2026.08.19 Wednesday
私は彫刻を作りながら5年前まで教職に就いていました。彫刻では生活が出来ないことで、地元の学校に勤めながら彫刻制作をやっていこうと20代最後の歳に決め、横浜市の採用試験を受けました。教職は片手間では出来ないことも承知していましたが、その頃の私は必死な思いで毎日を過ごしていました。海外に5年間も暮らしていて好き勝手な留学生活の末に、将来に対して暗中模索となり、二束の草鞋生活を選んだのでした。意外にも授業での生徒の反応が面白く、このままこれで時間をやり繰りすれば何とかなるかなぁと思っていたところ、当時の校長から管理職試験を受けろと勧められました。え?と思いましたが、家内から社会で評価されているうちが華だよと言われ、これもチャレンジすることになりました。管理職になっても私には創作活動を止める選択はなく、校長兼彫刻家として年1回東京銀座のギャラリーで個展を企画していただいていました。どうしてそんなことが出来たのか、今でも分かりませんが、全力投球していれば何とかやっていけるものなんだと言うことを私は実践してきました。横浜市の校長を退職すると、自分の都合に関係なく清交会という組織に入ることになりましたが、その清交会が結成65周年を迎えるので記念展覧会をやるそうで、担当している元校長から連絡がありました。その人は初任校で一緒だった人で、彼からお願いされれば断れないので協力することにしました。退職校長会のグループ展「如月会」に私は出品している関係で、65周年記念展も支援することになったというのが本当のところです。実際の搬入采配やら展示には身体を動かさないとならないかなぁと思っています。当たり前のことですが、退職校長会のメンバーは全員高齢です。ただ頭脳が明晰な方が多いので、礼儀を弁えながら行動しようと思っています。清交会名簿の最初の方に掲載されている人は100歳を越えているのでしょうか。たまに連絡がくる訃報によると、元校長は長寿の方が多いと感じます。私の個展に一人で来られた元校長は95歳と言っていました。はっきり言うと羨ましい限りです。結成65周年記念展は9月22日から、東神奈川駅にある「かなっくホール」で開催されます。
2026.08.18 Tuesday
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「巧妙だというのは、必ずしもふんだんな材料を次から次へとくりだし使いこなすという点にばかりあるのじゃない。吉田秀和」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「調性や和声、リズムに関しその『安定と動揺の間の振幅を美しく拡げ』たのがモーツァルトだったと、音楽評論家は言う。すぐ聞き飽きる音楽はこの『複雑さの幅が狭い』と。使える材料や環境に限りがあってもそのなかで最大の効果をあげること。家事だってこの緊張が大事で、盛りだくさんが幸せなのではない。『モーツァルト』から。」音楽で言えば、多くの楽器を使ったオーケストラでも、最初はその迫力に驚いても、楽想が単調であれば忽ち飽きてしまう結果になります。クラシックでなくても周囲に流れている音楽を聴いていると、『複雑さの幅が狭い』音楽は数多くあると思っています。それは音楽に限ったことではなく、たとえば料理にも言えるかもしれません。あれこれ料理の素材が使われていても、工夫がなければ本当の美味しさは引き出せないように私には思えます。最良の例として日本の懐石料理は、ひとつの素材に対し、あらゆる吟味を試みて一番適した調理をしていると思っています。そこには味だけでなく、視覚的な効果も狙っています。どんな器に盛り付けるのか、そこに情緒のある風景を出現させ、料理という小宇宙を形成しているのです。それは私が専門としている造形美術にも当てはまります。今や現代アートの素材のバリエーションは豊富で、どんなものでもアートになり得ることができますが、そこに「安定と動揺の間の振幅を美しく拡げ」られた作品がどのくらいあるでしょうか。私も陶彫という素材に拘って長いこと表現をしてきていますが、「複雑さの幅が狭く」ならないように盛りだくさんであるが故に退屈にならないように、究極のカタチを追い求めていると言っても過言ではありません。
2026.08.17 Monday
「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「パリ1949-1955」について、気に留まった箇所を取り上げます。「パリに戻ってベルメールは、クリスティアン・ドルジェが探してくれたムフタール街(パリ5区)のホテルに越した。結局彼はこの地に15年間留まることになり、その期間の大部分を88番地にあったアラブ人労働者用のエスペランス・ホテルの一室で過ごした。この建物は汚くて臭く危険で、貧民街よりは若干ましな程度であった。~略~逸話は、ベルメールの秘密主義、潔癖症、自己顕示欲、人を魅惑することもあるが不快にすることもあった奇異なる逆説趣味、日常茶飯事となったアナーキズムの汚名などを明かしている。ベルメールがしばしば夜を過ごした『エスペランス・バー』のパトロンであったアネッテ・ヴァイスの記憶によると、ベルメールはいつでも礼儀正しく、芸術家や知識人にはおのずから不信の目を向けていたのに、労働者には謙遜して親しく接していたという。~略~オープニングの夜、彼はウニカ・チュルンと出会うこととなったのである。1950年にノラ・ミトラニとの関係が終わってからというもの、ベルメールは一人きりで寂しい思いをしていた。ベルリンのこの地で彼は、黒いスーツに身を包み、ボタンホールに大きな赤い薔薇をさした37歳の女性短篇作家と、突然、恋に落ちた。偶然がふたたび彼の生涯に介在したのである。というのも、ウニカは表情の乏しい顔つきで、突き出した鼻と大きな目をもち、異常なほど人形に似ていたのである。~略~ベルメールはその後も1950年代には、画家ヴィフレド・ラム、ジャン・アルプ、アンリ・ミショー、ロベルト・マッタ、ヴィクトル・ブローネル、マルセル・デュシャン、写真家のマン・レイ、そして作家のアルベール・カミュ、ジュアン・マユー、ガストン・バシュラールといった仲間の芸術家たちの肖像を描き続けた。彼の肖像画群は、あたかも同時代の芸術的創造者のすばらしき万神殿のような感がある。」今回はここまでにします。
2026.08.16 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。現在の私は来る日も来る日も陶土と格闘し、自らのイメージを手探りで具現化しています。今日は陶彫という表現に至った自分の制作について振り返る機会を持ちたいと思います。陶芸の里ではない場所に育った私の成育歴では、陶との触れ合いは希薄なものでした。大学で彫刻を学んでいた私は、習作として人体塑造をやっていましたが、彫刻の面白さに目覚めると同時に、人体を作り続ける意味も考えていました。転機はヨーロッパで過ごした5年間にやってきました。日本の陶芸の美しさに海外で気づくのはよくあることですが、私も例外ではなく、西洋美術の本領である人体彫刻では西欧に敵わないことを実感し、陶で彫刻をやりたいという意志が芽生えました。帰国後、陶芸家として活躍している友人に技法を教わりつつ、陶土の混合を試しながら現在の陶彫に辿り着きました。もうひとつ、私が素材に陶を選んだ理由があります。私は生活を支える手段として教職に就きました。多忙な教職と創作活動との二束の草鞋生活になりましたが、自分の都合ではなく、陶は陶土の乾燥具合など常に気にしなければならない素材であったことが、多忙な中で陶彫を継続する要因になりました。学校の美術準備室に置いてある陶土を私は、どんなに忙しかった日でも一度は確認し、また時間があれば土練りをしていました。他の素材なら放っていたところを、陶土の具合に合わせて制作をしなければならないのが、結果として創作活動を続けられたのだろうと思っています。最後に陶は最終工程に焼成があることが重要で、窯に作品を入れてしまうと人の手が入れられず、作品の完成は窯にいる炎神に任せるしかないという魔力的な魅力に私は憑りつかれてしまったのでした。おまけに窯内で素材の変容が起こり、石化することが私には何とも不思議だったのですが、最初の頃は罅割れ等の失敗続きで、素材を上手くコントロールできない困難さも抱えました。簡単には獲得できない技法に戸惑うこともありましたが、それでも陶の面白さを捨てきれず、何十年も陶彫を作り続けているというのが 私が素材に陶を選んだ理由です。
2026.08.15 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週は来年に向けた新作陶彫の土台部分を作っていました。前にNOTE(ブログ)に書いた春霞のようなイメージは、今ではくっきりとした立体になり、塔の一番下になる大きな陶彫部品を5点ほど成形しています。工房は空調設備がないので、室内は外と同じ猛暑になっていますが、それでも教え子だった若い木彫家や染色家がよく通ってきていて、今週も工房自体に活気がありました。私も陶土に毎日触れて充実した時間を過ごしていました。画廊に個展を企画してもらえることは大変幸せなことですが、実は制作に面と向かって取り組んでいるこの瞬間が、私にとって一番幸せなのかもしれないと思っています。身体から汗が流れ、陶土の扱いに相変わらずモタついている時は、苦しいと思うこともありますが、これが最高の時間なのだと気づきました。自分の健康管理はこうした時を末永く過ごすためにあるのです。さて、今週はお盆でもあるので菩提寺に墓参りに出かけました。私は先祖に対して必要最低限のことしかやっていませんが、それでも春彼岸とこのお盆の時期には墓参りをやっています。金曜日には練馬区立美術館で開催している「若林奮Run and Rest」展に行ってきました。お盆休みでも美術館は人が疎らでした。そのおかげで作品をじっくり見ることできました。特異な作風を持つ彫刻家を私は学生時代から着目していて、私自身も少なからず影響を受けていると感じています。自宅がある横浜から東京の練馬まで電車に乗っている時間が長く、首都圏の美術館にしては結構遠いと感じましたが、途中に池袋があるので、美術館の帰り道に池袋のジュンク堂書店に立ち寄り、美術関連の書籍3冊を購入してきました。こんな時でないと美術の専門書が手に入らないのです。これで暫くは楽しい時間が過ごせそうだなと思い、満足した1週間になりました。