Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 生活の中の快さ
    昨日のブログに空間認識としての快さを書きました。作品に結びつくイメージで、自分の生きがいとしているモノです。生涯そんなイメージを心の糧にしてやっていきたいと思っています。しかしながらそれはストイックな制作の中から生まれるもので、自分はそれだけでは息苦しくなってしまうのです。たとえば美食。毎回高価な美食なら快さはないかもしれません。質素ながら素材にこだわった料理ならどうでしょうか。また健康なら空腹にもなり、何を食べても美味しく感じる快さ。たとえばスポーツ。身体を動かした時の快さ。人に感謝される快さ。仕事で自分が必要とされる時の快さ。そんな快さがあって、またそんな快さを求めて自分は生きている実感があると思うのです。作品完成も一瞬は快さを感じますが、あとは反省ばかり。でも全体としてみると、やはり自分にとって作品を作り続けることが一番の快さなのかもしれません。                         Yutaka Aihara.com
    快さのある架空の空間
    家内が「地図を見ていると心が安らぐ」と言います。人によって快さを感じるものは鉄道の時刻表であったり、何かのキャラクターであったりするのかもしれません。自分がイメージして快くなるものは何かを考えました。まず白い壁です。その白い壁で仕切られた空間に何か重量があるモノが置いてあります。錆びた鉄のような黒ずんだ古木のような何かです。抽象形態のような何かを表しているようなモノです。そんなイメージが自分にとって快いものだと認識しています。そんな快い漠然としたイメージに向って作品を作り続けているのかもしれません。空間に対する理論の組み立てはイメージの後に試みていると言っても過言ではありません。まず、自分にとって快く感じる何か不明なモノが初めにあって、そこから思索・思考がスタートするのです。説明できないモノを説明できないまま作り始めるというのが正直なところです。                              Yutaka Aihara.com
    日本のゴーギャン
    先日まで読んでいた日本画家田中一村に関する書籍の2冊目です。新聞社が編集した田中一村の伝記で「日本のゴーギャン」という表題がついています。同じ作家に関するものを別の書物で続けて読むのは初めての体験ですが、なかなか面白いと感じました。まず取材の手法がやや異なっていて、こだわりの部分がそれぞれあって楽しめます。現存した日本画家なので大筋では一致していますが、その時その時の一村の気持ちを推し量るところが微妙に違います。双方読んでいくうちに浮かび上がる一村の性格がきっと確かな部分なのでしょう。共通しているのは妥協を許さない厳しい性格であるところで、しかも肌理細やかです。仕事量の多さが常軌を逸しているところも共通しています。見習いたいと思うところは随分ありますが、自分はこんなふうに生きられるだろうかと自問自答してしまいます。
    「田中一村 豊饒の奄美」
    表題は大矢鞆音著「田中一村 豊饒の奄美」で、3月に奄美大島に行った時に購入した書籍の一冊です。田中一村は以前NHK「日曜美術館」で取り上げられて興味を持った日本画家で、横浜のデパートの巡回展にも足を運びました。それ以来現代的なセンスで描かれた一村ワールドの虜になり、当時の図録だけでは飽き足りず、今回も奄美の美術館を訪ね、このような本を買った次第です。中央画壇に背を向けた経緯、奄美の生活と創作の充実、自分も美術に関わる作者の端くれとして、取材から浮き彫りされる一村の足跡がよくわかり、生々しいイメージが沸きました。とくに奄美に渡ってからの創作活動に興味津々でした。自分も年1回の個展以外に発表する手立てがなく、画壇との付き合いも望むべくもない作家ですが、ひたすら創作して心がいっぱいになっている充実感はあります。もっと認められたいと願うのは作家である以上つきまとう現実ですが、まず創作活動ありきと思っています。認められる認められないは結果としてついてきてくれればと願ってやみません。
    造形の果てない魅力
    横浜の地方公務員である自分は、いずれ近い将来定年がやってきて、晴れて自由人になります。勤務時間がなくなるということは、一日のリズムはどうなるのだろうと今から思いを巡らせています。自分は決まった時間に仕事を始めるのが気持ちの上ではとても楽で、またその中で集中力も増してきます。自由人と言っても気儘な制作は考えられません。きっと決まった時間に工房に入り、決まった時間に一日の仕事を終えるのではないかと想像しています。造形の魅力にハマッている時間は一体いつまで続くだろうと考えることもあります。果てしないのか、気持ちが萎えてしまうのか、自分にはわかりません。ただ今は公務の合間にふと造形芸術の果てしなさが頭を過ります。早く自分だけの時間が持てないか切望しています。アイデアはいつも頭にあって、どんどん制作に移したいと考えていますが、労働の束縛があればこそのイメージの膨らみなのかもしれません。             Yutaka Aihara.com