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  • 6月で個展準備が整う
    6月の最終日になりました。6月はどんな1ヶ月だったのかを振り返ってみたいと思います。例年なら6月は梅雨の季節ですが、果たして梅雨はどこにいってしまったのか、毎日猛暑の記録が更新される事態に辟易しています。日本の一部を除いて35度を越える異常気象に、身体がついていけない状況です。とりわけ空調設備のない工房での作業は、長く続けることが出来ません。幸い作品はほとんど出来上がっている状態なので、補填作業でほぼ満足のいく完成度に達することが出来ました。今月は来月の個展搬入に向けての梱包作業に追われました。シートにエアキャップを貼り付けて梱包する厚板材や、木箱を作って収納する陶彫部品まで、何とか全部を納めて個展準備が整うことになりました。教職を退職し、創作活動一本になったため例年より早く準備が出来たことになります。同時に来年発表する陶彫作品の窯入れも行い、今年7月に発表する作品と来年発表予定の作品が併存しています。こうしたことで創作の源泉が未来永劫繋がっていっているような気持ちになれたのは、創作活動一本になったことが要因と考えます。焦らず、休まずというのが私の座右の銘ですが、着実に歩みを進められることが私にとって嬉しいと感じる瞬間なのです。今月の美術館鑑賞は「牧歌礼賛/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児」展(東京ステーションギャラリー)、「ピカソ展」(パナソニック汐留美術館)、「清水九兵衛/六兵衛」展(千葉市美術館)、「ボテロ展」(Bunkamuraザ・ミュージアム)の4つの展覧会に行き、映画鑑賞では「シン・ウルトラマン」(TOHOシネマズららぽーと鴨居)に行って来ました。空想特撮映画では、子どもの頃から親しんだ世界に再び触れることができて、大いに楽しめました。今月の鑑賞は充実していました。一日1点制作のRECORDはなかなか進まず苦戦しています。実はRECORDは、来年発表予定の陶彫作品と関連するところがあるので、来月になれば勢いが出てくるのではないかと思っています。読書は美学に関する書籍をいまだにじっくり読んでいるところです。
    17回目の宛名印刷
    今日は個展案内状の宛名印刷を行ないました。案内状はギャラリーせいほうに1000枚、私の手元に500枚あって、私の友人知人には手元にある500枚から印刷をしています。この名簿は私自身の年賀状にも使っていて、私の友人、家内の友人、以前勤めていた職場の人たちにも送っています。名簿の中には住所変更をして送ることが出来ない人がいて、昨年の状況を見て、ギャラリーの方に返送された人たちは名簿から削除せざるを得ません。案内状が届かない人たちのために、ホームページの扉に案内状の画像をアップしています。今年は新型コロナウイルス感染症がやや落ち着いた感じがあるので、今まで躊躇していた方々にも東京銀座へ足を運んでいただけるかなぁと思っていますが、いかがでしょうか。個展も今年で17回目を迎えました。宛名印刷も17回もやっていて、その都度多少名簿の氏名が入れ替わっていますが、毎年300人近い人たちにお知らせをしています。案内状の効果は、私の現在地点を示すものとして、私は今もこんな活動をしているということをアピールする役目もあるのです。再度情報を文章でお知らせいたします。個展の期間は2022年7月18日(月・海の日)から23日(土)までで、11:00~18:30ですが、最終日は搬出作業があるため18:00までとさせていただいています。場所はギャラリーせいほうで、住所は東京都中央区銀座8-10-7です。ギャラリーは1階にあり、通りに面したところはガラス張りになっていますので、見つけるのはそれほど難しくないのではないかと考えています。私は昨年から創作活動一本になったので、期間中はできるだけギャラリーにいるつもりです。ご高覧いただけると幸いです。
    「浪漫主義と日本」のまとめ②
    「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の「3 浪漫主義と日本」を前後半に分けてまとめます。今回はその後半部分ですが、日本浪漫派と称される人たちの考え方を中心に据えています。「ロマン主義をめぐる論議で、岡倉天心に次ぐロマン主義の日本的変容というべきものが、昭和十年三月にその機関誌を創刊した、『コギト』の同人、保田與重郎、神保光太郎、亀井勝一郎らによる『日本浪漫派』の運動ではないだろうか。~略~彼らの理論は、そこから学んだドイツ・ロマン派の思想を日本的精神の風土に移植し、これをもって『前代未だ知らざる切迫の極点に形成され、而して未だ多く常に先代の糟粕を嘗めて去就に迷う』、文学を志す青年たちの新たな指標としようとしたものである。」その中にこんな文章がありました。「日本浪漫派は、今日僕らの『時代青春』の歌である。僕ら専ら青春の歌の高き調べ以外を拒み、昨日の習俗を案ぜず、明日の真諦をめざして滞らぬ。わが時代の青春!この浪漫的なものの今日の充満を心情に於て捉え得るものの友情である。芸術人の天賦を真に意識し、現状反抗を強いられし者の集いである。日本浪漫派はここに自体が一つのイロニーである。」あたかも青春賛歌のような気炎のある展開が想像されますが、迫る時代の風潮によって日本浪漫派は、そもそもマルクス主義からの転向やプロレタリア文学の挫折から生じたものなので、ファシズムへ傾倒していくことになりました。「問題はこうしたドイツ・ロマン主義美学によって理論武装した『日本浪漫派』が、その後次第に対外戦争が激化していくなかで、その多くがファシズムと一体化した、いわゆる『日本主義』イデオロギーへとのめり込んでいったことである。同じくロマン主義が国策に利用されるという、やりきれない事態が、ちょうど合わせ鏡のように、本家本元の同盟国ドイツにも出来している。時代と国境を越えてしばしば発生するこの現象は、もともと民族主義に根ざしたロマン主義の宿痾のようなものである。」今回はここまでにします。
    「浪漫主義と日本」のまとめ①
    「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の「3 浪漫主義と日本」を前後半に分けてまとめます。浪漫主義と聞くと私には不思議な感慨が込み上げてきます。「日本の近代において、西欧から写実主義、自然主義、印象主義、表現主義などのさまざまなイズムが流入してきた中で『浪漫主義』あるいは『ロマン主義』は、その音訳がそのまま日本語に定着してしまった唯一のものではないだろうか。」私にはセンチメンタルなイメージが付き纏う浪漫主義でしたが、それは与謝野鉄幹曰く「自我独創の詩」を楽しもうとする姿勢があることに尽きるようです。「『文学界』が創刊された頃には、すでに若い世代の意識は一変していた。それまではほとんど知られることのなかった西欧の文学が堰を切ったように、一時にどっと流れ込んで来たのである。しかもダンテも、シェイクスピアも、ゲーテも、バイロンも、ハイネも、それこそさまざまな時代とさまざまな国の文学が後先の関係なしに、一挙に入ってきたのである。その混沌とした状況の中で、これら西欧の文学を貫くキーワードが模索され始める。そしてそこから漠然と見えてきたのが、芸術創造の原理としての『自我』の理念だったのではなかろうか。」浪漫主義文学はこの理念をわがものにしようとして近代化を図ったように思われます。「フランスのロマン主義は、ドイツのロマン主義を誤解するところから始まったというが、日本の浪漫主義は、ロマン主義とは何かをはっきり見定めないまま、いわば見切り発車的に始まってしまったように見える。そもそもの発端においてすら、どのような抵抗物があったのかも判然としないのである。~略~そうした中で、西欧のロマン主義の論理を、確信犯的にわがものにしてしまった思想家がいた。それが岡倉天心である。~略~天心の思想は、かつての西欧的近代の一元的支配から脱却した、多元的な文化の並存という状況において今まさに求められている、アジア的あるいは日本的文化のアイデンティティについての最初の真摯な反省であり、その先駆的主張として、再検討あるいは再評価されなければならないのではなかろうか。」今回はここまでにします。
    週末 酷暑の中の工房
    まだ6月というのに大変な暑さに見舞われている毎日です。横浜でも30度以上の気温があり、空調設備のない工房での作業はなかなか厳しいものがあります。大型扇風機を出してきましたが、多少暑さが凌げる程度で、ここに長く留まっていると体調を崩しそうになります。今日は後輩の木彫家と美大生が工房にやってきて、それぞれ課題に立ち向かっていました。私を含めて3人で作業をやっていると仕事はそれなりに進みます。私は梱包用の木箱作りの追加分をやっていて、創作活動とは異なり、ややもすると意欲は低下していきました。工房には小さな冷蔵庫があり、水分を冷やしておくのには都合の良い電化製品です。冷やした水分を取るだけでも熱中症を免れるのではないかと思います。こうした暑さの中で作業をしていると、私の記憶は忽ち若い頃に戻り、夏休みの間中、あの当時は空調設備のなかった美術室で、汗を掻きながら彫刻を追い求めていた時代に遡ってしまいます。私の集合彫刻は夏の暑さの中で培われてきました。彫刻の動機となるイメージは乾燥した西欧の土地から育まれたものだとしても、陶土を使うようになってから湿潤な日本の気候風土による仕事に取って変わりました。私のやきものによる彫刻は日本そのものなのです。彫刻の立体性や空間性は西欧から得たものでも、日本の詩情に融和して紡ぎ出した私的造形だろうと思っています。酷暑の中の工房で、ぼぅと頭を過ぎった記憶、それは過去からの蓄積であり、今後どうしていくかを方向づけていく道標なのかもしれません。