Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 新聞記事より「親和力」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「道ゆく人は、見知らぬ者でも挨拶をかわし、夜明けの浜では、地曳網をひく漁師たちが、とれた魚をわけてくれました。 谷川健一」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「海や山で生きる人々は、岩や砂ですらよそよそしいものと考えなかった。自然への謙虚さを失うと、山の神が怒る。神と人と自然を結びつけるこの『親和力』に耳を傾けたくて民俗学を志したと、水俣出身の民俗学者は言う。だからそれを踏み潰したものへの憤りが消えないと。絵本『みなまた 海の声』(文・石牟礼道子)への寄稿から。」私が幼い頃、祖母に背負われていると、よく見知らぬ人から声を掛けられました。実家は半農半商だったので、ふらりと立ち寄った人を縁側に座らせ、祖父母は蒸した芋を振る舞ったりしていました。私の記憶の片隅には、人に接する時の敷居の低さがあって、現代とはまるで違うコミュニケーションがあったなぁと振り返っています。周囲には雑木林が点在していて、そうした山に入ると道に迷うことがあり、半べそをかいていると肥しを積んだ牛車に拾われて、自宅まで送ってもらったこともありました。山道には地蔵があって、それが風景の一部になっていましたが、横浜は宅地開発が進み、そうした自然はどこかへ消えていきました。人が自然をコントロールして、私たちに都合の良い自然を残してきた経緯があるのだろうと思いますが、自然の脅威に対峙するために協力してきた人々のコミュニケーションの関係性は、明らかに時代とともに変わってきたと実感しています。あらゆる自然には八尾萬の神が存在しているという日本人独特の信仰を私は認めていて、特定の宗教を持たない私でも自然との「親和力」を信じています。私たちが生活の利便性を求めるあまり、自然を踏み潰してきた、そのしっぺ返しとして最近多くなった自然災害があるのではなかろうかと考えるのは私だけでしょうか。
    結成65周年記念展の搬入日
    今日から横浜市立中学校退職校長会である「清交会」が運営する「結成65周年記念展」があり、その搬入を午前中に行いました。私は「清交会」に所属していますが、役員ではありません。教職での長いつき合いになる元校長(つまり元同僚)から展覧会運営の支援を懇願され、仕方なく手伝うことになったのです。その担当者会に出席して分かったことは、担当者の誰一人として展覧会運営のことが分かっている人がいなかったという事実でした。会場は決まっていたものの、私が先導しなければ案内状の印刷やら、出品作品の状況、搬入・展示の方法、会場のレイアウト、受付の仕方に至るまで、まるで話し合われていなかったので、私が参加するまで担当者会は一体何をやっていたのか、甚だ疑問です。元同僚が私に助けを求めた理由が漸く私にも分かりました。考えてみれば横浜市立中学校の美術科校長がそもそも少ないし、過去20回以上個展をやっている者は私以外にいないので、こればかりは一肌脱ぐしかないと判断しました。朝9時に東神奈川駅にあるカナックホールに私が到着すると、ほとんどの出品者が作品を携えて、ギャラリー前のロビーで待っていました。担当である元同僚はそこでほとんど説明を終えていたらしく、ギャラリーが開館すると同時に、私の指示でそれぞれ梱包を解いて、作品を壁に立てかけてくれました。作品を分野別に分けて、飾りつけを始め、その間隔や上下を気にしながら作業を進めました。元校長たちは嘗ては押しも押されもせぬ校長であって、私のような彫刻家との二足の草鞋生活を送っていた人は皆無です。学校を退職し、漸く自分の時間が持てるようになって始めた表現活動なので、作品には自由な喜びが溢れていました。その中では趣味の領域に留まらず、自分自身の感性を深くまで追求する人も出てきていて、素人集団と呼ぶには躊躇される作品もありました。「結成65周年記念展」は今日から28日(月)まで、午前10時から午後4時半まで(最終日は13時まで)、東神奈川駅隣接のカナックホール3階のギャラリーで開催しています。ご高覧いただければ幸いです。
    「悪夢としてのイメージ」について
    「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著  野中邦子訳  白水社)の第6章である「悪夢としてのイメージ」について、気に留まった箇所を取り上げます。本章はマリアナ・ガートナーの絵画についての考察です。「ガートナーはカルガリー大学で絵画と写真の両方を学んだが、すぐに写真をやめて、絵画に専念するようになった。1963年、マニトバ州ウィニペグで、ハンガリー移民の両親のもとに生まれたガートナーは、子供時代に中欧を訪れ、ブダペストですぐれた美術作品の数々に接した。~略~何が起こったのだろう?肖像画という伝統的な絵画ジャンルに、ガートナーは彼女自身の悪夢のような注釈を付け加えた。中世の筆耕者たちは中心となる文章の周囲にいたずら書きのようなメモを書き加え、隠喩、ほのめかし、意味ありげなシンボルなどによって、主題に変化を与えようとした。~略~マリアナ・ガートナーの絵は寓意画ではなく、わかりやすい筋書きもない。《オウムと少女》は物語の一場面ではない。動きがなく、時間の流れのなかからわざと切りとった瞬間である。この少女とオウムを見て私たちが困惑するのは、これがわかりやすい物語を構成する一つのエピソードでもなく、シンボルでもなく、寓話でもないからであり、また無邪気に見える少女とつながれた鳥の関係が愛と憎悪を同時にあらわしており、それが陳腐でも、偶然の産物でもないからである。~略~主題をそれと関連する部分で描きだすこと、視覚的な転喩の集合によって生まれる一種のゲシュタルト的な創作物は、それまでの伝統的な図像学上の語彙を、個々の記号がもはや明らかに常識的な解釈とは一致しないような語彙へと変化させる。常識があるとしても、それはあくまで個人のものであり、そこでの『常識』とは共有されず、ただ筋が通っているというだけである。いいかえれば、万華鏡のなかの模様のように、はっきりと区別のつく個人の特徴をもった肖像画は、見るたびに姿を変える。色つきのガラスをほんの少し回すたびに、模様が変化して別の物語がくりひろげられるのだ。」今回はここまでにします。
    週末 新聞記事より「河童伝説」
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日は私の創作を誘発する河童や妖怪など魑魅魍魎に関する新聞記事を掲載いたします。昨日の朝日新聞の「天声人語」です。「戦場と兵士を描いたことで知られる作家・火野葦平は、河童の大家でもあった。『河童曼陀羅』はそんな火野の集大成だ。井伏鱒二や草野心平ら、有名作家が思い思いに描く河童の挿絵も、見ていて楽しい。火野が描く河童は人間にいたずらをするかと思えば、子どもと遊んだり、人助けをしたりと、憎めない。なかには小説を書いて火野先生に送り、これで芥川賞を狙っては、とそそのかす強者までいる。河童伝説は日本各地にある。先日、熊本を訪れて、ここもまた主要な舞台だと知った。最近はくまモンに押され気味だが、八代市内では河童ののぼりがはためき、あちこちに像や石碑が立っている。火野も、熊本を舞台にこんな話を書いた。江戸時代にこの地を治めた加藤清正は、寵愛した小姓が川でおぼれたのは河童の仕業だと決めつけた。そして、河童成敗に大軍勢を送り込んだ。川をせき止め、毒を流し、領地の人々が被害にあった。一方で、川は形を変えて穏やかになり、事故は起きなくなった。そんな様子を、古参の河童は、遠くから釈然とせぬまま眺めている。八代を流れる前川の河口まで歩くと、『河童渡来の碑』があった。先の地震で倒れてしまったが、1500年くらい前、中国から河童はやってきて住み着いた、とある。ずいぶん昔から、河童はこの地とともにあったらしい。人間の滑稽さや愚かさ、そして、自然へのはかない抵抗も、河童はずっと見つめてきた。人の営みを映し出す、豊かな物語である。」私にとって河童は遠野物語に登場するカッパ淵で、実際に岩手県遠野市に出かけていって、その澄んだ小川を見てきました。水木しげる作による「河童の三平」も好きな漫画だったので、こうした日本各地の伝承を私自身は大切にしたいと思っています。数多の日本画家が描いてきた魑魅魍魎。海外の妖精や怪物とは一味違うキャラクターを愛する日本人は結構多いのではないかと察していますが、いかがでしょうか。
    週末 陶彫二段目の1週間
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週の制作状況も先週に続き、新作陶彫である6つの塔の二段目にあたる成形をやっていて、毎日工房に通っていました。以前のNOTE(ブログ)に書きましたが、陶彫制作が始まると、陶土の乾燥具合をいつも気にするために、陶土に合わせた生活になり、自分の気分や都合は後回しになります。ここまでやっておかないと翌日に仕事を回せないという具合に、毎日やることが決まってしまいます。つまり毎日工房に通う理由があるのです。今週は美術館へ鑑賞に行くこともなく、制作オンリーの1週間だったので、成形や彫り込み加飾が進みました。陶彫は最終的に焼成があるため、その自分の手に負えない制作工程が気になり、少し早めに制作を進めておく必要があるのです。窯入れはまだ気温が高いうちはやりません。来月あたりで考えてみようと思います。陶彫制作以外では自宅でやっている一日1点を制作するRECORDがあり、毎日一所懸命に取り組んでいます。RECORDで考えたデザインが陶彫に及ぼす影響もあって、イメージを出す上での訓練にもなっていると思っています。RECORDにはアクリルガッシュによる色彩を用いますが、おかげで色彩に対する苦手意識がなくなりました。10代の頃は色彩の組み合わせに悩んでいた時代が私にはあったので、それは払拭できたのは何年も間、毎日小さな画面に面相筆で彩色している習慣のなせる成果だろうと考えています。夜の読書も習慣として定着していますが、気候が涼しくなったせいか、ウトウト眠くなり内容が頭に入ってこないこともあります。今では好きなことしかやっていない日常で、幸福を感じることもありますが、創作による迷いもあり、それが以前やっていた教職以上に自分を追い詰めることもあるのです。