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  • 横須賀の「日本の巨大ロボット群像」展
    先日、私の教え子から招待券をいただいて、工房に出入りしている学生たちと横須賀美術館に行ってきました。目的は教え子が出品していたグループ展でしたが、同時開催で「日本の巨大ロボット群像」展をやっていて、なかなか盛況でした。漫画やアニメに登場する巨大ロボットは、日本が世界に誇るサブカルチャーで、子どもだけなくマニアックな大人たちも魅了する分野なのかもしれず、企画としては大変面白いものと感じました。私にとって巨大ロボットの原点は「鉄人28号」で、新商品好きだった亡父が近所に先駆けて購入したモノクロテレビから現れた鉄人は、忽ち私を魅了しました。近所にテレビがなかった時代に、我が家は自宅が街頭テレビ化してしまっていて、近所で遊んでいた子どもたちが我が家に集まってきていました。図録によると鉄人28号の発想は「ユダヤ教の伝承に存在するゴーレムに行き当たる」のだそうです。「ゴーレムは泥から生まれた巨大な人形であり、主人の言うままに動きます。これは操縦機を手にした者が善であろうと悪であろうと関係なく、その威力を発揮する鉄人28号に極めて近いと思われます。」とありました。意志を持たない巨大なロボットという発想が、その機械的な動きとともに、当時の私には新鮮でした。その後、パイロットが巨大ロボットに搭乗するのが「マジンガーZ」で、さらに複数メカの合体や用途別にロボットが形状を変えていく要素が加わり、ロボットアニメの全盛期を迎えるのですが、私はロボットアニメを卒業しつつありました。大ヒットした「ガンダム」とは既に疎遠になっていて、私が社会人になって興味を示したのは「エヴァンゲリオン」くらいです。展覧会を廻っていると、私は必ずしも巨大ロボットのマニアではなく、アニメが放映された頃に夢中になっていただけに過ぎないことが分かりました。巨大ロボットが日本のサブカルチャーとして、または実際に災害救助や医療の現場でリアルに登場する日も近いだろうと思っています。巨大ロボットは漫画やアニメの世界ではなく、近未来で活躍することを私は期待しています
    三連休最終日は如月展搬入日
    今日は三連休の最終日になります。今日は退職校長会が主催する如月展の搬入日になり、私は車で「発掘~街灯A~」と「発掘~街灯B~」を横浜の画廊に運びました。如月展は第45回を迎えているそうで、私が教職に就く前から展覧会が始まったようです。当時は美術科校長も複数いて、盛況だった時代もあったそうですが、私が参加した今年は美術科校長は私を含めて2人だけという状況になっていました。美術科教諭の中には、大学で美術を専門として学んだにも関わらず、教職に就いている期間に創作活動も萎え、退職しても美術をやろうとする人が少なくて、私は残念に思っています。絵画や彫刻は社会的ニーズがなく、目の前の生徒たちを指導することが先決され、心の中に燻る創作活動への思いが次第にその順序を下げてしまうのです。私のような諦めの悪い人間だけが、多忙に押し流されず、初志を貫いていくのだろうと振り返っています。如月会のメンバーは美術科が少なく、皆さんが気軽に美術や書道を楽しむ心を持ち合わせているため、長きにわたってグループ展を継続できたのではないでしょうか。どんな作品であれ自ら楽しんで作品を作るという、美術科教諭が忘れがちな心構えが、如月展にはあると私は感じました。私自身は校長を退職してから横の繋がりがなくなっていたので、この機会に皆さんと交流していこうと思っています。初日である今日は、私は搬入や飾りつけの後、会場の当番をしていましたが、ギャラリーせいほうにも来てくださっている人たちがお見えになり、とても有難く思いました。一番に会場に入ってきたのは高校の同級生で、彼と俳優竹中直人君は、今も付き合いが長く続いている仲間なのです。それから自分と同期の管理職仲間もやってきました。如月会は先輩校長ばかりなので、私はホッとしました。私は次に在廊するのは搬出日ですが、ご高覧いただければ幸いです。場所は「みゆき画廊」横浜市中区吉田町5-1でJR関内駅から数分です。11:30~16:30です。
    建国記念の日は展覧会巡り
    今日は三連休の中日で、建国記念の日になります。昨日、窯入れをしたので今朝は工房に行って温度確認をしてきました。それから工房に出入りしている学生たちを3人連れて、横浜山手にあるギャラリーと横須賀美術館に車で出かけてきました。横浜山手にある西洋館のひとつにエリスマン邸があります。そこで私の嘗ての同僚が刺し子作品展をやっているので見てきました。彼女は教職を退職した後、緻密な刺し子作品を作り続けて、毎年個展を開催しています。私も同じ立場なので勇気づけられています。お互い頑張ろうと継続を誓い合って、エリスマン邸を後にしました。次に向かったのが横須賀美術館で、「HIRAKU」というグループ展をやっているので見てきました。そのメンバーの一人が染めのアーティストで、以前工房に出入りしていた私の教え子です。横須賀田浦の谷戸で芸術家コミュニティを形成している4人が作品を発表していました。彼女は染めの実験形式を作品化していて、染めによって変化する視覚や触覚に訴えたオブジェを展示していました。素材を染める過程で質が変容していくのは面白いなぁと改めて気づかされる場面があり、それによって染められた糸が天井から弧を描く姿は爽快感がありました。そもそも素材とは何かを問いかける意図が次へのステップに繋がるように思えました。今日は建国記念の日でもあるので、とりわけ横須賀美術館には家族連れが多く、昨日から始まった企画展「日本の巨大ロボット群像」展には、マニアックな鑑賞者がいたのではないかと察しています。私自身も日本の漫画に登場するロボットには関心がありましたが、展示方法には気を留めることもなく見飛ばしてしまいました。一応企画の面白さを考慮して図録を買い求めましたので、別稿を起こそうと思います。
    週末 積雪のあった1週間
    週末になりました。今週を振り返ってみると、横浜では珍しく雪が降り、工房周辺は積雪で真っ白になりました。とくに雪掻きをするほどでもないので、そのまま放置していましたが、今日の土曜日には雪がすっかり融けてしまいました。工房は高い丘にあるので、そこから見える富士山や丹沢の山々がくっきりと美しい姿をして青空に映えていました。今週も相変わらず毎日工房に通って陶彫制作に明け暮れていましたが、来週から始まるグループ展の搬入準備を始めました。作品が小さいので、例年のような木箱を作ることもなく、簡単に準備は終わりました。個展搬入準備の煩雑さに慣れてしまっている自分は、やや物足りなさを感じながら、通常の陶彫制作を先に進めていました。今日は後輩の彫刻家が工房にやって来て、一所懸命木を彫っていました。週末になると彼がやってくるのが定番になっています。明日は工房に出入りしている美大生たちを連れて、ギャラリーや美術館巡りをする予定なので、私は今日のうちに窯入れを行っておこうと考えていました。明日は美術鑑賞、明後日はグループ展搬入と予定が続くので、2日間は工房が使えません。昨日、国際的な指揮者小澤征爾氏逝去のニュースが飛び込んできました。声楽家下野昇叔父が先週亡くなったばかりでしたが、忘れかけた記憶の中で、叔父のオペラ出演の際に、私は家内と叔父の楽屋を訪れ、家内は叔母と共に楽屋に入って叔父の世話をしていました。私は外で待っていた時に隣が小澤氏の楽屋で、小澤氏がひよっこり顔を出したことを思い出しました。言葉を交わしたわけではなく、一瞬の出来事でしたが、楽屋での小澤氏は浴衣を着ていたのでした。当時のことを家内は忘れていましたが、私は雲の上の人が突如現れたことで記憶していたのでしょうか。妙に親近感があったことだけは記憶の片隅にありました。ご冥福をお祈り申し上げます。
    「オランスの身振り」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第6章 カラヴァッジョの身振り」の「2 オランスの身振り」の気になった箇所を取り上げます。「動作を伴う身振りを絵画で表現することには大きな制約があるのだが、絵画でしか表現できない身振りもある。ひとつの身振りが二つ以上の意味を暗示するという場合があり、象徴的な意味を帯びる場合である。カラヴァッジョの作品には、両腕を左右に広げる身振りが多く見られる。ここでは仮にこの身振りを『オランス型』とよぶことにしたい。~略~そもそも祈りの姿勢としての両手を上げて立つ身振りは、反宗教改革期における初期キリスト教文化の復興ブームの中でオラトリオ会を中心に普及したものと考えられる。これは古代においては、負けた者が両手を上げて武装解除したことを示す降伏の身振りであったが、これは嘆願から祈りを示すものとなり、古代教会では一般的な祈りの姿勢となった。そして千年頃に、両手を合わせる身振りが造形表現の中で取って代わったのである。祈禱者の身振りとよばれたこの祈りの姿勢は、『救い主の身振りを模倣して両腕を十字架のように左右に伸ばして立つもの』として、キリストの受難を喚起するものであった。」これを踏まえてカラヴァッジョの作品を一覧します。「カラヴァッジョは、その最初の宗教画《聖マタイの殉教》から《復活》にいたるまで、磔刑を暗示するオランス型の身振りを繰り返し表現していた。《キリストの埋葬》では哀悼、《聖マタイの殉教》では防御、《エマオの晩餐》では驚愕、《聖パウロの回心》と《ラザロの復活》では歓呼あるいは応答を表す身振りであったが、いずれも磔刑を暗示し、生と死、復活と救済などの意味を付加して主題に奥行きを与えていると解釈できるのである。ただし、それらはいずれも伝統的な図像を大きく外れるものではなく、基本的に先行図像に倣いながら、やや身振りを大きくして画面におけるその比重を増すことでその意味を強調している。~略~物語を効果的に伝えるために大きな身振りを表現するだけでなく、形態のもつ重層的な指示性によって、ひとつの身振りが別の意味を象徴的に示す、というのは絵画表現のみに許された特質であった。表現的・表出的な身振りが、象徴的で儀礼的な身振りに転化する、あるいは両者が重ね合わされていることが、自然主義的な身振り表現を十全に展開したと思われてきたカラヴァッジョ作品のひとつの特質といってもよいのではなかろうか。」今回はここまでにします。