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  • 東京駅の「フォロン展」
    先日、東京駅ステーションギャラリーで開催されていた「ジャン=ミッシェル・フォロン展」を見てきました。テーマは「空想旅行案内人」となっていて、山高帽を被ってコートを着た人が、空想の世界を歩いていく絵画が展覧会場で散見されました。フォロンと同じベルギーの画家マグリットのようであり、謎に満ちた瀟洒な作風が、何気なく自分を捉えて離さない感じになって、ちょっと風刺の効いた絵画の方向を私も見つめていました。フォロンの芸術家としての背景を知らなかった私は、図録を買い求め、財団理事長による著述を読みました。「フォロンは早い段階でさまざまな記号からなる自分自身の語彙を作り上げた。それは、彼の視覚的思考と哲学的なメッセージの出発点になった。人間はディスクール(さまざまな言説)の中心にいて、非人間化と常に戦っている。その人間は、フォロンの初期のドローイングに数本の線だけで描かれた未熟な生き物として出現する。時を経てこの人間は常に変化を続けるとらえどころのない存在、大きなコートを羽織り帽子をかぶったなんの変哲もない男として、誰もが簡単に識別できる人物へと発展していった。孤独に、あるいは大勢の中に描かれるこの人物は、フォロン自身の恐怖や怒り、夢を反映したもう一人の自分と言える。~略~マグリット同様、フォロンは答えを提示したがらず、想像の扉を開き自由に解釈することを推奨していた。彼は私たちの問いに謎めいた答えで返してくる。『私が自由であるように、あなたも自由に解釈するように』と、私たちに思い出させるのが常だった。~略~フォロンには病的な収集癖があり、常に面白いものを探して蚤の市を徘徊し、スタジオをガラクタで埋め尽くした。フォロンの家は『驚異の部屋』と言わんばかりに、旅先での思い出の品々や珍しいもの、取るに足りないものなど、インスピレーションの源となるモノを詰め込んだ展示ケースが所狭しと並んでいた。」(ステファニー・アンゲルロット著)環境問題や社会問題にも自らの絵画を使って提言し、また風刺を加えた世界観を構築したフォロン。単なる美しい世界に留まらず、その底辺には人間らしさを唱える哲学があって、それがフォロンを世界的イラストレーターにしている理由かなぁと思いました。
    週末 Exhibitionをアップ
    日曜日になりました。週末は創作活動について記述しています。今回は私のホームページについて書かせていただきます。私の作品のデジタル画像はカメラマンによって撮影されたもので、ホームページには私の作品と言うより、カメラマンの作品と呼ぶ方が相応しい画像が掲載されています。私にとって自作の世界観をデジタルで発信していくことは大変重要で、普段制作をしているアナログな陶彫作品とデジタル画像は表裏一体を成すものとして理解しています。デジタル画像には周囲の環境が映りこんでいて、空間を創り出す装置としての彫刻は、風景共々総体的な世界として提示する要素になっています。これも私が最終的にイメージする作品なのです。さて、今回はホームページにある Exhibition(展覧会)に、今年7月に開催した東京銀座のギャラリーせいほうでの個展の様子を画像にしてアップさせていただきました。今回で19回を数える個展で、しかも同じギャラリーで開催しているため、毎年同じ空間に配置された作品の変遷が見えるページになっています。年代ごとにクリックしていくと、自分の歩んできた創作活動の足取りが分かります。作者である私にしてみれば、その時その都度の苦労も滲んでいますが、それでも我ながらよくやっているなぁと自負もしています。1年でも健康を害すれば、こんなふうに出来なかったと思うからです。また、毎年やっているにもかかわらず、いつも満足ができていない自分に気づき、残りの人生で満足なんて得られるのかどうか疑問も出てきます。そうであるからこそ毎年個展をやっているのも事実で、今も暑い工房で汗を流しながら新作に励んでいるのです。Exhibition(展覧会)をご覧になりたかったら、私のホームページのExhibitionをクリックしてください。2024年にカーソルを合わせれば、今年7月の個展の状況が出てきます。今年の特徴はインスタレーションとしての展示形態を採っていることです。ご高覧下されば幸いです。
    週末 展覧会三昧の1週間
    週末になりました。今週を振り返ると、「カルダー展」、「シアスター・ゲイツ展」、「YUMEJI展(竹久夢二)」、「ジャン=ミッシェル・フォロン展」の4つの展覧会に行ってきました。火曜日に家内を誘って2つの展覧会、木曜日に工房に出入りしている若いスタッフ2人を誘って2つの展覧会を回ってきました。世間ではお盆休みに入り、私自身も休暇気分を味わいたくて、今まで行けなかった展覧会に足を運んだのでした。私は実技と鑑賞は車の両輪のように捉え、技巧と思考を繰り返すことによって自らの創作活動の糧にしていこうとしているのです。私の鑑賞は具象・抽象また平面・立体の種別を問いません。私自身が面白そうだと思えば、会場に出かけていきます。作品と実際に対面した方が得るものがあると私は思っていて、とりわけ立体は作品の置かれた場所や周囲の空気を感じることが肝要と考えています。実際にモビールを作ったカルダー展では、浮遊する物体がぶら下がったオブジェを楽しむことができたし、常滑で作陶するゲイツの、古木の上に配置された陶彫は、その森閑とした作品群に、自らの新作に対する啓示をいただいたように感じました。それが直接自分の陶彫に反映するわけではありませんが、私の中に確実に貯蓄されていくと思っています。美術館に出かけた以外の日は朝から工房に籠りましたが、酷暑は相変わらず大変で、シャツが汗で重くなり、午前と午後でシャツを替えていました。私は午後の最も暑くなる時間に工房での作業を止めて自宅に戻ってきますが、職場の夏季休暇を利用して工房にやってきている後輩の彫刻家は、二科展の搬入が迫っていることもあり、朝から夕方遅くまで継続して木彫をやっていました。私の個展が終わったら、次に彼の二科展搬入があり、彼にとっては今が頑張り時なのでしょう。この時期が過ぎれば、工房は少しの間落ち着くと思われます。
    白金台の「YUMEJI展」
    昨日、若いスタッフを連れて、東京の港区白金台にある東京都庭園美術館で開催されている「YUMEJI展」に行ってきました。YUMEJIとは竹久夢二のことで、副題に「大正浪漫と新しい世界」とあり、私は夢二ワールドの中で、とりわけ注目したのはアール・ヌーヴォーに関する作品でした。東京都庭園美術館そのものがアール・ヌーヴォー様式で、そこに呼応するように展示されていた夢二の豊かなデザインに魅了されました。図録によると「このアール・ヌーボー草創期に、美術大学に進まず、浪漫主義を牽引する藤島武二に私淑しながら独学で『画人』の道を進む夢二にとって、その台頭を伝える雑誌や出版物は彼の芸術観形成の糧となった。~略~夢二が1914(大正3)年に開店した『港屋絵草紙店』は、版画などとともに夢二デザインによる千代紙、半襟、浴衣、帯などの生活用品を手広く扱い、大衆の日常生活の美的向上を目指すとともに、文化サロンとして若き作家たちに大きな影響を与える場所でもあった。夢二が手がけた魅力的な商品群は、その感性が発する繊細さや詩的な要素に彩られており、印刷技術の発達やマス・メディアの拡大という時代を背景としながら、当時の大衆の心を熱狂させ、日本におけるアール・ヌーボーの結実と体現の舞台となったのである。」(池田隆代著)とありました。また当時流行となった美人画に関して、夢二ワールドが遺憾なく発揮されていて、展示作品にモダンな雰囲気を感じました。「ちょうど、女性たちが和装から洋装へと移行していく時代。夢二は流行を敏感に察知し、制作にあたり、海外のさまざまなファッション雑誌などを参考にした。~略~表紙には、アール・デコを意識したモダンな風俗画や、幾何学的な形態を取り入れた斬新なデザインのものが多い。また、色彩感覚に優れていた夢二ならではの大胆な色づかいが今も私たちを驚嘆させるのである。」(鶴三慧著)副題に大正浪漫が入っていても、私は古さを失わない夢二ワールドを本展で堪能しました。しかも東京都庭園美術館内装の演出が夢二ワールドを出色のものにしていました。
    日欧イラストレーターの競演
    このところよく美術館に鑑賞に出かけている私ですが、今日は工房に出入りしている若いスタッフ2人を連れて東京の美術館2ヶ所を回ってきました。工房スタッフのうちの一人は多摩美術大学でグラフィックデザインを学んでいるため、イラストレーションの展覧会には興味関心があるはずと思って誘いました。もう一人は文学に長けた子で、とりわけ竹久夢二に関心を寄せています。2人とも女性ですが、私の個展の搬入搬出を手伝ってくれた心強い仲間でもあるのです。最初に訪れた美術館は白金台にある東京都庭園美術館で、アールヌーボー・アールデコ様式で建てられたユニークな美術館です。建物自体が国の重要文化財になっていて、それだけでも充分楽しめる空間です。ここで開催していたのが「竹久夢二展」でイラストレーターとしても画家としても大正ロマンを代表する作家です。美術館内部の装飾と展示された作品の数々が、時に融合し、時に対峙して面白い反応を齎してくれていると感じました。詳しい感想は後日に回したいと思います。次に訪れたのは東京駅ステーションギャラリーで、ここも駅舎の構造を露わにした煉瓦壁の展示室があって、建物自体に独特な趣があります。展示されていたのはベルギーのイラストレーターである「ジャン=ミッシェル・フォロン」で、その個性的な作風は私の若い頃に美術雑誌等で紹介されて、瀟洒で軽快な世界に惹かれていました。竹久夢二の世界に比べると、フォロンに乾いた空気を感じるのは私だけでしょうか。この雰囲気は私とは真逆な世界観で、真似のできない描写に羨ましさを感じていました。竹久夢二もそうですが、フォロンも一目見ただけで、その作家が分かるのは、凄いことではないかと私は思っています。他に類を見ない個性がそこにあるわけで、その世界観を構築できただけで作家冥利に尽きると言っても過言ではありません。本展でフォロンは政治色の強い社会的な作品もあることを認識しました。「ジャン=ミッシェル・フォロン展」の詳しい感想も後日に回したいと思います。今日の2つの展覧会を若い2人はどう見たでしょうか。私は充実した美術館鑑賞が出来たと満足しています。