Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 「奇想の美術館」読み始める
    「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著  野中邦子訳  白水社)を読み始めました。本書は「イメージを読み解く12章」というサブタイトルがあって、それぞれテーマや芸術家を12章に分けて取り上げています。先日まで読んでいたドイツ人芸術家ハンス・ベルメールも奇想の視点をもった人形作家・版画家とも言えるので、読書の流れとしては私にとって自然なのかなぁと思っています。本書は内容に入る前に「謝辞」という題名のある前置きがありました。「より広範な文化に通じていないため、私のあげる例は西洋美術に限られる。そのなかから、絵画、写真、彫刻、建築など、いくつかの作品を選びだした。私の心に強く訴えかけ、想像力を刺激したものばかりである。そのほかにも十ばかりの画像を選んだ。たまたま目についたもの、個人的な好みに合ったもの、面白い逸話に興味を引かれたものなどを並べてみた結果、この本ができあがった。~略~私にできる弁明といえば、美術のいかなる理論にも頼らず、自分の好奇心だけをよりどころにしたということのみである。」この文章が示すのは、美術鑑賞の一番基本とする第一印象の心に刺さった部分を大切にする真意です。そこには体系的な方法論も背景とする歴史的考察はありません。そうした知識は後追いで学んでいくものだという考えが私にもあります。私が展覧会で図録を買い求めるのは、自分の印象に残ったものがどんな背景を持っているのか、評論家や学者の考察を読んで、自らの印象と重ねていくためなのです。第一印象だけでは忘れてしまいがちで、そこに考察等の理論があると、より深く心に刻まれてゆくと私は思います。また芸術家の生い立ちや育った環境も知り得た上で、その作品を見直すと、制作の動機や潜んでいる謎の部分が解明されることがあります。私は読書家であると同時に創作活動をやっている者なので、自らの作品に転化できるものがないかを探っている節があります。私にとって読書は創作意欲を刺激するものでもあるのです。
    週末 HPのExhibitionに26’個展をアップ
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日のテーマはホームページに関することです。私は毎晩NOTE(ブログ)を書いていますが、デジタルの操作はあまり得意の方ではありません。懇意にしている女性カメラマンによって私のホームページが運営されていて、私はその枠の中で仕事をしているのです。だからと言って自らの造形作品をアナログのままにしておくのは気に入らず、ホームページという情報発信をしていきたいと考えています。過去の作品はホームページ内の画像によって見ることができて、しかも自分の作品を人に伝える時に便利な媒体と思っています。ホームページの中にはNOTE(ブログ)の他にGalleryやLandscape、Recordなどがあり、さらにExhibitionもあります。Exhibitionは毎年開催している個展の状況を伝えるもので、21回目の個展を迎えた今年は、うしお画廊での画像をアップしました。彫刻は立体であるため、作品が置かれる場所や環境によって雰囲気が変わります。それが立体の面白さでもあり、作品を取り囲んで流れる空気をも表現の要素にしてしまうのです。野外工房で撮影する場合は、光や影が作品に微妙な味わいを齎せます。今まで図録やパンフレッドを制作するため野外撮影をしているのは、個展開催中の画廊の白い壁に囲まれた空間との差異を際立たせようと考えているからです。その効果は彫刻ならではの特徴があると思っています。また画廊によって空間の違いがあるため、昨年まで開催していたギャラリーせいほうと、今年のうしお画廊との違いも画像に現われているように思います。2006年からの画像を振り返ってみていると、その年その年の個性が現れていて、自分が歩んだ確かな道が示されています。と同時に、その年の苦労が滲んでいて何とも言えない気持ちになります。毎年開催している個展で、上手くいったものなどなく、紆余曲折を繰り返して、何とか開催に漕ぎつけているのが実感です。きっと来年もそうなるでしょう。彫刻が精神の産物である以上、これは避けて通れないもので、その苦労を楽しんでいくのが幸せと言えるのでしょう。
    週末 新作成形6点が完成した1週間
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週も来年に向けた新作陶彫の土台部分を作っていました。新作陶彫は塔を作ろうとしています。その一番下になる陶彫部品が今週で6点完成しました。陶彫作品は成形して彫り込み加飾をした後、乾燥させてブロックサンダーで指跡を消し、化粧掛けを施して窯に入れます。窯内で高温に耐え、素材は石化して窯から出てきます。そこで初めて完成になるので、現状の成形と彫り込み加飾が出来た段階では、厳密に言えば完成ではありません。ただ、立体として成り立たせるために一番集中力を使って造形していく過程が、成形と彫り込み加飾なのです。この工程を経ると作品全体の方向性が見えてきます。来年のうしお画廊に設置するであろう新作の空間演出が見え始めてきたというのが正確なところです。6点の陶彫土台を見渡して、塔の数はこれでいこうと決めました。今年の「発掘~六蹟~」も6点で構成された集合彫刻でしたが、来年も6点の塔が点在する空間が、画廊の広さを考えるとちょうどいいのかもしれません。そこで次の制作工程としては2段目にあたる陶彫部品を作っていくことになります。土台に組み込むため、土台よりやや細めの陶彫部品を作るのです。これはまた土練りをして陶土の準備が整ったら、来週から始めることになりそうです。今週は後輩の木彫家が頻繁に工房に来て作業をしていました。彼は教職に就いているので夏季休暇を取得しているのでしょうか、会員である二科展の搬入に間に合わせるため、密度の濃い制作時間を過ごしていました。教職と言えば、退職中学校校長会の結成65周年記念展の打ち合わせが金曜日の午後に「かなっくホール」で行われ、私もそこに出席していました。20名弱の方々が作品を出されることが分かり、案内状の印刷やら会場の備品の確認等を担当者を交えて会議を持ちました。横浜市は美術科校長が少ないため、私は出来る限り協力していこうと思っています。
    「死、欲望、人形」読後感
    「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)を読み終えました。本書は人形制作や版画を主な表現媒体にしたドイツ人芸術家ハンス・ベルメールの生涯を書いた伝記です。日本でベルメールはそれほど知名度がなく、私は人形作家四谷シモンの個展で、ベルメールの存在を知りました。本書の「おわりに」にあった文章を引用いたします。「ベルメールは覗き見趣味の『色情狂』というよりむしろ、『臨床の誘惑とイメージの魔力に憑かれた詩人』として理解されるべきであろう。その作品と個人的な傾向によって彼自身が、今や近代的な想像力の中心と認識される特異な領域の文化的参照となった。~略~生涯においては、貧困と亡命と、そしてプライバシーを堅守しようとする徹底した警戒心にもかかわらず、ベルメールはアヴァンギャルドの主要人物たちと知り合い、共作した。~略~快楽と苦痛との照応関係のネットワークを探求し、自らの芸術により肉体と精神の従来の区分けを問い直そうと試みるとき、ベルメールは、現代人の精神的傾向とかかわる自己同一性という観念の徹底した革新行為に参入している。このことは、性とポルノグラフィに関してであろうと、ジェンターと表象に関してであろうと、聖愛と俗愛に関してであろうと、なぜ彼の芸術が現代の様々な議論でほとんど言及されることがないかを明かしている。」私は20代の頃に、アンダーグラウンド演劇に心酔し、唐十郎率いる状況劇場(赤テント)に通い始めました。その芝居で女形を演じていた四谷シモンに注目し、彼が人形作家であるのを知りました。彫刻として人体塑造をやっていた私はリアルで妖艶な四谷シモンの人形作品を見て、魂がある彫刻と、がらんどうの人形に不思議な対極性を見取り、何物にもなれる人形の魔性にも惹かれるものがありました。その原点にベルメールがいて、自分の中に存在し得ない雰囲気が妙に印象に残ったのでした。当時は自分では説明がつかなかった何かが、本書によって丁寧な論述がされていて、今回で何となく腑に落ちたように思います。自分の若い頃の闇がひとつずつ解明されていくことに己の齢を感じるこの頃です。
    「パリ1955-1975」について

    「死、欲望、人形」(ピーター・ウェブ、ロバート・ショート著 相馬俊樹訳 国書刊行会)の「パリ1955-1975」について、気に留まった箇所を取り上げます。「新聞や美術雑誌におけるベルメールの作品評には、両極へ向かう傾向が見られた。20世紀の他の幾人かの芸術家たちが経験してきたのと同様に、彼のイメージはつねに論争の的となり、書き手たちの論調はそれを偏愛するか、憎悪するかのいずれかに分かれた。~略~生涯の最後の期間を通じて、ベルメールは版画制作に専念した。『ドローイングを銅版に写し、重いリープ・ペーパーに刷るというのは、描かれた鉛筆の線の魅力をひき立てるのに独特の効果をあげるのです』。~略~ベルメールは、リトグラフであろうとエッチングであろうと、版画の様々な技法に驚くべき能力を発揮し、それはかつてグラフィック・デザインに期待された能力をはるかに凌いでいた。しばしば彼は混合技法を使用したが、それによってエッチングとドライポイントは統合され、イメージは版上で厳密な精巧さを獲得することとなった。~略~ベルメールの作品形成において重大な役割を果たした人物は誰かと問うならば、それは間違いなくサドである。ベルメールは、感覚的な満足のために性本能を自由に使用すべきであり、あらゆる人間の精神にひそむ暗い衝動の幻想を自らの芸術を通じて伝達する必要があるというサドの信念に同意した。」ここからベルメールの生活や健康に関わる文章が登場します。「『マリオネット』が刊行された1969年に、ベルメールの健康は深刻なまでに悪化し、ウニカとの関係は極めて危機的な状況に陥っていた。彼らが最初から互いを必要としていたのは疑いようもない。ベルメールは孤独であったから、彼女の友情と激励が必要であった。ウニカもまた孤独で、自分の才能を信じてくれる人を求めていた。~略~ベルメールの長きに渡る重度の喫煙癖と飲酒癖とが健康を損なっていたのは明らかであった。すなわち、かれは重い気管支炎を患い、深刻な腸の疾患を抱え、不眠症にも悩まさせていた。」一時は医師の治療によって回復しましたが、錯綜した精神的な場面ではウニカが自死してしまいました。「1975年2月24日に(ベルメールは)死去し、故人の希望でパリのペール・ラシェーズ墓地にウニカとともに埋葬された。~略~墓碑には、かつてウニカの花輪に添えたのと同じ言葉が刻まれている。『私の愛はあなたを来世にまでも追っていくでしょう』」本書の内容はこれで終了です。