Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 架空都市再び…
    日曜日になりました。週末は創作活動について書いていきます。このところ新作について考えを巡らせていて、今日も新しい陶彫作品を作っていました。今年の7月個展まで2年がかりで、日付のある陶彫立方体に取り組んでいて、漸くそこから解放された現在は、さて、これからどういう方向に作品を展開していこうか、毎日そのことばかりが頭を擡げてくるのです。私が現在の陶彫による作品を作ったのは「発掘~鳥瞰~」で、ギャラリーせいほうでの発表は2006年からですが、この作品はそのずっと前に出来上がっていて、おそらく30年近く前には陶彫による作品が幾つか完成していました。最初の頃の個展は、今のような制作体制が自転車操業ではなく、完成品の貯蓄があり、その中から選んで個展での発表にしていました。以来、私の作品は発掘された出土品のような雰囲気を纏い、大地に埋もれていた都市空間を想定していました。実際に私は発掘現場に出かけていってイメージを膨らませたのでしたが、考古学者の叔父のように、そこから可能な限り正確な土木技術や古代の人々の生活ぶりを調査したわけではなく、そこに学術的興味を持ちながら、自分の内面で取捨選択を行なって、象徴性を極めていき、やがて作品化に繋がったのでした。つまり私の作品は、自分の内面で煮詰めていった架空都市に過ぎません。私のイメージの源泉はそこにあるため、新作ではもう一度スタート地点に立ち戻り、架空都市を再び作ってみようと思っています。そう考えると私の気持ちは不思議と安定してきます。ただし、今までのキャリアで既視感のある定番化した作品を作っても、自分としては納得できないので、新たな構造体を作ろうとしています。無理な形態を作っても陶彫の場合は罅割れが生じるので、現在使用している陶土でどこまで可能なのか、イメージと技巧が拮抗している状態が続いています。それは技巧が走りすぎる嫌いを是正する役目もあって、自分としては歓迎しています。まだ新作の窯入れは出来ていません。これからが勝負になるのかなぁと思っています。
    週末 パワフルな展覧会が印象的な1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。9月に入っても猛暑が続いていて、空調設備のない工房での作業は、真夏と時と同じように厳しく、それでも新作の陶彫制作は無理を承知でやっていました。暑さに身体は慣れてきたものの、流れる汗を拭いながら、制作を先へ進めるのはなかなか困難だなぁと思います。陶土は乾燥が早く、ビニールで包まずに暫し置いておくと固くなってしまいます。新作の全体構想は気候が涼しくなってからやろうと思っていて、今は部分に拘って作っています。今週は木曜日に家内と東京の美術館に出かけました。後輩の彫刻家が木彫を出品している二科展とその隣で開催していた企画展「田名網敬一 記憶の冒険」展を見てきましたが、グラフィックアーティスト田名網敬一のパワフルな世界観に圧倒されました。回顧展は作家本人が展示設計したものだったらしいのですが、回顧展が始まってすぐ他界した彼は、実際の回顧展を見ていないと会場に断り書きがありました。壁に三段掛けされた夥しい数のポスターやおどろおどろしい立体作品は、まさに色彩の氾濫で、毒気を含んだ表現に私は自分が侵食されてくるような感覚を持ちました。今週の一番インパクトのあった体験は、まさに「田名網敬一 記憶の冒険」展で、鑑賞者側の好き嫌いはあったにしても、作家冥利に尽きる内容の展覧会だったのではないかと私は思っています。私はパワフルな展覧会を見たことで、自分も猛暑の中であっても意欲をもって頑張ろうとしていました。今日は先日に続き、二科展に出品していた後輩が工房にやって来て、工房内の清掃を丁寧にやってくれました。私は汗まみれになりながら土練りを行ないました。今週も展覧会に刺激をもらって充実した1週間を過ごせたと思っています。
    六本木の「田名網敬一 記憶の冒険」展
    昨日、家内と東京六本木にある国立新美術館で開催されている二科展と、「田名網敬一 記憶の冒険」展に行ってきました。グラフィックアーティスト田名網敬一は若い頃からデザイン界で活躍していて、本展ではその膨大な作品数に圧倒されました。以前に回顧展をやっていたイラストレーター宇野亜喜良も同様で、自らの強烈な個性を出しながらも、時代が求めるものに応える力量に凄みさえ感じていました。田名網敬一はこの回顧展が始まると、すぐに他界してしまったために、命の終焉がくるまで制作に明け暮れていたのだろうと察します。享年88歳でしたが、爆発的造形力が枯れることもなく、生涯を駆け抜けたアーティストだったと言えます。生い立ちの背景を図録の文章から拾いました。「戦時中に空襲を経験し、爆撃による死者を目撃したこと、そして戦後一気に日本に入ってきたアメリカの大衆文化を浴びるように吸収したという両極端な経験は、長じてグラフィックアーティストとなった田名網の制作に決定的な影響を与えた。~略~同時にこの年代の制作群には、『性』にまつわるイメージも氾濫している。1960年代末に制作されたヌード絵画に始まり、ポルノ写真を使用した同時期のコラージュ、また田名網の手描きイラストを原画とするアニメ作品においてもかなり露骨な性的表現が見られる。~略~田名網の初期作品を論じるにあたって、『性』を避けて通ることはできない。それはしばしば戦闘機などのイメージと組み合わされることで、『戦争』という主題とも分かちがたく結びついているからだ。そもそもこの二つのテーマは、田名網にとって『恐怖』と『快楽』といった二項対立的な関係を構成していない。田名網は原風景として、祖父が巨大な水槽で養殖していた金魚が、空襲時に照明弾によって輝くばかりに照らし出された幻惑的な光景を挙げている。」(池上裕子著)ここで引用した文章は田名網ワールドの出発点に過ぎませんが、これが生涯を通して全てを語っているように思います。あの膨大なイメージはどこからきたのか、その後の交友関係もあり、同時代の芸術家同士がお互い刺激を求めながら制作に没頭し、その結果として今回の回顧展があると私は解釈しました。彼は制作を全てやり切ったと私は察しますが、本人はどうだったのでしょうか。
    東京の公募展&企画展巡り
    今日は工房の作業を休んで、家内と東京六本木にある国立新美術館で開催されている2つの展覧会を見て回りました。一つ目の展覧会は二科展で、私の工房を使って木彫を制作している後輩が出品しています。彼は二科会の会員になっていて、招待状をいただきました。二科展は大規模な公募団体で、見応えのある作品も少なくありません。後輩の長谷川聡さんは、デビューからずっと木彫をやっていて、以前には寄木造りで大きな作品をやっていましたが、今回は一木造りです。とは言っても大木を彫っているので、表現としては遜色がありません。一木造りは、大陸から仏教伝来に伴って、飛鳥時代から平安時代初期まで、この技法は仏像制作の本流でした。こうした木彫の長い伝統技法を踏まえて、現在でも同じように彼は木材を鑿で彫っていく方法を採っているのです。しかし、モチーフは現代を象徴するような非対象で、ボリューム同士を繋ぐ構造体が、彼の作品の見せ場だと思います。ボリューム各部分と相互の均衡でいかに緊張状態を作るのかが彼の求めている理想形で、それが作品成功の基準になるのだろうと私は考えています。モチーフが非対象であるならば、作品に空洞を作るのも自由で、寧ろ構造体を際立たせるために、彼は大小の穴を穿っているのです。構造体が簡潔であればあるほど、今後はどのように展開していくのか、現代彫刻が陥りやすい定番化をどうしていくかが課題です。ジャン・アルプのように形態に先んじてコトバ(思索)を探るか、デビット・ナッシュのように木材に手を加えずに主張を語らせるか、さまざまな方法論を探りながら、今後の展開を期待したいところです。さて、二つ目の展覧会は二科展の隣りで開催していた「田名網敬一 記憶の冒険」展に行ってきました。グラフィックアーティスト田名網敬一は、この回顧展開催後すぐに他界したそうで、享年88歳だったようです。若い頃から第一線で活躍していたので、そのサイケデリックな世界を私も学生時代から知っていました。しかも彼は母校の先輩で、「反芸術」を謳ったグループと行動していたようで、ダダイズムが元気だった時代に青春を送っていたことも分かりました。詳しい感想は後日改めます。今日は充実した一日を過ごしました。
    「建築、新しい形態と空間の追求」について➁
    「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅲ 現代抽象美学の形成 」の次の単元は「建築、新しい形態と空間の追求」で、テーマが大きいので分割して書いていますが、今回は後半です。今回はぺヴスネルとアルプ、2人の彫刻家に注目しました。「線と面との生みだす複雑さそのものにおいてさえ、ぺヴスネルの作品は最初からひとつの総体として構想されたものであり(ここには本来の意味での量はない。なぜなら、量とは、ここでは構造物の内面で移り変る空気と光のマッスだからだ)、そのため、かれの作品は、構想が芽生えた瞬間から、一種の宿命をになっている。それは生まれた瞬間から総体なのだ。芸術家はこれを最後的な創造にまで高めるため、デッサンにより、また特にしばしば模型によって、その各部分に手を加えていく。彫像がそれを閉じこめていた石や大理石の塊から切りだされてきたものによってつくられる具象的、伝統的な彫刻の場合とは逆に、ぺヴスネルの芸術にあっては、各部分は機械の部品のように組み合わされる。そして、作品の内的調和とその強い表現力が生まれるのも、まさにこうした部分部分の組合せからなのである。」次にアルプです。「ジャン・アルプが彫刻すると同時に詩を書いていたということは、けっしてなおざりにはできない事実である。かれにとっては、言語の問題こそすべてに先んじる問題であり、そのためかれは、つねに基本的な形態、形態の語彙の源泉にまで立ち帰ろうと努力しつづけた。それも、ブランクーシのように有限や無限のうちに定着された絶対を求めたのではなく、逆に、つねに動いているもの、変形の状態にあるもの、生成しつつあるもののうちに立ち帰ろうとしたのである。これこそ、アルプの好きなあの形態、あたかも感性や創造意志がじかに噴出する地点に立ち帰るように、きわめて自然にかれが立ち帰っていくあの形態が、胚種とか、発育しあるいは変様しつつある植物の組織とかに似ている理由である。」本単元は今回で終了です。