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  • 「カラヴァッジョにおける『不在効果』」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第7章 二点の《洗礼者ヨハネ》の主題 」の「2 カラヴァッジョにおける『不在効果』」の気になった箇所を取り上げます。「登場する人物をあえて描かず、画面外の空間にその存在を想定させ、観者の位置に重ね合わせることによって、観者を画中の出来事に関与させるこうした趣向を『不在効果』と呼ぶことにする。いわば画中の主要人物の一人を欠くことによる欠落感・喪失感が観者の感情を画中の情景に誘い込む手法である。」カラヴァッジョはどうだったのか、考察した箇所をピックアップしてみます。「静物画や風俗画から出発したカラヴァッジョは、宗教画を制作するにあたり、バッサーノのような二重空間を用いることもできたが、彼は宗教画に静物画や風俗画を融合させながら聖なる情景の聖性を維持させることに成功した。また、見事な写実技法とともに不在効果を駆使して比類ない臨場感を作品に与えたが、宗教画でそれを成功させる前にまず一連の風俗画でそれを試みている。」カラヴァッジョは当時の絵画に新鮮味を加え、新しい表現方法を編み出していると言えます。どんな絵画であれカラヴァッジョの非凡な才能が認められる論考があちらこちらに散見されます。「カラヴァッジョは『二重空間』に用いられていた静物や風俗の描写を聖なる情景に融合させ、それを光の効果によって統一することで現実感を与え、また『不在効果』の手法を用いて観者を画中の一員に誘う臨場感を備えた宗教画を創造したのだった。これによって、反宗教改革的なわかりやすい宗教論に、神秘性や聖性を失うことなく現実性がもたらされたのである。カピトリーノ美術館の《洗礼者ヨハネ》も、こうした効果を用いたものであろうか。少年は画面から張り出すように観者の近くにおり、観者を見つめて微笑みかけている。それは精妙な光と見事な写実性とあいまって、観者を画面空間にひきこむのである。」今回はここまでにします。
    「カピトリーノ作品」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)は、今日から「第7章 二点の《洗礼者ヨハネ》の主題 」に入ります。本章最初の単元「1 カピトリーノ作品」の気になった箇所を取り上げます。「カピトリーノ美術館にあるカラヴァッジョの通称《洗礼者ヨハネ》は、近年その主題について新たな疑問が投げかけられている作品である。~略~仔羊の代わりに大きな角を持った老羊を抱くこの少年は本当に洗礼者ヨハネであろうか。ヨハネでなければ誰なのか。この問題は近年さかんに論議されたが、十分に納得できる結果を見ていない。」《洗礼者ヨハネ》の主題から離れた見解を示す人々のことを書いた箇所がありました。「笑みを浮かべてこちらを見つめるこの全裸の少年について、フロンメル、ポズナー、ブランディらは、挑発的でエロチックな性質を認め、カラヴァッジョのパトロンであるデル・モンテ枢機卿の私生活とも関連する同性愛的な表現がキリスト教的な偽装を施されたものであるとした。また、マーンと同じくこの作品を『牡羊と少年』と呼ぶモアールは、牡羊は好色の象徴であり、少年が嘲笑しながらレダのように牡羊を抱擁するこの作品は宗教色のない異教的な悪童を描いたものあるとした。」また、この少年がヨハネではなく、「解放されたイサク」であるという説も出てきました。「この作品の主題が『解放されたイサク』であるという説が、今や最も説得力をもっているように思われる。しかしいくつかの難点もないわけではない。まず、犠牲の場面以外にイサクを扱った作例がない、つまりイサクを単独で表現した例が存在しないという点である。たしかにカラヴァッジョはしばしば伝統的な図像に逆らい、図像上の革新を推進した画家ではあったが、過去に作例の存在しない宗教的主題を描いたためしはないのである。次に、裸体の青年が荒野で修業するという洗礼者ヨハネの図像に近い、あるいはそれを容易に想像させるという点である。」果たしてこの作品の主題は何なのか、カラヴァッジョ本人に聞かないと分からないのかもしれません。今回はここまでにします。
    横須賀の「日本の巨大ロボット群像」展
    先日、私の教え子から招待券をいただいて、工房に出入りしている学生たちと横須賀美術館に行ってきました。目的は教え子が出品していたグループ展でしたが、同時開催で「日本の巨大ロボット群像」展をやっていて、なかなか盛況でした。漫画やアニメに登場する巨大ロボットは、日本が世界に誇るサブカルチャーで、子どもだけなくマニアックな大人たちも魅了する分野なのかもしれず、企画としては大変面白いものと感じました。私にとって巨大ロボットの原点は「鉄人28号」で、新商品好きだった亡父が近所に先駆けて購入したモノクロテレビから現れた鉄人は、忽ち私を魅了しました。近所にテレビがなかった時代に、我が家は自宅が街頭テレビ化してしまっていて、近所で遊んでいた子どもたちが我が家に集まってきていました。図録によると鉄人28号の発想は「ユダヤ教の伝承に存在するゴーレムに行き当たる」のだそうです。「ゴーレムは泥から生まれた巨大な人形であり、主人の言うままに動きます。これは操縦機を手にした者が善であろうと悪であろうと関係なく、その威力を発揮する鉄人28号に極めて近いと思われます。」とありました。意志を持たない巨大なロボットという発想が、その機械的な動きとともに、当時の私には新鮮でした。その後、パイロットが巨大ロボットに搭乗するのが「マジンガーZ」で、さらに複数メカの合体や用途別にロボットが形状を変えていく要素が加わり、ロボットアニメの全盛期を迎えるのですが、私はロボットアニメを卒業しつつありました。大ヒットした「ガンダム」とは既に疎遠になっていて、私が社会人になって興味を示したのは「エヴァンゲリオン」くらいです。展覧会を廻っていると、私は必ずしも巨大ロボットのマニアではなく、アニメが放映された頃に夢中になっていただけに過ぎないことが分かりました。巨大ロボットが日本のサブカルチャーとして、または実際に災害救助や医療の現場でリアルに登場する日も近いだろうと思っています。巨大ロボットは漫画やアニメの世界ではなく、近未来で活躍することを私は期待しています
    三連休最終日は如月展搬入日
    今日は三連休の最終日になります。今日は退職校長会が主催する如月展の搬入日になり、私は車で「発掘~街灯A~」と「発掘~街灯B~」を横浜の画廊に運びました。如月展は第45回を迎えているそうで、私が教職に就く前から展覧会が始まったようです。当時は美術科校長も複数いて、盛況だった時代もあったそうですが、私が参加した今年は美術科校長は私を含めて2人だけという状況になっていました。美術科教諭の中には、大学で美術を専門として学んだにも関わらず、教職に就いている期間に創作活動も萎え、退職しても美術をやろうとする人が少なくて、私は残念に思っています。絵画や彫刻は社会的ニーズがなく、目の前の生徒たちを指導することが先決され、心の中に燻る創作活動への思いが次第にその順序を下げてしまうのです。私のような諦めの悪い人間だけが、多忙に押し流されず、初志を貫いていくのだろうと振り返っています。如月会のメンバーは美術科が少なく、皆さんが気軽に美術や書道を楽しむ心を持ち合わせているため、長きにわたってグループ展を継続できたのではないでしょうか。どんな作品であれ自ら楽しんで作品を作るという、美術科教諭が忘れがちな心構えが、如月展にはあると私は感じました。私自身は校長を退職してから横の繋がりがなくなっていたので、この機会に皆さんと交流していこうと思っています。初日である今日は、私は搬入や飾りつけの後、会場の当番をしていましたが、ギャラリーせいほうにも来てくださっている人たちがお見えになり、とても有難く思いました。一番に会場に入ってきたのは高校の同級生で、彼と俳優竹中直人君は、今も付き合いが長く続いている仲間なのです。それから自分と同期の管理職仲間もやってきました。如月会は先輩校長ばかりなので、私はホッとしました。私は次に在廊するのは搬出日ですが、ご高覧いただければ幸いです。場所は「みゆき画廊」横浜市中区吉田町5-1でJR関内駅から数分です。11:30~16:30です。
    建国記念の日は展覧会巡り
    今日は三連休の中日で、建国記念の日になります。昨日、窯入れをしたので今朝は工房に行って温度確認をしてきました。それから工房に出入りしている学生たちを3人連れて、横浜山手にあるギャラリーと横須賀美術館に車で出かけてきました。横浜山手にある西洋館のひとつにエリスマン邸があります。そこで私の嘗ての同僚が刺し子作品展をやっているので見てきました。彼女は教職を退職した後、緻密な刺し子作品を作り続けて、毎年個展を開催しています。私も同じ立場なので勇気づけられています。お互い頑張ろうと継続を誓い合って、エリスマン邸を後にしました。次に向かったのが横須賀美術館で、「HIRAKU」というグループ展をやっているので見てきました。そのメンバーの一人が染めのアーティストで、以前工房に出入りしていた私の教え子です。横須賀田浦の谷戸で芸術家コミュニティを形成している4人が作品を発表していました。彼女は染めの実験形式を作品化していて、染めによって変化する視覚や触覚に訴えたオブジェを展示していました。素材を染める過程で質が変容していくのは面白いなぁと改めて気づかされる場面があり、それによって染められた糸が天井から弧を描く姿は爽快感がありました。そもそも素材とは何かを問いかける意図が次へのステップに繋がるように思えました。今日は建国記念の日でもあるので、とりわけ横須賀美術館には家族連れが多く、昨日から始まった企画展「日本の巨大ロボット群像」展には、マニアックな鑑賞者がいたのではないかと察しています。私自身も日本の漫画に登場するロボットには関心がありましたが、展示方法には気を留めることもなく見飛ばしてしまいました。一応企画の面白さを考慮して図録を買い求めましたので、別稿を起こそうと思います。