Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 乾いた土地で潤いのある空間を見た時
    先日から書いている土地にまつわる話です。日本でやっていた造園の仕事とヨーロッパでやっていた石彫の仕事。それぞれ親方の下で半端な助手として働いていましたが、滞欧生活2年目で訪れたパリでその融合とも思える作品に出会いました。イサムノグチによるユネスコ庭園です。そこにはムアやピカソのモニュメントもありましたが、楚々として存在する日本風の庭園には自分の心の隙間に忍び寄ってくるような麗しさがありました。植木の手入れはあまり行き届いていなかったのですが、突如目の前に現れた懐かしい空間にしばらく腰をおろして眺めてしまいました。ただし父譲りなのか、庭園のメンテナンスに疑問も感じました。日本だからこそ職人がいて常にきちんと保つことの出来る庭園なのです。外国では無理な部分もあると感じました。
    乾いた土地で体感したこと
    中学生の頃から大学卒業まで父の家業を手伝っていて、そのアルバイト代を貯めてヨーロッパに出かけました。気候風土は日本の湿った環境とはまるで違い、乾燥した空気に心地よさを感じました。日本のような肥沃な土地ではないため野菜や果物の種類が少ないことはありますが、オリーブやワインが美味しく、また酪農に支えられてきただけあってチーズやヨーグルトは日本では味わえないくらい豊富な種類がありました。当時ウィーンの美術学校に通いながら石切のアルバイトをしました。造園とはまるで異なる仕事。乾いた空気の中で石の粉を浴びながら、ハンス・ムアという作家の噴水彫刻作りを手伝っていました。こういう仕事は自分に向いているのかどうか、同じ下働きをしていた同胞の石彫家と自分を比べて、自分に本当に合った仕事は何なのか、ずっと考えていた毎日でした。
    潤いのある土地で体感したこと
    潤いと書くと好印象をもちます。たしかに日本庭園の瑞々しい緑を見ていると日本の風土が樹木を育てるのに肥えているのがわかります。父はそんな仕事をしていましたが、自分はこの仕事にあまり協力的ではありませんでした。敷石の並べ方、蹲の配置など面白いところもありましたが、ほとんど父や他の植木職人が刈り込んだ樹木の下に這いずって入り、落ちた枝や葉をかき集める仕事はつらいものがありました。土地が潤っているということは雑草も多ければ虫もいました。害虫に刺されることもしばしばありました。泥だらけになって作り上げる庭園に、心では美しさを感じることはあっても、身体では嫌気がさしていました。庭園を達観して楽しむには学生だった自分にはまだ先のことだったようです。
    霊界と交信する夏
    ドラマのようなタイトルを考えましたが、今日は父の四十九日の法要でした。実家は生前の父のものがすべて残されているので、たとえ今日を迎えたからといって父の存在をすぐ払拭できるものではありません。とくに造園の職人だった父は、植木の刈り込み鋏や木の枝を払う鉈や鋸が母屋と向かい合う倉庫にあって、これら愛着のあった道具にはやはり父の魂が宿っているように思います。畑にも植木がかなり残されています。いずれ何とかしなければと思いつつ、家業を継ぐことはなかった自分には大きな課題となっています。ただ造園と自分がやっている彫刻とは決して無縁ではないと思います。加えて祖父も大工だったことを考えると、霊界にいる祖先はきっとこんな自分の仕事を許してくれているのではないかと勝手なことを考えた一日でした。
    自然の再現
    観光地で訪れる人が多くても、京都の寺院のそれぞれの庭園はどれも心地よい印象を与えてくれます。仕切られた空間のほどよい広さ。自然石の配置。波に見立てた白砂。老樹の枝ぶりなど一瞬にして心が吸い込まれます。それは石や樹木や苔が単体としてではなく、それぞれが集合体としての位置や役割が与えられ、そこに雄大な風景を感じさせる空間を形作っているからだと思います。先月他界した父は造園業を営んでいて、主に個人住宅の庭を手がけていましたが、たとえわずかな空間でもこうした模擬的自然を演出したい人が多いことに、父の仕事を手伝いながら感じていました。自然の再現は人を癒す効果があるのでしょうか。