2026.04.23 Thursday
今日も昨日と同じ午前中は工房で制作をしていました。午後になって家内を誘って、横浜の中心部にあるミニシアターに映画「ホールディング・リアット」を観に行きました。この映画は知人からいただいたチラシで情報を得ました。映画には娯楽性のあるものの他に社会的問題を提起するものがあり、本作は後者に当たります。2023年10月7日にイスラエル南西部にあるキブツ(農業共同体)が、ガサから侵入したハマスの武装勢力に襲撃されて、殺害されるか人質になるという壊滅的な被害を受けました。その人質になってガザへ連れ去られた娘リアットとその夫の救出に父が渡米し、当時のバイデン政権に人質解放を求めるというドキュメンタリーを撮影したものでした。それをイスラエルのネタニヤフ政権が戦争継続の理由として利用していたことも明らかになっていました。本作は米国映画なのでイスラエル側に肩入れをして、ハマスの残虐性を強調しているかもしれないと私は思って観ていましたが、どうもそうではなくて民族間の複雑な分断が絡み、イスラエル・パレスチナ問題に多層的な視座を齎していると感じました。図録に「奪われた人ではなく、残された側の『壊れていく時間』」という感想があり、家族に人質がいるためにひとり一人の考えが交錯し、その関係がギクシャクする様子が露骨に現れていました。戦争は何を齎すのかという問いは、現在でも米イスラエルによるイラン攻撃で、日本にいてもその影響から逃れられないことに直面しています。一緒に観ていた家内が、本作は人質なので具体性がある反面、二国間で解決できる問題だけど、現在のイラン情勢は人質の代わりに原油が駆け引きに使われているので、その影響は国際的に計り知れないと言っていました。まさにその通りで、戦争の齎す規模の大きさに米イスラエルは気づかなかったのでしょうか。本作はさまざまなことを考える契機になり、明るい未来が描けない現在の状況に何か解決の糸口がないものか、私は黙ったままの家内と早めに帰路につきました。
2026.04.22 Wednesday
今日は午前中工房で制作し、昼頃に家内を演奏会場に送り届けて、その足で東京の上野にある国立西洋美術館に行きました。当館で開催中の「チュルリョーニス展」はネットの展覧会情報で知った画家で、その幻想的な世界を一度覗いてみたいと思ったのがきっかけです。ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスはリトアニアを代表する画家で、20世紀初頭に本国で活躍していたようです。父がオルガン奏者だったので、当初は父より音楽の手ほどきを受け、その後公爵の支援を受けて音楽の専門教育を学び、音楽家として認められました。さらに美術も学び始め、画家としても頭角を現したという特異な経歴を持っています。展覧会場には音楽から発想された幻想的な絵画が並んでいて、この時代に象徴性・抽象性を秘めた世界観は、革新的でもあったことが伺えました。しかも叙情性も豊かで、墓碑をシルエットとして描いた「リトアニアの墓地」や鳥瞰図的視点で描いたピラミッド状の量塊「祭壇」に私の眼は釘付けになりました。さらにチュルリョーニスは35歳で逝去したことも私には驚きでした。音楽も美術も彼が才能に溢れていたことは会場を見渡せばよく理解できます。リトアニアが旧ソビエト連邦から独立して、漸く独自の民族性が認められたことで、今までチュルリョーニスのことを知らなかった私は、ここにきて音楽との関連でカンディンスキーとの関係はどうだったのか、率直な疑問を持ちました。図録にそんなことが掲載されているかどうかを調べたら、こんな文章がありました。「1911年、カンディンスキーは最初の抽象画を描き、同じ年に偉大なリトアニア人画家M・K・チュルリョーニスが亡くなった。1904年以来、チュルリョーニスは今日では典型的な抽象画とみなされる類の作品を描いていた。カンディンスキーはその作品をよく知っており、深く感銘を受けた。~略~『絵画は何かを目指してもがき、古い枠組みを打ち破ろうとしているが、しかし未だその枠組みにとどまっている。』チュルリョーニスが見据えた絵画の未来は、いったいどのようなものであっただろうか。この問いの答えを明らかにしないまま、彼は1910年に病に伏し、翌年に命を落とした。まさしくカンディンスキーが『芸術における精神的なもの』において具象絵画との決別を宣言した頃のことである。」(山枡あおい著)
2026.04.21 Tuesday
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「手を下した本人が気づかないところで画面上に物質的な痕が『起きて』しまっている絵… 大竹伸朗」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「絵といえば芸術という思考習慣は、絵の意味をむしろ隠蔽すると画家は言う。『美術的空間のみにて成立するアート』と、国道沿いの看板や子どもの落書き、ビジネスホテルの壁にかかる”無難な”絵などを互いに等価な『表面』として見る中ではじめて、人は己の内に潜む得体のしれない感情の生成にふれるのだと。随想集『ビ』から。」私はギャラリーという箱の中で作品を発表することに拘っているため、まさに「美術的空間のみにて成立するアート」をやっている者です。そんな私が美の概念をどんなに説こうとも、自分自身は旧態依然とした思考習慣の中で生きているため、日常空間の中で出会うさまざまな美を論じても説得力を持ちません。そうであっても私も街中で発見する何かに得体のしれない感情を抱くこともあるわけで、おそらくこれを絵として捉えれば、美の概念が明らかに広がっていると思えます。また、この得体の知れない感情は何だろうと思うこともあり、それを美術分野で括っていいのだろうかと現代美術の定義さえも疑いたくなることもあります。街中で気を留めたモノを何とかして自分の中に取り入れ、それを表現にまで持っていくには、そこに創作行為が生じます。等価な表面を多様性に富んだ表現にしていくためにどんなことをすればよいのか、その方法を提示していくような発表形態を、最近のアートフェスティバルやコンクールで見かけることが多くなっています。それが最近の傾向かもしれず、そのコンセプトがアートの現在地点と言ってよさそうです。私は何かアイディアがあっても、そのコンセプトを継続・深化させることが出来ず、結局「美術的空間のみにて成立するアート」をやっていることなのだろうと思っています。
2026.04.20 Monday
「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「第3章 語りだす柱頭」の気に留まった箇所を取り上げます。11世紀のヨーロッパでは建築ブームに沸いたようです。その要因は三つありました。「第一に、封建制の確立による社会のあらたな安定化である。ヨーロッパの11世紀とは、古代末期から断続的に興った民族移動(ゲルマン人の北から南への移動、フン族の東から西への移動、海岸や川沿いの町々への『ヴァイキング』の襲撃と定住、南欧でのイスラーム勢力の北進など)による動乱がほぼ一段落し、社会が安定化して発展へと転じはじめた時代だった。~略~第二の要因は、いわゆる農業革命。~略~刃に鉄を用いた有輪犂は、粘土質で重いが養分をたっぷり含むアルプス以北の土を深く掘り返した。さらに軛の開発によって、牛よりも耕作速度の速い馬を農作業に用いることができるようになり、より広い耕作地の管理が可能になった。~略~第三に、聖地巡礼の流行である。この時期、都市住民や農民の経済力が向上し、身分的な束縛も緩んだことから、しだいに移動の自由が認められるようになった。」次に建築の革新についての考察です。「柱頭に物語場面を刻む。そのこと自体が、まさに11世紀ロマネスク期の美的革新のひとつだった。渦巻きや植物から動物や人間へ、そして物語へーヨーロッパで千年近くもの間、ほぼ変わることなく柱頭に刻まれ続けてきた渦巻きとアカンサスの葉叢がここにようやく姿を消し、いわばその空き地に聖人や動物たちがにわかに躍り出て、のびやかなかたちをとりながら、さまざまな物語を繰り広げはじめたのである。~略~古代ギリシャ・ローマではもっぱらアカンサスと渦巻きが刻まれていた場所に、聖書の物語や偉人伝が刻まれ、動物や怪物たちが生動しはじめた。それはもはや古代的な規範を墨守する場ではなく、じつに多彩な美的可能性を秘めた描写空間へと生まれ変わったのである。~略~柱頭彫刻はロマネスク美術のなかでもっとも魅惑的なジャンルのひとつだが、残念ながらそうながくは続かなかった。ゴシック期になると徐々に消えていった。~略~垂直性を強調するゴシック聖堂にとって、垂直性を阻む柱頭装飾は邪魔になったという一面もある。それにくらべると、ロマネスクの柱頭彫刻は間近で眺められる。葉叢からのぞくおじさんのギョロ目、葉の上で足をぶらんぶらんさせる小人、そんな意外な細部を見つけるのは素直に楽しい。」今回はここまでにします。
2026.04.19 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。このところ壁に掛ける新作にコラージュする杉板の炙り作業をやっています。杉板は文様を刳り貫き、その装飾を生かしつつ、全体画面を作っていこうと考えています。私の陶彫を初めとする立体作品群は、地中海やエーゲ海に広がる遺跡を発想の原点にしています。つまり出土した建造物は既に欠損した箇所が多く、自作の根底に流れるコンセプトは廃墟をイメージしていると言えます。最近まで読んでいたピクチャレスクに関する論文に、その美しさを裏付けする視点があり、私は大変参考になりました。その中で「醜」もピクチャレスクになり得るものという箇所は、私にとって目から鱗が落ちました。その中でもカントが美に成り得ない「醜」もあると言っていた箇所も印象に残りました。今回話題にしたのは、杉板の炙り作業の中で、必要以上に炎が燃え広がって、文様部分に欠損部分が発生したことで、これをどうしようかと考えたことが契機になりました。創作の中で自分の意思で制御できない箇所を敢えて作り、それを創作に利用する方法があります。20世紀になってから表現方法が広がり、例えば絵画で絵筆を使わずに絵の具を滴らせ、またぶちまける表現が登場してきました。アンフォルメルやアクションペインティングのことです。彫刻でも石を割ったままにして、そこを造形の中に取り込む方法もあります。石彫家はワレハダと称しています。この偶然を効果として造形に取り入れるか、それとも失敗として廃棄するか、その許容範囲は作家個人の判断によるところで、自らの世界観をどう考えているかによります。私の場合は最初のイメージに頼ります。巧みに作り上げるより、訴える内容がより強く出ているのであれば、欠損は歓迎いたします。現在作っている壁に掛ける新作は炙り過ぎた箇所をそのまま使うことで、痕跡として存在する物質が強調されることに自信を持ちました。制作工程において、常に原点に立ち返ることが重要であるという認識を改めて確認しました。