Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 鑿を振るう
    木材に鋸をあてながら丸鑿を振るい、余分な木屑を落とします。単純で健康的な作業です。やっとたどり着いた工程です。イメージし、デッサンし、雛型を作っては試作を繰り返し、なんとか実寸で作り始められたと言ったところでしょうか。でも本当は気が急いて、少しずつ部品を作っていたのですが、本格的にはこれから始まる感じです。いつもいつも鑿を握っている訳ではないので、作り始めは調子に乗らず腕も手も痛みます。しだいに乗ってくると、他のことが煩わしくなります。創作とは不思議なもので片手間では出来ません。視野が急激に狭くなり、人との関わりが嫌になってきます。その代わり心の視野が広がります。全身全霊というコトバがぴったりです。自分のとってこれが比類ない幸せなのかもしれません。
    鑿を研ぐ時,土を練る時
    刃物を研ぐのは制作に入る前に行う儀式のようなものです。でも木彫には絶対必要なことです。陶彫をやる時は土練りが儀式です。これは無心な状態に自分を保ちます。日常から離脱する瞬間かもしれません。スポーツクラブで泳いでいる時もそんな瞬間があります。そうした無心な瞬間は、対人関係や日常の煩わしさを忘れるので、心を健康にするものかもしれません。座禅もそうした類のものですが、座禅と違うところは鑿を研いだり、土を練ったりするのは次のステップへの準備なので、自分に対する振り返りはなく、むしろ前向きな欲に支えられた心理状態であるのかもしれません。
    師匠からの花束
    昨夜、長野に住む池田宗弘先生から電話がありました。この時期になると先生の好きな日本酒を贈っているので、そのお礼の電話でした。例年なら先生宅にお邪魔する日程を決めるところですが、先日父が他界したことをお知らせしたら、先生から早速花束が届きました。先生も奥様を亡くされて数年が経とうとしています。身近な人が亡くなるのは辛いことだと何度もおっしゃっていました。今読んでいる保田先生の書かれた「白い風景」にも奥様の追悼が美しい文章で綴られています。奇しくも当時同じ大学で教鞭をとっていられた両先生が同じ境遇にいることを思うと、次世代の自分にも必ず訪れる運命だろうと思います。自分が先立っても、後に残っても、その時の自分はどんな思いで死と向かい合うのか、今は想像すらできません。
    シュノーケル
    1年に1回は海に潜ります。近隣のスポーツクラブの仲間とシュノーケルを持って今年も出かけてきました。伊豆の田牛(とうじ)にある岩場で磯遊びを楽しんだ後、海水浴もやってきました。波がややあって、水も冷たかったのですが、海中に広がる世界を堪能しました。民宿では海の幸を囲んで、楽しいひと時を過ごしました。
    夏に読書する習慣
    職場が夏季休業に入り、明日から制作三昧の生活になります。とは言え会議などが時々あるので、ずっと作業着というわけにはいかず、クールビズで出勤することもあります。でも労働拘束時間は少なく、嬉しさいっぱいです。その表れか夏は決まって読書に勤しむ生活を送っています。今夏は、保田春彦著「白い風景」、保田龍門遺稿「自画裸像」、池田龍雄著「蜻蛉の夢」、柴橋伴夫著「夢見る少年イサムノグチ」を読もうと傍らに置いています。ここ何週間かで購入したものです。結局、美術家や評論家の書いたものばかりで偏った傾向は否めません。