2026.04.18 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通い、制作一辺倒の1週間でした。今週は鑑賞に出かけることもなく、しかも気候も良くなったので、制作はよく進みました。壁に掛ける4点の作品に貼り付ける杉板のレリーフがあり、そのレリーフのそれぞれに文様を刳り貫いていました。1カ月以上も電動糸鋸盤を使って刳り貫き作業をやっていましたが、その作業が今週終了し、次の段階として杉板をガスバーナーで炙り、炭化させる作業に入りました。以前NOTE(ブログ)に書いた素材の変容を今日から実践したのでした。炙りはまだ始まったばかりなので、これからしばらくは野外工房でバーナーを使います。杉板は炙ると美しい肌色になるので敢えて使っているのです。ただし、炙り過ぎると文様の一部分が焼き落ちてしまうことがあります。イメージの源泉が廃墟のような痕跡を表そうとしているので、これはこのままにしておくことにしました。杉板には年輪に密度があって、柔らかい部分は燃えて無くなってしまうこともあり、それも面白いかなぁと思っています。偶発的な欠損をどこまで容認できるのか、それも自分との葛藤になりますが、この課題をもう一度自分で考えてみたいので、別稿を起こそうと思っています。それは炙りに限ったことではなく、絵の具が流れたり、亀裂が入ったり、職人仕事なら失敗として扱うところを、創作活動は一律にそうとは言えず、何を表現したかったのかという主張に立ち戻り、失敗と考えがちなところを再考することもあるのです。読書はピクチャレスクをイギリス文化の中で捉える論文を読み終えて、ロマネスクについての論文に移りました。ロマネスクは好きな様式なので、この書籍も丁寧に読んでいきたいと思っています。
2026.04.17 Friday
「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「第2章 ロマネスク再発見」の気に留まった箇所を取り上げます。「一般にロマネスクは、おおよそ10世紀末から12世紀の西ヨーロッパの建築様式とされる。ルネサンス建築のように特定の地域に限定されて見られるものではなく、北はノルウェー、東はエルサレムまで広がったヨーロッパ初の共通様式であるため、『ロマネスク美術』や『ロマネスク期』といったぐあいに、美術や歴史の時代区分としても扱われる。空をつんざくように尖った先端をもつ、垂直性の強いゴシック建築とは対照的に、ロマネスク建築は大地に根ざしたような安定した形態をもち、古代ローマ建築を思わせる半円形のアーチが並ぶところが様式上の特徴である。~略~ロマネスクの起源は霧につつまれている。ゴシックなら12世紀後半のイル・ド・フランス(パリ周辺)、イタリア・ルネサンスなら14世紀はじめのフィレンツェと、誕生の時期も場所も特定できるのに対し、ロマネスクは、いつ、どこで生まれたのか定かではない。一方、その終焉時期は、ゴシックの誕生期と重なるため、特定は比較的容易である。」ロマネスク美術は20世紀になって再発見されたことが、私には驚きでした。「《バイユーのタピスリー》は18世紀のうちに見出されたが、これはむしろ例外で、壁画や刺繍などロマネスクの美術品の多くは19世紀末から20世紀初頭にかけてようやく、ヨーロッパ各地の聖堂で『再発見』された。~略~当時、ジョアン・ミロとともに毎夏バルセロナで過ごしていたパブロ・ピカソは、カタルーニャ美術館でロマネスク壁画に強い印象を受け、知人のサバルテスに『ロマネスクの画家たちの表現力、力強さ、思い描いたものを明確に描く力』を賞賛したという。~略~カタルーニャのロマネスク美術は、《ゲルニカ》とともに、いわば反フランコ政権派を象徴する美術作品となったのだ。こうしてピカソの炯眼とスペインの政治・社会状況、モダン・アートと反体制運動との結びつきを背景にしながら、ロマネスク美術は当時のアヴァンギャルドなアーティストや知識人たちの関心を集めていった。」今回はここまでにします。
2026.04.16 Thursday
「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「第1章 かわいい謎 異様な造形」の気に留まった箇所を取り上げます。本章を読むと、この不思議な題名が主旨ではなく、キャッチフレーズのようなものかなぁと思いました。「ロマネスク美術をめぐっては、もちろんこれまでにさまざまな解釈がなされてきたが、大別すると二つの手法がある。キリスト教的な見方と、非キリスト教的な見方。つまり、すべてをキリスト教の教義で説明しようとする立場と、キリスト教以外の文脈から読み解こうとする立場である。」まずキリスト教的な見方。「聖堂装飾をキリスト教の教義に照らし合わせて解読するこうした手法は、中世美術史学の黎明期とされる1920年代(意外と遅いのだ)以降、キリスト教図像学の王道となった。~略~図像をテクストと緊密に、ときにあまりにも緊密に結びつける図像学の方法論は、現在でも美術史学の基本をなしている。教会の装飾なのだから教義と関連があるのは当然という論法だが、教会建築の周縁部にあたる持ち送り装飾すべてにこの解釈法を適用するのは、やや無理があるようにわたしは思う。」次に非キリスト教的な見方。「古代の習俗がどれほど聖堂装飾に影響を与えているのか、それを客観的に検証することは非常にむずかしい。ロマネスク期以前の聖堂建築の現存例が少ないからである。ヨーロッパ文化の古層との関わりは否定できないが、立証もできないのが現状である。~略~人が動物に、鳥が蛇に喰われていたりする捕食の像、また人間同士が戦っている戦闘の図など、なんらかの『葛藤』の情景を描いた持ち送り彫刻は、人目につきやすい扉口付近や後陣部など、十字架を担う子羊の周りに集中しているのだ。喰う、喰われる。追う、追われる。つまり戦う。ヨーロッパ美術史の流れのなかで、このような血なまぐさい葛藤の情景が頻繁に聖堂装飾に登場するようになるのが、まさにロマネスクの時代だった。」今回はここまでにします。
2026.04.15 Wednesday
今日から「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)を読み始めます。ロマネスク美術は、師匠の池田宗弘先生がスペインに滞在していた頃に、同地に残るロマネスク美術を研究していて、その成果を文化庁に提出していました。当時、先生が描いたキリスト教関連のデッサンが多数あって、その勤勉ぶりに私は驚いていました。私自身、ロマネスク美術と言われて思いつく作品がなく、知名度としてはルネサンス美術より低いように感じていましたが、本書の「はじめにーロマネスクへの旅」にもそんなことが書かれていました。「ゴシック期やルネサンス期の美術にくらべると一般になじみが薄く、またいまだに評価も低いけれど、じつはロマネスク美術こそヨーロッパの美術の歴史のなかで非常におおきな転換点、ほとんど『革命』的な出来事だったのではないかと、わたしは考えている。古代ギリシャ・ローマ、あるいはルネサンス以降の近代美術のいわゆる名画・名作ばかりがヨーロッパ美術ではない。わたしたちは、美術作品を目のまえにしたとき、『名画スタンダード』とでもいうべき規準や価値観に、あまりに囚われすぎていないだろうか。」とある通り、西欧美術史の中ではロマネスクはゴシックに先行した様式であり、10世紀から12世紀のキリスト教を中心とした教会建築や壁画、彫刻に多く見られます。私も20代の頃にヨーロッパにいて、ロマネスク様式の堅牢な石造教会を訪ねたことがありましたが、印象としては質実剛健で象徴化されたキリスト像がずしりと気持ちに響いてきたのを思い出します。私は趣向として、どの様式よりもロマネスクが好きなのかもしれません。ロマネスク美術はカタチの大胆な省略があり、写実性よりも大衆に伝えたいコンセプトを大切にしているのが、現代美術に通じるものがあると感じているからです。本書が謳っている『革命』とは何か、ロマネスクがその後の美術史にどんな影響を齎せたのか、楽しみながら丁寧に読んでいこうと思っています。
2026.04.14 Tuesday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「終章 ラグルズ『ピクチャレスク農業』」を取り上げますが、これが本書最後の章になります。「彼(ラグルズ)によれば、小麦が豊かに実って波打ち輝いている畑の光景は『画聖』クロード・ロランの描くローマの風景の前景と変わるところがない。また、耕作地の景観に関して重要なのは季節の変化による多様性であり、そこから『我々の生活の至福』のみならず『最も偉大で最も自然な景観美』が生じる。ここでは、風景の有する時間的、精神的意義への言及が注目される。ラグルズは、『地の霊』ならぬ『土壌の霊』という言葉を使って、耕作地に関しては全て『土壌の霊』に相談すべしと説く。そして、どんな土壌も季節による変転を好むとし、その変化がピクチャレスクにつながると言う。~略~ラグルズが農地の日常性の中に美を見出そうとしたことは価値判断の主観化やそれに伴う風景観の多様化・複層化が生じ始めたことを示していると言えるが、これはピクチャレスクの美学におけるパラダイムの変化を示している。ピクチャレスクは当初、特定の風景を恣意的に切り取って二次元的な『眺め』とでも言うべきものに還元して鑑賞する体験だったが、18世紀最後の四半世紀あるいはそれ以降の流行期間の中で変質してゆく。本書の中で見てきたように、それは自然の中を歩き回り、個別の事象を視覚・聴覚・触覚で感じ取り、『醜』も含めて審美対象とし、時間の流れの中で対象の変化を捉えるようになっていった。」本章はここで終えますが、著者が「あとがき」で伝えている箇所を引用いたします。「絵画から始まって、やがて観光や庭園、さらには建築といった分野にまでピクチャレスクの影響が広がっていったことに注目することで、私は研究対象を拡大、あるいは拡散して来た。」とありました。イギリスにおけるピクチャレスクの美学が幅広く浸透してきたのを、私は日本人として羨望の眼差しで眺めていました。それは何故か、画一的で利便的な住居空間、または環境に対して、工夫を凝らすことで芸術性に溢れたものにしてゆくことは日本でもやってきたことですが、それに関する日本の研究書が少ないために、私はイギリスに羨望したのでした。その結果、私たちの意識が薄いことに気づいたからです。そうであれば、何か芸術性に関わる重層的な考察が日本にも根付くことを願ってやみません。