2026.06.22 Monday
先日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「内容を欠いた思考は空虚であり、概念を欠いた直観は方向を見うしなっている。イマヌエル・カント」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「人間の認識には二つの源泉がある。感覚に与えられるものを直観的に受け取る能力と、これらを通して対象を概念的に摑む能力だと、18世紀ドイツの哲学者は言う。直観を欠けば思考は野放図になり、概念を欠けば直観は偶然に流される。何かが在るというのは与えられてあること、でもそのためにどんな受け皿が要るかを忘れないこと。『純粋理性批判』(熊野純彦訳)から。」この文章で私が気になったのは通常使う直感とあまり気にしたことがない直観という語彙。直感は勘のようなもので、直観は本質や真理を一気につかむものとして理解しています。「感覚に与えられるものを直観的に受け取る」ことと「対象を概念的に摑む」ことの関係性を説いているのが「純粋理性批判」の中に収められているのでしょう。それは存在とは何かを考える上で、与えられてあることの受け皿を必要とすることだとしています。私は普段考えたこともないことをカントの言葉によって、もう一度頭の中で意味を組み立て直さざるを得ず、その試みは時にやってみるのも良いと思っています。またカントの考え方は、一般的にはほとんど生活に浸透しているものを改めて認識し直す作業になるのではないかとも考えます。難解な言葉であっても、深く知れば、実はシンプルな意味に辿り着くことがあり、それがどうしたと言えば、それまでで、物事の成り立ちを理解するかどうかは本人次第なのでしょう。私の親戚の中にカント哲学者がいた関係で、私もほんの少しだけ哲学を齧りました。亡き叔父の量義治と本当は哲学談義をしたかったのですが、私の力量不足があって及ばず、私の勉強を待たずして叔父は逝ってしまいました。叔父が個展に来てくれて、そこで残してくれた言葉を思い出すたびに、直観やら概念のことが頭を過ります。叔父は私の造形に対する結論しか言ってくれませんでしたが、その思考過程を今更知りたいと思っている私がいます。
2026.06.21 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日は来年に向けての新作について書いていきます。新作のイメージはいつ頃やってきたのか、自分の記憶としては冬の寒さが緩んできた時期で、朝の起床の何気ない時にふと目に浮かんだ朧げな風景だったのでした。その頃は、今年の個展で発表を予定している作品が完成に向かって佳境を迎えている頃で、一心不乱にならなければならない状態の時に、制作の腰を折るような気の抜けた感覚とも言える心の在りようでした。現行の作品に対する現実逃避なのかと自分がその時思ったのも当然な成り行きで、そのどこからともなく現れた風景は、季節を考えれば春霞とも言えて、表題の「霞立つ風景」をいうのは後付けで考えたものです。私の場合はどこかの風景のシルエットがやってくる場合が多く、実に視覚的であり絵画的なイメージなのです。さらに時間をおいて、彫刻として肉付けをする時に、そのイメージが保てないこともあり、そのまま新作として考えを固めていくのは多少無理がある場合もあります。無理と分かったら、次のイメージがやってくるまで待つしかありません。今までのところ、寝起きに浮かんだ霞立つ風景は、何とか彫刻に生かせそうです。その風景は丘の上に数本の塔が聳え立つ風景で、いつものような地下遺構には拘っていない特徴がありますが、「構築」シリーズとして位置付けるのはちょっと違う気がしています。塔にはそれぞれ大地に根を張っているイメージがあり、巨木のようでもあり、蟻塚のようでもあるからで、地表に出ていないところに意味を持たせようとしています。それも後付けによるものですが、私にはやはり「発掘」シリーズを推し進めていく方がすっきりとまとまる気がしています。イメージに出て来た数本の塔にはそれぞれ距離があって、霞立つシルエットには濃淡がありました。塔の先端はどうなっていたのか、そこはあまりにも朧気で、消え入るようになっており、はっきりしません。ともかく新作はこれでいこうと考えています。具体的な部分は陶土を触りながら掴み取っていくつもりです。
2026.06.20 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。来月の個展で発表する作品が全て出来上がったので、次なる作業はこれらの作品の梱包です。平面作品である「炭景」4点はエアキャップを貼り付けた梱包用シートでそれぞれを包んでいきます。陶彫作品である「発掘~六蹟~」は分解した陶彫部品を木箱に収めていきます。その際に陶彫部品もエアキャップで包んで木箱に入れるのです。理由は運送中の振動に対応するためです。私の作品は搬入搬出に向けて、その準備にも時間がかかります。今週は毎日工房に通いましたが、そのほとんどの時間を作品の梱包に当てました。新しい作品のイメージも出ていますが、まず梱包を優先に考えています。ただし、梱包は退屈な仕事なので、そろそろ新作に向けて陶土を練っていこうと思っています。今週は映画鑑賞によく出かけました。火曜日の夕方に横浜市中区にあるミニシアターで建築家ル・コルビュジエに纏わる2本の映画を続けて観ました。インドに作られたル・コルビュジエによる”輝く都市”チャンディーガルを描いた「ユートピアの力」。ル・コルビュジエやルイス・カーンと協働した建築家バルクリシュナ・ドーシの半生を描いた「誓い 建築家B・V・ドーシ」。私はこうした社会性を持った映画が大好きなのですが、一緒に行った家内も美大で空間演出デザインを学んだので、興味を持ったようでした。金曜日の夕方に横浜市都筑区にあるエンターテイメント系映画館で観た「マイケル」は、娯楽大作のため心底楽しく、気持ちが沸き立つような感動を覚えました。稀有な才能をもつマイケル・ジャクソンはドラマ化するのが難しいと思っていましたが、彼の甥が演じたマイケルは、時折マイケル本人かと思えるほど歌もダンスも仕上がっていて、思わず惹き込まれてしまいました。半端な練習量ではない訓練によって演じきった彼の覚悟が現れていて、それを味わうだけでも一見の価値はあると思います。映画は面白いなぁとつくづく感じた1週間でした。
2026.06.19 Friday
今週は映画三昧の1週間になりました。今日の夕方に家内を誘って、横浜市鴨居にあるエンターテイメント系映画館に話題の映画「マイケル」を観に行ってきました。映画には、ル・コルビュジエの建築がインド社会に齎せた影響を収めた社会性の強い映画がある一方で、娯楽性のある映画があり、その映像表現の幅の広さに胸が躍ります。本作は圧倒的な娯楽大作で、マイケル・ジャクソンの舞台を見ているような臨場感を味わうことができました。図録の冒頭に「マイケル・ジャクソンがステージに立つと、世界は息をのんだ。彼は時代のリズムと魂に直接触れていた。まさに完璧なエンターティナー。メロディーを純粋な感情へと昇華させるシンガー。音とスペクタクルを融合させた先駆者。壁を打ち破る開拓者。見る者が鏡に映る自分自身を見つめ直すほど、絶えず自らを変え続けた存在だった。~略~その爆発的な創造力こそが、マイケルの核にある。かつての天才少年が、いかにして誰もが認めるスーパースターへと変貌を遂げたのかを、本作は圧倒的な没入感とともに描き出す。音楽とダンス、そして観客ひとりひとりの胸に深く刻まれる瞬間に満ちた、息をのむような体験。」とあり、子ども時代から特別な才能に恵まれたマイケルの半生を振り返る映像が流れていました。とりわけ成人してからマイケルを演じた彼の甥にあたるジャファー・ジャクソンの歌と踊りが圧巻で、思わずその立ち居振る舞いに惹きこまれてしまいました。マイケル自身と彼は骨格がやや異なっていたものの、これは模倣ではなく、ジャファーが創り出した別のマイケルではないかと私は思いました。ソロ活動が始まっていても家族(ジャクソン5)の絆や父親の縛りから抜け出せずに悩むマイケルの姿や、とくに私はマイケルが一人になって楽曲作りに精を出す創作の姿に面白さを感じました。マイケルの半生にはまだまだ語られていない部分もあるにも関わらず、本作の後半はムーンウォークに代表される音とダンスに特化していて、マイケルのビジュアル好きには堪らない映画だったのではないかと察しています。
2026.06.18 Thursday
先日、家内と映画「誓い 建築家B・V・ドーシ」を観に行きました。ドーシはル・コルビュジエの事務所に在籍し、インドでのプロジェクトに携わった建築家です。図録にこんな紹介記事がありました。「2018年にインド人初のプリツカー賞に輝き、2023年に95歳で死去した世界的建築家バルクリシュナ・ドーシが、師匠であるル・コルビュジエやルイス・カーンと協働した建築物や自身が手掛けた建築物を訪れ、建築哲学や制作過程、そして70年におよぶキャリアについて語る姿を追う。モダニズムとインドの伝統、風土、精神性を融合した独自のスタイルを確立し、社会や環境に貢献する建築や、生活に根差した”人々のための建築”を志向した彼の最晩年の内面に迫る。」映画全般にわたって机に向かいながらアイデアを描き込んでいくドーシの姿や、建築専攻の大学生たちとの触れ合い、森に覆われてしまった自身の建築物などを通して、親しみのある彼の人柄が随所に現れていました。建築を通して何をすべきかを常に語り、その台詞の中に私にも刺さる言葉が結構ありました。「彼は自著の中で、『自分はル・コルビュジエのような曲芸師にはなれないし、カーンのような厳格さを貫くことも難しい』と書いています。だからこそ、二人に深い敬意を払いながら、自らの内面を見つめ、内なる世界を探求し続けました。その静かな内省の姿勢は、瞑想などのインド文化に深く根ざしたものだったのでしょう。~略~また、『どうすれば良い建築ができるか』という問いには、『24時間いつでも考え続けることだ』と答えました。効率や管理を優先しがちな日本人の私に、悠久の時間が流れるインドらしい、建築への真摯な向き合い方を教えてくれたのです。」(飯田寿一著)昨日、NOTE(ブログ)に書いた映画「ユートピアの力」。そのコルビュジエ・ワールドを観た後で、インド人建築家による本作を観て、まさに建築に対する考え方や、建築に限らないインド民族特有の哲学に触れ、私自身も多少なり悠久な時間の流れを齧ったような気分になりました。これは私にとって貴重な時間を与えてくれた映画だったと思っています。