Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 自然の再現
    観光地で訪れる人が多くても、京都の寺院のそれぞれの庭園はどれも心地よい印象を与えてくれます。仕切られた空間のほどよい広さ。自然石の配置。波に見立てた白砂。老樹の枝ぶりなど一瞬にして心が吸い込まれます。それは石や樹木や苔が単体としてではなく、それぞれが集合体としての位置や役割が与えられ、そこに雄大な風景を感じさせる空間を形作っているからだと思います。先月他界した父は造園業を営んでいて、主に個人住宅の庭を手がけていましたが、たとえわずかな空間でもこうした模擬的自然を演出したい人が多いことに、父の仕事を手伝いながら感じていました。自然の再現は人を癒す効果があるのでしょうか。
    氏名文字の再構成
    今制作中の彫刻作品に貼る印の下書きに入りました。今回は縦4センチ、横5センチの横長特大版です。石がこれだけ大きいと印床に収まらず、手で押さえて印刀を入れることになりそうです。氏名は篆書や草書ではなく普通のゴシック体にしました。でもねらいは文字のカタチをいろいろ変えることにあります。漢字が読める読めないはいっさい無視して、縦横の線を画面の構成要素として扱うと、まるでモンドリアンが木の枝を発展させて線と色面だけによる純粋な抽象に向かったように、自分の氏名も抽象化していきます。氏名と見て取れるギリギリのところでエスキースをやめ、印としてまとめることにしました。これを落款として彫刻が完成したら押してみたいと考えています。
    長距離タイプ
    空調設備のない場所で手許だけ見つめて、ひたすら木を彫る作業を続けています。持久走のようなものです。今日もやらなくっちゃと蒸し風呂のような部屋で仕方なく思うのは朝始める時だけで、これを乗り切るともう大丈夫。汗をかくと身体が動きやすくなるのでしょうか。夕方作業が終わって一息ついて、それから横浜国際プールに行ってひと泳ぎしてきます。だいたい3キロ。これを1週間続けていたのですが、さすがに疲れてきて泳ぎの方は時々休むことにしました。自分は明らかに長距離タイプです。一日のリズムができると結構継続するものです。余計なことを考えず、これをずっと続けていけたら幸せかなと思う毎日です。
    ながら作業
    作業場には朝からラジオが流れています。「FMヨコハマ」をよく聴いていて、心地よい響きになっています。番組の途中にクラシックが何気なく流れたりすると思わず聴き入ってしまいます。「ながら作業」というもので、単純な手彫りの時は効果的です。数年前、同じような暑い夏のひと時にFMから流れたJポップに感動してしまったことがありました。友人に話したら一笑されましたが、その時はふと手を止めてしまいました。そんな曲は実は2つあって、ひとつが平井堅の「大きな古時計」、もうひとつは夏川りみの「涙そうそう」でした。まだこれらの曲がヒットする前のことです。
    「無言館」にて終戦を思う
    今日は戦没者追悼式が行われました。自分は戦後世代なので第二次大戦がどんなものであったかわかりません。昨年の夏は信州にいて、戦没画学生の作品を集めた「無言館」を訪れていました。今年も今月下旬に恩師のアトリエがある長野県に行くつもりなので、「無言館」に行こうかと妻に話したところ「無言館」にはしばらく行かないと言うのです。そのくらい「無言館」にある作品の数々が、私たちに厳しく切ない状況を語っていたのでした。美術を志す者であれば一度は見ておいた方がよい美術館です。そこにある作品が20代そこそこの学生が書き残した習作であっても、そこから作者が歩んだ異常な状況を考えると何ともいえない命の輝きが見て取れるのです。よくぞ収集できたものと感慨一入の一日でした。