Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 練馬の「若林奮Run and Rest」展
    お盆休み期間中は、どこの美術館や博物館でも混んでいることが予想されますが、現代彫刻の展覧会はどうなのか、ましてや思索を伴う造形を推し進めた特異な作家の展覧会を、私はこの時期に見に行ってみようと決めていました。在りし日の彫刻家若林奮を、私は大学時代に幾度も校内で見かけていますが、直接指導をしていただくことは叶いませんでした。それでも若林ワールドが好きだった私は、展覧会にはよく出かけていました。練馬区立美術館で開催している若林奮展は「Run and Rest」という不思議な題名があって「走ることと休むこと」って何?と思っていましたが、展示内容を見て納得しました。これは犬の視点で作られた立体やドローイングで、「Run and Rest」の題名がつけられた鉄の立体は、横須賀美術館にある「VALLEYS(谷)」を彷彿とさせますが、本作は犬のサイズで作られているとのこと。飼い犬を観察して導き出した空間解釈に彼のユニークな観点を見取りました。図録に評論家から寄せられた文章があったので引用いたします。「もしそのような犬を媒介した時空が若林の諸作に不可逆的に流れ込んでいるのだとしたら、若林の作品を懸命に見ようとしても、そこには人間の感覚だけでは決して見ることができないたくさんの要素が盛り込まれていて、美術に必須とされる視力だけで見ようとしても決して見尽くすことができない世界が溢れかえっており、それは見るのではなく予感や体感というかたちでしか汲み取ることができず、しかしひとたびそれができるようになれば、ストイックそうな外観に反して豊穣でさえある、横溢さえしている、ということが言いたいからだ。しかし大事なのは、そうした若林の豊穣さ、横溢さが、たんなる日々の犬の散歩道がそうであるように、ある特定の身近な近隣性に根差していて、決して遠方に離れてあるものなどではなく、むしろその近隣への根差しの強烈な深さにおいて、世界が持つとされる歴史性に逆らうほど求心的で、ということはつまりラディカルな普遍性を獲得している、ということにある。普遍性といっても抽象的な普遍性ではない。むしろ逆で、普遍ということばに反して恐ろしく具体的でもある。この恐ろしく具体的であるせいで抽象的に見えてしまう、それほどまでに具体的な普遍性、それが今回、まず最初に確かめておきたい若林の諸作が備える貫通的な本性だろう。」(椹木野衣著)
    「いろどるー赤、白、黒」について
    先日、見に行った世田谷美術館で開催されていた「ふたりのアフリカ、手仕事の宇宙」展の図録から、色彩に関する記事を抜粋いたします。私はアフリカと言えば、泥染めに見られるようなアースカラーを連想してしまうのですが、展示されている作品の色彩は、やや彩度を落とした私好みのものが多かったように思います。図録にこんな文章がありました。「色の三原色は赤、黄、青。それに対し、川田(順造)は多くの文化の基本色である赤、白、黒を『文化の三原色』と呼び、どの言語でもそれぞれを指す言葉が、一日の明るさの変化に関係することが多いと気づきました。しらじらとした夜明け(白)、太陽があかあかともえる昼(赤)、そして日が落ちてくらくなる夜(黒)。川田は色に与えられる言葉を通して、人類に共通する生活体験を見ていました。サバンナの手仕事でこの3色がよく使われたものとして、木の仮面や革製品があります。仮面では、赤は酸化鉄の多い岩を、白は石灰質の岩を砕いて水を混ぜ、黒は木炭の粉や煤で着色しました。革製品では、山羊の皮をなめし、ある植物の実や茎を浸した液、また鉄片を浸した地酒につけるといった作業で、それぞれ赤や白、黒に染めました。」人類が最初に色彩を手に入れる過程が垣間見える行為に、私は興味津々で、その土地から与えられた顔料や染料でいろどったモノで、呪術や祭りを行なったり、装身具にしたのだろうと彼の地に思いを馳せました。そんな色彩に関して言えば、私たちは絵の具の歴史として、顔料に展色材を混ぜて絵の具を作成したことによって、さらに混色して多くの色彩の種類を手中にすることができたのでした。日本では岩絵の具や胡粉などに膠を混ぜて使っていたようですが、「いろどる」ことへの人類史を紐解くと、きっと風土であったり、民族の特徴であったりして、面白い考察が出来そうな気がしています。私がアフリカン・アートが好きな理由が、その土地に根ざした色彩や造形があるからで、そこに生命の喜びを感じるのは20世紀に活躍した芸術家と同じ発想なのかもしれません。
    「ふたりのアフリカ、手仕事の宇宙」展の図録が届く
    昨晩、自宅に世田谷美術館で開催していた「ふたりのアフリカ、手仕事の宇宙」展の図録が届きました。展覧会場では注文を受け付けているだけで、その場で購入することができなかったのですが、届いた図録は装丁や画像が綺麗で、なかなか立派なものでした。同展は人類学者と陶芸作家の夫妻がサヴァンナで収集した工芸品を展示していて、そこに暮らす人々の実態を文章で知りたいと私は思っていました。図録の中から引用いたします。「サヴァンナの人々の生活を支えている、こうした有用樹の大部分は野生で、植えられたものもまれにはあるが、多くは自然に生えたものを、人間が保護しているのである。人口に対して、土地が無限といっていいほど広く、有用樹もいくらでも生えている上に、原野を焼いては耕地として用い、作物のできがわるくなるとまた別の原野をひらいてきたので、集落自体の移動性も高く、役立つようになるまでに長い年月のかかる木を植えることは意味がなかったのだ。~略~もろこし、ひえ類に、わずかばかりの落花生、棉、そして雨水のたまりやすい窪地では稲、などの農耕にしても、それこそ雨と土から生みだされるのを人間は待ち、あとは、猛烈ないきおいであとからあとから生えてくる雑草を、鍬でこそげとるのである。作物を積極的に『育てる』努力は、そこにはない。そして、雨が少しでもながく降らなかったり、降り方が不順だったりすれば、たちまち飢餓にみまわれる。~略~乾燥と熱気にうちひしがれた、無気力にさえみえる時の流れに活をいれるかのように、乾季には、ひえの収穫祭『バズガ』をはじめ、かずかずのまつりがある。そのたび、人々は頭が変になるほど強烈な太鼓のリズムのなかでダム酒を腹いっぱいのみ、鶏や羊を屠って大地に血をそそぐ。王の祖先まつりには、鶏や羊だけでなく、若い牡牛も何頭となく犠牲にされ、何百人という参会者が、野原でいけにえの肉やダムのふるまいをうける。~略~雨季のはじまりをえらんでさかんに行われる死者のまつりは、死後1年も2年もたって、死者の霊を生者の身辺から死者の国『ブクテンガ』へ送りだすまつりで、なまの悲しみのかげはもうどこにもない。このときはとくに大勢の人が集まり、いけにえもし、ダムも大量に準備しなければならないので、当事者にとってはものいりでもあり、1年くらいの準備期間はどうしても必要になるのだ。」(川田順造著)
    「南仏1945-1949」について
    「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「南仏1945-1949」について、気に留まった箇所を取り上げます。「ベルメールは生命のある有機体としての肉体を強く意識して『愛と死』という中世のイメージに傾倒していったが、それは性的な存在として人間が死の運命を認識することであり、病的な性衝動の描写へと、死に対する賭けと見なされた求愛の描写へと彼はいざなわれていった。~略~サド、ボードレール、バタイユ、そしてベルメールはみな、タブーを無効にする必要性を認識していた。彼らは、人間的な状態に関する、性的欲望の限界と可能性に関する苦痛に満ちたありのままの真実を提示しようとする点で一致を見ている。~略~彼らの意見が深刻なまでに食い違っていた領域は、ベルメールにとって最も重要な領域、すなわちエロティシズムの領域であった。ブルトンはサドに、そしてエロスという『黒い神』にしばしば言及したが、その神の祭壇を崇めるのにいつも遠慮がちであった。バタイユは決してそのようなことはなく、彼にとってマゾヒズム、サディズム、そしてあらゆる悪徳は人間をより深く感受する唯一の手段であった。~略~ベルメールはジャン・ブランへ宛てた1948年3月7日の手紙に『紫色の心臓をもった薔薇』という文章のアナグラムを35個すべて書きつけたが、そのうち17個は、それらがノラ・ミトラニとハンス・ベルメールとジョー・ブースケとの共作であるとの趣意の脚注を付して『イマージュの解剖学』刊行の際に収められた。~略~個展は批評家や一般から注目されたとはいえないが、それをきっかけにその年の7月に開催予定であったマグ画廊のシュルレアリスム国際展『1947年のシュルレアリスム』への参加は決定的となった。戦時中、ベルメールはメキシコ(1940年)とニューヨーク(1942年)のシュルレアリスム展に出品したが、マグ画廊の展示は1938年のパリのシュルレアリスム国際展以来、最も野心的なものとして企画された。」今回はここまでにします。
    新聞記事より「目に見えない」
    先日の朝日新聞「天声人語」の内容が気に留まったので引用いたします。「ひとりの飛行士がサハラ砂漠の真ん中に不時着する。そこで彼は不思議な男の子に出会う。刊行83年となる名作、サンテグジュペリの『星の王子さま』である。男の子は言う。〈砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ…〉(内藤濯訳)。新しいニュースが次々流れてくるので、もうずいぶん前のことにも感じるが、先月、奈良県の19遺跡からなる『飛鳥・藤原の宮都』の世界遺産への登録が決まった。多くは地中にあって、見えない遺跡などと呼ばれる。発掘調査をした後、保存のために埋め戻されたからだ。かくれているのは井戸ではなく、宮殿や寺院ということか。〈そうだよ。家でも星でも砂漠でも、その美しいところは、目に見えないのさ〉。飛行士が男の子に返した言葉が、どこからか聞こえてくるかのようだ。『跡』の上に盛られた土には緑が芽吹き、のどかな田園の風景が広がる。景観を守る目的で、住宅の新築などは厳しく規制されてきた。登録決定は地元の人の長い努力の結果でもある。そこに立ち、足の下にある千数百年前の遺跡を思う。古代の人たちの営みを静かに想像する。何と豊かで、楽しいことだろう。いまや国内の世界遺産は27件。過度に権威付けしたり、大げさに騒いだりすることなくその良さを、じっくり味わいたい。世界遺産に限った話でもない。〈心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ〉。沙漠のキツネは言う。〈かんじんなことは、目に見えないんだよ〉」心で見つめることを、私はいつ頃意識したのか、はっきり覚えていませんが、子供の頃にはそんな意識はありませんでした。大学で彫刻に出会ってからなのか、作品の中から発する声を聞くのは他から教えられたものではなかったと思っています。長い時間ずっと見ていられるのは何故か、見た後も印象に残り続けるのは何故か、大学の友人と共有したあの時の感動とは何か、それが在るが故に、目に見えないものを私はずっと意識してきたと言えます。勿論美術だけではなく、あらゆる場面でも目に見えない肝心なことを私は受けとめてこられたのではないかと自負しています。