2026.07.12 Sunday
日曜日になりました。いつもなら創作活動に纏わることを書いていますが、昨日は1週間の振り返りを行なわず、別の話題にしてしまった関係で、今日先週の振り返りを行ないます。先週の創作活動では来年に向けて新作を作り始めていて、その第一歩となる陶彫部品の彫り込み加飾をやっていました。彫り込み加飾は、私の作品では重要な部分で、表面の陶土に凹凸をつけていくのです。旧作のほとんどが彫り込み加飾で覆っているため、基本となる形体は単純なものが多いのが私の作品の特徴です。新作も円筒の表面を僅かに削り取って、立体をより強調できるようにしました。最終工程で作品は窯に入れますが、厚みが部分的に変れば罅割れが生じてきます。その罅割れが起きないよう細心の注意を払って彫り込み加飾を施すのです。先週の鑑賞では東京の銀座のギャラリーを回ってきました。木曜日には「寿 直人の変な人…?」展(ギャラリーQ)へ行きました。同展に出品している竹中直人君は私の高校の同期生で、個性派俳優であり映画監督もやっています。軽妙なイラストを描いていて、毎回楽しませてもらっています。俳優としてシリアスな役からコミカルな役まで幅広く演じ分けられるプロのセンスがありますが、イラストを見ると、彼は奇妙な笑いの根底にペーソスが眠っているように思えてなりません。彼の笑いには苦さが付き纏うのです。役者と違って美術作品には本人の本性が現れます。ドギツイ部分もありますが、それが乾いた空気に包まれていると言ってもよいと思います。昨日の土曜日には母校の先輩にあたる女流画家が、うしお画廊で個展をやっているので顔を出してきました。彼女がやっているのは花と自画像を組み合わせた写実絵画です。全て点描表現でやっているので、かなり集中して描き上げた力作ばかりが並んでいました。午前中は陶彫制作をやっているので、東京の銀座には2回に分けて出かけました。また昨日の夜には久しぶりの懇親会があって話が弾みました。充実した1週間だったと振り返っています。
2026.07.11 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行なうところですが、今日は私が教職に就いていた頃の懐かしい人たちとの懇親会を持つ機会がありましたので、その話題にさせていただきます。学校全体ではなく、私のいた頃は学年組織の風通しをよくするために、学年ごとの懇親会をよく居酒屋を使ってやっていました。コロナ禍があったので、その時は一時的に絶えていましたが、おそらく今も教職員同士で集まって、そうした機会は持っていると察しています。年度当初や学期ごと、年度末になると一献酌み交わして、お互いの疲れを癒すのが懇親会の目的です。私は退職してから、そうした機会が無くなりました。ちょうどコロナ禍だったせいで、私の時は歓送迎会も無かったのでした。今日は私にとって久しぶりで、しかも25年前から「七夕会」という名称で当時の学年関係者が集まっている懇親会は、横浜では珍しいのではないかと思います。皆で記憶を辿りながら、あの人はどうしているか、この人はどうなったのか、知っている限りの情報交換を行いました。しかも退職している人が多いので、教職を退職すると、どんなことをやっているのか、いろいろ話を聞くことが出来ました。私のような彫刻家として個展を続けている存在は稀で、県外の実家に戻って畑を耕している人や私立保育園の園長をやっている人もいました。人生100年時代になると、退職後の人生が長くなって、もう一度何かを始めないと身体が老化してしまう現象を防ぐことができません。前のキャリアは捨て去って、新たな世界に身を投じる人が何人いるでしょうか。私は教職と併行して創作活動をやっていましたが、その頃は多忙を極めた二束の草鞋生活を無我夢中でやっていました。そのおかげで現在の私があると信じています。私の人生はこれからで、創作の道は延々と続いております。その到達地点が見えないのが、私に活力を齎す要因になっていると考えているのです。
2026.07.10 Friday
「キリスト教美術をたのしむ」(金沢百枝著 新潮社)を読み終えました。本書は「旧約聖書篇」とあって、私にとっては馴染みの薄い旧約聖書を紐解いてくれた書籍になりました。以前NOTE(ブログ)に書いたことがありますが、亡き哲学者の叔父が内村鑑三の影響下で「無教会主義」を提唱したキリスト教信者でしたが、これはプロテスタントでイエス・キリスト以降の新約聖書を元にした教えです。しかもカトリックのような儀礼や装飾があるわけではなく、それらを排除した神の精神性を重んじた教えであることは私にも理解出来ました。私の横浜の出身高校もミッション系でしたが、ここもプロテスタントでした。また20代の頃にウィーンに5年間いましたが、周囲にキリスト教信者が多くいても、とりたてて旧約聖書を学ぶ機会はありませんでした。余談ですが、旧約聖書に接する機会は米国製の特撮映画「十戒」や「ノアの箱舟」、「サムソンとデリラ」等で、宗教的知識というより娯楽性の強いエンターテイメントにありました。旧約聖書に描かれた世界は、誤解を恐れずに言えば寓話性があって、創作として見れば大変面白い世界があると私は思っています。キリスト教が成熟するまでの過程に、民族的な神話や伝承が数多くあり、その時代の預言者の卓越した考え方に民衆が従ってきた経緯があったことが本書で理解出来ました。ヨーロッパをはじめとする各地に残されている美術作品にもユニークなものが多く、旧約聖書の内容に合わせて、これら作品を訪ね歩くことは楽しいだろうなぁと思います。本書に図版が多かったのが、私の興味関心の対象になりました。学者であるならば、図像を読み解き、聖書の内容理解に努めるのは、本当に面白いだろうと察します。私自身の創作活動は宗教性、物語性を排除して、素材は素材であるという造形の原則に立ち返っていますが、鑑賞の対象としてキリスト教美術は、私の興味の大半を占めています。若い頃から西洋美術に触れてきた以上は、宗教美術は避けて通れない分野なのです。
2026.07.09 Thursday
今日は朝のうちに工房で陶彫制作を行ない、昼前に家内を誘って東京の銀座に出かけました。高校の同期生で俳優・映画監督をやっている竹中直人君からラインがきて、銀座1丁目のギャラリーQで、しりあがり寿さんと2人展をやっている情報を伝えてきました。「寿 直人の変な人…?」展は今年2回目で、昨年も同ギャラリーで開催していました。私は竹中君と高校時代に美大受験という同じ目標をもって、東京の美大受験用予備校に通い出した仲でした。竹中君は多摩美グラフィックデザイン科に入り、2人展を組んでいるしりあがり寿さんも同じ専攻科にいたようです。因みにギャラリーQの画廊主も彼らの先輩に当たる人であるのが、今日ギャラリーで話して知りました。竹中君は高校時代から身近な人の形態模写をやって、周囲の友達を笑わせていましたが、ピン芸人では終わらずに、地道な進路選択として劇団青年座に入り、演技をしっかり学んだようです。その卒業公演を私は見に行きましたが、悪役の演技が素晴らしかった記憶があります。彼は芸能界では常に注目される存在で、独特な個性を持つ俳優だけではなく、映画監督としても質の良い作品を世に送り出しています。その彼がイラストを描いて展覧会をするのは美大出身だけに自然な流れのように思われますが、そこでも彼の個性が際立っています。彼は役者根性があって、人の観察に長けているんだろうと私は勝手に想像しています。彼のイラストは人の風貌をペンで描いたものが多く、軽妙洒脱で何気なく笑いを誘うのです。そこにその人らしい台詞を書き込みますが、それもその人の性格を表していて、機知に富んだものになっています。その人々は彼の頭の中で想像した人々だろうと思いますが、あぁこんな人物がいるかもしれないと思わせるところが、彼の観察の成せる技なのです。私が今も彼と付き合えるのは、私も自己表現者で、教職に就きながら彫刻を続けられたからと思っています。お互い表現者として末永く頑張ろうというのが、彼との定例の挨拶です。彼の描く「ヘタうま」イラストは彼の若い頃に培ったデッサンに支えられたものです。それは演技と同じで基礎から積み上げた成果に他なりません。
2026.07.08 Wednesday
「キリスト教美術をたのしむ」(金沢百枝著 新潮社)の「義人と預言者、ヒロイン群像」は5つの単元から成っています。今回は〔35 ヨナⅠ〕から〔37 スザンナ、エステル、ユディト〕までの3単元を扱います。まず〔35 ヨナⅠ〕。「この大嵐は誰のせいか、船員たちは占うことにしました。籤を引くと、当てたのはヨナ。観念した彼は、みなに事情を説明し、こう続けます。『わたしの手足を捕らえて海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐があなたたちを見舞ったことは、わたしが知っている』。しかし船長はそうせず、船を陸に戻そうとみなで懸命に漕ぐのですが、海は荒れるいっぽうです。やむなく彼らがヨナを海へ放りこむと、海は静まりました。すると神が、大魚に命じてヨナを呑みこませます。ヨナは3日3晩、大魚の腹のなかですごしたあと、陸地に吐き戻されました。」次に〔36 ヨナⅡ〕。「キリスト教徒はヨナの物語を『救済』と『復活』の象徴としますが、ユダヤ教徒にとっては『悔悛』の物語です。神に逆らったヨナは大魚の腹中で改心したからこそ助かり、ニネベの町は王が冠を脱いで灰の上に座し、羊たちさえ断食したからこそ神罰をまぬがれた。」最後に〔37 スザンナ、エステル、ユディト〕。「長老たちの㚥計を信仰ゆえにまぬがれたスザンナは、獅子の穴から生還したダニエル、大魚に呑まれて助かったヨナとともに、神の救いを表します。キリスト教では『教会』や『聖母マリア』の象徴ともみなされ、その場合、長老は『異教』と『ユダヤ教』を意味します。~略~あるとき、ペルシャの宰相ハマンが王をそそのかし、ユダヤ人撲滅の勅書を出しました。老若男女を問わずユダヤ人を殺し、その財産を没収するという恐ろしい法令です。エステルは寵愛を武器に王に法令の撤回を請い願い、民族の危機を回避しました。~略~美女を前にしたホロフェルネスはぶどう酒を飲み過ぎ、寝台に酔いつぶれました。このときを待っていたユディト。ホロフェルネスの短剣を抜きとり、その髪を摑むと、『今こそ、わたしに力をお与えください』と神に祈りながら首を斬り落としました。~略~将軍亡きあとのアッシリア軍は怖じ気づいて敗走、ベトリアは救われました。」今回はここまでにします。