2026.06.07 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。壁に掛ける作品には、それぞれ絵の具によるサインをして完成としましたが、陶彫作品に私は落款をつけて完成としています。落款は落成款識の略語で、ネットで調べると「落成」は作品の完成、「款識」は署名・捺印を意味するようです。陶面には印は押せず、私は和紙に印を押し、それを切り取って、陶彫部品の裏側など隠れてしまう箇所に貼り付けています。陶彫による大きな作品は集合彫刻にしているので、印には番号を付けています。組み立てが誰にでも分かるようにしてあるのです。印は新作ごとに新しく作ります。昨晩新しい印材を取り出し、印面にデザインをしました。今日は工房で印面を彫っていました。印には陽刻(朱文)と陰刻(白文)があり、その混合でデザインをする場合もあります。私のデザインは篆刻のような拘りがあるわけではなく、かなり自由に作っています。時にはアルファベットも組み入れることもあり、小さな抽象絵画のような扱いにしているのです。今回は「相原裕印」と4文字にして、すべて陽刻で彫ることにしました。4文字の方がバランスが良いのです。一見すると線を駆使した絵画のように見えるというのが私の狙いで、小宇宙としての構成的な楽しみがあります。印は作品に隠れてしまうのですが、それでも私は全力で作ります。そのうち陰に隠れている印だけで展覧会ができるといいと思っています。私は書家ではないので、文字の巧拙は考えておらず、全体構成が面白ければ良しとしています。毎年この印を彫り始めた時が作品が完成した時なので、今年も個展が出来るなぁと安堵しているわけです。陶による小品は「陶紋」というタイトルの連作なので、印は昔彫ったものを使います。
2026.06.06 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。先週の土曜日には「彩色&写実絵画展へ」というタイトルをつけて週の振り返りを行ないましたが、先週は日本人画家「牧野邦夫」による写実絵画展、今週はアメリカ人画家「アンドリュー・ワイエス」による写実絵画展に行きました。日米どちらも写実絵画で表現された世界観に画家の人生そのものを投影した精神性の高さを感じ、その背景に私は思いを巡らせました。2週間にわたって卓抜した写実絵画を味わえて、私の鑑賞意欲は満たされましたが、ただ私が現在作っている作品は写実ではありません。その壁に掛ける「炭景」4点は、愈々今週完成を迎えました。これは昨年個展で発表した「痕跡」2点に繋がる作品で、私としては新しい試みになります。もう少し画面全体を整理すれば良かったかなぁと今さら思いますが、現在の私の内面吐露と考えれば、これはこれで良いのではないかと思います。鑑賞された方がどう受け取るか、色彩の氾濫を板材に施した幾何形体によって制御していると言うのが、完成直後の作者のありのままの素直な感想ですが、こういう作品は見た鑑賞者に全てを託すので、どんな感想が返ってくるのか、楽しみな面もあります。写実絵画と違って説明のつかないイメージの具現化があり、私自身もモヤモヤしたなかで、カタチを探りました。抽象作品はある程度完成された想定ありきで制作を進めていくのが定番ですが、私の場合は制作途中で立ち止まることが暫しあって、当初のイメージを思い出し、もう一度軌道修正することもあります。その場合は造形的な主張が揺るがないようにすることが肝心です。写実的な説明がないからこそ、主張がストレートに鑑賞者に届くというのが私の持論です。今週で陶彫による集合彫刻も、壁に掛ける平面性の強い作品も、さらに陶彫による小品4点も終わったので、明日からその作品たちを展示するための細かな作業に入ります。まず新作に貼る印を作り、陶彫部品の隠れた箇所に貼る作業があります。新しく作る図録のデザインやレイアウトも考えていこうと思います。撮影まであと1週間、気を抜かずにやっていこうと思います。
2026.06.05 Friday
昨日、東京上野にある東京都美術館で開催中の「アンドリュー・ワイエス展」に行ってきました。アメリカ写実絵画の代表格であるワイエスは、過去に何度か展覧会を見て、私はその空漠として静謐な風景に魅了されてきた一人と言えます。本展で代表作はなかったものの、巧みな水彩技法を駆使した作品は、ワイエスの精神性を物語る情景を描いたものが多く、作家本人の成育歴等を知りたくなりました。図録によると「ワイエスは幼少期、虚弱であったため、小学校入学後まもなく通学できなくなり、家庭教師がつけられた。彼は『子どもの頃、他の子どもたちは皆学校に行っていたが、私はトウモロコシ畑や森を歩き回ることで教えられたのだ』と語っている。では、彼はいったい何を学んだのだろうか。精神医学者アンソニー・ストーは、『想像の世界に入り、孤独の体験を楽しんでいるような子どもは、豊かな可能性を秘めた創造性を発達させる』と述べている。~略~(有名な挿絵画家だった)父の突然の死は、彼が生きている間に精神的な自立を果たす機会を奪い、その影を生涯にわたって心の奥底に落とすこととなった。その結果、ワイエスの作品には、より厳しく真摯で、ときに思索的な雰囲気が漂うようになり、絵画表現にもいっそうの深みが感じられるようになっていった。~略~ワイエスは、生と死を対立するものとしてではなく、感覚的に連続したものとして捉えていたのではないだろうか。父の死、自身の臨死体験、そしてオルソン姉弟の死といった出来事が、彼に生と死に対する深い洞察を与え、それらを受け入れながら制作に反映させてきたのである。そして、ワイエスの死生観や作品から感じられる無常感は、自然との関わりのなかで育まれてきた、日本人の無常感や死生観、すなわち人間も自然の大きな循環の一部であるという感覚とも通じている。」(高橋秀治著)とありました。本展に出品された作品は窓や扉を描いたものが多く、全体のキーワードを「境界」と定めています。内なる世界と外の世界に何か物語を感じてしまうのは、観賞する私たちがそれぞれ持っている記憶から呼び覚まされる情景であるのは確かです。それだけでもワイエスの世界観は単純な写実とは違う要素が入り込んでいると私は思っていました。
2026.06.04 Thursday
今日は用事が重なり多忙感がありました。まず朝は工房に出かけ、「炭景」の仕上げを行ないました。これで「炭景」4点は完成しました。午前11時に車をディーラーに持ち込んで車検をお願いしてきました。私の車はミツオカですが、そのベースカーが日産なので、いつも自宅近くの日産の販売店に持っていくのです。今日は家内も一緒に整備士の話を聞いていました。車は人の命を預かる重要な道具なので、整備だけはしっかりやっておこうと私は思っています。今日はその足で東京銀座まで出かけ、来月個展を開催する「うしお画廊」でオーナーの牛尾さんに会ってきました。細かい打合せが必要になったので、私からの質問に答えてもらいながら、私自身は個展へ向けて気持ちを上げていきました。内容としては、今月13日(土)にカメラマンを呼んで個展用図録や案内状の撮影をするので、その前に画廊から出す案内状の枚数やら壁掛けの展示方法、彫刻小品の台座の数などを確認しました。「うしお画廊」は今の画廊になって開廊10年を迎えたそうですが、旧「みゆき画廊」であり、その歴史は相当古いようです。画廊の空間に身を置くと、私には心機一転という気持ちが湧いてきます。私の作品は空間演出を取り入れているので、まず空間ありきで考えています。今回の個展が私の再出発になることを願っていて、またそこで醸し出される雰囲気がどうなるのか、楽しみになりました。打合せ後、家内と上野に移動し、東京都美術館で開催している「アンドリュー・ワイエス展」を見てきました。アメリカの画家ワイエスは、嘗て東京で展覧会を開催していて私はそれを見に行っています。その時は大変な混雑ぶりで、なかなか絵の前に行くことが出来ずに鑑賞の消化不良を起こしました。日本人に人気のある画家であることは間違いなく、今回も平日でありながら人で溢れていました。詳しい感想は後日改めます。
2026.06.03 Wednesday
「キリスト教美術をたのしむ」(金沢百枝著 新潮社)の「殺人、箱舟、バベルの塔」は7つの単元から成っています。今回は〔15ノアの箱舟と大洪水 Ⅰ〕から〔18バベルの塔〕までを扱います。まず〔15ノアの箱舟と大洪水 Ⅰ〕。「地上に人が増えはじめると、人間は『悪いことばかり考えるように』なりました。それをご覧になった神さまは、人を造ったことを後悔し、大洪水を起こして世界を一新することに決めました。~略~しかし、堕落した世にたったひとり、御心にかなう人物がいました。セトの子孫で、アダムから数えて10代目のノアです。~略~神さまはノアに箱舟を造るよう命じ、ノアの3人の息子とその妻、そして地上のすべての動物の雄雌が、大洪水を生き延びられるよう計らいました。」次に〔16ノアの箱舟と大洪水 Ⅱ〕。「ノアの大洪水の神話的起源はバビロニア神話にあるとされています。『創世記』を書いた人々がバビロニアに強制移住させられたのが紀元前6世紀頃ですから、遅くともその頃から影響はあるのでしょう。聖書では箱舟は直方体ですが、バビロニアの洪水伝説を記す『ギルガメッシュ叙事詩』では、箱舟を立方体としています。」次に〔17ノアの箱舟と大洪水 Ⅲ〕。「神さまは天地創造の2日目、『水の中に大空あれ。水と水を分けよ』と命じました。世界を覆っていた深い淵の水を上下に分けたのです。大空の上には『上の水』、残った地上の水(海とその奥底にある深淵)を『下の水』と呼びました。大空(覆い)には『天の窓』があり、それらを開くと雨(上の水)が降る。他方、深淵の源が開くと、海の水(下の水)が溢れます。大空(シェルタリング・スカイ)の上が天国。海の果てにある『永遠の山』が、この宇宙の外壁です。太陽も月も、雹や雪も、出番がないときは、『永遠の山』の穴倉にひそんでいます。」次は〔18バベルの塔〕。「『バベル』とは『神の門』の意で、バビロンのことです。紀元前6世紀のバビロンには90メートルにも達する高い塔があったと、近年の発掘調査で明らかになりました。~略~この物語のポイントはふたつあります。ひとつめは、『全地に散らされることのないように』とあるとおり、人間たちが集結することで力を有し、神の意のままにならない存在になろうとしたこと。ふたつめは、言語の混乱です。ひとつの言葉しかなかった彼らの傲慢を戒めるために、神は言葉を多言語化し、それによってバベルの塔の建設計画は瓦解しました。」今回はここまでにします。