Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 積雪&土練りの一日
    久しぶりに横浜で雪が降りました。積雪は数センチということですが、慣れていない雪のために自家用車の運転は慎重になりました。今日は朝から工房に高校生が2人来ていました。彼女たちはまだ学校が冬休みのため、デッサンをやりに来ていたのですが、昼ごろになっても雪が止まず、結局家の近くまで2人を車で送り届けてきました。私は車を自宅に置いて工房に戻りました。工房では夕方まで作業をやっていました。以前、工房周辺があっという間に雪に覆われ、大変な思いをしたことが思い出されました。その時は家内が邦楽の演奏に出かけていて、楽器が2丁あったために私が歩いて駅まで迎えに行ったのでした。私の車はノーマルタイヤなので、雪の日には使えません。彫刻家の師匠の住んでいる長野県や先輩の画家がいる山形県に比べれば、横浜の状況なんてたいしたことがないのかもしれませんが、私にとっては大変な事態です。暫くは引き篭もり生活になるのかなぁと思っています。工房での作業もなかなか辛いものがありました。大型ストーブと言っても家庭用なので、その周辺しか温かくならず、時折手を温めながら土練りをやっていました。陶土は水を含むので手が悴んできます。この土練りが新作の追加分の最後になるだろうと思いながら頑張っていました。3時間ほど土練りをしてから自宅に戻りましたが、工房のある植木畑は真っ白な雪が降り積もり、幻想的な風景になっていました。自宅では身体が疲れて暫し動けないままでした。
    映画「呪術廻戦0」雑感
    今日は工房の作業の後、家内を誘って横浜市鴨居にある「TOHOシネマズららぽーと横浜」で「劇場版 呪術廻戦0」を観てきました。ここ数年、私はよく日本のアニメーション作品を映画館で観ています。最近では「鬼滅の刃 無限列車編」や「シン・エヴァンゲリオン」を観ました。日本のサブカルチャーであるアニメーションは、クオリティの高さからして世界に誇れる表現媒体であろうと思います。背景の丁寧な描き込みや人物のスピード感溢れる動きに、制作に関わっている人たちの大変な力量と努力が見られるからです。「劇場版 呪術廻戦0」も例外ではなく、思わず引き込まれていくドラマ仕立てになっていました。「呪術廻戦」のテレビ放映は工房に出入りしている美大生によって、私はその情報を知りました。まぁ、他のアニメーションも、私の場合は全て若い世代からの受け売りですが、本作はエンターティメントとしては申し分なく面白く楽しい物語になっていると感じました。荒筋としては、呪いを纏った少年の成長を描いたものですが、呪術高等専門学校の仲間によって、主人公が自己肯定感を持つに至った過程が、そのまま呪霊を掃うさまざまな場面になって現れています。上映時間105分の物語でしたが、緊張が緩むことがなく、スピード感にも緩急があって充分満足できました。日本古来の百鬼夜行が登場したり、古い木造の校舎があったり、また東京と京都の大都会が戦闘の舞台になっていたりして、どうやら海外へ向けた新旧和風文化の宣伝を意識しているのではないかと思われるところもありました。これは「鬼滅の刃」にも感じるところですが、日本の古き伝統の美しさを全面に出す手法が目立っているように思えます。それはそれで誇らしいと私は考えます。
    「ヴァイマルのバウハウス 工房教育」のまとめ②
    「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第三章 ヴァイマルのバウハウス その二 工房教育」の後半部分をまとめます。ここではバウハウスを世界的に有名にした存在感のある芸術家たちが招聘されて、所謂バウハウスらしい教育が始まる行程を書いています。予備課程での教育を一手に任されていたイッテンに対してシュレンマーが登場してきます。「イッテンが並外れた情念の持主であり表現主義的造形に走っていたのに対して、シュレンマーはつねに冷静な造形家であり、一種独自の幾何学的人間像を描いていることからして首肯されよう。」またクレーは自己表現の一環に教育を据えていたようでした。「クレーは教育というものが実に難しく骨の折れることを熟知していたが、反面、教える立場に立つことによって自己の造形を明確にしうると考え、また生活の経済的安定のことも配慮したに違いない。~略~彼自身この講義を『形式的手段とのおつき合い』と呼んだが、線、面、空間、大きさ、形、構造、価値、重量、集中、変化、遠近、律動、運動、静力学、動力学、張力、平衡、分節、自然の造形過程、水、植物、重力、明暗、色彩等々について自己の創作体験を基礎に、具体的に図形を描きつつ造形思考を重ねたのであった。」そしてカンディンスキーの講義が次に控えます。「カンディンスキーは壁画工房を指導するかたわら、クレーと同等に予備課程の授業を担当し、形態論や色彩論の講義を行った。カンディンスキーとクレーの芸術観は極めて親近な関係にあったが、その講義を進める方法は、両者の性格の違いに照応して、全く異なっていた。クレーは控え目に自己の思索を展開し、多様な考え方を提出して自分の思想を学生たちに押し付けようとはしなかった。が、カンディンスキーは熟考した結果を差し出して、『それはこうなのだ』と決め付けるところがあった。」私はこの2人が並列する講義を受けてみたいと思いました。これは美術実践というより造形哲学ではないでしょうか。最後に校長グロピウスとイッテンの対立が表面化してイッテンはバウハウスを去ることになりました。イッテンは創造力を伸ばす芸術教育家であって、グロピウスの方針と相容れないものがあったようです。グロピウスが固辞した規約を要約したものを引用いたします。「すなわち芸術はあらゆる方法を越えて成立し、それ自体教えられぬが、しかし手工は違う。学校は工房にいつの日か解消されるのであって、私のプログラムでは委託作業の問題は自明であり、バウハウスは委託作業の必要を肯定するか否定するかにより存立するか破滅するかである。バウハウスを現実世界と対立し、孤立したものとみるのは間違いである。これまで委託作業が不統一のものを生み出したことは事態そのものに関ることではなく、経済的・個人的困難によるのだと言うのである。」
    「ヴァイマルのバウハウス 工房教育」のまとめ①
    「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第三章 ヴァイマルのバウハウス その二 工房教育」の前半部分をまとめます。「少くともバウハウス発足当初においては工房の基本設備が整わず、ほとんど何も手工芸教育は行なわれていなかった。1920年の春に最初の予備課程を終えた学生が出た訳であるが、その時でさえも、イッテンによれば誰も工房教育の面倒をみる者がなく、彼が引き続き学生たちに課題を与えて世話をしたということである。その後新しい親方が次々に招聘され、徐々に設備が整えられて、工房での教育ならびに生産が続々開始された。」まず陶器工房です。「陶器工房がヴァイマルからかなり離れたところに設けられたことは、バウハウス全体の統一的活動にとって不利な条件であったし、実際にこの工房は孤立しがちであった。しかしながら反面、それによってかえって本校でのさまざまな紛糾や熱狂にまき込まれず、静かに落ち着いて仕事ができたと言える。」それに比べて印刷工房は大変だったようです。「出版予定が狂い挫折したのは、企画そのものを時間をかけて練らなかったこと、編集責任者がはっきりしていなかったこと、依頼された画家の怠慢、それに経済的政治的な混乱などが重なったためである。」その他に織物工房、造本工房、石彫工房、木彫工房、ガラス画工房、壁画工房、家具(指物)工房、金属工房、舞台工房があり、それぞれ特徴的な活動があったようですが、石彫ならびに木彫工房に関してはこんな文章がありました。「実際親方たちの間でこの工房の役割、進んではバウハウスのプログラム内での自由美術の機能についての論議が戦わされたのであるが、これはすぐさま解決されるような問題ではなかった。~略~彫刻工房は、バウハウスが手工芸から機械的工業製品に向うにつれ、生産工房として隘路に立たされ、かといって自由芸術の創造にも没頭できずにジレンマに陥った。」私が実践している彫刻は、確かに機能主義のバウハウスの中では難しいものになるだろうと思います。旧態依然とした美術学校に学んだ私の芸術的主張は、この時代には立場を失うものであったと思います。芸術性が広範囲に広がった現代だからこそ、多様性の中に含まれていく芸術的主張なのかもしれません。さて、後半部分ではバウハウス屈指の芸術家が登場してきます。シュレンマー、クレー、カンディンスキーの登場とイッテンとグロピウスの対立が描かれます。
    2022年の制作始め
    今日の朝から工房に行き、今年の制作第一歩を歩み始めました。昨日の元旦は工房に行かなかったため、陶土の乾燥具合が心配でしたが、いい具合になっているのを今朝確認し、そのまま陶彫成形に入りました。現在作っている陶彫部品は大規模作品の追加分で、これまで暫く木材加工をやっていたので、久しぶりに陶彫成形に戻った感じを持ちました。感覚はすぐ取り戻せましたが、陶土に長く触れていると手が荒れてくることに改めて気づきました。これは木材にはない障害で、即刻ハンドクリームが必要になるのです。追加分の制作は4点必要ですが、かなり大きなものになりそうで、全体構成を補うというよりは構成の一角を担うものになるのではないかと思えたほどです。とにかく今月は追加分を作らないと先に進めないので頑張ろうと思っています。同時に突如新しいイメージが降って湧いてきました。イメージと言っても、今までのものよりかなり趣を変えていて、ミニマル的な形態が思い起こされていて、これを具現化するかどうか今後の思索上の課題になりそうです。陶土は焼成によって多少歪みが生じるので、同じ形態を作り続けることに意味があるのか、そんな次作のことを考えながら今日は新作の陶彫成形に励んでいました。ともかく工房内が寒くて手が悴むため、大型ストーブだけではなく蛇口から温水が出るようにして指を温めながら作業を進めました。明日も続行です。