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  • 週末 梅雨前線の活発化
    週末になりました。昨晩から関東地方は豪雨に見舞われていて、夜中に警戒警報が鳴りました。土砂災害に纏わる避難勧告が出されていましたが、私が住んでいる地域は周囲に河川が少ないため、大きな被害にはならなかったようです。梅雨前線の活発化の齎す影響ですが、最近はそうしたことも珍しくありません。夕方のテレビ報道で静岡県の熱海に土砂災害があり、土石流が民家を襲っている場面が映し出されていました。今日も一日中雨が降り続いていました。先月のRECORDのテーマにしていた「流転の因」を見るようですが、なかなか情景をリアルに捉えきれないテーマではありました。今日は2人の学生が工房に来ていました。ひとりはいつもやって来ている美大受験生で、もうひとりは美大でグラフィックデザインを専攻する学生です。美大生は大学で出されている課題をやりに工房に来ていました。扱う素材によっては自宅の自分の部屋で制作することが難しいものがあります。そうしたことで彼女は工房を利用しているのです。この2人は明日もやってくる予定です。私はこの1週間は梱包用木箱の製作と来年に向けた新作の陶彫制作に費やしていました。私は毎日工房に来ているので、一日のルーティンが決まっていて、週末になってもそれに従って行動しています。唯一ウィークディと違うのは、週末になると若い学生が工房に顔を出すことです。彼女たちがそれぞれ作業台を使うので、週末に限って私は陶彫制作だけをやっています。これは作業台の関係でこうしているのですが、実は他にも影響があります。工房に他人がいて制作時間を共有しているということは、ある程度自分を縛ることになり、制作のペースアップに繋がっていきます。前にもNOTE(ブログ)に書いた社会的促進と言うもので、お互いが好影響を及ぼしている結果となり、歓迎すべきことです。雨が降り続く中、工房では張り詰めた空気が漂っていました。雨は明日には上がるのでしょうか。夕方になって彼女たちを車でそれぞれの家まで送っていきました。
    個展案内状の宛名印刷
    今月の19日から始まる私の16回目の個展。今年も東京銀座のギャラリーせいほうで開催します。先日、案内状が1500部出来上がってきたので、ギャラリーには1000部持参しました。私からは私の友人や知人に案内状を郵送する予定ですが、その宛名印刷を今日から始めました。月曜日には郵送が完了するつもりですが、案内状が届かない方々のために、このホームページでも広報していきます。昨年は新型コロナウイルスが猛威をふるっていたため、個展には誰も来てくれないだろうと思っていて、虚しさの中で案内状を出した記憶があります。今年もコロナ渦は変わっていませんが、ワクチン接種も進んでいることから、昨年よりは個展会場に足を運んでいただける方がいらっしゃるのではないかと淡い期待を込めています。何しろ個展期間は東京オリンピック・パラリンピックの開会式に当たっているため、カレンダーの休日が移動して、連休になっていることがあり、連休中もギャラリーは営業をしているからです。私は昨年までとは違い、校長職を退職しているので、ほとんど毎日ギャラリーにいることが出来ます。案内状の開催時間のことで今年変えた部分があり、最終日を30分早く切り上げ、搬出時間を確保したことです。掲載している地図も店舗等が変わっていることがあり、今年の状況にいたしました。裏面の案内状の画像には毎年気を使っていて、インパクトのある画像を選んでいます。今年は「発掘~盤景~」の上部から撮影したものを採用しました。案内状の画像は重要で、まさに今年の作品の顔になります。円形土台に陶彫部品が点在する「発掘~盤景~」は、ほぼ1年間をかけて制作した私の代表作です。直径は4メートル以上あるため、ギャラリーの床いっぱいに広がる作品になります。そのうち図録も出来上がってきます。いよいよ個展が近づいてきたという実感が湧いてきました。
    16回目の個展開催の7月
    7月になりました。昨年のNOTE(ブログ)を見ていると「15回目の個展開催の7月」というタイトルが7月1日にありました。昨年に倣って今年はタイトルを16回目に変えました。昨年、私はまだ校長職にあって、しかも新型コロナウイルスの猛威もあり、学校運営も個展も厳しい状況の中でやっていました。昨年の個展は人が来てくれない中で決行した個展でしたが、今年はどうでしょうか。延期になった東京オリンピック・パラリンピックは私の個展開催中に開会式を迎えます。コロナ渦は相変わらずですが、私を含めた大勢の人々の気持ちに慣れが生じて、人流は昔に戻っています。ただ、外国人観光客が少ない分、銀座は落ち着いた街になっているようにも思えます。さて、今月は私にとって創作活動のターニングポイントで、個展によって過去を振りかえり、未来を模索する1ヶ月になるのです。私にとって年末年始より、この7月が気持ちを改める時でもあります。しかも二足の草鞋生活ではなくなった初めての個展期間になるので、私は毎日ギャラリーに行くことが可能です。個展が終わっても、自ら感じた課題を翌日から創作活動に生かすことも出来ます。もう既に私には週末という意識がなくなっているので、きっと夏季休暇という意識もなくなっていくでしょう。夏は季節の変化だけで夏を感じるのであって、今までのような特別なものではないのです。そんな7月をどう過ごしていくのか、私なりに考えながらやっていこうと思っています。とりあえず今月は来年に向けた新作に弾みをつけます。制作は既に始まっていますが、イメージの具現化をさらに推し進めます。RECORDにも力を入れます。下書きが山積みされている現状を何とか挽回しようと思っています。読書も継続しますが、私は学生時代から夏に読書を貪る癖があり、それは大いにやっていこうと思います。今月の中旬に私はコロナワクチンの2回目の接種を終えるので、美術館や映画館にも出かけていこうと思っています。7月が充実できるように頑張っていきます。
    飛躍の6月を振り返る
    今日で6月が終わります。今月は7月個展のために図録を作成し、案内状も自宅に届きました。個展に出品する作品の梱包を始めていて、現在は陶彫部品を収納する木箱の製作に追われています。木材を調達しながら木箱を作っているので、意外に時間がかかっています。それと同時に来年発表をする作品に取り掛かりました。飛躍の6月とタイトルに書いたのは、新作に向けた意気込みがあって、充実した1ヶ月が過ごせたからです。新作はここからスタートして来年の図録用の撮影日まで続くのです。来年の新作のイメージは随分前から湧きあがってきていて、全体枠に定まらない石庭空間のようなものが漠然と見えています。個展には毎年大きな作品と中くらいの作品を出品していますが、来年に向けた作品はどちらも同じコンセプトで作る予定で、大中統一した作品になる予定です。今月も毎日工房に通いました。校長職にあった時のようなしっかりした制作計画を立てることはなく、毎朝とりあえず工房に行って作業を始めているような生活になっています。週末毎の制作から毎日の制作へ変わるということは、こんなところにも現れています。加えて公務員を退職してから自分のことだけを考えていられる生活に幸福を感じています。鑑賞も今月は充実していました。「モンドリアン展」(SOMPO美術館)、「イサム・ノグチ 発見の道」展(東京都美術館)、「柳原義達展」、「川瀬巴水展」(両方とも平塚市美術館)、「国宝 鳥獣戯画のすべて」展(東京国立博物館)と訪れた場所を列挙すると、ネットで予約を必要とする展覧会が多く、これからの美術館等の入場のあり方を示していると言えそうです。今月は映画館に行くことは控えてしまいました。コロナ渦で感染者数が日々発表される状況では、映画館や劇場に行くことに消極的になってしまいます。今月は新型コロナウイルス・ワクチン接種を東京大手町の大規模接種センターでやってきました。2回目は来月中旬に予定しています。接種をしたからと言って新型コロナウイルスが治癒するわけではないので、感染予防はやっていかざるを得ません。気温が上昇してマスクが辛い生活になっていますが、この処置は来月も続きそうです。日々制作するRECORDは、どうしても悪癖から抜け出せず、今だに下書きが先行してしまい反省するところです。読書はゴーギャンの彫刻に纏わる書籍が面白くて、よくNOTE(ブログ)に取り上げています。もうすぐ読み終わりそうで、来月はこれに代わる書籍を考えます。
    「 《オヴィリ》1・2」について
    「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第5章 タヒチ滞在(1891~1893年)とパリ帰還(1893~1895年)」の「3 《オヴィリ》1」と「4《オヴィリ》2」をまとめます。ここで漸くゴーギャンの彫刻の代表作である「オヴィリ」が登場します。「炻器による彫像《オヴィリ》は、ゴーギャンが自らの墓に置いてほしいと望んだ彼の畢生の大作であるとともに、この芸術家独自の陶製彫刻として究極の作品である。また、19世紀末の象徴主義と20世紀前半を席巻したプリミティヴィスムの特質を併せもち、曖昧で多義的な謎めいた意味を喚起しながら、オセアニアやアフリカ彫刻のように呪術的な眼差しをもっているのである。」さらに作品の詳しい説明が書かれた部分を引用します。「背面の裂け目は、日本の焼き物において珍重される偶然の効果による割れ目を模したものかもしれない。けれどもゴーギャンは、それを彫刻の一要素に変換する。開口部を開きながら、彼は意図的に中空の内部を見せ、それが陶器であることを示すのである。おそらくここに多=分野性を旨とするゴーギャンの陶製彫刻の最大の特質があるのである。『中空の彫刻』は、陶芸であることに基づく必然的結果であったが、ヴォリュームをもたない身体表現の実現によって、彫刻は中空の空間を覆う表面の上で展開するものとなり、三次元性のイリュージョンに頼らない自律的彫刻が生み出されたのである。」作品の彫刻史上の位置として書かれた箇所を引用します。「《オヴィリ》は、オセアニアとボロブドゥールの要素を採り入れた人体表現の創造という点で、西洋彫刻史において初めて、ギリシャ彫刻の伝統の桎梏から解き放たれた人体彫刻なのである。~略~かくして《オヴィリ》においてゴーギャンは、ロマン主義の浮彫の手法を採り入れた立像形式を用いて、プリミティヴな彫刻に倣った正面によって自律性を獲得しつつ、斬新な空間の観念を提示したモダンな彫刻を実現したのである。」文中にあったボロブドゥールの遺跡はインドネシアにあり、私は過去に一度訪れています。仏教思想の巨大な遺跡で、その周囲にあった浮彫は今も記憶にあります。「オヴィリ」の図版を見ていると、ボロブドゥールの遺跡から受けた啓示があるのかなぁと思います。ゴーギャンはボロブドゥールの遺跡を書籍で知ったはずですが、自らの表現に採り入れたのだろうと思います。私もエーゲ海沿岸の古代都市からイメージを膨らませましたが、自己表現を求めるためには洋の東西を問わず、自らの思索や感覚に従って素直に採り入れていくことは、私も身をもって体験しています。