夏休みに入るのでした。日本は桜の開花とともに気持ちを改めていくのは、季節感を重んじる日本人には合っているようにも思えます。退職して3年も経っている私ですら、4月になると襟を正して、何事にも頑張ろうとするのは学校教育の影響なのかもしれません。ともあれ今日から4月です。新年度という意識に託けて、新作の制作に弾みをつけていこうと思います。3月にやろうと思っていて出来なかったのが、平面作品です。まず、この平面作品に取り組むのが今月の目標です。わたしにとって平面作品は絵画ではありません。立体作品にも平面作品にも素材との対話から生まれる空間があります。それが床に置く物であれば、立体作品になり、壁に掛ければ平面作品になるという空間の操作があるだけで、同じイメージが源泉になっています。平面作品の具体的な構想は既にあって、後は手を動かして作るだけなのですが、最後の詰めがまだイメージできていない状態です。最後の詰めは作りながら決まっていくのが、私の通常の制作なので、今月はともかく作っていく予定です。今月は美術館や映画館にも積極的に出かけていって、先月以上に鑑賞も充実させていこうと思っています。今月は寒暖差の少ない暖かな日が続いてくれることを祈りながら、毎日創作活動を行っていきます。
    3月は寒暖差の大きかった1ヵ月
    今日は3月の最終日です。長年勤めていた教職の習慣がこの時期になると相変わらず抜けず、3月は年度末の意識があり、明日から新しい気持ちになってしまいます。今となっては月が移行するだけで、身辺に大きな変化はありませんが、それでも記録用の小さな手帳は年度で替えています。さて、今月を振り返ってみると、寒暖の差が大きかったことが挙げられ、今月はそんな要因があったせいか疲れた1ヶ月でした。今月は31日間あって、そのうち29日間を工房に通いました。新作の陶彫制作、古木材加工や調整彫り、小品4点の制作とまさに7月個展に向けた準備が佳境を迎えていました。窯入れは2回行いました。工房の周囲は亡父の残してくれた樹木に囲まれているため、春を告げる花々が咲き乱れ、自宅から工房までの僅かな路を彩っていました。特に青空に映える梅や桜の花が見事で、制作の疲労を癒してくれました。工房に行かなかった2日間のうち1日は、工房に出入りしている美大生と一緒に美大の卒業制作展(女子美術大学)に行ってきました。もう1日は退職校長会のグループ展如月会の懇親会があって、久しぶりに交流を深めてきました。今月の美術鑑賞は「ミロ展」(東京都美術館)、「アルプ展」(アーティゾン美術館)、「中世の華」展(目黒区立美術館)の3つの展覧会に行ってきました。映画鑑賞は充実していて「名もなき者」、「ブルータリスト」、「Flow」、「教皇選挙」(4本ともTOHOシネマズららぽーと)に行ってきました。映画は洋画ばかりでしたが、毎週映画館に通っていました。ちょっと映画鑑賞では学生気分に浸りました。読書では学生時代に読んだことがある「名画を見る眼」を再読しています。若かった頃より、時間をかけてじっくり読んでいるせいか、また時代背景にも若干の知識がついたせいか、その画家が生きた時代に厚みを感じています。西洋美術史が練り上げてきた絵画理論が確かな存在感を伴って、現代にまで受け継がれてきた経緯を改めて感じ入っている次第です。また東京の大手書店を散策し、長年欲しかった書籍が手に入ったことも嬉しかった一幕でした。
    週末 新聞記事より「一つの弱さなのだ」
    日曜日になりました。いつもなら日曜日のNOTE(ブログ)には創作活動に関わることを書いていますが、今回は趣向を変えます。先日の朝日新聞「折々のことば」にあった英国の作家のことが気になり、これを取り上げることにしました。「自己を信じて疑わぬというのは罪であるばかりか、それは一つの弱さなのだ。G・K・チェスタトン」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「異常を見破るのは尋常の人で、異常な人は異常を異常と思わない。つまり『徹底して現世な人びとには、現世そのものを理解することさえできぬ』と英国の作家は言う。同じように国家もその正気を保つには、異変を察知するアンテナ、いいかえると己の傲慢に反逆し、それを是正していく装置を内蔵していなければならないだろう。『正統とは何か』(安西徹雄訳)から。」現在の国際情勢を言っているようで、自国第一主義を掲げる超大国が、己の傲慢を是正することが今後あるのだろうかと思ってしまうのは私だけではないはずです。また自分に対しても、私は異変を察知するアンテナを持っているだろうかという問いかけをされているようで、襟を正そうという気持ちになります。内容はさておき、今回取り上げた記事にG・K・チェスタトンという名前があって、私はこの名前に反応してしまったのがNOTE(ブログ)に取り上げた理由です。自分が中学生の頃に友人と競って読んだ推理小説の中にG・K・チェスタトンという著者名がありました。G・K・チェスタトンの「ブラウン神父」のシリーズが大好きだった私は、著者名だけは忘れずにいたのでした。巧妙に仕掛けられた謎に挑むブラウン神父。その種明かしに私は興奮しつつ、創作された物語の面白さを堪能していました。リアルな物語を創作し、その中に事件解決の鍵を潜ませるというテクニックに私は夢中になっていました。また、記事内容の他に彼はこんなコトバを残しています。「唯物論者には、完璧に磨き上げられた機械のごとき彼らの宇宙に、ほんのひとかけらの精神性も奇跡も受け入れる自由がない。」
    週末 映画鑑賞&懇親会の1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。春は三寒四温と言うけれど、ここ数日の気温の上下動は激しいものがあって、とにかく身体が疲れます。陶彫制作ではここまでやろうと思ったことが、そこまでやれずに翌日に回すことがよくありました。気温によって陶土の乾燥具合が変わってきて、前日に水を打っていた陶土がやや硬くなってしまうこともありました。今週は古木材の調整彫りもやっていましたが、陶彫と木彫双方の作業に夕方は疲れが出て早めに切り上げることもありました。毎日工房に行って同じ時間帯に作業をしていると、毎日の素材の変化に気づいて、その時の陶土の手触りによって作業が変わっていきます。陶土の状態は湿度によるところが大きいので仕方がないのです。今週は木曜日に家内と映画館に出かけました。今月はよく映画を観ています。映画「教皇選挙」は米アカデミー賞脚本賞に輝いた映画で、密室の中で執り行われる宗教行事に、私は興味がありました。宗教そのものは信仰を具現化したものですが、それが組織化されて大きくなり、政治力を持ったところに、こうしたトップを決めるドラマが生まれてくるのだろうと思います。何と言ってもキリスト教は世界最大規模を誇る宗教で、バチカンから戦略的に全世界に布教を広めていった歴史があります。安土桃山時代に我が国にも宣教師がやってきた記録があるくらいです。勿論「教皇選挙」は架空のドラマで、ドキュメンタリーではありませんが、地位や名誉を得たいという人間にとって、それがビジネスであろうと宗教であろうと関係なく欲望が渦巻いていることが映画で語られていました。面白いところに着眼した映画だなぁと思いました。金曜日は如月会の懇親会があって、私は久しぶりに元校長だった人たちと交流をしてきました。金曜日は懇親会に気持ちを入れ込んでしまったので、この日の工房での作業は休みました。気候のせいがあるのかもしれませんが、今週は妙に疲れた印象です。
    今年も如月会の懇親会
    教職を退職すると、人づき合いは減っていきます。嘗ては仕事上の懇親会がよくありました。先生方と情報交換がスムーズにできること、風の通しのよい職場であること、そうしたことが組織を運営する上で大事なことであったことは言うまでもありません。とりわけ管理職になってから、先生方に誘われれば、私は断ることはありませんでした。飲食代も私が多少多めに負担しました。飲み会の席でさまざまなことをお願いされたこともありました。それがコロナ禍になって、私の退職時の懇親会はなくなりました。歓送迎会もありませんでした。そんな懇親会という日本人独特な文化の中から、組織はどうあるべきかという議論も生まれましたが、今は昔のように令和の世代に懇親会はあるのでしょうか。今日は2月にグループ展を開催している横浜市立中学校退職校長会のメンバーが、懇親会を企画してくれました。昨年から同会のグループ展に参加している私は、最近人づき合いが減ったこともあって、今年も喜んで参加させていただきました。メンバーはそれぞれ激務を経験してきた元校長だったために、当時のエピソードには事欠かない話題がありますが、皆さんが高齢になって身体の体調が芳しくなく、持病の話が中心になっていました。私も血糖値の値に心配があって、今日も飲酒はやめていました。元々私は飲酒をあまり好まない方でしたが、ドクターストップもあって、退職後はまったく飲酒はしていません。それでも皆さんと交流しているのは楽しいと感じます。横浜市に生徒による事件が多発していた時期を乗り越えてきた自負もあるのでしょうか、皆さんとは不思議な連帯感が生まれてしまうのです。如月会はいつまで継続できるのでしょうか。私の世代として新しく一人書道で入ってきましたが、美術科は相変わらずいません。現職校長でさえ横浜市は一人しかいないので、グループ展運営は厳しい状況です。美術科教員が管理職になりたがらないのが要因とも言えます。