Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 尾瀬を歩く
    鳩待峠から尾瀬ヶ原を歩きました。尾瀬に来たのは20年以上前のことで、油画科の先輩と5月の連休に訪れ、雪の多さに驚いたことを思い出します。今回も木道の所々に残雪がありました。きりりとした空気の中を歩いていると、自然に癒されて心地よい気分になりました。水芭蕉も顔を出していましたが、むしろブナの林を抜けて山の鼻に至る山道がとても気に入りました。観光名所としての場所より、そこに至る何でもないような見過ごしてしまう場所に美しさを感じてしまいます。
    粗い石
    最近読んだ本で「粗い石〜ル・トロネ修道院工事監督の日記〜」があります。石を切り出し、その石を積んで修道院を造り上げるシトー会修道士の記録ですが、坦々とした労働の日々の中に、素材の問題、組織の問題、工期の問題などが描かれていて、自分の制作にも通じる箇所を見つけては楽しんでいました。神に祈りを捧げる場である修道院や教会には、日常とは違う空間があり、人の精神を浄化させる何かがあるように思います。名もなき石工や鍛冶屋や修道士たちが造り、今も残存する数々の神の空間は、現在も人々の懺悔や救済を受け入れているのだと思います。
    技芸天に思う
    先日京都散策のことを書きましたが、京都に行く度に奈良にも足を伸ばすことがあります。ただ、仕事で行くことが多いので、東大寺やら法隆寺は頻繁に訪れるのですが、なかなか人里離れた寺に秘仏を見に行く機会はありません。そんな中でもプライベートで行く時には、必ず訪れるのが秋篠寺です。そこにある技芸天は立ち姿といい、表情といい、心にすっきり入ってきて、何ともいい気持ちにさせてくれる仏です。学問的な考察はともかく、その容姿に惚れることは、たとえ無知であっても万人にあるものだと思います。昔買った大きなポスターがいまだに私の工房に貼ってあります。
    京都散策
    仕事で1年に1度は京都を訪れます。その度にちょいと仕事を離れて、古都散策を決め込むのですが、今年は寺社ではなく岡崎公園の近代美術館に行って見ました。お目当ての「フンデルトワッサー展」は会期が終わっていて、がっかりしました。祇園の何必館も常設展しかやっておらず、今回は美術的な興味にやや欠けた散策でした。仕方なく鍵善で美味しい和菓子を買い、松葉でにしんそばを食べて帰ってきました。松葉では私の前に座っていた2人の初老の紳士の話し声が聞こえてきました。どうやら日本画家のようで、京都画壇のあれこれを話していました。京都弁の風情に少々辛辣さが加わり、しばし耳を傾けてしまいました。本来自由であるはずの芸術にも流派や縦横の社会があって息苦しさを覚えたひとときでした。
    個展の記事より
    昨日送られてきた美術系の小冊子に先日の個展評が出ていました。「古代遺跡の発掘品を思わせる凹凸状の版文が、強力な表現性を感じさせ、目を引きつける。絵画的平面性と幾何学的立体性を兼ね備え、物としての意味は不明だが、訴えてくる力は、鉄製品のように重く強い。」とありました。身に余る言葉をいただきました。意味は自分の中だけに存在するもので、他者の理解を求めていません。ただ、感じ取っていただければと思っているので、この言葉には本当に勇気づけられております。