Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 勝手なイメージの重複
    自分の中では記憶した時代が異なるのに、2つのモノの間に勝手なイメージの重複がある場合があります。たとえば大学時代に西武美術館で見た「エゴン・シーレ展」。展示作品の中に「小さな町」(1912〜13)というシーレの母の故郷であるクルマウを描いた作品がありました。三角屋根と小さな橋がパッチワークのような構成で表現されている絵画でしたが、それを見た時、日本のフォークソングの旋律が頭の中で繰り返し流れていたのを思い出しました。先日フォークソングの復刻版を聴いて、今度は「小さな町」が思い出されました。フォークソングは中学生の頃、ラジオの深夜放送で聴いていた六文銭の「橋」(作詞:白石ありす 作曲:小室等)です。「小さな頃見慣れた 三角屋根の家並が ほんの少しばかり 姿をかえ河岸づたい〜略〜あの橋わたれ」というフレーズがエゴン・シーレの絵画と自分の中で結びついてしまっているのです。自分勝手で個人的なコラボですが…。
    本棚から溢れる本
    一冊の本が読み終わる前にあれこれ本を買ってしまう癖があって、昔から読もうと思う本が山積みになっています。どんなにパソコンが便利になっても、本をめくる時のわくわくする気分は学生時代の頃と同じです。自分は「本の虫」ではないと思いますが、美術に関わる本は常時読んでいて、鞄に携帯しています。評論、伝記、小説の類まですべて美術系。装丁が凝っているものも多く、そうした本は知識が詰まった工芸品だと思っています。古いデザインの復刻版も出ていて、楽しみながら読書ができます。多忙な合間に読書するのは創作活動以上に自分にとっては難しい技です。車通勤になってから読書時間が減りました。でも本は増え続け、今では本棚に収まりきれず床に置いてあったり、自宅のそこいら中に本の山積みがあります。
    杉の柱を焦がす作業終了
    個展に出品する「発掘〜遺構〜」の台座部分にあたる杉の柱48本。先日から1本ずつ異なる文様の彫りこみを入れ、さらにバーナーで炙って焦がす処理をしていましたが、作業としては今日終了することができました。これからの予定は、この48本の柱をどう配置するか、上に陶彫作品を置いた時にイメージしたような効果が出るか、作品が転倒しないような安全性の確保はできているか等の全体計画を考えなければなりません。今日のところは柱の処理だけで精一杯だったので、全体を見るのは次回の週末になります。搬入まで1ヶ月少々ありますが、ウイークデイは公務があるため作業はできず、週末を数えると残り時間は僅かとなります。いつもこんな緊張を強いて搬入を迎えますが、今回も例外ではなさそうです。
    週末の集中力
    「P・ブリューゲル物語」で語られているブリューゲルのように常軌を逸して絵画制作に没頭するにはまだ及びませんが、銀座の個展が迫っている今週末は、自分もかなり集中して作業していると自負しています。作品を仕上げなければならない時は集中力が増すもので、時間はあっという間に過ぎていきます。こうしてみると週末という週末はすべて作品制作に費やしている自分は、凝縮して濃厚な時間を過ごしていて、集中力が途切れることがありません。むしろウイークデイの方が時間に緩急をつけて過ごしているのかもしれません。作業への集中はきっと習慣化していて、週末になると脳が指令を出して、自分は容易にその世界に入っていけるのだと思います。明日もそんな作業が待っています。                     Yutaka Aihara.com
    絞首台の上のカササギ
    ヨーン・フェレメレン著「ピーター・ブリューゲル物語〜絞首台の上のカササギ〜」(鈴木久仁子・相沢和子訳)を今日読み終えました。これは創作だと思っても、ブリューゲルの短くも過激な一生がいろいろな人との関わりの中に語られ、また性格描写も面白く、さもありなんと感じてしまいました。ドラマ仕立てに惹き込まれ、我を忘れてブリューゲルの生きた時代に思いを馳せました。40代で己の命を悟り、右腕が痛みで利かなくなっても、調子のいい時は絵画制作に没頭し、それがないと気が狂ってしまうほどの常軌を逸した創作意欲。本当にそんな人だったのか、資料が少ないことで返って、その人の一生に迫ってみたいと思うのです。「絞首台のカササギ」は物語の中では、子どもの頃に描いたデッサンをもとに、命を全うする最後に油彩としてまとめ上げたもので、ブリューゲルの一生を物語るテーマにしていました。本当に楽しめた一冊でした。