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  • 「自然と文明の対立」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第2章  ピクチャレスクと観光」の中の「4自然と文明の対立」を取り上げます。ここではギルピン著作「ハイランド観察紀行」が中心となります。「ピクチャレスク・ツーリズムの目的地として人気があったのはロンドンから遠く離れたイギリスのマージナルな地域であったが、その中で湖水地方やウェールズと並んで多くのツーリストが訪れたのがスコットランドである。~略~スコットランドは1707年にイングランドと合同されたが、その後も争乱は続き、平和が訪れたのは1746年の最後のジャコバイトの反乱であるカロディンの戦いの後であった。このような事情によって湖水地方よりはやや遅れたものの、1770年ごろからは多くのツーリストが訪れるようになったが、この時期はピクチャレスクの興隆期に重なる。スコットランドのピクチャレスク美を探求するツーリストにとって言わばバイブル的な存在になったのは、ギルピンによるスコットランドの紀行文である。~略~そもそも、ピクチャレスクの理想的風景は劇場に比した構図に対象を適合させ、牧場などの人為的風景も歓迎するという反・自然に与する側面を併せ持っているが、それは特に崇高さを特性とする風景とは相容れない。インヴェレアリーや他のハイランドの諸地域の風景に対するギルピンの評価の背景には、このようなピクチャレスクが持つ相反する側面が現れている。ピクチャレスクの流行がハイランドに及ぼした影響は、ツーリストの増加による物理的影響だけではない。初期のピクチャレスクの目は規定のパターンの中に全てを当てはめ、規定の言葉でその風景を表現しようとするが、それは風景の地域性を奪ってしまうことでもある。その結果、ハイランドの風景は、ウェールズやイタリア、さらにはインドなどの植民地と同様に画一化されていった。」今回はここまでにします。
    週末 社会派映画&卒制展の1週間
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いていますが、昨日書くはずだった1週間の振り返りを今日に回してしまったので、改めて先週1週間の振り返りを行ないます。先週は日曜日から金曜日までは朝から工房に行き、壁に掛ける新作の制作をやっていました。杉板の刳り貫き作業は1カ月もやっていて、新作ではこれが見せ場になるのかなぁと思っています。工房のある植木畑には桃の花が咲いています。寒さが和らぎ、制作には絶好の季節になりました。先週の印象に残ったことは木曜日に東京新宿にあるミニシアターで観た「死の天使ヨーゼフ・メンゲレ」で、ホロコーストを描いた社会派の映画でした。アウシュヴィッツ収容所でユダヤ人に人体実験を行なったヨーゼフ・メンゲレ医師は、戦争終結とともに南米に逃亡し、国際的捜査の眼をかい潜って生き延びた人でした。こうした実話を土台にしたドラマを私は若い頃からよく観ています。私自身は特定の思想を持っているわけではありませんが、近現代史の表に出ないエピソードに対し、自分なりの思いを確かめたいという欲求があります。大きな事件に対し、そこで生きた人はどんな思いに駆られていたのか、自分の成育歴からでは多々分からない部分もありますが、分かる範囲で考えてみたいのです。先日観た「ネタニアフ調書」ではイスラエル首相の公私にわたる行動をレポートしたドキュメンタリーでしたが、この映画でも考えさせられる箇所が随所にありました。これは自分とは遠い存在と片付けていいものなのか、若い頃ヨーロッパに暮らした自分の通っていた大学は、人種の坩堝で当然ユダヤ人もドイツ人も在学していました。彼らとはメンザ(学生食堂)で顔を合わせる程度の友人でしたが、今になって彼らの民族史を知れば知るほど妙な気分になっています。大学と言えば、昨日の土曜日は女子美術大学の卒業制作展に行ってきました。ここにも中国名や韓国名の卒業生がかなりたくさんいて、しかも留学生は優秀な作品を展示していて、日本人が見劣りしてしまう感想を抱いたのは私だけでしょうか。
    週末 女子美の卒業制作展
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行なうのですが、それを明日に回して、今日は女子美術大学の卒業制作展の様子を伝えていこうと思います。工房に出入りしている私の教え子に女子美大の工芸学科で染織を専攻している学生がいます。彼女は大学の課題のデザインや下書きを工房でやっているので、どんな作品を作ろうとしているのか私にはよく分かっていました。その完成した作品が展示されていて、その仕上がりに私は満足を覚えました。よく頑張ったなぁと彼女に労いの気持ちを持ちました。私は工房に出入りしている教え子たちを連れて美術大学によく出かけて行きます。今日は女子美の学生の他にもう2人を同伴していました。女子美の学生はこの3月で卒業し、4月からは社会人です。以前のNOTE(ブログ)に書きましたが、美術系大学の在学中は自分の好きなことを思いきりやらせてもらえる環境が揃っています。自分の内面に問いかけ、自分の世界を構築していくことの素晴らしさを感じ取れるのは、卒業を迎えるまでの4年間だけで、社会に出れば自己表現を封印しなければならない学生が数多くいます。今までやってきた己を表出することに対し、ここで幕引きを図るか、それとも諦めずに粘り強く取り組んでいくのか、決断するのがこの時期なのだと言えます。工房に出入りしている後輩の彫刻家は、私と同じ二束の草鞋生活を送りながら彫刻を作り続けています。彼も諦めの悪い人種だったわけで、生活するための経済的基盤と創作活動に追い立てられるような日々を過ごしています。大きな注染を展示していた彼女も、大学の師匠から公募団体の出品を促がされていたらしく、卒業後も工房を使わせて欲しいと言ってきました。そうか、この子も二束の草鞋生活になるのかなぁ。大学の他に創作ができる場所を持てるということはこういうことかと思いながら卒業制作展を後にしました。
    新聞記事より「飾りのない描写」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり 正岡子規」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「机の上の瓶より垂れる花房が短くて床に届かない、その景色を写生しただけの歌。ただ、病床に臥す俳人は藤を下から眺めている。『今を盛りの有様』なる花の、届かないというその一事を緊張の時として愉しんでいるのか、あるいは、何処かへ行き着く途上で生を中断せざるをえないであろう自身を花に重ねたのか。飾りのない描写だからよけい想像が蠢く。『墨汁一滴』から。」俳人正岡子規は日本の俳句に革新を齎せた人物として知られています。その革新とは何か、西洋美術にある写生という概念で、つまり飾りのない在りのままの描写です。見えた通りの風景を見えた通りの言葉にする、それは誰でもできるようでいて、誰にもできない表現だと私は思っています。それは作者の視点にあると私は考えていて、見えた風景のこんなところを捉えたのかと、改めて私は感心してしまうのです。完成した句はあたりまえな眼前の事を謳っているのに、どうして妙に心に届くのか、深い思考も感じられず、洒落た技巧もありません。その分、語られていない余白が気になって仕方がないという心理が働きます。そこから憶測が目を覚まし、きっと作者はこんな風情を感じ、あんな未来を予見し、そんな過去に囚われていたのではないか、と勝手な思いに駆られてしまうのです。彼の頭の中では、幾重にも思考が重なり合って、それらを昇華させ、あえて単純な言葉に辿り着いたのか、それとも何も考えず、天才肌をもって俳句を紡いだのか、そんなことは誰にも分かりません。比喩や暗喩の波間を漂い、また深海に身を沈め、さらに論理を駆使して武装を行なっている文章を、あれこれ壁に突きあたりながら把握した挙句に、ふと単純な言葉に気持ちが持っていかれるような爽快感が、正岡子規ワールドにはあると思っています。日本語の不思議な感覚を思わせる俳句の世界は、世界に冠たる文学ではないでしょうか。
    映画「死の天使ヨーゼフ・メンゲレ」雑感
    今日の午前中は工房で作業を行ない、午後から東京の新宿にあるミニシアターに映画「死の天使ヨーゼフ・メンゲレ」を観に出かけました。今日は私一人で行きましたが、嘗て私は岩波ホールで「メンゲレと私」というドキュメンタリー映画を観ていて、D・ハノッホ氏のインタビューに強烈な印象がありました。本作は新聞の映画評で知り、戦後メンゲレが南米に逃亡を図り、そこでどんな潜伏生活を送っていたのか、私には興味が尽きませんでした。医師ヨーゼフ・メンゲレは、アウシュヴィッツ収容所に送られてきたユダヤ人に対し、労働可能か否かを選別し、労働に耐えない人はガス室送りとなるが、そこで人体実験も行ったようです。図録によれば「彼らは『劣等人種』と『優等人種』の違いが遺伝子により裏付けられているのだと信じ、遺伝研究でそれを証明しようとした。メンゲレは収容者の血液を標本として採取し、人種に特有の蛋白質を見つけようとした。」(柳下毅一郎著)本作では収容所で人体実験を行う場面をカラーで表現し(それは顔を覆いたくなる場面も含まれていましたが)、南米での潜伏生活をモノクロで表現しています。まるでメンゲレにとって収容所時代が生涯の中で一番煌めく時代だったようにも感じました。その後に続く無味乾燥な時代が裁きと復讐から逃げ惑った時代で、本作ではここを中心に据えて、殺人者は己自身の幻影に追われる如く、憔悴の中で、時に周囲の理解者に癇癪を引き起こすこともあったのでした。それでもメンゲレは相変わらずドイツ民族の優位性を信じ、ヒトラーを敬愛し続けることが、私たち観客を戦慄させるのに十分な口撃力がありました。私はこんな実話を土台にしたドラマに真っ向から挑んだ制作者たちに作り手の覚悟を見ました。本作はそのテーマ故に多くの観客を惹きつけることはないと思いましたが、一人の怪物を丁寧に描くことに拍手を送りたいと思っています。ヨーゼフ・メンゲレは為名のままブラジルのサンパウロで69歳で絶命しました。海水浴中の心臓発作が死因で、裁きを受けたわけではありません。ただし、その後の調査によって埋葬された遺体がヨーゼフ・メンゲレと判明したのでした。私が今まで観た映画の中で、モヤモヤして納得のいかない結末を迎えた映画は他にないと思っています。その分、強烈な印象が残ることになりました。