Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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世田谷の「田中信太郎展」
今日の午前中は工房で制作をしていましたが、午後になって家内を誘って、東京の砧公園にある世田谷美術館に出かけました。私たちにとっては久しぶりの砧公園散策で、新緑を味わいながら散歩を楽しみました。当館で展覧会を開催している造形作家田中信太郎は、私の師匠の世代に属する人で、7年前に逝去されています。私のように具象彫刻から抽象へ移行した行程とはまるで異なるキャリアを持ち、10代から20代にかけていきなり廃物を使ったアートで注目をされたようです。私が田中信太郎を知ったのは簡潔な直方体が空へ延びる野外作品で、その清々しい造形が印象に残っています。本展も作家の歩んだ軌跡を振り返る展示になっていて、現代アートが点在する展覧会は私にとって久しぶりでした。美術館の大きな空間にメッセージを極端に切り詰めた概念的な作品があり、とても映えていました。そこに添えられたコトバも作品の存在を雄弁に語っていました。図録に面白い記事があったので引用いたします。「田中信太郎の作品をそれと知って見るようになったのは、二紀展の作品よりだいぶ後、ネオ・ダダのグループ展でのことで、1961、2年の頃である。人形や薬カンや玩具のピアノなどの廃物を平面的にならべ、白い絵具を塗りつけた作品などが印象に残っているが、荒川修作、篠原有司男、工藤哲巳、三木富雄、吉原益信らの読売アンデパンダン展やネオ・ダダの中心人物たちの周辺を、うろうろしていた少年という記憶が強い。~略~気弱な弟、うろうろしていた少年の田中信太郎が、ネオ・ダダの嵐のあとで、気が付いてみると、もっとも純粋な『表現』の地帯に残っていた、あるいは、そんな地帯を切り開いていたのは、戦後美術史の別の一齣である。いまでは、ネオ・ダダ時代のことを持ち出すのがおかしいくらいに、この作家は純度の高い形態とシンプルな素材を用い、最小限の言葉つきで、繊美な感受性を伴った世界を静かに展開しつつある。」(東野芳明著)その純度の高い形態が並ぶ展覧会場を行きつ戻りつして、作品の周囲に漂う空気感をも私は味わっていました。