2026.03.29 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いていますが、昨日書くはずだった1週間の振り返りを今日に回してしまったので、改めて先週1週間の振り返りを行ないます。先週は日曜日から土曜日まで毎日工房へ通い、新作の制作に明け暮れた1週間でした。新作の中でも壁に掛ける4点の作品に手間取っていて、1ヵ月以上も杉板加工をやっています。枠付きのパネルの内部に、4種類の繰り返し文様で刳り貫いた杉板レリーフを貼っていくのですが、杉板全ての表面を焦がし、炭化した状態で貼っていくのです。下地には油絵の具で塗装しようと考えていて、絵の具の塗装と杉板のコラージュをどう扱おうか、その組み合わせについてイメージの取捨選択をやるのが思案のしどころと言えそうです。壁に掛ける作品は平面性が強いので、多面性を有する彫刻とは違います。それなら絵画かと言うと、そこにも語弊があります。それはさておき、この作品の当初のイメージは絵画として現れました。私が下地の塗装に油絵の具を用いるのもそのためです。絵の具は描写をするのには最適な用具です。油絵の具は粘着性や耐久性、光沢もあって西洋絵画の発展と共に油絵の具も画家が使用しやすく改良してきました。写実的な表現では遠近法を用いたり、陰影を駆使するのは絵の具あればこその技巧と言えます。また絵の具をアクションペインティングのように投げつけたり、滴らせることも可能です。純粋抽象絵画のようにフラットに塗ることも出来ます。昨年ギャラリーで発表した「痕跡A」と「痕跡B」は日本の書道のような掠れを多用しました。それを発展させるとしたらどうするべきか、炭化した木材との組み合わせでは、都合の良い融合は考えないようにしています。ある程度、対峙するものでなければならないと私は感覚で捉えていて、その衝撃をもって何かが生じるのではないかと期待しているのです。どうやら私の場合は理屈が後付けになってしまう傾向にあるようです。そんなことを考えながら制作三昧の先週を過ごしていました。
2026.03.28 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行なうのですが、それを明日に回して、今日は漫画家つげ義春氏の逝去に関することを書きます。つげ義春氏の代表作「ねじ式」をいつ頃読んだものか私は忘れてしまいましたが、不気味で不条理な世界観に溢れた本作はずっと印象に残っていました。高校の同級生で俳優の竹中直人君が同氏の「無能の人」の映画監督をしていたことも私の記憶にあり、この作者にはどんな成育歴があるのだろうと思っていました。今日の新聞に訃報が載っていて、ある程度詳しいことが分かりました。享年88歳。特異な世界を描いた作者の生い立ちを記事から引用いたします。「貧しくて学校嫌いで対人恐怖症。家庭に恵まれず、家出しようと2度密航を企てた。長じては自殺未遂と蒸発、妻子を持つも不安神経症に苦しんだ。だがそんな人生から紡ぎ出された作品は、土着的な詩情が濃く、暗くてもどこか滑稽で開放的。根無し草の不安に、静かな諦念が寄り添いもする。じんわりしみ出すようなそのぬくもりは、つげさんの愛した寂れた温泉宿のようだ。」(小原篤著)同氏の漫画が掲載されたのは月間漫画「ガロ」で、その「ガロ」が出版されていた当時、私はそれを手に取っていた記憶があります。その雑誌は他の漫画雑誌と違って、芸術性に富んだ独特な雰囲気がありました。同紙では白土三平「カムイ伝」が有名でしたが、後で知ったことで美術家赤瀬川原平「お座敷」も「ガロ」に掲載されていたようです。赤瀬川氏の個展でその漫画原稿を見ました。またつげ氏の「ねじ式」を捩った「おざ式」という漫画も描かれていたようですが、2人の交流があったのかどうか分かりません。当時から視覚文化の先端をいく漫画があったこと、しかも情念に充ちた不条理な世界を表現していたこと、現在でも日本のアニメーションが視覚文化の先端をいっていることと無関係なはずはないと私は考えています。日本人独特な個性はじんわりと湿っていて、それでいて特異な世界観を持っていると感じているのは私だけではないでしょう。
2026.03.27 Friday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章 ピクチャレスクと建築」の「2ピクチャレスク理論とコテージ」を取り上げます。「多様性と、時間をかけたその調和の尊重は、典型的なピクチャレスクの理念である。注目すべきはギルピンが、様々な人々がそれぞれに造り上げた『小さな住まい』即ちコテージの集合体である村を景観の一つの単位としてとらえ、その村のあるべき景観について意見を述べていることである。ピクチャレスクの理想に合致する景観が生み出されるには、独断的な指針でなく多様な思考と時間の経過による変容が前提となる。~略~彼(プライス)はそこで、まず城郭や大邸宅などの壮大な建物を取り上げ、さらにそれらの建物の廃墟の魅力について述べた後、コテージや水車小屋などに話題の対象を移す。大建築が『優美と壮麗』を表す例であるのに対し、コテージなどの卑近な建物は『多様と錯綜』を表し、『そのままでも極めてピクチャレスク』であるとして彼は価値を見出す。~略~コテージャー達の建物がピクチャレスクの理想から見て好ましいのは、それが財産の誇示のために作られた装飾優先の建物とは異なり、住人に『快適さと楽しみ』をもたらす実際の『一般的な住居』としての建物であるからだ。つまり、住む側の立場に立ってコテージを見つめる『人間性』が必要で、それを持ち合わせていない者が新しい村を作ろうとしても理想的なものは作れない。~略~プライスの労働者観に関しては、フランス革命を背景にした保守的な時代背景や、地主であるという彼自身の社会的立場など様々な要因をも考慮する必要があって断定的な評価は難しいと思われるが、ここで重要なのは彼が労働者の生活に関わるモラルを重視して、その上でそのモラルと美観の両方を尊重する立場を取ったことだろう。そのモラルの内容は問われなければならないが、プライス以降、住居は居住者がいて初めて存在意義を持つという当たり前の事実にピクチャレスクの美学は立脚するようになっていったこと、つまり、ピクチャレスクとモラルが結びついていったことは見落としてはならない。」今回はここまでにします。
2026.03.26 Thursday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章 ピクチャレスクと建築」に今回から入ります。まず「1コテージ・コテージャーの理想化」を取り上げます。「ピクチャレスクはコテージとどう関わったのだろうか。流行の初期においてコテージはピクチャレスク風景の重要な装飾の一つだった。失われゆくものへのノスタルジアはピクチャレスクの風景を支える一つの要素であり、コテージはその典型例である。つまり、コテージへの関心の高まりはイギリス社会の急速な近代化への反発という意味でピクチャレスクの本質と深く関わっていた。~略~グレイやギルピンの描写では、都会の贅沢対田舎の素朴さという二項対立の構図の中で旅先で出会った人々が好意的に捉えられており、クーパーの『神が田園を創り、人間が町を創った』という一文にもあるように、当時は産業革命の影響による都市部の環境悪化の中で田園の景観やそこに住まう人々は美化して表現される傾向にあった。~略~イギリスの歴史を振り返れば、清教徒・名誉革命を経たこの国は18世紀に入って繁栄の道を邁進し、海外にも進出する。国家の外への拡張に伴い、一方で国内の問題に関心が向かう正反対のヴェクトルも生じ始め、批判の矛先は国内に蔓延する悪徳や腐敗、さらには金銭欲に耽る新興商業階層にも向けられ始める。その『虚しく放蕩的で、利己的なめめしさ』はフランスから持ち込まれたものであり、その『めめしさ』やそれによる『国民の弱体化』をもたらしたものは『商業』や『貿易』とされていった。つまり、国家の危機は海外からもたらされたものとされたのである。他方、『無分別、贅沢、利己的めめしさ』に取り憑かれた人々の対極には、質素ながらも『身体的な力、忍耐、勇気、道義』を兼ね備え、外国からの破滅的な影響を免れた農業労働者の男性が置かれることになる。」今回はここまでにします。
2026.03.25 Wednesday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第3章 ピクチャレスクと庭園」の「5ピクチャレスク理論の完成(2)」を取り上げます。本単元はプライスの「ピクチャレスク論」が中心になります。「初版の『序文』においてプライスは、『ピクチャレスク論』はナイトの『風景:教訓詩』に触発されて出版されるものであること、ナイトと自分の考えには若干の相違 があるがその主張はほぼ同じであり、二人の著作は相互補完的な関係にあることを述べ、共通する敵、即ち本論の中で何度も攻撃の対象となるブラウンとその後継者達に対してナイトと共闘することを宣言する。~略~ピクチャレスクの主たる特質は『粗さ』と、突然の変化、それらと結びついた『不規則性』であり、その一つ一つの対象の形態、色調、光と影の効果、配置の錯綜、そしてそれら相互の『結びつき』が重要である。これらの点に配慮できるのが『画家』であり、それがゆえに『画家の目』が重要な指針となる。~略~森林伐採や植林といった森林環境をめぐる諸問題、特に外来種の植林や高地植林への批判、そして古木の保護などにプライスは関心を持っていたが、その他にも『ピクチャレスク論』には現代の環境観にとって重要であると考えられる点が少なくない。彼が徹底して反対したのはブラウンによる広大な風景庭園の造園だったが、その土地『改良』は囲い込みに支えられており、いわば近現代の大規模開発の初期の例であったと言える。プライスは、その開発の中で消えゆく村落やそこでの伝統的な地域住民の生活を守るように訴えている。また、村の周囲を流れる魚の泳ぐ河川を自然状態に維持することなども彼は問題にしていた。~略~産業革命の進展の中で19世紀に入るとプライスが守ろうとした伝統的な農村の社会構造の秩序は徐々に変化、衰微していった。その中で、プライスに対する評価も変わっていったと思われる。~略~ワーズワスが理想として掲げているのは領主のいない均質で平等な関係の中で住民が自然と共生しながら生きる調和した地域共同体であり、プライスが考えている、領主から領民への『慈愛』が絆となった階級的に調和した共同体との違いは明らかである。」今回はここまでにします。