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  • 「最初期の作品《果物を剝く少年》の問題」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第5章 真贋の森 」の「2 最初期の作品《果物を剝く少年》の問題」の気になった箇所を取り上げます。第5章は本単元で終了です。「《果物を剝く少年》はアトリビューション(※原因を示すことで説明する)がはっきりしないことから、通常カラヴァッジョの作品目録からはずされているが、真筆であるにしてもコピーであるにしても、カラヴァッジョの最初期の作品を伝えるものであることはまちがいない。~略~たしかに単なる風俗画がいかにローマで目新しかったとはいえ、現在の目から見れば何の変哲もないこの作品に尋常ではないほど多くのコピーが作られたこと、またペルージャにあるコピーには、少年の右上に天使が登場しているため、何らかの宗教的あるいは教訓的意味を含んでいると考えるのも当然であり、単なる風俗画であると断定することはためらわれるのである。」《果物を剝く少年》は宗教性を読み取ろうが、そうでなかろうが、私はカラヴァッジョの作品の中ではお気に入りの作品で、何気ない少年の仕草にホッとさせられるのです。「《果物を剝く少年》は、カラヴァッジョの最初期の画業の空白を埋める重要な作品であるにもかかわらず、真筆問題もその意味も依然として大きなアポリア(※通路または手段のないこと)のまま残されている。しかしここには、ミラノからローマに移った当初のカラヴァッジョが、おそらくダルピーノ工房に入る前、ロンバルディアの自然主義を引きずりながら、ローマの優美なマニエリスムに接近したたしかな痕跡を垣間見ることができよう。そして、まもなく迫真的な写実主義によってローマ画壇に頭角を現すカラヴァッジョが、当初は稚拙な画技しかもたずに試行錯誤を重ねていたという可能性さえも看取できるのである。つまり、従来のイメージのように、ロンバルディアですでに完成された技法をローマに携えてきた若き天才ではなく、食にも事欠く窮乏生活の中で過剰な自信や野望をたぎらせつつ、血のにじむような努力を重ねて卓抜した描写技術を獲得していったというカラヴァッジョのイメージも、《果物を剝く少年》のような作品の前では想定しなければならないのかもしれない。」今回はここまでにします。
    「カラヴァッジョの複数作品」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)は、今日から「第5章 真贋の森 」に入ります。本章最初の単元「1 カラヴァッジョの複数作品」の気になった箇所を取り上げます。「作品が少ないにもかかわらず、生前から美術家にもコレクターにも大きな人気があったことから、早くから学習用の模写や代用品、贋作にいたる様々な目的でコピー(模写、模作)が作られた。同時代の他の巨匠にくらべてもカラヴァッジョにはコピーが多く、ひとつの原作のまわりには数点から数十点のコピーが存在する。~略~また、カラヴァッジョの作品では、ほぼ同じ図様のものが二点あるものがある。ここでは仮に複数作品とよぶが、いずれが真筆であるか、あるいはどちらも真筆なのかという問題を提起してきた。大きく分けて、まったく同じ図像の作品でも作品でも、描写も様式も寸分たがわないものと、やや様式の異なるものとがある。」その複数作品は画家本人が作ったものなのでしょうか。「短期間に奔放に才能をほとばしらせて散ったカラヴァッジョのような天才が、自作を丹念にコピーするなどとは考えがたいようだが、17世紀には画家が自作のレプリカを作ることはごく一般的であった。あるパトロンのために制作した作品を見た別のパトロンがそれをほしがるという事態になった場合、画家はレプリカを作ってその要求に応えたのである。同時期に作る場合はほとんど同じものになったであろうし、時間がたってからの場合は様式に多少の変化が生じたであろう。~略~カラヴァッジョの作品では、ローマにあった作品の多くにはコピーが作られたのだが、ミラノやマントヴァなど北部にあったものはコピーされず、ナポリやシチリアやマルタに残った作品は特に多くのコピーが作られている。カラヴァッジョ様式が熱心に摂取され、大きな人気を博した地域にあった作品は数多くのコピーが作られたわけである。」今回はここまでにします。
    2024年初めての積雪
    今日、横浜に雪が積もり、今も降り続いています。今日は平日ですが、工房には美大生がやってきていて、自主課題をやっていました。昼食の頃に雪が降り始めたので、工房での作業を片付け、彼女を家の近くまで車で送り届けることにしました。私の車はノーマルタイヤなので、積雪の具合で使えなくなることもあり、早めの行動に出たのでした。彼女を送った帰りには保土ヶ谷バイパスが閉鎖されていて、遠回りをして帰宅しました。横浜では滅多に積雪がなく、こんなことは1年間に1回あるかどうかなので、私には車を雪用タイヤに換える予定はありません。私は仕事も退職しているので、積雪があれば車を使わないと決めています。教職に就いていた頃、早朝から大雪になり、車を置いて公共交通機関で学校に行こうとしましたが、バスが来なくて困っていました。副校長に連絡したところ、既に彼は学校にいて生徒や職員に指示を出そうとしているところだと聞きました。彼は雪用の大型車両を持っていて、誰よりも早く学校に駆けつけたと言っていました。学校の地域周辺に住む生徒たちは、どんな気候であれ、登校できてしまうので早めに学校に来る生徒がいる一方で、家庭からの電話連絡が引切りなしにかかっていたようでした。私と同じような条件の職員は通勤できずにいましたが、私の判断で生徒は帰るように伝えてもらいました。その頃はリモート学習が出来る環境がなかったので、自宅課題は追って知らせることにしました。私には積雪でいい思い出はありません。坂道で滑って背中を強打したこともあり、治癒に時間がかかりました。明日も工房に行きますが、今日やり残したところを仕上げようと思っています。
    週末 ルーティンワークについて
    週末には創作活動について書いていきます。気分が乗りだすと集中力を爆発させて一気呵成に作品を作り上げる芸術家のタイプと、芸術家と言えどもまったくその逆のタイプがいます。私は後者に当たります。教職に就いていた時期が長かったせいもありますが、創作時間が少なかった私は自分の気分の高揚など待っておれず、ともかく時間を見つけては創作活動をやっていました。そこで培われた方法が、己の気持ちなど考えず制作を推し進めていく方法でした。教職を退職すると、全てが自分の時間になり、気分によって制作をする・しないことも可能になりました。ハイクオリティな作品を作るためには、時に集中力の爆発も必要かもしれないと思いつつ、従来通りの方法でしか制作を進められない私は、仕事に勤務していた時と同様に、自分の気持ちではなく、時間で区切って制作をしていく方が良いだろうと思うことにしました。職場に出勤するように朝9時には工房に入り、夕方3時には工房を退くという基本となる制作時間を決め、退職した2年間は毎日これを決行してきました。勤務と違うのは平日も週末もなく、常に工房にいて制作に従事している点です。まさにルーティンワークです。ネットによるルーティンワークとは、ある決まった業務や仕事を一定の間隔で繰り返しおこなうことを言います。これはイレギュラーが起きるケースが少なく、日々の業務で大きな変化が生じないことが利点ですが、ルーティンに拘るあまり、イレギュラーが起きた時に臨機応変な対応ができなくなるデメリットもあるようです。私の場合は創作活動で、危機管理対応を含まないためにルーティンワークが効果的にできるのです。
    週末 1月から2月へ移行した1週間
    週末になりました。今週を振り返ります。今週は1月末から2月初めに月が替わった1週間でした。2月1日の木曜日以外は毎日工房に通っていました。火曜日は11時頃に作業を切り上げて、横浜のミニシアターに「メンゲレと私」を観に行きました。本作はホロコースト3部作の最終作で、私はこれで3部作を全部観たことになります。若い頃、ウィーンに住んでいた私は、オーストリアで制作された本作に強い思いを抱いています。負の歴史に真っ向から取り組んだ作品を、私は評価いたします。水曜日は午前中じっくり陶彫制作をやっていて、午後になって叔父のお通夜に行きました。叔父は声楽家で、私には存在感のある人物でした。木曜日は叔父の告別式でした。この日工房に行くことはありませんでした。金曜日は朝から夕方まで陶彫制作に励んでいました。美大生がやってきて自主課題をやっていました。彼女は染織専攻で、最近大学で習った友禅染に興味があるらしく、自分なりの創作文様を考えていました。私も久しぶりに一日中制作をしていましたが、寒い中での陶土を扱う作業は辛いなぁと感じました。今日は土曜日なので、後輩の彫刻家がやってきて木を彫っていました。今週は映画に行ったり、仏事があったりして、用事が立て込みましたが、工房にいて作業をやっていると、漸く自分を取り戻せるような気がしています。また美大生や後輩の彫刻家が、同じ時間、同じ空間を共有出来ることを嬉しく感じました。来週は創作活動に邁進できそうで、頑張っていこうと思っています。