2026.07.02 Thursday
先日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「あまり遠くのこととか先のこととかを考えるのではなく、自分の半径五メートル以内のことをちゃんとやっていこう…宮﨑駿 」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「物心ついた頃、周りには戦禍の跡が溢れていた。いま在るものもやがて崩れるとの思いは、自身の相当深い部分に植えつけられていると、アニメーション監督は語る。大量消費に蝕まれる人間の度しがたさに耐えられるか心許ないが、それでも五百万人に映画を送るより三人の子供を喜ばせたいと。『折り返し点 1997~2008』から。」大量消費に晒されるのは映画も造形美術も同じです。しかも形あるものはいつか崩れると私も思っています。私自身は作品が売れず、流行に乗る反響を感じたことは未だにありませんが、それはどうであれ、私も遠くのことや先のことは考えないようにしようと思っていることは確かです。目標は大きく捉えず、すぐ足元の小さな目標を達成することの方が容易で、その繰り返しで人生の目標がいずれ見えてくるのかもしれないと思っています。私の作品も周囲の人を喜ばせることにはなっていると自負していますが、作品を作ることで何が幸せかを考えると、私の作品世界を理解してくれる人が少しでも増えてほしいと願うことかなぁと思います。誰かが見ていてくれると思うから創作に精を出すのであって、その人と意思の疎通を図るのは無上の喜びなのでしょう。アニメーションもそうですが、造形美術にしても社会が不安定になり、物質至上主義に陥れば無用の長物になることは間違いないわけで、戦時中であれば、そんなものを作っているのは非国民と言われた過去の時代があったのです。そうした戦禍の跡を見てきたアニメーション監督は、自分が精を出して作っているものが刹那のものになることも分かった上で、自分の身近にいる子どもたちを喜ばせたいと感じているのでしょう。ものを創り出す無力さが垣間見えるのも、最近の社会情勢の不安が要因なのかもしれません。
2026.07.01 Wednesday
7月になりました。今月は個展に向けた1カ月になります。昨年までお世話になっていたギャラリーが今年から変わり、いろいろなところで心機一転を図りました。まず出品作品ですが、立体作品を減らし、壁に掛ける平面作品を増やしました。立体作品は大き目の「発掘~六蹟~」の1点のみで、小品「陶紋」は例年と変わらず4点あります。壁に掛ける平面作品「炭景」は4点なので、周囲の壁に掛けていきます。変えたのは作品だけでなく、毎年作っている図録も変えました。例年の冊子を止め、三つ折りのパンフレットにしました。その方が簡潔に作品の状況が伝えられると判断したのです。自分にとってこれは作品を見直す良い機会かもしれないと思っています。というのは、ギャラリーでの発表が始まってから、私の作品はその空間を意識するようになり、あの空間をどのように演出していこうか、イメージしながら空間配置も考えてしまう結果となり、それは空間を変容させていく表現になっていった経緯があるからです。画廊の空間ありきで考える彫刻は空間演出の装置ともなり、そこに鑑賞者を取り込んでいく鑑賞方法を提示することになりました。当然、画廊が変われば空間も変わり、現在私の頭にはうしお画廊の空間が浮かんでいるというわけです。今年の「発掘~六蹟~」は彫刻の中を歩き回ることは出来ませんが、次作は床に立体を点在させて、彫刻の間を自由に歩けるようにしたいと思っています。今月は鑑賞にも力を入れていきたいと考えます。新作も始まっているので、美術鑑賞を通じて感覚を磨きたいと考えていて、また展覧会情報を調べていくことになりそうです。私の作品は古代の出土品のように見える抽象性の強い形態をしていますが、それと直接の関連はなくても、日本の伝統に支えられた文様や、あるいは写実性のある表現にも私は興味があります。極論すれば美とは何かが常に自分の頭にあって、自らの琴線に触れる瞬間を待ち望んでいると言えそうです。今月も心が満たされる1カ月であればいいなぁと思っています。
2026.06.30 Tuesday
6月の最終日になりました。今月は床置きの陶彫作品「発掘~六蹟~」と壁掛け作品「炭景」4点が完成しました。また陶彫による小品「陶紋」4点も完成し、今月末をもって来月の個展の展示作品が揃いました。また陶彫部品を収める木箱や平面作品の梱包も終了しています。個展の案内状の印刷も出来上がって、今日は東京銀座のうしお画廊に300部を届けてきました。ともかく今月は全出品作品の完成を目指し、コツコツと制作の歩みを止めずにやってきました。同時に新作に向けての第一歩を踏み出しました。「焦らず休まず」が私の座右の銘ですが、それを実践した1カ月と言えそうです。今月は30日間あって29日間工房で作業をしていました。休んだ一日は個展用図録撮影日で、この日は工房においてカメラマンや陶彫部品の組み立て担当のアシスタントたちが来て、ほぼ一日をかけて撮影に協力してくれました。私は例年この撮影日によって作品が完成した状態を見ることが出来るのです。それで今後の新作に向けた方針を立てて、今年の作品を補うような次作の意欲に搔き立てられます。作品はひとつ終わっても、完全な状態に至らず、それが故に創作活動が継続していくのです。休みなく制作を続けている私の事情をうしお画廊に伝えたら、画廊主の牛尾さんに笑われてしまいましたが、画廊が私の個展を継続してくれるなら、私も望むところなのです。さて、今月の鑑賞は美術は1ヶ所だけでした。「アンドリュー・ワイエス展」(東京都美術館)。映画鑑賞は「ユートピアの力」と「誓い 建築家B・V・ドーシ」(両方とも横浜シネマリン)、「マイケル」(TOHOシネマズ鴨居)の3本を観ました。インドに建築文化を根付かせる試みがあり、アメリカのエンターテイメントもあって、映画は盛りだくさんな内容でした。その他に家内に誘われた水族館「アクアパーク品川」の散策があり、車の車検があり、前述した個展用図録撮影があって、かなり充実した1カ月だったなぁと振り返っています。来月は愈々個展が始まります。今が頑張り時なのでしょう。
2026.06.29 Monday
今回はホームページについて感じたことを述べていきます。私のスマートフォンに無差別に入ってくる個人のインスタグラムがあります。知り合いが料理やらペットやらの身近な情報を画像であげていて、気楽に情報を共有する楽しさがあります。ただし、個人情報が露見する恐れがあるため、私自身はインスタグラムやフェイスブックは今のところやっていません。私の考え方は情報を発信する以上、その情報を篩にかけて、さらに伝えたい内容に誤解がないようになっているかを自己判断しています。何もそこまでしなくてもいいのではないかと思われますが、私は慎重な性格であるため、画像なら周囲に映り込む諸々のことも気になってしまうのです。SNSは私にとって気軽な媒体ではありません。つまり、これも自己表現として、自分が創作している作品と同等な価値を与えていると言っても過言ではありません。自分の気持ちの吐露なんて、私自身は発信できそうにありませんし、自分のプライベートを生のまま人には言えません。このNOTE(ブログ)も自分の考え方を整理して文章化しています。自分の気持ちを気軽に伝えたいこともたまにはありますが、それは考えがまとまるまであれこれ思索してしまう癖が私にはあります。それでもNOTE(ブログ)は毎日書いていて、これも一日1点ずつポストカード大の平面作品を作っているRECORD同様、自分にとっては大きな刺激剤になっています。たまにその日のNOTE(ブログ)のテーマを何にしようか考えるときもあり、現在読んでいる書籍からテーマを採ってくることや、新聞記事から採ってくるときもあります。それはRECORDも同じですが、RECORDの場合は視覚イメージが寝起きに湧くことがあります。浮かんだ内容を視覚化すればRECORD、言語化すればNOTE(ブログ)というわけで、自分で締め切りを決め、自ら手枷足枷をしてしまっているのです。その習慣は最近ついたものではなく、かなり若い頃から私にはありました。自分のことをかなり面倒な奴だなぁとも思っています。
2026.06.28 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日も先週に引き続き来年に向けての新作について書いていきますが、先週書いた新作のイメージではなく、制作工程について改めて述べていきます。陶彫は私が立体作品を発表し始めてからずっと素材として扱ってきたものです。陶彫は最終的に窯に入れて焼成することで完成する技法です。それがあるために制約があり、陶土を練る最初から慎重に行う必要があります。まず土質を均一にして、しかも立体として造形したときも同じ厚みにしなくてはなりません。人体塑造を習作していたときのような無垢な状態にしていたら、内側から皹が入ります。内側は常にがらんどうなのです。陶土が乾燥する段階で一割程度収縮し、それによって陶土が上下左右に引っ張られるからで、そのストレスを解消するために陶土をよく練っておくのです。陶芸のように轆轤を回せば、ある程度同じ厚みになりますが、轆轤に頼らない陶彫の場合は、タタラで作るにしても紐作りにしても、可能な限り厚みに気を配ります。造形が出来たら私はビニールをかけて徐々に乾燥させていく方法をとります。陶土の表面に凹凸による加飾を施す場合も、厚みを気にしながら調整していきます。また穴を開けて内側の空気の通りをよくしておくことも私はやっています。そこまでして私が陶彫に拘る理由は、窯の中で陶土は石化し、作っている最中とはまるで異なる土質に変容し、作品が自分の手の届かない領域に入り込んでいると感じるからです。私は窯内で起こることを炎神という神に喩えていて、その炎神に鍛えられ、作品は鎧を身に纏った戦士のように思えてなりません。私が混合する陶土が、錆鉄色をした古代の出土品に似ているせいかもしれず、鎧の戦士の喩えも私なりに気に入っているのです。そんなわけで私は陶彫によって立体作品を作っていますが、窯の容量で大きさが決まってしまうので、作品を大きくする場合は集合彫刻として、陶彫同士をボルトナットでとめるか、積み上げていくか、そのイメージに合わせてサイズを決めていきます。新作の制作工程は始まったばかりです。この時期毎回ウキウキするのは私の癖と言えそうです。