Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • おわら風の盆
    昔から伝わる郷土芸能をずっと継承していくことは並々ならぬ努力が必要だろうと思います。横浜市内でも神楽や獅子舞を大切に保存している地域がありますが、我が町内では神社はあるものの古来伝承の芸能は久しく行われていない現状で、資料すら残っているのかどうかわかりません。富山県八尾のおわら風の盆は様々な歴史の変遷を経て、今に伝わる貴重な芸能遺産のひとつでしょう。マスコミに取り上げられて知った情報ですが、その情緒豊かな風情はたちまち自分を魅了し、実際に見てみたいと願っていました。勤めをしていると、なかなかこの時期に富山県まで足を運ぶのはきついものがありますが、この週末を利用して行くことに決めました。今晩がとても楽しみです。雨が降らないことを祈りつつ出かけてきます。
    制作三昧の8月からステップ
    今日から9月。また勤めが始まりました。今月から週末が制作の大切な時間になります。制作の勢いは無くなりますが、きちんと考えて冷静な判断が出来る季節になります。思考が深まるのもこの季節です。哲学や思弁的要素がないと作品にはならないし、物質にそれらを与えてこそ造形になるのだと思います。人が何かを意図して作り上げるものを、別の人にその意図を伝えてこそコミュニケーションが生まれるものです。意図するものが平易であろうが、難解であろうが作品に優劣がつくものではありませんが、むしろ意図の伝達が自分の感性とうまくかみ合っている作品が作品として成功していると考えています。今の作品はどうだろうかと自問自答する時間、それが今月多くとれると思っています。
    ルーマニアの門
    ウィーンで学生だった頃、紀行作家のみやこうせい氏と学生食堂で知り合い、それが縁で彼が取材していたルーマニアに度々同行しました。自分は彫刻を学んでいたので、ルーマニアといえばブランクーシに関連するものがあるかもしれないと考えていました。結果、彼の地は多大な収穫をもたらせてくれました。ブランクーシがまだパリに出ていなかった頃、大工としてルーマニアで働いていた過去があるのを自分は知っていました。ルーマニアの伝統的な家の作りを見て、家を支える柱がブランクーシの作品「無限柱」と酷似していたり、とりわけルーマニアの家にある門は独特な抽象文様が刻まれていて、ブランクーシの発想がまさにここからきていることを物語っていました。門は魔よけの役目をもった狼の歯型だったり、生命の樹木だったり、生活の中からルーマニア人が創り出した素晴らしい造形でした。それが頭の片隅にあったためか、帰国してからブランクーシに習い自分も自らの原風景を探しに社寺を度々訪れることになったように思います。
    ブランクーシのアトリエ
    たまに記憶の底から甦るところにパリのブランクーシのアトリエがあります。20数年前の当時はポンピドーセンターの近くにあって写真でしか知らなかったブランクーシの作品が所狭しと置かれていました。思っていたより小さく白っぽい空間であり、制作途中の作品や道具があって、ブランクーシを一人の人間として認識したのを覚えています。それだけなら単なる巨匠の一人として記憶の底にしまうところですが、人を介して偶然ルーマニアに出かけたのを契機に一気にブランクーシが身近な存在になったのでした。ブランクーシはルーマニア出身で、巨匠ロダンに師事したにも関わらず、独自の道を歩むことになった現代彫刻のパイオニアです。ブランクーシのカタチがルーマニアに起因していたことを彼の地で知って、ブランクーシのアトリエで見た作品が抽象にも関わらず、何か地に根ざしたものとして印象に残ったことを改めて感じた次第でした。
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    今回のブログからコメントの書き込みが出来るようにしました。誹謗中傷も多いと助言してくださる人もいますが、ともかくやってみることにしました。お手柔らかにお願いします。HPも少しずつ充実させていこうと考えています。24時間無休のギャラリーなので、時々新作のアップをしていく予定です。アートデイレクターやカメラマンとの打ち合わせで、あれもこれもと話がはずむのですが、今制作中の作品「囲むカタチ(仮題)」がまとまっておらず、今月もあとわずかとなり、少々焦ってきました。日々時間延長して鑿をふるっています。来年早々に横浜市民ギャラリーで発表する予定ですが、今から心配です。制作とはこんなものかなと自分を宥めながら、でも妙なストレスがない快い世界に浸る毎日です。