Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「超現実造型論」について➁

「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「超現実造型論」の後半部分の気を留めた箇所をピックアップしていきます。「サルバドール・ダリの出現とともに、超現実主義の領域にはひとつの未知な新要素、すなわち偏執狂的方法がもたらされた。~略~アンドレ・ブルトンがかつて『美は痙攣的である』といったのに対して、ダリは『美は可食的である』という定義を加えた。美は神性化された台座の上から引きずり降ろされて、人間の、あらゆる人間の手中に収められた。」ダリの登場でシュルリアリズムに偏執狂的要素が加わったのでした。本論の最後にブルトンのまとめがありました。「かつてヘーゲルによって規定された絵画・彫刻に対する詩の優位性は、現代ではすでに同等の位置に到達している。すなわち絵画は、その対象のもっとも広い範囲にまでヘーゲルの言うように精神生活のあらゆる諸力を意識にのぼすところに達したのだ。外部の世界に取られた諸形態を本質的に再現しようとする考えから解放された絵画は、いかなる芸術にとっても不可避な唯一の要素から出発して、精神に現存する影像の、内的な表現に近づくのである。この内的な表現を、現実の世界の具象的な諸形態のそれに対立せしめ、ついでピカソのように、対象をその全体性においてのみ把握する。自然を、意識の内的世界との関係においてしか考えない。…同じことは、彫刻ではジャコメッティやアルプによって実現されており、建築では、パリの大学都市のスイス館は合理主義者のル・コルビジュの作品であるが、最近その一室が、〈非合理的波状模様〉や顕微鏡的動物、小動物の細部の拡大写真などの壁画で飾ることに予定されたと伝えられていることは、かの野菜や甲殻類で飾られた、バルセロナの芸術の一形式(モダン・スタイル)の開花が、今やその復讐を用意しているのである。ーながい間、詩の特権であるとされていたものを、他のすべての芸術にも及ぼそうとする抗しがたい人間的欲求は、今日始めて明るみに出されたのであるが、それは今後、効用性という勝手な口実の強要する慣習的な抵抗に打ち克ってゆくであろう。」今日はここまでにします。