2026.09.01 Tuesday
今日から9月になりました。まだ残暑があるのか、それとも秋風が立つのか、9月は微妙な1カ月です。9月になっても新作に対する姿勢は変わらず制作工程を進めていくだけですが、6体の塔はそのまま続けて気候が涼しくなれば窯入れも考えていきます。同時に壁を這う平面性の強い作品の具体的なイメージを摑もうと考えています。壁を這う作品のテーマは決まっていて、それは紋様です。今年発表した「発掘~六蹟~」の陶彫部品に挿んだ厚板材に注目してみようと考えています。厚板材は紋様を刳り貫き、そこに砂マチエールを貼り付け、油絵の具を染み込ませたものでした。個展にいらした方々で「発掘~六蹟~」の厚板材を刳り貫いた紋様に興味を持たれた方が多くいて、次作はその紋様を全面に出していこうと考えたのでした。私が紋様の参考にしたひとつは渦巻紋で、嘗て「渦巻紋と輪廻転生」(藤田英夫著 雄山閣)を読んで影響を受けました。渦巻紋はマレーシアのボルネオ島北部やアイルランドのニューグレンジ墳丘遺跡、フランスのブルターニュ半島に点在しており、明らかに同一の宇宙観を持っているところに、人類史の曙期としての紋様の在り方に興味関心が尽きないのです。ただし、私は考古学者ではなく造形作家なので、その繋がりを紐解くことより、それを創作活動の糧にしていくことを考えていて、紋様の美しさを追求していきます。その紋様デザインを私はRECORDで培った力で発揮していきたいと考えています。RECORDは一日1点ずつ制作していくポストカード大の平面作品の総称で、今も継続しているのは、デザイン力の訓練としての役割をRECORDが担っているからです。時に行き詰まりがあって苦しいこともありますが、夕方になると引き続き自宅の食卓に向かって鉛筆を動かしています。今月は季節で言えば秋に移行していくので、例年なら美術館の企画が充実していくのではないかと期待したいところです。気候的に創作活動がやり易くなって欲しいと願いつつ、来年に向けた制作に拍車をかけていくつもりです。
2026.08.31 Monday
今日で8月が終わります。毎年のことですが、最近の夏の暑さには辟易していて、今月は工房での長い制作時間が取れず、午前中の涼しい時間帯に制作をやっていました。ただし、8月は個展が終わったばかりの1カ月なので、来年の個展までに時間があるため、一番余裕の持てる1カ月でもあります。だからと言って制作が中断されることはなく、来夏に発表する新作の準備を始めています。新作は画廊の空間に点在する6体の塔と、壁に這うような平面性の強い作品を複数作る予定です。小品はまだ考案中で、何かしら作るとしてもまだイメージが掴めていません。今月はそうした新作のイメージを具体化するために時間を費やしていたのでした。6体の塔に関しては随分前からイメージが出ていましたが、他の作品はなかなか具体性が持てず、頭の中で常にイメージの更新をしています。今月は31日間あって、そのうち27日間は工房に通っていました。残り4日間のうち1日は個展最終日に当たっていました。3日間は美術館やら映画館に鑑賞に出かけた日になります。ということで今月の鑑賞は充実していました。美術鑑賞では「ふたりのアフリカ、手仕事の宇宙」展(世田谷美術館)、「若林奮・寺田真由美展」(練馬区美術館)、「百花繚乱」展(東京都美術館)、「空海と真言の名宝」展(東京国立博物館)の4つの展覧会、映画鑑賞では「ヒトラーの毒見役」、「雲と大地のはざまで」(両方とも横浜シネマリン)の2本の映画を観てきました。猛暑の時は涼しい美術館や映画館に行って、感受性を鍛えるのも良い方法だなぁと思いました。彫刻は思索の割合が大きい表現媒体であると私は考えていて、造形哲学を深めるために、素材を前にして実際の制作を始める折に、あれこれ空間に対して考えを巡らせて自分の考える空間解釈を創出していくべきなのです。制作が進んでしまうと、ある程度方向性が限定されてしまうため、現在制作が進んでいる6体の塔以外の新作に対して、これから考えていこうとしています。
2026.08.30 Sunday
日曜日になりました。いつもなら創作活動に纏わることを書いていますが、昨日は1週間の振り返りを行なわず、映画の話題を取り上げた関係で、今日先週の振り返りを行ないます。先週の陶彫制作の状況は、新作である塔の2段目(つまり中段)を作り始めました。これも土台と同じ数の6点を作ります。先週は陶土の土練りや座布団大のタタラ数枚の準備をして、まず1点目の中段の成形をやってみました。土台の上にこれを積んでいくのですが、土台の頂上に凹面を作ってあるので、ここにうまく嵌められるかどうかを確認します。陶彫制作としてはそんな工程を進めていますが、8月下旬と言えどもまだまだ蒸し暑く、先週も午前中しか工房にはいられませんでした。午後は暑さが籠るので、毎年この季節は長い制作時間が取れません。そんなこともあって先週は美術館に出かけて大規模の展覧会2ヶ所と、映画館に出かけて鑑賞を充実させました。火曜日は朝から東京の上野に出かけ、東京都美術館で開催している「百花繚乱」展と、東京国立博物館で開催している「空海と真言の名宝」展に行きました。お盆休みを避けたつもりでも、大勢の鑑賞者が押し寄せていて、人を掻き分けて名品を堪能してきました。当日は眼と身体が疲れていたとしても、頭の中は不思議とスッキリして、翌日は何故か元気になっていました。名品には心の浄化作用があるのかもしれません。映画鑑賞にも同じ作用があると言えます。昨日の土曜日に観に行った映画「雲と大地のはざまで」は南米ペルーのアンデス高地が舞台で、アルパカの放牧に従事している少年の目を通して、村人と鉱山開発を進める大人たちの攻防を描いたものでした。日本とはまるで違う風景、人々の暮らしぶりに心が洗われる思いがありましたが、鉱山開発で登場した重機を見た時は、時代に逆らえない経済依存社会に対して、現代はどこにもユートピアがないことを悟りました。書籍では先週から「奇想の美術館」を読み始めました。毎晩楽しみながら丁寧に読んでいこうと思います。
2026.08.29 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行なうところですが、それを明日に回して、今日は家内と観に行った映画について感想を述べたいと思います。横浜の中心街にあるミニシアターは、大きな映画館では扱わない作品を上映していて、私は昔からそうした映画を楽しんできました。今日観たのは南米ペルーの映画で「雲と大地のはざまで」。舞台は標高4000メートルを超えるアンデス高地でアルパカを放牧している一人の少年が主人公でした。ロナウドと名づけた少年のお気に入りのアルパカと牧羊犬が日常生活の一部として描かれる牧歌的な雰囲気と、ペルーがサッカーワールドカップの出場を賭けた試合がラジオや街頭テレビであり、その熱狂ぶりが対比されていました。本作ではその他に重要なテーマが浮き彫りにされていました。図録から引用いたします。「村ではじまった鉱山開発は、そのようなアンデスの人々の世界と生活を根底から揺るがした。祖先の時代から暮してきた土地と離れることは、単に住む場所を移ることではない。神々に守られ、神々と共に生きてきた場所から切り離されることを意味する。~略~鉱山開発はまた、水や土壌の汚染をもたらせてきた。アンデスやアマゾンの先住民地域では、鉱山開発にともなう水銀汚染が、人々の暮らしを脅かしている。汚染は水や土壌、大気、食物を通じて人々の体内に取り込まれ、生存と生の継承を根底から揺るがす。」(細谷広美著)映画全体から受ける印象は、美しい大空と雲の移り変わり、そして雪が残る険しい山脈であり、その前景で草を食むアルパカの群れですが、本作はそれだけではない環境に対する警鐘がところどころに挿まれていました。それでも村人の素朴さが心地よく感じられたのは、変化が激しい日本の現在にあって、私たちがどこか疲れてしまっているせいかもしれません。その素朴な環境が未来永劫守れる保障はありませんが、私たちの足元を振り返る機会を暫し与えてくれるものと思っています。
2026.08.28 Friday
先日、上野にある東京国立博物館平成館で開催している「空海と真言の名宝」展に家内と行ってきました。本展の目玉は何と言っても数々の秘仏の開帳にあります。秘仏とは何か、図録より引用いたします。「厨子などに納め、扉や帳を閉じることで直接拝観が許されない仏像を『秘仏』と呼びます。秘仏は、そこに存在する仏像が見えない状況を人為的につくりだすことですが、厳密な定義がありません。事情はさまざまなのです。~略~『秘すれば花』は日本文化の本質の一側面かもしれませんが、見ぬものを信じろと言われても難しく、秘仏開帳に参詣者が殺到するのも無理からぬ話です。」本展に足を運んだ私もその一人で、美術の報道番組で紹介された瞬間から、これは稀有な機会でもあるので絶対に見にいこうと決めていました。案の定、私のような考えを持つ人ばかりで、秘仏の前には長蛇の列が出来ていました。聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像は二間観音と呼ばれていて、その精巧過ぎる造形に、これを作り上げるためにどんな工具を使ったのか、見れば見るほど人技とは思えない超絶技巧という言葉がしっくりくる仏像で、他に類のないものだろうと思っています。近づいて周囲に目を凝らし、衣文や光背に至るまで文様ひとつひとつにも神経を尖らせて見た仏像は、私にとって初めての体験でした。図録を引用します。「二間観音は後七日御修法の観音供の本尊です。年に一度その役割を果たしますが、御修法自体が秘儀ですので一般には公開されない秘仏です。」(引用はすべて児島大輔著)その他に注目した秘仏は数々ありましたが、妙に色香が漂う姿態が印象的だったのが如意輪観音菩薩坐像です。六臂すべてを含む一木造で、しかも妖艶な姿が秘される要因かもしれないと思いました。何しろ各地の寺院に出かけて行っても、厨子や龕に納められ拝観が許されない秘仏とあっては、この機会にしっかり見ておこうというのが人間の心理で、勿論秘仏に限らず美術作品はどれも一期一会と思っていますが、本展はとくにその心理が顕著に働いた一例だったと振り返っています。ともかく本展では眼が疲れました。私にとって仏像は美術として理解している立体作品で、その証拠に仏像に興味を持った最初が運慶でした。運慶はまさに西洋美術の彫刻的量感を持っていたので私にも理解が出来たのでした。本展の秘仏も少なからずそうした美術的鑑賞をしていると自覚があって、他の鑑賞者が合掌しているのをみて、私は思わず首を傾げました。そうか、これは宗教だった、眼ではなく心で見て感じ取るものなのかなぁとも思いました。