Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 版画に思いを馳せた1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。今週は毎日工房に通い、陶彫制作に明け暮れていました。水曜日は午前中だけ陶彫制作を行っていて、午後は町田市立国際版画美術館に出かけました。ここで開催されていた「版画の青春」展で、私は版画に思いを馳せました。私も若かりし頃に版画を作っていて、大学の友人たちとグループ展を開催したことがありました。私は当時ドイツ表現派が好きで、とりわけエルンスト・L・キルヒナーやケーテ・コルヴィッツ、エルンスト・バルラッハに心酔していました。そのうちコルヴィッツとバルラッハは彫刻家でもあり、私も大学で人体彫塑をやっていたので、自分も表現派気取りでいましたが、自分の思想や精神性があまりにも幼稚で、また政治的な要素もあって、次第に版画から離れていきました。そんな頃を思い出す展覧会を見て、一入感慨に耽ってしまいました。現在の陶彫表現に辿り着くまでに、私にも振り幅があり、また海外での鬱積した生活も思い出し、決して真っ直ぐな道を歩いてこなかった自分がいたことを見つめ直した1週間でした。とは言え、現地点での私は、陶彫という素材に長い間取り組んでおり、その展開にまだ満足がいかないので、それは生涯を賭けてやっていくのだろうと考えています。さらに陶彫によって具象表現の説明的要素を取り除いた表現を求めたこともありました。それは抽象化というものと少し意味合いが異なり、従来の抽象表現のように、具象表現の形態を取捨選択して純粋化したものではありません。作品に説明的要素がないだけで、時に具象と見られても、私は可としています。発掘された出土品とも架空都市とも評される私の陶彫は、厳密な意味で抽象作品とは違います。地中から掘り出されたモノに彫刻的美しさを感じ取り、その場を空間演出する試みが私の求める世界です。そこに向けて今日も陶彫制作に精を出していました。
    版画家水船六洲について
    町田市立国際版画美術館で開催されている「版画の青春」展の展示作品の中に、版画家水船六洲の作品が数多く展示されていることがわかり、それが契機になって私は同展に足を運びました。私が水船六洲の作品を知ったのは20代の頃、版画の専門雑誌からで、それは斬新で抽象的な作風でした。前衛的な書を見るような趣もあって、その構成に忽ち惹かれました。オリジナルに接したのは銀座の老舗画廊で、意外に大きな作品だったのと、版画とは思えない厚手の色彩が摺りこまれていたのが印象に残りました。これを木版画でどう作るのだろうと素朴な疑問がありました。2016年に横浜美術館で開催されていた「複数技術と美術家たち」展にも水船作品が展示されていて、私は暫くその前に佇んでいました。呉市立美術館の宮本真希子氏による作家研究レポートがあり、内容は彫刻を中心にした論考でしたが、版画作品にも触れた箇所があり、水船作品の「背後に一種の諦観」を見取り「呉での少年時代に親しんだ海辺の生物や漂流物」が抽象の構成要素になっていると述べられていました。私自身失われていくモノの哀れさは水船作品の作風から感じられませんが、瑞々しく深い詩情を湛えた画面は理解しています。「版画の青春」展の出品作品は水船六洲の初期のものだろうと思われ、具象的な人物像などを木版画にしていました。その中に「ピエタ」や「天使ガブリエル」を版画にしていたので、水船六洲はキリスト教信者だったのでしょうか。横浜の学校法人「関東学院」に美術科教員として勤めていたことも信者と関係があったのでしょうか。最終的に関東学院小学校の校長職に就いた水船六洲でしたが、私も高校は関東学院で学んでいます。おまけに私も市立中学校の校長職にあり、しかも彫刻をやっていたことで、見ず知らずの作家なのに、私は勝手な親近感を抱いているのです。因みに私は関東学院の六浦校出身で、蛇足ですが同期の俳優竹中直人君もそこに学んでいます。
    東京町田の「版画の青春」展
    昨日、町田市立国際版画美術館で開催されている「版画の青春」展に行ってきました。副題を「小野忠重と版画運動」と称して、「激動の1930-40年代を版画に刻んだ若者たち」というフレーズもありました。展示作品数はかなり多く、小野忠重版画館から貸し出されている作品が目立ちました。私も20代の頃、欧州にいてドイツ表現派に心酔して木版画を始めていましたが、当時の東欧諸国で盛んだったプロレタリア美術に作風が近くなって、自作に違和感を覚えるようになりました。私は本展の図録を読んでそんなことを思い出しました。「版画の大衆化という目標を達成するために、小野(忠重)が集団結成以前に加盟していたプロレタリア美術家同盟による、プロレタリア美術の大衆化のための方策をモデルとして活動を展開させた。具体的には、地方で展覧会を開催することや、批判会や講習会を開催すること、『組織的生産』をスローガンに掲げたことなどを採り入れた。政治活動の実態はなかったが、このことからも新版画集団は左傾化した版画グループとも見られていた。」プロレタリア美術を版画普及に利用した小野忠重に対し、私は逆に自己表現が政治色を持つことを嫌った時期がありました。そのことで私は版画表現に距離を置いたのでした。「1930年代初めに新版画集団から始まって造型版画協会へと展開した版画運動は、その質的向上と普及のために、小グループが全力で臨んだ、純粋に版画のための運動であったといえよう。その版画運動は、1930-40年代の主要な版画家組織であった日本版画協会をはじめ、春陽会や国画会の版画部など、さらに1910-30年代に全国各地で発行された創作版画誌に集った版画家グループと比較しても、最も組織的に、求心力と高い熱度をもって進展したと考えられる。」(引用は全て滝沢恭司著)版画は複数印刷して頒布できるという特徴があります。リーダー格であった小野忠重が大衆化を狙ったのも版画のそうした特徴を生かしたものと考えられます。創作版画によるポスターが頻繁に作られているのもその一旦と言えるでしょう。
    陶彫制作&版画美術館へ
    今日は午前中は工房で陶彫制作に精を出していました。いよいよ3月も終盤になり、私は7月の個展で発表する陶彫立方体の完成状況に焦りを感じています。そのため美術館へ行こうと決めていた今日も、午前中は陶彫制作をやっていました。工房には春休み期間中の美大生が植物デッサンをやりに毎日顔を出しています。彼女も私に負けじと熱心に制作を続けています。工房に制作者がもう一人いることは、私にとって大変有難く、お互いが張り合いになっていると感じています。その美大生を誘って、今日の午後は東京町田市にある町田市立国際版画美術館に行きました。そこで開催されていたのは「版画の青春」展で、副題を「小野忠重と版画運動」と称していました。展覧会に出品されていた作品は1930年代からのもので、関東大震災から復興したばかりの首都圏を舞台に展開された、創作版画運動を扱ったものです。創作版画とは、自画(じが)・自刻(じこく)・自摺(じずり)を基盤とした、自ら原画を描き、版を彫刻し、紙に摺る工程を一人で行うものです。現在では当たり前のことですが、浮世絵の伝統がある我が国では、版画は分業制になっていたため、敢えて創作版画と呼んでいたのでしょう。私は学生時代にドイツ表現派の影響で、ざっくりした白黒木版画を作っていました。その際に日本の戦前の創作版画運動を知り、創作に向かう作家の意欲を自分の青春時代に被せていたのでした。版画家の中では小野忠重がクローズアップされていますが、私は水船六洲という版画家の作品に興味があり、版画家集団にその名前を見つけて、本展を見に行こうと決めたのでした。作品がいずれも地味だったためか、20歳そこそこの美大生にはピンとこなかったらしく、彼女からたいした感想は出てきませんでした。この展覧会は私が懐古に浸りたかったために訪れたので、美大生を付き合わせてしまったようです。それでも詳しい感想は後日記します。
    「カラヴァッジョ」読後感
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)を読み終えました。バロック期の西洋美術に疎かった私にとって、画家カラヴァッジョの存在は重要なものでした。カラヴァッジョ作品に導入されて、バロック期の宗教美術を知る手掛かりになったからです。本書を読むまでカラヴァッジョに関して私が知らなかったことが多く、とりわけ代表作品の丁寧な分析は役に立ちました。私の浅はかな知識としては、カラヴァッジョは不埒で横暴な性格で、どこでも乱闘事件を起こし、ローマでは殺人を犯して逃走した画家として、半ばゴシップ記事のように画家の歩みを理解していました。画業ではレンブラントの先達のような光と影のコントラストが激しい絵画を描いた画家として認知していたに過ぎません。その画家が宗教画を描いていたことに私は違和感を覚えていましたが、本書を通じてバロック絵画の新しい門扉を開いた世界観を知り、とくに光が差し込むところに神の存在を示唆した設定に、現代に通じる表現を見取りました。著者のあとがきにこんな文章がありました。「タイトルについてひとこと説明しておくと、副題の『聖性とヴィジョン』は、現実的でありながら聖なるものを表現するカラヴァッジョ芸術の本質を表そうとしたものである。第4章(幻視のリアリズム)で述べたように、カラヴァッジョの作品世界は、観者が画中の人物とともに見るヴィジョン(幻視)であるととらえられる。オッタヴィオ・パラヴィチーノ枢機卿は1603年にカラヴァッジョのことを『聖と俗の間にある』と評したが、カラヴァッジョ作品は俗に見えて俗ではなく、その現実的・触知的なヴィジョンはあくまでも高い聖性を備えているのである。」これがカラヴァッジョ作品の本質であり、私にも理解できた箇所でした。カラヴァッジョは享年38歳。いわゆる早世ですが、殺人事件による処刑ではなく、熱病による死亡だったようです。