2024.08.24 Saturday
週末になりました。今週の振り返りをしたいと思います。今週のタイトルに「心と歯のメンテナンス」と書きましたが、これはどういうことか、まず心のメンテナンスは水曜日に出かけた「神護寺―空海と真言密教のはじまり」展と「走泥社再考」展のことを示しています。京都の古刹に伝わる両界曼荼羅や仏像の数々に私は心が癒されました。陶芸の新しい潮流にも心を動かされ、まさに日本独特の世界観に浸って、私にとっては心のメンテナンスになったと思っています。歯のメンテナンスと言うのは文字通り、半年に1回、かかりつけの歯科医院で検診とクリーニングをしてもらうのです。金曜日の夕方に予約を入れていました。私は歯磨きの仕方が悪いのか、何カ月もすると歯垢が目立つようになり、それが虫歯の原因ともなるので、半年に1回は検診とクリーニングに出かけています。長く自分の歯を保つためにやっていることで、週2回の水泳と水中筋トレと同じように自分の身体を整えるための手段です。これも創作活動に心置きなく邁進できることを目的としていて、それ以外は何もありません。今週は心と歯のメンテナンスをやった以外の時間は全て工房での陶彫制作に励んでいました。工房が暑すぎて思考が滞り、新作は遅々として進まないのが現状ですが、それでも朝目覚めた時に、今日は工房でこれをやろうと考えを巡らせます。イメージは着実に輪郭を掴えてきていますが、工房の扉を開いた途端、熱の籠った室内の空気に、気持ちが萎えてしまいそうになります。工房と自宅は歩けば数分かかるので、気持ちが萎えても戻ることはせず、また工房には遊びの誘惑がないので、制作をやるしかないのです。どんな気候や条件であれ、制作に取り掛かるしかないのは、ある意味で最高の空間ではないかと思っています。
2024.08.23 Friday
先日、家内を誘って東京都港区虎ノ門にある菊池寛実記念 智美術館で開催している「走泥社再考」展の後半の展示を見に行ってきました。NOTE(ブログ)のアーカイブを見ると5月24日付の記事に「走泥社再考」展の前半の文章を掲載しています。同日の記事で私はこんなことを述べていました。「陶によるオブジェは、陶芸家として実用性のあるモノを作っていた人たちが始めた斬新な造形で、彫刻家が素材として陶を選んだ場合とは、同じ造形であってもニュアンスが異なることが私にも理解できました。私は彫刻家として陶を選んでいるので、陶によるオブジェではなく、それは陶彫に当たるわけです。それでも非実用なオブジェを作り始めた『走泥社』を私は今も変わらず評価しているのです。」後半の展示にも面白い造形があって、私は前半同様に新鮮な気持ちになって、鑑賞しか用途のないオブジェ焼を楽しんでいました。オブジェ焼の中でも私の好みは、どちらかと言えば陶彫に近い作風に惹かれてしまうのですが、器の作陶方法を利用して、作者の感覚のみで生み出していく作品は、それが土であることに拘りを持っていることが強調されていました。陶土の粗くザラついた面と化粧掛けした面が微妙なバランスを保って、壁のようなイメージを作り出している作品は、忽ち私を虜にしました。その雛型のようなサイズの作品は、大きな風景として現前された状況を鮮やかに描き出していました。私は作品の一環として土の面に構造上の穴を開けていきますが、土に穴を穿つとはどういうことかを改めて考えさせる作品もありました。土に穴が空いている様子は、まさに古代人の居住場所のようであり、そこに壮大なイメージを汲み取ることも出来ました。土を焼成すれば、人間にはどんな美意識が芽生えるのか、私の陶彫のように突き放した素材ではなく、土を愛おしむ姿勢には、私も考えされられる大事な要素がありました。「走泥社再考」展は前半も後半も通して、私にはもう一度自分の足元を見つめる機会がもらえたように感じました。
2024.08.22 Thursday
昨日出かけた東京上野の東京国立博物館で開催している「神護寺―空海と真言密教のはじまり」展は、「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」が展覧会の主軸になっていました。私がまだ教職にあった頃、修学旅行の引率で行った京都の教王護国寺(東寺)で曼荼羅を垣間見て、それがどういうものか興味を持ったことで、私は曼荼羅を考える契機になりました。曼荼羅はざっくり言えば、密教において仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、仏や菩薩などを体系的に配列して図示したもので、元々はインドに源があり、形態としては中国から日本に伝わった教えです。図録によると「最澄は帰国の直前、中国・越州龍興寺の順暁から密教の一部を学んでおり、唐で流行していた密教に関心をもった桓武天皇の意向を受けて、和気弘世が実現に尽力した。この灌頂の翌年にあたる大同元年(806)十月に帰国したのが、中国・青龍寺の恵果から密教のすべてを伝授された空海であった。帰国後およそ三年ののち、平安京に入った空海が拠点としたのが高雄山寺であった。~略~天長年間には現存最古の両界曼荼羅が制作された。『神護寺略記』によれば、『天長御願』すなわち淳和天皇によって発願され、灌頂院に安置されたことが記される。その制作には空海がかかわったことが想定される。そもそも曼荼羅とは、サンスクリット語の音訳であり、本質を得る、の意があり、悟りを得るという心理を示した図である。」(古川攝一著)とありました。曼荼羅は大日如来を中心とする宇宙観があり、さらに胎蔵界と金剛界の両部で構成されるのが両界曼荼羅です。ネットで調べると、胎蔵界曼荼羅が真理を実践的な側面、現象世界のものとして捉えるのに対し、金剛界曼荼羅では真理を論理的な側面、精神世界のものとして捉えているとありました。つまり胎蔵界は実技、金剛界は理論となれば、別々に成立しているものを一対にしたところが、自分の創作活動にも通じていると考えても良さそうで、少しばかり身近に感じることが出来ました。あれこれ首を突っ込むと曼荼羅の深淵に引き込まれ、現実世界に帰って来られなくなるような気がして、曼荼羅に関してはここまでにしようと思います。
2024.08.21 Wednesday
今日は家内を誘って、東京上野の東京国立博物館へ「神護寺―空海と真言密教のはじまり」展を見に行ってきました。その後、虎ノ門にある菊池寛実記念 智美術館の「走泥社再考」展にも出かけましたが、それは別稿で書いていきます。日々、工房での作業があまりにも酷暑で辛いため、今週も美術館や博物館に鑑賞に出かけたのでした。「神護寺―空海と真言密教のはじまり」展は、テレビの美術番組で知り、神護寺にある宝物が大変貴重であることで、是非見てみたいと思ったのでした。平日にも関わらず同館平成館は多くの鑑賞者で混雑をしていました。目玉は最古の両界曼荼羅で、2016年から6年の歳月をかけて修理を行ったそうですが、これが3回目の修理になるようです。1回目は1309年、2回目は1793年と言うから、曼荼羅を後世に伝えたいと願う思いは計り知れません。図録によると「高雄山寺(神護寺の前身)は入唐後の空海が鎮護国家の修法を初めておこない、金剛界・胎蔵界両部の灌頂を初めておこなうなど、まさに空海と真言密教はじまりの聖地であった。そこから現在に至るまで、神護寺は幾多の困難を乗り越え、数多くの寺宝を今に守り伝えてきた。なかでも『両界曼荼羅(高雄曼荼羅)』は、空海自身が筆を入れたと伝えられる、現在最古の両界曼荼羅であり、神護寺を象徴する寺宝である。」(古川攝一著)とありました。両界曼荼羅(高雄曼荼羅)については別稿を起こした方がいいかなぁと思います。本展で私が曼荼羅以外に注目したのは薬師如来立像で、密教尊像ではないとしても、重量感のある体躯、威厳に満ちた表情が何とも印象的でした。五大虚空蔵菩薩坐像は空海の弟子による密教尊像で、5体が円形になるように配置された様子が荘厳な雰囲気に包まれていました。さらにもう1点、社会科の教科書で見知った「伝源頼朝像」は、私くらいの世代には馴染みのある図像で、これについては諸説あるようですが、この絵が神護寺にあったのかと改めて思いました。まだまだこれはひょっとしたら貴重な資料かもしれないと思って眺めていたものもあり、ひとつ拘れば書ききれない発見があるのでしょうが、本展は充実した展示内容で彩られていることに異論はありません。自分の浅学を恥じるばかりです。
2024.08.20 Tuesday
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅲ 現代抽象美学の形成 」の中で具体的な芸術家を取り上げていますが、今回の単元はチェコの画家「フランク・クプカ」です。クプカは最初の頃はアカデミックな絵画を描いていましたが、飛躍的に抽象絵画に移行した画家で、この芸術家に何があったのか、文章から読み解いていきます。「具象的再現からの断絶は、芸術家を解放する役割を演じ、その結果かれは宇宙と交わり、伝統的な表現手段にはいっさい依存せずに、体験を通してえたこの宇宙的認識を表現できる状態にまで高められるのである。こうして、芸術家と宇宙との関係は、かれ固有の資質にもとづいて確立され、しかも完全な自律性をもったものとなる。フランク・クプカがその版画集『白と黒の四つの物語』の序文で言っているように、『それ自身抽象的現実である芸術作品は、創りだされた諸要素によって構成されることを要求している。作品の具体的意味というものは、表わされる形態の型と、作品の有機的組織に固有な造形条件との組合せそのものから生まれるのである。』~略~クプカのこうした宇宙的経験ー私はかれの創造の営みを定義するのにこの言葉以外のものを見いだせないーは、溶解する、一見混沌たる宇宙とのある種の感情的合体から生まれたものであり、かれは限定しがたい激動する世界の内部に、しだいにはっきり、遊星の軌道、樹液の泡だち、植物、鉱物、天体などいっさいのうちふるえる生命の図式を見いだしていった。」クプカとモンドリアンの違いにも触れた文章がありました。「具象画家クプカと抽象画家クプカのあいだには越えがたい深淵があるにしても、かれにおける抽象様式化は、逆に、美学的であると同時に倫理的なある厳しい必然性に従い、またしだいに広範になる純粋化作用に従って発展しているからである。~略~これは、別の手段によって時に同じような結果を得たピエト・モンドリアンの行き方とは異なっている。事実、モンドリアンはときどき、その幾何学主義を通じて、キュビスム的経験を最尖端にまでおしつめたという感じを与える。ところがクプカにあっては、逆に幾何学は有機体を馴化するための技術にすぎない。」今回はここまでにします。