Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 矛盾を抱えた宗教画家
    現在読んでいる「カラヴァッジョ」の伝記で、彼が作り出した宗教画以上に関心を持っていることが私にはあります。私が画家カラヴァッジョを知ったのは信じ難いエピソードがあったためで、そんな彼が生きた時代背景が知りたかったこともありました。宗教画は、キリストの教えを、文盲だった当時の人々に絵画を通じて分かり易く伝えたアイテムだったはずです。宗教画家は全員が聖人君子であることもないと思っていますが、殺人を犯した人がキリストの教えをどう他者に伝えようとしたのでしょうか。まさにカラヴァッジョは矛盾を抱えた宗教画家だったのではないかと推察しています。「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)によると「1606年5月29日、乱闘の末にラヌッチョ・トマッソーニを殺害し、自らも深手を負ったカラヴァッジョは、夜陰に乗じて馬を走らせ、ローマから逃走し、二度とローマに戻ることなかった。最初はフィレンツェに逃げたという噂が流れ、画家もそれを企てたのかもしれない。しかし結局コロンナ家の領地のあるローマ南東部の丘陵地帯に逃れ、以後、同年10月6日にナポリに現れるまでの約四カ月を、カラヴァッジョはコロンナ領の山岳都市、ザガロロ、パレストリーナ、パリアーノを点々と潜伏して過ごす。ローマでは、逃亡したカラヴァッジョに対して、見つけ次第だれでも処刑してよいという恐るべき『死刑宣告』が出され、以後、画家は死と隣り合わせの不安な逃亡生活を余儀なくされたのである。」とありました。逃亡中に画家には悔恨があったはずであり、自ら犯した罪をキリストに繰り返し懺悔したこともあるだろうと思います。悔い改めたことが絵画表現に影響したことは間違いなく、その後のカラヴァッジョの作品をチェックするのが本書の最終章になるのかなと考えます。
    新聞記事より「音楽は声から出発する」
    21日付の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「音楽はまず声から出発するんだ。全部の楽器は全部人間の声の代理なんだ。小澤征爾」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「メロディを奏でるヴァイオリンやフルートのみならず、リズムを刻むティンパニーにだって『人間の声がやりたい願い』がこもると、指揮者は言う。そしてその演奏や伝わり方も、人それぞれに異なる。音楽は『公約数的』なものではなく、どこまでも個人的なもの。大切なのは巧拙ではなく、人と音楽とが『どこでつながるか』だと。作曲家・武満徹との共著『音楽』から。」AIがどんな正確な音を再現したとしても、人間の声のような音色は作れないと私は思っています。そこに生き生きとした感情が生まれ、個人の心に響くのです。演奏する人も人間、聴く人も人間だからこそ通じ合うものがあるのだろうと思います。話は逸れますが、作曲家・武満徹の著書を私は数多く持っています。武満徹は西洋音階とは異なる音そのものを作曲の要素にしていて、音と音の間に沈黙があり、彼はそこに意味を見出していました。その頃、私は彫刻を学び始めていて、人体塑造の正確な量感を捉えようとしていました。ちょうど五線譜に示された西洋音楽のように彫刻もまた構築性が重要なのでした。やがて、私は音と音の間に沈黙があるという表現方法を、モノとモノの間に空間があると置き換えて、現在の彫刻表現に立ち向かっていくことにしたのでした。モノは人間の声かもしれず、空間のあちらこちらから聞こえてくる声に耳を傾ければ、空間の広がりを捉えることが出来るのではないかと認識しています。声が空間にこだまする作品が出来れば、私は満足を覚えるのだろうと思っています。
    3つの展覧会巡り
    今日は工房での作業を休んで、東京と横浜の3つの展覧会を見て回りました。文学に関心の高い教え子が同行してくれて、展覧会を見た後でレストランやカフェに寄って、彼女のユニークな感想を聞いて、私は楽しい時間を過ごしました。最初に訪れたのが東京上野の東京国立博物館平成館の「本阿弥光悦の大宇宙」展で、現代で言うアートの総合プロデューサーのような存在だった本阿弥光悦とはどんな人物だったのか、また自らも創作活動をした光悦のもとに参集した工匠たちが作り上げた世界観が、日蓮法華宗の信仰によって裏打ちされていたことも、私は本展で初めて知りました。一緒に鑑賞した教え子は蒔絵や陶器に魅了されたようで、彼女なりの感想を漏らしていました。次に訪れたのは同館本館で開催されていた「中尊寺金色堂」展で、建立900年の特別展として仏像の数々が展示されていました。ここは外国人観光客が多い印象がありました。私は若い頃、平泉に立ち寄って金色堂を見ていました。そこに安置されていた仏像を、東京の博物館で眼のあたりに見ることができ、至福の時を過ごしました。「本阿弥光悦の大宇宙」展と「中尊寺金色堂」展の詳しい感想は後日改めて述べさせていただきます。上野駅に隣接するレストランで食事をした後、横浜に戻って来て、そごう美術館で開催している「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展」を見ました。テーマがテーマだけに家族連れが多く、子どもたちも妖怪の絵の前ではしゃいでいました。漫画家水木しげるは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」や柳田國男の「妖怪談義」に影響を受けて、連載漫画の傍ら日本古来から伝わる妖怪の絵を描くようになったようです。妖怪絵画はいずれも力作ばかりで、私は惹き込まれていきましたが、同行した教え子も相当面白かったようで、満足な表情をしていました。これも感想は後日に回します。3つの展覧会を回ったのは、私は久しぶりだったため些か疲れましたが、充実した一日を過ごしました。
    「ヨハネ=イサク=キリスト」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第7章 二点の《洗礼者ヨハネ》の主題 」の「4 ヨハネ=イサク=キリスト」の気になった箇所を取り上げます。「カピトリーノ作品の少年が、イサクでありながらヨハネのような設定で表現されたものであるとすれば、それはこの両者の共通性、つまり、イサクもヨハネもキリストの死とそれによる救済を予告し、象徴するという点からではないだろうか。~略~イサクが背負っていた薪は、キリストが背負った十字架であり、十字架は『イサクの木』であるという。イサクは殺されることを免れ、代わりに羊が犠牲になったが、これはキリストの神性は殺されずにその人間性のみが死んだということを示しており、イサクはキリストであり羊はキリストの人間性である。~略~この少年は、一見『荒野の洗礼者ヨハネ』でありながら、実は『解放されたイサク』であり、霊肉を備えたキリストであるという重層的な意味を持つことになる。」これらの作品が描かれた時の画家の私的事情があったようで、それは次章で扱うテーマですが、そこに触れた箇所があったので取り上げておきます。「画家がローマに向ったのは、1606年に彼がローマで犯した殺人によって布告された死刑宣告に対して恩赦が出るという期待を持っていたからである。~略~画家が最後の旅にわざわざ携行した作品群も、カルヴェージの説く《ダヴィデとゴリアテ》と同じ文脈、つまり恩赦を求めるためのメッセージとして捉えられるのではないだろうか。少なくとも、画家はボルゲーゼ家をはじめローマにいるパトロンに贈るつもりでそれらを携行した可能性が高い。所在不明の作品《マグダラのマリア》は、主題からいってあきらかに、犯した罪に対する改悛と悔悟の表明であったろう。そしてこの変則的な《洗礼者ヨハネ》は、福音、つまり恩赦を待っているという画家の切実な状況を訴えるものではなかったであろうか。」今回はここまでにします。
    新聞記事より「洗練が重ねられる」
    17日付の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「野生と自由が異なるように、生まれつきの素質と個性は違うのだ。白洲正子」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「『型』を守る伝統芸能は、みなに同じことをさせるから無個性なのではなく、決まった型があるから個人の相違も表れると、作家は言う。個性は育つもの。何百回、何千回と演じているうち、つまらぬものは削ぎ落とされ、余計な型は棄てられて、洗練が重ねられると。職人仕事も、いや民主主義だって、『多くの人の手を経て』育ってゆくもの。『名人は危うきに遊ぶ』から。」随筆家白洲正子の生活を彩るエッセイを、私は何度か読んだことがあり、優れた審美眼を備えた人だなぁと思っています。白洲次郎・正子夫妻は、古い農家を改築して、古美術を生活に活かしていたようで、この人にとっての豊かな暮らしとは贅を尽くしたものではなく、彼らの美意識に裏打ちされたものと私には思えました。そうした思考を持つ人ならではの発想が、「つまらぬものは削ぎ落とされ、余計な型は棄てられて、洗練が重ねられると。」という箇所に現われています。これは私がやっている創作活動にも通じるものがあり、美意識に対する革新が、取捨選択によって価値が与えられ、真に個性的なるものや美しいものが後世に残っていくものだろうと考えています。洗練を重ねることによって、私たちは心の豊かさを手に入れて、日常を楽しむことに繋がっていくと私は思っています。