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  • 「カラヴァッジョのモデル使用 」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第10章 失われた最後の大作 」の「2 カラヴァッジョのモデル使用 」の気になった箇所を取り上げます。「カラヴァッジョは制作の際、生身の人間をモデルにし、それを正確に表現しているらしいため、作品に描かれた人物の容貌を比較することによって、制作時期をある程度推定することができると思われる。」またこんな記述もありました。「近年の科学的調査によると、カラヴァッジョは地塗りの上に刃物か筆の柄のようなもので、大まかなフォルムの線を刻み付けていたようだが、そうした線はしばしば仕上げのラインとずれており、彼は大体の構図を刻線によって決めると、あとは描きながら形や細部を作り上げていったということがわかる。」カラヴァッジョには推敲されたと思われるメモやデッサンが残っていないために、いきなり画面に挑んだのではないかと識者によって推察されています。また失われた大作「生誕」のモデルに対し、さまざまな考察もされています。「《生誕》に描かれた人物像を一人一人、モデルのタイプという立場から見てきたが、シチリア時代、とくにメッシーナ時代の《ラザロの復活》や《羊飼いの礼拝》の人物のタイプや容貌に近いということが示されたと思う。ポーズやモチーフにはナポリ時代を思わせるものもあるが、全体としてメッシーナの人物像と同種といってよいだろう。このことは、《生誕》がやはりシチリア時代、特にメッシーナ時代の1609年あたりに描かれたということを裏づけるものと思われる。このように、人物の容貌やタイプを比較することによって制作時期を推定する方法は、部分的にはいくつかのカラヴァッジョ作品に適用されることはあったが、より広汎に検討すれば、それだけでカラヴァッジョ作品の制作時期を推定するのに有効となりうるのではないだろうか。」今回はここまでにします。
    F・ステラ「ブラック・シリーズ」について
    先日行った千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館に、フランク・ステラの初期作品である「ブラック・シリーズ」が、部屋全体を使って複数展示されており、私はまとまった作品群が見られて興奮していました。それは「カール・アンドレ」展に合わせて展示されていたもので、ミニマル・アーティストの交流関係を示唆する演出でしたが、私は唐突にステラを見られて得をした気分になりました。ステラの作品はシンメトリカルな色面構成によってアメリカでは有名でしたが、その後は平面の枠を超え炸裂する立体造形になっていきました。私が好きだったのは初期の作品で、まさに「ブラック・シリーズ」だったのです。それは平面に描かれた幾何形体を等間隔のストライプによって構成しています。まさに幾何抽象作品を見た時のすっきりとした爽快感を伴って、私に安定した気分を齎せてくれます。しかし、私の注目はそれだけではありません。等間隔のストライプは、上から線を引いたものではなく、線状に画面の下地を残しているのです。そうした線なので、よく見ると平面を塗って線状を残したところに微妙なムラがあり、そこに私は不思議な奥行きを感じてしまうのです。丁寧に真っ直ぐに線以外の平面を塗ったところでも手仕事の痕跡が出てしまい、それをわざわざ全体的な抽象形態にしていることが抑制された情欲にも似て、これは私個人に限ったことではあるかもしれませんが、愛おしさも感じてしまうのです。自作のRECORDにも同じものがあります。ステラのような徹底したストライプではないのですが、平面を塗って線状を残すところが一緒だと気づいて嬉しくなりました。妙なところに惹かれる私ですが、「ブラック・シリーズ」の鑑賞方法としてお勧めではないかと思っています。
    益子より陶土が560㎏届く
    現在作っている陶彫立方体に使う陶土が少なくなり、先日、栃木県益子町の明智鉱業に陶土の注文をしました。まず電話で私が購入予定の陶土がどのくらい在庫があるかを尋ね、それから依頼のファックスを送ることにしています。いつもなら800㎏をお願いするところを、在庫の関係で今回は560㎏にしました。その陶土が今日の昼頃に工房に届きました。毎回注文しているので、店も搬入業者も慣れていて、2人の業者が工房の中に運び込んできました。現在作っている陶彫立方体は数が多いので、例年より陶土の量が多いと実感しています。私は材料が届いたことで安心し、陶彫制作を先に進めることにしました。益子町の明智鉱業とは長い付き合いになります。私が30歳でヨーロッパから日本に帰ってきた時に、作品には陶を使うことを決めていて、それを茨城県笠間に住む陶芸家の友人に相談していました。その友人から紹介されたのが明智鉱業でした。もう30数年前になりますが、その頃は店にお邪魔して、実験に使う陶土や釉薬を調達していました。陶土や釉薬のテストピースを作るために少量ずつ購入していたのでした。必要な道具も購入しました。当時、友人や店の人から丁寧なアドバイスを受け、私は材料を横浜に持ち帰って実験を繰り返していました。それから数年して現在の「発掘シリーズ」の概要が見え始めてきた頃に、大量の陶土をファックスで注文し、横浜まで運搬してもらうことにしたのでした。「発掘シリーズ」を作り始めて20数年が経ち、私はずっと明智鉱業に頼っています。陶彫制作には材料の調達から窯のメンテナンス、さらに木彫や木材と合わせるためにそうした多くの人や店との付き合いが欠かせません。さまざまな業種の人たちから支援をしていただいていると私は感じています。ギャラリーも含めて私が関係する方々には末永く健在であってほしいと願うこの頃です。
    週末 空間変容の再確認
    週末は創作活動のことについて書いていきます。先日、千葉県の美術館で見た「カール・アンドレ」展で、彼が造形として主張したミニマル・アートの主旨はさておき、私自身が展覧会場で感じたことを踏まえて、彫刻の在り方を取り上げてみたいと思います。これは私の個人的な感覚に頼った文章であることを予め断っておきます。アンドレの作品群が点在する広い部屋で、私はそれらを見渡し、素材の集積が周囲の空間に与えている影響を考えていました。作品と言っても、アンドレの場合は木や金属といった素材そのもので、それを彫り刻むような造形は皆無です。私が彫刻を学び始めた頃は、習作として人体塑造をやっていて、周囲の空間を意識することはありませんでした。彫刻は空間芸術であると認識したのはずっと後になってからで、空間に何か物質が置かれると、そこの空気が変わり、それを鑑賞する側が認知して空間を味わうのだと理解しました。雑駁なことで言えば、都市の中に新しい建造物が建つと周囲の雰囲気が変わるし、インテリアでも何を置くかで室内が変わります。彫刻にも空間変容の刺激剤としての役割があると私は考えます。私見として、彫刻に全体的な造形要素が付与されていると、それを取り巻く空間が小さくなるように私には思えます。さらに工芸的要素があると、その巧拙に目がいってしまって周囲の空間を感じられなくなるというものです。具象傾向の作品にそれが顕著だろうと考えます。つまり造形の対象は何か、どう作られているか、そこに鑑賞者の興味が移ってしまい、全体の空間を感じ取ることが希薄になるのです。私はアンドレのように素材を突き放すことができませんが、それでも空間を見せたい場合はどうすればよいか、造形を最小限にしてみるべきか、陶彫のもつ素材の存在感は充分にあるはずで、錆鉄のような鎧を纏った陶彫を、空間変容最大の武器にしたいと私は考えているのです。どこまで作り、どこを余白として残すか、細工ではなく、場としての空間を考える時に、私の造形は漸く空間が変容する芸術に到達すると思っています。
    週末 卒制&彫刻展の1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみたいと思います。今週は2回の美術鑑賞の機会がありました。まず、月曜日は工房に出入りしている学生が在籍している女子美術大学の卒業制作展に、教え子3人を連れて行ってきました。工房に日頃から学生がやってくるからこそ、私にはこうした機会があるのです。同行した学生の一人が私に「日本画がどれも秀逸で心に残った」とラインを送ってきました。教え子の中には感受性の鋭い子もいて、私は彼女たちに精神的に支えられていると感じます。木曜日は家内と千葉県の美術館に、カール・アンドレの展覧会に行ってきました。家内は「これはやった者勝ちだね」と感想を漏らしていました。ミニマル・アートがどうのこうのと呟くより、一言で片づける家内のコメントに目から鱗が落ちました。これも私の心を支えてくれる一言に違いありません。今週は陶彫制作に精を出していましたが、鑑賞も充実していて、理想的な1週間だったと思っています。とりわけカール・アンドレの作品に、私自身考えさせられる要素があって、それが陶彫制作に微妙に影響を及ぼしています。彫刻は物質を介在した哲学なのだと、私は以前NOTE(ブログ)に書いたことがありましたが、陶彫制作をしながら、造形哲学についてあれこれ考えを巡らせていました。私はミニマル・アーティストのように素材を突き放すことはできません。陶土を手でつけたり削ったりしながら、そこに取り込まれそうな気持をコントロールしつつ、自分にとって素材とは何だろう、どんなふうに付き合っていけばいいのだろうと考えていました。人体塑造をやっていた頃は考えもしなかったことが、今はその頃の五十歩百歩のような造形をやっているに過ぎないのに、何かが違うような気がしています。もう少し時間をかけて考えたいので、明日のNOTE(ブログ)にこの考え方の継続を綴りたいと思います。