Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 週末 懇親会と墓参りの1週間
    今日は日曜日ですが、昨日書くはずだった1週間の振り返りが出来ていなかったので、今日書くことにしました。先週の日曜日から昨日の土曜日までの1週間のうち、工房での陶彫制作が出来なかったのは木曜日だけでした。木曜日は先月開催した横浜でのグループ展のメンバーによる懇親会があって、今年からグループ展に参加した私はその懇親会に出席しました。グループ展は退職中学校校長会が母体となって組織されていて、懇親会も元校長の一人が昔から懇意にしていた店を借りていました。店の営業が始まる前の特別な時間に、店側の懇意で始まった懇親会では、鯛の塩釜焼を提供していただきました。鯛そのものも美味しかったのですが、それを雑炊にしていただいて、私は久しぶりに海鮮料理を堪能しました。私が校長を退職する時は、コロナ禍で歓送迎会が出来なかったので、本当に久しぶりに仲間が集まった感じを持ちました。その後で横浜駅のデパートを会場にした書展にも行きました。出品している人にも会えて、有意義な一日だったなぁと思い返しています。昨日は春彼岸の最終日だったので、家内と墓参りに出かけました。家内の両親も私の両親も横浜市内の墓地に葬られているため、午前中に2ヶ所の墓地を回って墓掃除と彼岸花を手向けることができました。ここ数日は寒の戻りがあって、真冬のような日が続いています。工房も寒くてまだまだストーブが活躍しています。桜の開花予想が先に延びて、来月を待たないと横浜の桜は咲かないかもしれません。
    週末 墓参り&陶彫制作
    週末になりました。土曜日は1週間の振り返りをしていますが、今日は春彼岸明けになってしまう日なので、朝のうちに家内の両親が眠る久保山墓地と、私の両親が眠る自宅近隣にある菩提寺に墓参りに行ってきました。1週間の振り返りは明日書くつもりです。墓参りは春と秋のお彼岸の時にしか出かけない私は、先祖には申し訳ないと思いつつ、今を生きている自分たちの方が大事なのだという考えもあり、今日は墓参りだけでは終わらない一日にしました。つまり自分が生きている証には創作活動が欠かせないため、墓参りから帰った後で、夕方まで工房に籠ることで生きる実感を味わいました。今日の制作内容としては、新たな成形を行うために座布団大のタタラを複数点用意しました。これはよく練った陶土の塊を掌で叩いて薄くのばしていくのです。タタラと紐作りの併用で立ち上げていく成形は、制作工程の中では面白い作業のひとつですが、陶土の均一な厚さを考えながら丁寧にやっていくのが留意点です。タタラにした陶土はある程度硬くなっていないと、立ち上げられないので、成形は一日おいて明日以降になります。今日はタタラを用意した後で、既に成形が終わっている陶彫作品に彫り込み加飾を施す作業に移りました。これは作品に浮彫を行うために、成形とともに面白い制作工程でもあります。陶彫制作には制作段階でいくつもの作業が中途で放置してあります。今日はこれとこれの作業を組み合わせようと考えながら進めていくのです。私が言う「制作サイクル」というもので、陶土の乾燥具合や状況によって複数の工程を同時に見極めていくのです。陶彫制作は自分の都合でななく、陶土の都合でやっていきます。当然中途作業の陶土にはビニールをかけて乾燥を防いでいますが、それでも俄かに乾燥が進みます。陶彫制作を休めない理由がここにあります。
    「先行作例と晩年様式 」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第10章 失われた最後の大作 」の「3 先行作例と晩年様式 」の気になった箇所を取り上げます。「ヴァチカンの《キリストの埋葬》が、聖体拝受のミサを考慮した仰角視点で描かれていること、また、チェラージ礼拝堂の作品において、聖堂上方の窓から差し込む陽光が画面の光源、つまり聖パウロを回心させた神の光と一致していること、またシラクーサの《聖ルチアの埋葬》の前景の人物像の破格の大きさなども祭壇を下方から見上げる効果を考慮したためらしいこと、などからわかるように、《生誕》の構成と様式も、それが設置されるべき祭壇における効果を意図してのことだったと思われるのである。そして、1600年から二年の間に描かれたコンタレッリ礼拝堂の側壁の2点と、チェラージ礼拝堂の2点の作品のように、カラヴァッジョがしばしば近接する時期にまったく異なる画風を示すことがあるのは、設置される空間への画家の計算によって説明できるのではないだろうか。《羊飼いの礼拝》と《生誕》との相違も、そのような様式転換の例であったのではなかろうか。両作品は、主題解釈の点でも画家の晩年の傾向に一致している。マルタ時代以降の作品は、ほとんどが死のテーマを扱っているためか、画面に沈鬱で瞑想的な雰囲気が漂っている。驚愕と歓喜に満ちているはずの《ラザロの復活》や《羊飼いの礼拝》といった主題でさえ、悲嘆にくれたようなマグダラのマリアや聖母の表情が印象的である。《生誕》においても、聖母の放心したような表情からは、ピエタとのつながりを喚起するような暗い雰囲気が醸し出されている。民衆的な貧しさ、無力さが基調となっているのも、この時代のカラヴァッジョ作品の特色といってよい。」失われた《生誕》についてさまざまな角度や視点から考察してきましたが、本章も次回で最後の単元を迎えることになりました。
    書展&如月会の懇親会
    昨日窯入れをした関係で、今日は工房の電気が使えません。今日は工房での作業を休むつもりで、昨日の窯入れを計画したのでした。今朝は工房に焼成温度の確認に行ってきました。その後、同期の退職校長が横浜のそごう美術館で開催されている「今をえがく書かながわ」展に書を出品しているので見てきました。たまたま同展会場に彼がいて、作品について話ができました。彼は毎日新聞社主催の書道展にも毎年出していて、私は東京六本木にある国立新美術館にも足を運んでいます。その彼が先月開催した「如月展」に来てくれたので、同展に彼を誘ったのでした。その「如月展」の懇親会が今日、画廊の近くにあるレストランでありました。如月会は横浜市立中学校退職校長会が主催しているグループ展で、私は今年から参加させていただいています。もう45回を数える「如月展」ですが、出品されている皆さんが高齢になるにつれ、会の存続が心配になっていて、私と年齢が近い元校長を誘えと会の重鎮からお達しがあったのでした。懇親会に参加した方々は元校長なので、話題に事欠かず、楽しい時間を過ごしました。また懇親会を昼に開催し、無理のない範囲での会なので、ひと昔前の教員の飲み会のような強引さはなく、とてもいい雰囲気でした。仕事を退職すると、当然全てが自分の時間になります。何もしなければ暇を持て余すだけですが、そこで何かに打ち込むことは人生を豊かにするのではないかと思います。私のように退職しても自分の本領とする表現活動が残っている場合は、退職前の勤務以上に厳しい時間の使い方があるですが、おそらく満足できる結果が残せるだろうと信じているのです。創作活動によって広がる人付き合いは格別なものと私は承知しております。
    「カラヴァッジョのモデル使用 」について
    「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)の「第10章 失われた最後の大作 」の「2 カラヴァッジョのモデル使用 」の気になった箇所を取り上げます。「カラヴァッジョは制作の際、生身の人間をモデルにし、それを正確に表現しているらしいため、作品に描かれた人物の容貌を比較することによって、制作時期をある程度推定することができると思われる。」またこんな記述もありました。「近年の科学的調査によると、カラヴァッジョは地塗りの上に刃物か筆の柄のようなもので、大まかなフォルムの線を刻み付けていたようだが、そうした線はしばしば仕上げのラインとずれており、彼は大体の構図を刻線によって決めると、あとは描きながら形や細部を作り上げていったということがわかる。」カラヴァッジョには推敲されたと思われるメモやデッサンが残っていないために、いきなり画面に挑んだのではないかと識者によって推察されています。また失われた大作「生誕」のモデルに対し、さまざまな考察もされています。「《生誕》に描かれた人物像を一人一人、モデルのタイプという立場から見てきたが、シチリア時代、とくにメッシーナ時代の《ラザロの復活》や《羊飼いの礼拝》の人物のタイプや容貌に近いということが示されたと思う。ポーズやモチーフにはナポリ時代を思わせるものもあるが、全体としてメッシーナの人物像と同種といってよいだろう。このことは、《生誕》がやはりシチリア時代、特にメッシーナ時代の1609年あたりに描かれたということを裏づけるものと思われる。このように、人物の容貌やタイプを比較することによって制作時期を推定する方法は、部分的にはいくつかのカラヴァッジョ作品に適用されることはあったが、より広汎に検討すれば、それだけでカラヴァッジョ作品の制作時期を推定するのに有効となりうるのではないだろうか。」今回はここまでにします。