Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 「パリ1949-1955」について

    「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「パリ1949-1955」について、気に留まった箇所を取り上げます。「パリに戻ってベルメールは、クリスティアン・ドルジェが探してくれたムフタール街(パリ5区)のホテルに越した。結局彼はこの地に15年間留まることになり、その期間の大部分を88番地にあったアラブ人労働者用のエスペランス・ホテルの一室で過ごした。この建物は汚くて臭く危険で、貧民街よりは若干ましな程度であった。~略~逸話は、ベルメールの秘密主義、潔癖症、自己顕示欲、人を魅惑することもあるが不快にすることもあった奇異なる逆説趣味、日常茶飯事となったアナーキズムの汚名などを明かしている。ベルメールがしばしば夜を過ごした『エスペランス・バー』のパトロンであったアネッテ・ヴァイスの記憶によると、ベルメールはいつでも礼儀正しく、芸術家や知識人にはおのずから不信の目を向けていたのに、労働者には謙遜して親しく接していたという。~略~オープニングの夜、彼はウニカ・チュルンと出会うこととなったのである。1950年にノラ・ミトラニとの関係が終わってからというもの、ベルメールは一人きりで寂しい思いをしていた。ベルリンのこの地で彼は、黒いスーツに身を包み、ボタンホールに大きな赤い薔薇をさした37歳の女性短篇作家と、突然、恋に落ちた。偶然がふたたび彼の生涯に介在したのである。というのも、ウニカは表情の乏しい顔つきで、突き出した鼻と大きな目をもち、異常なほど人形に似ていたのである。~略~ベルメールはその後も1950年代には、画家ヴィフレド・ラム、ジャン・アルプ、アンリ・ミショー、ロベルト・マッタ、ヴィクトル・ブローネル、マルセル・デュシャン、写真家のマン・レイ、そして作家のアルベール・カミュ、ジュアン・マユー、ガストン・バシュラールといった仲間の芸術家たちの肖像を描き続けた。彼の肖像画群は、あたかも同時代の芸術的創造者のすばらしき万神殿のような感がある。」今回はここまでにします。

    週末 素材に陶を選んだ理由
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。現在の私は来る日も来る日も陶土と格闘し、自らのイメージを手探りで具現化しています。今日は陶彫という表現に至った自分の制作について振り返る機会を持ちたいと思います。陶芸の里ではない場所に育った私の成育歴では、陶との触れ合いは希薄なものでした。大学で彫刻を学んでいた私は、習作として人体塑造をやっていましたが、彫刻の面白さに目覚めると同時に、人体を作り続ける意味も考えていました。転機はヨーロッパで過ごした5年間にやってきました。日本の陶芸の美しさに海外で気づくのはよくあることですが、私も例外ではなく、西洋美術の本領である人体彫刻では西欧に敵わないことを実感し、陶で彫刻をやりたいという意志が芽生えました。帰国後、陶芸家として活躍している友人に技法を教わりつつ、陶土の混合を試しながら現在の陶彫に辿り着きました。もうひとつ、私が素材に陶を選んだ理由があります。私は生活を支える手段として教職に就きました。多忙な教職と創作活動との二束の草鞋生活になりましたが、自分の都合ではなく、陶は陶土の乾燥具合など常に気にしなければならない素材であったことが、多忙な中で陶彫を継続する要因になりました。学校の美術準備室に置いてある陶土を私は、どんなに忙しかった日でも一度は確認し、また時間があれば土練りをしていました。他の素材なら放っていたところを、陶土の具合に合わせて制作をしなければならないのが、結果として創作活動を続けられたのだろうと思っています。最後に陶は最終工程に焼成があることが重要で、窯に作品を入れてしまうと人の手が入れられず、作品の完成は窯にいる炎神に任せるしかないという魔力的な魅力に私は憑りつかれてしまったのでした。おまけに窯内で素材の変容が起こり、石化することが私には何とも不思議だったのですが、最初の頃は罅割れ等の失敗続きで、素材を上手くコントロールできない困難さも抱えました。簡単には獲得できない技法に戸惑うこともありましたが、それでも陶の面白さを捨てきれず、何十年も陶彫を作り続けているというのが 私が素材に陶を選んだ理由です。
    週末 陶彫土台&彫刻展の1週間
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週は来年に向けた新作陶彫の土台部分を作っていました。前にNOTE(ブログ)に書いた春霞のようなイメージは、今ではくっきりとした立体になり、塔の一番下になる大きな陶彫部品を5点ほど成形しています。工房は空調設備がないので、室内は外と同じ猛暑になっていますが、それでも教え子だった若い木彫家や染色家がよく通ってきていて、今週も工房自体に活気がありました。私も陶土に毎日触れて充実した時間を過ごしていました。画廊に個展を企画してもらえることは大変幸せなことですが、実は制作に面と向かって取り組んでいるこの瞬間が、私にとって一番幸せなのかもしれないと思っています。身体から汗が流れ、陶土の扱いに相変わらずモタついている時は、苦しいと思うこともありますが、これが最高の時間なのだと気づきました。自分の健康管理はこうした時を末永く過ごすためにあるのです。さて、今週はお盆でもあるので菩提寺に墓参りに出かけました。私は先祖に対して必要最低限のことしかやっていませんが、それでも春彼岸とこのお盆の時期には墓参りをやっています。金曜日には練馬区立美術館で開催している「若林奮Run and Rest」展に行ってきました。お盆休みでも美術館は人が疎らでした。そのおかげで作品をじっくり見ることできました。特異な作風を持つ彫刻家を私は学生時代から着目していて、私自身も少なからず影響を受けていると感じています。自宅がある横浜から東京の練馬まで電車に乗っている時間が長く、首都圏の美術館にしては結構遠いと感じましたが、途中に池袋があるので、美術館の帰り道に池袋のジュンク堂書店に立ち寄り、美術関連の書籍3冊を購入してきました。こんな時でないと美術の専門書が手に入らないのです。これで暫くは楽しい時間が過ごせそうだなと思い、満足した1週間になりました。
    練馬の「若林奮Run and Rest」展
    お盆休み期間中は、どこの美術館や博物館でも混んでいることが予想されますが、現代彫刻の展覧会はどうなのか、ましてや思索を伴う造形を推し進めた特異な作家の展覧会を、私はこの時期に見に行ってみようと決めていました。在りし日の彫刻家若林奮を、私は大学時代に幾度も校内で見かけていますが、直接指導をしていただくことは叶いませんでした。それでも若林ワールドが好きだった私は、展覧会にはよく出かけていました。練馬区立美術館で開催している若林奮展は「Run and Rest」という不思議な題名があって「走ることと休むこと」って何?と思っていましたが、展示内容を見て納得しました。これは犬の視点で作られた立体やドローイングで、「Run and Rest」の題名がつけられた鉄の立体は、横須賀美術館にある「VALLEYS(谷)」を彷彿とさせますが、本作は犬のサイズで作られているとのこと。飼い犬を観察して導き出した空間解釈に彼のユニークな観点を見取りました。図録に評論家から寄せられた文章があったので引用いたします。「もしそのような犬を媒介した時空が若林の諸作に不可逆的に流れ込んでいるのだとしたら、若林の作品を懸命に見ようとしても、そこには人間の感覚だけでは決して見ることができないたくさんの要素が盛り込まれていて、美術に必須とされる視力だけで見ようとしても決して見尽くすことができない世界が溢れかえっており、それは見るのではなく予感や体感というかたちでしか汲み取ることができず、しかしひとたびそれができるようになれば、ストイックそうな外観に反して豊穣でさえある、横溢さえしている、ということが言いたいからだ。しかし大事なのは、そうした若林の豊穣さ、横溢さが、たんなる日々の犬の散歩道がそうであるように、ある特定の身近な近隣性に根差していて、決して遠方に離れてあるものなどではなく、むしろその近隣への根差しの強烈な深さにおいて、世界が持つとされる歴史性に逆らうほど求心的で、ということはつまりラディカルな普遍性を獲得している、ということにある。普遍性といっても抽象的な普遍性ではない。むしろ逆で、普遍ということばに反して恐ろしく具体的でもある。この恐ろしく具体的であるせいで抽象的に見えてしまう、それほどまでに具体的な普遍性、それが今回、まず最初に確かめておきたい若林の諸作が備える貫通的な本性だろう。」(椹木野衣著)
    「いろどるー赤、白、黒」について
    先日、見に行った世田谷美術館で開催されていた「ふたりのアフリカ、手仕事の宇宙」展の図録から、色彩に関する記事を抜粋いたします。私はアフリカと言えば、泥染めに見られるようなアースカラーを連想してしまうのですが、展示されている作品の色彩は、やや彩度を落とした私好みのものが多かったように思います。図録にこんな文章がありました。「色の三原色は赤、黄、青。それに対し、川田(順造)は多くの文化の基本色である赤、白、黒を『文化の三原色』と呼び、どの言語でもそれぞれを指す言葉が、一日の明るさの変化に関係することが多いと気づきました。しらじらとした夜明け(白)、太陽があかあかともえる昼(赤)、そして日が落ちてくらくなる夜(黒)。川田は色に与えられる言葉を通して、人類に共通する生活体験を見ていました。サバンナの手仕事でこの3色がよく使われたものとして、木の仮面や革製品があります。仮面では、赤は酸化鉄の多い岩を、白は石灰質の岩を砕いて水を混ぜ、黒は木炭の粉や煤で着色しました。革製品では、山羊の皮をなめし、ある植物の実や茎を浸した液、また鉄片を浸した地酒につけるといった作業で、それぞれ赤や白、黒に染めました。」人類が最初に色彩を手に入れる過程が垣間見える行為に、私は興味津々で、その土地から与えられた顔料や染料でいろどったモノで、呪術や祭りを行なったり、装身具にしたのだろうと彼の地に思いを馳せました。そんな色彩に関して言えば、私たちは絵の具の歴史として、顔料に展色材を混ぜて絵の具を作成したことによって、さらに混色して多くの色彩の種類を手中にすることができたのでした。日本では岩絵の具や胡粉などに膠を混ぜて使っていたようですが、「いろどる」ことへの人類史を紐解くと、きっと風土であったり、民族の特徴であったりして、面白い考察が出来そうな気がしています。私がアフリカン・アートが好きな理由が、その土地に根ざした色彩や造形があるからで、そこに生命の喜びを感じるのは20世紀に活躍した芸術家と同じ発想なのかもしれません。