Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

週末 偶然の効果と許容範囲
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。このところ壁に掛ける新作にコラージュする杉板の炙り作業をやっています。杉板は文様を刳り貫き、その装飾を生かしつつ、全体画面を作っていこうと考えています。私の陶彫を初めとする立体作品群は、地中海やエーゲ海に広がる遺跡を発想の原点にしています。つまり出土した建造物は既に欠損した箇所が多く、自作の根底に流れるコンセプトは廃墟をイメージしていると言えます。最近まで読んでいたピクチャレスクに関する論文に、その美しさを裏付けする視点があり、私は大変参考になりました。その中で「醜」もピクチャレスクになり得るものという箇所は、私にとって目から鱗が落ちました。その中でもカントが美に成り得ない「醜」もあると言っていた箇所も印象に残りました。今回話題にしたのは、杉板の炙り作業の中で、必要以上に炎が燃え広がって、文様部分に欠損部分が発生したことで、これをどうしようかと考えたことが契機になりました。創作の中で自分の意思で制御できない箇所を敢えて作り、それを創作に利用する方法があります。20世紀になってから表現方法が広がり、例えば絵画で絵筆を使わずに絵の具を滴らせ、またぶちまける表現が登場してきました。アンフォルメルやアクションペインティングのことです。彫刻でも石を割ったままにして、そこを造形の中に取り込む方法もあります。石彫家はワレハダと称しています。この偶然を効果として造形に取り入れるか、それとも失敗として廃棄するか、その許容範囲は作家個人の判断によるところで、自らの世界観をどう考えているかによります。私の場合は最初のイメージに頼ります。巧みに作り上げるより、訴える内容がより強く出ているのであれば、欠損は歓迎いたします。現在作っている壁に掛ける新作は炙り過ぎた箇所をそのまま使うことで、痕跡として存在する物質が強調されることに自信を持ちました。制作工程において、常に原点に立ち返ることが重要であるという認識を改めて確認しました。