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新聞記事より「ものの表情を見る」
今日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「まあ、ものの表情をしげしげと見る時間も惜しいみたいな生活、というのは反省しなきゃいけないんじゃないかな  柚木沙弥郎」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「ものが発する声。それを聞き取る中で、ものへの愛着も深くなる。昔、ものを買った時には『一人の家族が自分の家に入った位の感覚』があったと染色家は言う。その背後には、食べ、働き、育て、泣き、衝突し、といったリアルな生活感の堆積があったはずで、それが消費社会の中でかき消されつつあると。『柚木沙弥郎作品集』から。」その文章を読んで、私が思い当たったのは、20代の頃、海外で暮らしていた時に、節約をしながら慎ましい生活をしていましたが、どうしても欲しいコーヒーミルを見つけ、何度も店舗に足を運び、思い切ってそれを購入した思い出です。海外では唯一の贅沢として、それでコーヒー豆を挽いていました。コーヒーミルは私の宝物で、その木製のカタチを眺めては楽しんでいました。当然日本へも持参してきましたが、日本では教職に就いたことで生活が多忙になり、コーヒー豆は店で挽いたものを購入するようになりました。同じ例は幾つもあり、現在の生活を顧みると、ものの愛着より時間短縮や効率化を求めてきたと自戒しています。仕事を退職して時間が出来た今でも、多忙だったころの名残があって、自分が納得して手に入れたものを無造作に扱っているのではないかと思っています。それでもネットで購入することは自分には抵抗があり、欲しいものは必ず手に取って眺めつつ、確認してから自分の所有として招き入れているのです。私より家内の方がドライなので、いつの間にかネットで購入したものが私の周囲に溢れています。利便性は自分も恩恵を受けているので否定する気はありませんが、今日のような新聞記事があると、つい目が留まってしまうこの頃です。