Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 積雪のあった1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみると、横浜では珍しく雪が降り、工房周辺は積雪で真っ白になりました。とくに雪掻きをするほどでもないので、そのまま放置していましたが、今日の土曜日には雪がすっかり融けてしまいました。工房は高い丘にあるので、そこから見える富士山や丹沢の山々がくっきりと美しい姿をして青空に映えていました。今週も相変わらず毎日工房に通って陶彫制作に明け暮れていましたが、来週から始まるグループ展の搬入準備を始めました。作品が小さいので、例年のような木箱を作ることもなく、簡単に準備は終わりました。個展搬入準備の煩雑さに慣れてしまっている自分は、やや物足りなさを感じながら、通常の陶彫制作を先に進めていました。今日は後輩の彫刻家が工房にやって来て、一所懸命木を彫っていました。週末になると彼がやってくるのが定番になっています。明日は工房に出入りしている美大生たちを連れて、ギャラリーや美術館巡りをする予定なので、私は今日のうちに窯入れを行っておこうと考えていました。明日は美術鑑賞、明後日はグループ展搬入と予定が続くので、2日間は工房が使えません。昨日、国際的な指揮者小澤征爾氏逝去のニュースが飛び込んできました。声楽家下野昇叔父が先週亡くなったばかりでしたが、忘れかけた記憶の中で、叔父のオペラ出演の際に、私は家内と叔父の楽屋を訪れ、家内は叔母と共に楽屋に入って叔父の世話をしていました。私は外で待っていた時に隣が小澤氏の楽屋で、小澤氏がひよっこり顔を出したことを思い出しました。言葉を交わしたわけではなく、一瞬の出来事でしたが、楽屋での小澤氏は浴衣を着ていたのでした。当時のことを家内は忘れていましたが、私は雲の上の人が突如現れたことで記憶していたのでしょうか。妙に親近感があったことだけは記憶の片隅にありました。ご冥福をお祈り申し上げます。
    「オランスの身振り」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第6章 カラヴァッジョの身振り」の「2 オランスの身振り」の気になった箇所を取り上げます。「動作を伴う身振りを絵画で表現することには大きな制約があるのだが、絵画でしか表現できない身振りもある。ひとつの身振りが二つ以上の意味を暗示するという場合があり、象徴的な意味を帯びる場合である。カラヴァッジョの作品には、両腕を左右に広げる身振りが多く見られる。ここでは仮にこの身振りを『オランス型』とよぶことにしたい。~略~そもそも祈りの姿勢としての両手を上げて立つ身振りは、反宗教改革期における初期キリスト教文化の復興ブームの中でオラトリオ会を中心に普及したものと考えられる。これは古代においては、負けた者が両手を上げて武装解除したことを示す降伏の身振りであったが、これは嘆願から祈りを示すものとなり、古代教会では一般的な祈りの姿勢となった。そして千年頃に、両手を合わせる身振りが造形表現の中で取って代わったのである。祈禱者の身振りとよばれたこの祈りの姿勢は、『救い主の身振りを模倣して両腕を十字架のように左右に伸ばして立つもの』として、キリストの受難を喚起するものであった。」これを踏まえてカラヴァッジョの作品を一覧します。「カラヴァッジョは、その最初の宗教画《聖マタイの殉教》から《復活》にいたるまで、磔刑を暗示するオランス型の身振りを繰り返し表現していた。《キリストの埋葬》では哀悼、《聖マタイの殉教》では防御、《エマオの晩餐》では驚愕、《聖パウロの回心》と《ラザロの復活》では歓呼あるいは応答を表す身振りであったが、いずれも磔刑を暗示し、生と死、復活と救済などの意味を付加して主題に奥行きを与えていると解釈できるのである。ただし、それらはいずれも伝統的な図像を大きく外れるものではなく、基本的に先行図像に倣いながら、やや身振りを大きくして画面におけるその比重を増すことでその意味を強調している。~略~物語を効果的に伝えるために大きな身振りを表現するだけでなく、形態のもつ重層的な指示性によって、ひとつの身振りが別の意味を象徴的に示す、というのは絵画表現のみに許された特質であった。表現的・表出的な身振りが、象徴的で儀礼的な身振りに転化する、あるいは両者が重ね合わされていることが、自然主義的な身振り表現を十全に展開したと思われてきたカラヴァッジョ作品のひとつの特質といってもよいのではなかろうか。」今回はここまでにします。
    「『マタイ論争』と身振り」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)は、今日から「第6章 カラヴァッジョの身振り」に入ります。本章最初の単元「1『マタイ論争』と身振り」の気になった箇所を取り上げます。「カラヴァッジョ作品の特質のひとつは登場人物の大きな身振りにある。ときに大げさにも思われるこうした身振りは、登場人物の心理と物語の動きを明示し、主題の説得力を高めて作品に力強さを与えている。絵画にとっての身振りは、ルネサンス以降、表現の重要な要素とされてきており、心の動きは身体の動きによってわかるとしたアルベルティの思想がレオナルドやロマッツォに継承され、16世紀後半にヴァザーリやジリオによって、デコールムに関連して身振りの重要性が強調されていた。~略~時間や動きを表現することのできない美術は、ひとつの身振りでその前後の状況を示す必要があった。しかし静止した画面の中では身振りの意味を正しく読み取ることが困難となる場合がある。そのため、多くの場合、日常生活で実際に用いられる身振りの一時的な形態をそのまま写すのではなく、表現の伝統とコードに則ったいくつかの型によって表現されることになる。~略~描かれた身振りが絵画読解上の問題となった典型的な例が、《聖マタイの召命》をめぐる論争である。」画面では右側に立つキリストが指示したマタイは、群像のどの位置にいるのか、さまざまな解釈が成されてきました。「カラヴァッジョ作品においては、頻出する人差し指は必ず自分以外の第三者を指し、しかもほとんどの場合、それに指示されるものは画面の主役たる聖なる存在である。《マタイ》の場合も、髭の男が人差し指で示しているのは左端の若者であり、この身振りによって注目させられているこの若者こそがマタイであると考えるべきではないだろうか。」今回はここまでにします。
    「最初期の作品《果物を剝く少年》の問題」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第5章 真贋の森 」の「2 最初期の作品《果物を剝く少年》の問題」の気になった箇所を取り上げます。第5章は本単元で終了です。「《果物を剝く少年》はアトリビューション(※原因を示すことで説明する)がはっきりしないことから、通常カラヴァッジョの作品目録からはずされているが、真筆であるにしてもコピーであるにしても、カラヴァッジョの最初期の作品を伝えるものであることはまちがいない。~略~たしかに単なる風俗画がいかにローマで目新しかったとはいえ、現在の目から見れば何の変哲もないこの作品に尋常ではないほど多くのコピーが作られたこと、またペルージャにあるコピーには、少年の右上に天使が登場しているため、何らかの宗教的あるいは教訓的意味を含んでいると考えるのも当然であり、単なる風俗画であると断定することはためらわれるのである。」《果物を剝く少年》は宗教性を読み取ろうが、そうでなかろうが、私はカラヴァッジョの作品の中ではお気に入りの作品で、何気ない少年の仕草にホッとさせられるのです。「《果物を剝く少年》は、カラヴァッジョの最初期の画業の空白を埋める重要な作品であるにもかかわらず、真筆問題もその意味も依然として大きなアポリア(※通路または手段のないこと)のまま残されている。しかしここには、ミラノからローマに移った当初のカラヴァッジョが、おそらくダルピーノ工房に入る前、ロンバルディアの自然主義を引きずりながら、ローマの優美なマニエリスムに接近したたしかな痕跡を垣間見ることができよう。そして、まもなく迫真的な写実主義によってローマ画壇に頭角を現すカラヴァッジョが、当初は稚拙な画技しかもたずに試行錯誤を重ねていたという可能性さえも看取できるのである。つまり、従来のイメージのように、ロンバルディアですでに完成された技法をローマに携えてきた若き天才ではなく、食にも事欠く窮乏生活の中で過剰な自信や野望をたぎらせつつ、血のにじむような努力を重ねて卓抜した描写技術を獲得していったというカラヴァッジョのイメージも、《果物を剝く少年》のような作品の前では想定しなければならないのかもしれない。」今回はここまでにします。
    「カラヴァッジョの複数作品」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)は、今日から「第5章 真贋の森 」に入ります。本章最初の単元「1 カラヴァッジョの複数作品」の気になった箇所を取り上げます。「作品が少ないにもかかわらず、生前から美術家にもコレクターにも大きな人気があったことから、早くから学習用の模写や代用品、贋作にいたる様々な目的でコピー(模写、模作)が作られた。同時代の他の巨匠にくらべてもカラヴァッジョにはコピーが多く、ひとつの原作のまわりには数点から数十点のコピーが存在する。~略~また、カラヴァッジョの作品では、ほぼ同じ図様のものが二点あるものがある。ここでは仮に複数作品とよぶが、いずれが真筆であるか、あるいはどちらも真筆なのかという問題を提起してきた。大きく分けて、まったく同じ図像の作品でも作品でも、描写も様式も寸分たがわないものと、やや様式の異なるものとがある。」その複数作品は画家本人が作ったものなのでしょうか。「短期間に奔放に才能をほとばしらせて散ったカラヴァッジョのような天才が、自作を丹念にコピーするなどとは考えがたいようだが、17世紀には画家が自作のレプリカを作ることはごく一般的であった。あるパトロンのために制作した作品を見た別のパトロンがそれをほしがるという事態になった場合、画家はレプリカを作ってその要求に応えたのである。同時期に作る場合はほとんど同じものになったであろうし、時間がたってからの場合は様式に多少の変化が生じたであろう。~略~カラヴァッジョの作品では、ローマにあった作品の多くにはコピーが作られたのだが、ミラノやマントヴァなど北部にあったものはコピーされず、ナポリやシチリアやマルタに残った作品は特に多くのコピーが作られている。カラヴァッジョ様式が熱心に摂取され、大きな人気を博した地域にあった作品は数多くのコピーが作られたわけである。」今回はここまでにします。