Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 夏に読書する習慣
    職場が夏季休業に入り、明日から制作三昧の生活になります。とは言え会議などが時々あるので、ずっと作業着というわけにはいかず、クールビズで出勤することもあります。でも労働拘束時間は少なく、嬉しさいっぱいです。その表れか夏は決まって読書に勤しむ生活を送っています。今夏は、保田春彦著「白い風景」、保田龍門遺稿「自画裸像」、池田龍雄著「蜻蛉の夢」、柴橋伴夫著「夢見る少年イサムノグチ」を読もうと傍らに置いています。ここ何週間かで購入したものです。結局、美術家や評論家の書いたものばかりで偏った傾向は否めません。
    雛型と実作品の間
    今日から突如として次作の雛型を作り始めました。実作品はサイズが大きく手間暇がかかるので、イメージしたものが即興で作れるものではありません。その点、雛型はデッサンより明確に形態を捉えることが出来るので、思い立つとすぐ制作に取り掛かるのです。作りかけた雛型もいっぱいあり、途中で放棄しようと思っているものまであります。逆に陶彫作品の場合は、雛型と言えど、そのまま窯入れしているので、小作品として実作品とは異なるものになってしまうこともあります。むしろ雛型を作ってしまうと安心してしまい、実作品ではまったく違う世界を追求したくなるのです。雛型とは自分にとって何でしょうか。実作品のメモとして出発するものの結局はそれが作品になってしまうこともあるのです。でも雛型はその大きさゆえ魅力的なものです。実験も失敗も出来るからこそ手放せないものなのです。
    A.ジャコメッテイ展
    葉山の近代美術館でやっているジャコメッテイの展覧会に彫刻はもとより、むしろ油絵が見たくて出かけました。数年前、ジャコメッテイに関する矢内原伊作の本を数冊読んで、ジャコメッテイの制作に対する姿勢に大いに感銘を受けました。そこではよく油絵をやっている様子が描かれていました。モデルを現実として捉えるにはどうするか。本の中で彼は描いては消し、作ってはやり直す繰り返しを続けていました。こうした未完のままで、いったいどんな状態の作品になっているのか、興味は尽きませんでした。実際に並べられた作品を見ると、どれもが何度も試作された痕が見られ、迫力を感じさせました。実際の作品よりも、いつまでも記憶に残る作品であるのは、こうした肉迫したものがあるからに違いありません。
    E.チリーダ展
    今まで写真でしか知らなかった彫刻家のまとまった作品が見られると知って鎌倉の近代美術館まで行ってきました。チリーダは巨大なモニュメントを多く手がけている作家なので、どんな作品が日本に来ているのか興味津々でした。見ていると自分も制作したい欲求にたちまち駆られました。作品はどれも骨太の構成を持ち、圧倒させる素材感を持ち、それらががっちりと存在を示し、それでいて心地よさを感じさせる造形でした。とりわけ鉄の作品はチリーダの特徴がよく表れていました。版画や紙によるレリーフも平面ではなく立体表現の一つとしてチリーダが捉えているのがわかりました。今日はチリーダに活力をもらった気がします。
    我流の阿弥陀如来はいつ出来るのか
    先日、菩提寺である浄性院の住職にお会して、いずれ自分があの世に行くまでには阿弥陀如来を作るので寺に寄進したいと願い出ました。住職はこころよく引き受けてくれましたが、はたして仏師でもない自分がどうして阿弥陀如来像を作れるものか考えてしまいました。その時は左右に菩薩を配置する三尊像をイメージしていたのですが、自分なりの祈りの対象とは何か、白鳳や天平を真似ていたのでは現存する名品の足元にも及ばず、これはなかなか難しい課題を背負い込んでしまったようです。でもいずれ自分の解釈と表現力が身についてくると信じながら、日々造形活動に勤しんでいくつもりです。