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  • 週末 漠然と新作のことを考える
    週末のNOTE(ブログ)には創作活動のことを書いています。現在作っている陶彫立方体は今年7月の個展で最終発表形態になり、2年間続いた連作が終わります。それを意識し始めてから、次の新作のことが頭から離れられなくなっています。新作イメージは時間を選ばず、ふと湧いてきたり、天から降ってくることもありますが、自分の造形思考とも関わりがあって、発掘シリーズの基盤が常に脳裏にあるのです。地上から掘り込まれた場所にマイナスの空間が存在し、地中の遮られた内部に造形が緊密に連なっているイメージが私にはあります。それは私にとって決して新しいものではありません。初期作品から今までずっと私はそうした空間を作ってきたからで、そのバリエーションが新しい空間を創出させて新作になると思っています。まだ全体把握は出来ませんが、漠然とした何かが私の中で芽生え始めていると言っていいでしょう。そう考えると私の作品は解放空間ではなく、閉塞された場所で展開される埋蔵空間とも言えます。私はいずれ自分が入っていく棺を想定しているのかもしれず、自分の心を安定・安住させるために、地中に架空都市を作っているのだろうと考えます。古代ギリシャで創造された均整のとれた人体彫刻を、私は不完全ながら20代でやめました。明るい陽光のもとに人体を晒す彫刻は、私の資質に合わなかったばかりではなく、私の成育歴にそんな文化がなかったのが原因です。私は発掘された出土品の方が自分には身近なのです。自分にとって自然な造形イメージが発掘シリーズと言えます。今後漠然としたイメージは次第に具体性を持ってくると信じています。
    週末 3月最初の週末
    週末になりました。今週の振り返りをしていきます。今週は2月から3月になり、3月最初の週末を迎えています。この季節はまさに三寒四温で、寒暖差に疲れを感じることもありますが、日々工房には元気に出かけて制作に勤しんでいました。月曜日は工房から引き上げる時に窯入れを行いました。火曜日は窯の温度確認に行って、そのまま確定申告で足りなかった書類を区役所に取りに行きました。その足で税理士事務所に書類を届けました。夕方は地域の中学校で開催していた学校運営協議会に出席しました。私が嘗て教職に就いていた名残りがこの学校運営協議会のメンバーになっていることで、久しぶりに学校の雰囲気に触れてきました。水曜日以降は朝から夕方まで工房に籠って制作三昧でしたが、大学が春季休業に入っている美大生が毎日工房に顔を出して、自らの制作をやっていました。冬場は陶彫制作で手が荒れます。ハンドクリームをつけていますが、ガサガサした掌がなかなか治らず、毎年のことで仕方がないなぁと思っています。陶彫制作は3月に入ってから弾みをつけていて、少しずつ作業を増やしています。作業に慣れているものの、一日のノルマを増やすことはなかなか大変です。夕方自宅に戻るとソファに座り込んでボンヤリしてしまうこともあります。制作の充実感はありますが、あまり余計なことは考えられないような毎日になっています。精神的には健康なのかもしれません。
    3月になって思うこと
    今日から3月です。私は2年前まで教職に就いていたため、今月は1年間の終わりを意味する年度末という意識が今もあります。私が愛用しているバインダー付きの小さな手帳は4月始まりの3月末に終了する週替わりのカレンダーがあって、仕事を退職した後もその習慣から抜け出せません。創作活動では何も特別なことはなく、元旦から大晦日までの1年間に合わせてもよさそうなものですが、どうも年度の方が私にはしっくりくるのです。仕事をしていた時は、3月は出会いと別れの季節でした。今月末に人事異動の発表があるためで、その重責を私は担っていました。その特別感をそのまま心に留めているのは、精神的によくないかもしれません。それはさておき、今月も陶彫立方体作りは継続していきます。気候が和らげば制作がやり易くなって、さらに密度の濃い作品が出来ていくのに期待しています。今月こそは制作を頑張ろうと毎月思っているのですが、息の長い制作が始まると、心が緩慢になる時もあります。春は展覧会も盛んになる季節です。いろいろな情報を得て、美術館にも足を運ぼうと思います。また春は花々が咲き乱れる季節でもあります。桜の花見は混雑を避けてしまう傾向が私にはあるため、なかなか現場に行こうとはしません。決して億劫なわけではないのですが、工房の周囲には春を感じさせてくれる木々があるので、毎年それを鑑賞して花見を済ませているのです。読書は常に何かしら書籍を手に取っていますが、若い頃に比べると読む速度が遅くなっているように感じます。たまに頁を開いたままボンヤリしてしまうことがあるのです。読書で得られる知識に対する好奇心はまだまだ強いので、今月も研鑽に務めたいと思います。
    うるう年の2月を振り返る
    今年はうるう年にあたり、今月は29日まであります。今月を振り返ると、寒暖の差が激しく身体に応えました。春爛漫と思える気温があったかと思えば、降雪もあって、温度調節のできない工房での作業は辛いものがありました。それでも一日の基本となる午前9時から午後3時までの作業を毎日やっていて、それがルーティンとなっていました。29日間あったうち25日間工房に通っていました。工房を休んだ4日間は、叔父の葬儀で1日、退職校長会主催による「如月展」の搬入と搬出で2日、それと東京と横浜の3つの展覧会を回った1日があって、この4日間だけは制作を休まざるをえなかったのでした。その他にも用事はありましたが、工房での作業を短縮して対応していました。制作は相変わらず陶彫立方体をやっていて、窯入れは3回行いました。制作状況としては寒さ疲れがあって、身体としては思ったように動かず、やや焦りもありました。工房での作業が滞っている時は、自宅でRECORDの制作に精を出していました。それでもRECORDの状況は芳しくありません。もう少し気楽に作れたらいいのにと思っていますが、私の性格上それができずに小さな画面でも精一杯頑張ってしまうのです。今月の鑑賞は美術館では「日本の巨大ロボット群像」展(横須賀美術館)、「本阿弥光悦の大宇宙」展と「中尊寺金色堂」展(東京国立博物館)、「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」(そごう美術館)、その他に元同僚の刺し子展や教え子の染織のグループ展にも足を運びました。映画館には「ゴールデンカムイ」(鴨居ララポートTOHOシネマズ)に行ってきました。漫画の実写版ですが、アイヌ文化を知る契機になりました。読書ではカラヴァッジョの伝記をとつおいつ読んでいます。もう少し暖かくなれば陶彫制作に拍車をかけたいと思っています。来月も元気にやっていきたいと願っています。
    横浜の「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」
    先日、横浜にあるそごう美術館で開催されている「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」に行ってきました。水木しげるは妖怪キャラクターを駆使したアニメにヒット作品が多く、国民的な漫画家として認知されています。私も「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」をテレビで見ていて、その魔訶不思議な世界に浸っていた時期がありました。本展では人気の出た作品と併行して、水木しげるは妖怪研究も進めていて、生涯にわたってクオリティの高い作品を作り、それらが数多く展示されていて、私はその迫力に惹き込まれました。妖怪は我が国独自のものが多く、そうした豊饒な伝承や説話をさまざまな画家によって具現化された巻物等もあり、私はその都度展覧会に出かけていって、創造性に富んだ世界を楽しんできました。図録によると「幸いなことに、日本の妖怪種目は数えきれないほど多数に及んでおり、また多様な姿をした妖怪を描いた絵画・造形も存在していました。つまり、毎回違った妖怪を造形して登場させる土壌がすでにあったのです。」とありました。民俗学者から示唆を受けることもありました。「水木さんは柳田國男の『妖怪談義』巻末の妖怪名彙(種目)集を参考に、そこに記された妖怪たちを次々に描いていきました。~略~『柳田國男あたりのものは愛嬌もあり大いに面白いが、形がないので全部ぼくが作った』。」また浮世絵師からも刺激を受けています。「民間伝承の妖怪とともに、水木さんの創造力を刺激した重要な素材に、江戸時代の浮世絵師・鳥山石燕の『画図百鬼夜行』シリーズがあります。そこには多様な姿かたちをしたたくさんの妖怪たちが描かれていました。これらの妖怪に出会ったとき、水木さんは衝撃を受けたはずです。自分と同じように妖怪を描く絵師がすでにいたことを知って感激したに違いありません。」(引用は全て小松和彦著)江戸時代の絵師の系列に漫画家水木しげるも絵画史の巨匠として名が刻まれるのでしょう。これも日本独自の文化遺産と呼んでいいと私は考えています。