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  • 「コテージと装飾」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章  ピクチャレスクと建築」の「5コテージと装飾」を取り上げます。「プロウの『装飾農園』における『装飾』の意味とは、一つは農業用の建物を教会や修道院などに似せて外観を楽しめるようにしたことで、これはミドルトンが出した方向を発展させたものである。重要なのはもう一つの点で、前作同様に周囲の景観の中に建物を位置付けて一つの調和した風景として見るという視点を導入したことである。『田園建築』だけでなく『装飾農園』における立面図の全てにおいて、プロウは木々や草、雲などと言った背景や前景を書き込んでいる。『装飾農園』のタイトルの最後に書かれているように、彼の言う装飾は『ピクチャレスク効果』を狙ったものだった。~略~18世紀の半ばまで尚古趣味の対象であった廃墟は、諸行無常や盛者必衰を意味する、いわばモラルの表象だった。庭園ブームの中で廃墟は人工的に新しく作られたが、サイレンセスター・パークの中にバサースト卿が建てたアルフレッド・ホールの人工廃墟(1732)はその最初の例の一つである。世紀後半になると廃墟がピクチャレスク風景の中に取り込まれる中で、ウェイトリーは廃墟のエンブレムとして意義を否定し、外観的な特徴からその『性格』を『変遷、老朽、荒涼』として庭園の中に取り込んだ。これは、廃墟が不規則や不均衡といった形態の不完全さを追求するピクチャレスクの美学に通じるものだったからであり、また対象の持つ表象的な意味の否定は初期ピクチャレスクの特定の一つだった。世紀末が近づくにつれ、廃墟趣味の関心はかつては威風を誇った城郭などから小規模なコテージなどの『控えめ』な対象にも広がる。~略~どのような芸術美にも結びつかず吐き気を催すだけの醜が存在するとカントが主張するように、哲学者らは美的な醜とは別に快をもたらすことのない絶対的な醜の存在に言及している。何らかの美として捉えうるか否かは、そのものの内実だけでなく距離を置いた見かけのイメージとして受け入れることができるかどうかによるが、それは鑑賞者の属する文化や時代性などによって異なる。J・T・スミスのコテージに表象されるような醜の魅力は、18世紀末のピクチャレスクの『装飾』観の一側面を表していると言ってよいだろう。」今回はここまでにします。
    「労働者用コテージの改良」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章  ピクチャレスクと建築」の「4労働者用コテージの改良」を取り上げます。「『土地所有の紳士へのヒント』は最初の労働者用コテージの改革案であり、そのため先行書に頼るのではなく自らの経験によって書かれている。そこには、立面図と平面図の他に具体的な寸法や各材料の価格の詳細な見積もりまで記されており、平面図にはそれぞれ部屋の役割が細かに説明されている。極めて具体的で実用的なものである。この手法は明らかにパターン・ブックの様式を取り入れたものであるが、農場主や地所全体の所有者用の比較的大規模な建物を取り扱うそれまでのパターン・ブックとは全く異なり、田園で実際に働く労働者のために建てる小さなコテージが取り扱われた最初の建築書である。~略~簡潔さの中でも『規則性』を尊重するウッドの主張には新古典主義の様式を得意とする、1728年生まれという一世代前の建築家としての彼のこだわりが認められる。左右対称であることを尊重するウッドは、規則性を演出するためだけの為窓や為扉をつけている。『規則性は美だ』というウッドの主張は、その後、不規則性や多様性を重視するピクチャレスクの流行の高まりと共に消えゆく運命にあった。~略~ホランドはピクチャレスクという言葉を使っていないが、ここでは有用性と共に美観が意識され、両者の融合が目指されている。練り土レンガはこの両方に貢献する有効な手段として導入されようとしているのであり、のちに見るように19世紀に入るとガンディーらが練り土レンガを使った極めて斬新な形態のデザインを考案することにもつながる。~略~バーナードの『ピクチャレスクで、住むこともできるコテージ』は、富裕層のための装飾用と貧困層のための実用という平行して交わることの無かった二種類のコテージを、互いに融合させようという提案だったと思われる。実用的なコテージに美的要素を求めることで住居としての価値が高まり、それは居住者にとっても所有者つまり地主にとっても利益をもたらすという考え方である。これは、ピクチャレスクの美学が有用性を取り込んでいった最初のステップだった。」今回はここまでにします。
    新年度ではあるけれど…
    4月になりました。昨日のNOTE(ブログ)の続きで言えば、今日から新年度です。4月には入学式や入社式があり、日本の場合はこの4月から学業や仕事が始まることが多いのです。私は教職を退職して5年が過ぎたので、そろそろ年度で考えることはしなくてもいいと思っていますが、長い間の習慣から抜け出せない自分がいます。ずっと携帯している黒革の手帳の日記も今日から新しいノートに差し替えました。さて、そんな4月ですが、創作活動のことを考えると、私は7月後半に個展をやって、そこで1年間の締め括りにしているので、彫刻家としては7月から8月に制作が入れ替わります。その時が、いやその時こそ自分にとって気持ちを新たにする時期なのかなとも思っています。今日から新年度ではあるけれど、そこに拘る必要がなくなっているのが現状です。今月は7月の個展に向けた新作の制作が佳境に入る時期です。壁に掛ける4点の作品の下地を考えなければならないため、絵画的な技巧を用います。もう一度当初のイメージを確認し、絵画技法をどう扱うか考えながら試行していきます。うまくいけば今月中にある程度決着がつくかなぁと思いますが、創作活動は計算できるものではなく、行きつ戻りつするので、まだ分からないと思っていた方がよいでしょう。今月も美術館やら映画館に足を運んで鑑賞に勤しむつもりです。鑑賞は思考に刺激を与え、情感を豊かにするものだと私は考えています。それは言葉で言い表せないほど楽しい時間です。創作の実践は楽しいかどうか分からない時間帯で、常に自分に何かを問いかけているため、体力や気力を消耗することも多々あります。これは教職とは違い、他者のためにやっているわけではなく、自分のためにやっている仕事なので、気儘に楽しめるはずが、そんなふうに考えられないのは何故なのでしょうか。混沌とした中に自分が放り投げられたように感じることもあります。それでも今月も根気よく制作を頑張っていきたいと思います。
    年度末の最終日
    今日は3月31日で、年度で考えれば年度末の最終日になります。私は教職に就いていた期間が長かったせいか、大晦日より年度末最終日の方が気持ちが入れ替わるのです。とりわけ転勤を控えていた時は、この最終日が大変で、溜めこんだ個人情報を裁断機にかけなければならず、時間がいくらあっても足りないと感じていました。管理職として転勤があった時は、次年度に送る引継ぎ資料の確認を行なっていました。地域への挨拶もこの日にやっていました。公立学校は地域あっての存在なのです。今日の新聞に公立学校の転勤情報が掲載されていましたが、退職して数年も経っていれば、転勤者も知らない人ばかりになっています。今月は31日間あって、そのうちの28日間を工房に通っていました。工房での作業は専ら杉板の刳り貫き作業ばかりで、職人的な仕事に終始していました。工房に行かなかった3日間は、母の七回忌と映画や展覧会の鑑賞に当てていました。美術鑑賞では「たたかう仏像」展(静嘉堂文庫美術館)、「下村観山展」(東京国立近代美術館)の他に教え子が出品していた卒業制作展(女子美術大学)に行ってきました。映画鑑賞では「死の天使ヨーゼフ・メンゲレ」(シネマート新宿)に行ってきました。美術も映画も内容の濃い刺激的な機会が与えられて、今月の鑑賞は充実していたと思っています。停滞しているRECORD制作も遅れを取り戻そうと毎晩取り組んでいます。前にNOTE(ブログ)にも書きましたが、葉書大の平面作品であるRECORDは発想の訓練になるようで、改めてこの制作の重要さに気づきました。朝の目覚めのちょっとした時間に視覚的なイメージが湧くのはRECORDのおかげかもしれません。読書はこのNOTE(ブログ)を書く前の時間を使って、集中してピクチャレスク関連の書籍に挑んでいます。これも前のNOTE(ブログ)に書きましたが、評論や論文の類を選んで読んでいるのは、私自身のボケ防止に他なりません。その単元で著者が何を伝えているのか、文章を引用するだけでも自分の頭の中でまとめになっているのです。来月もこのペースでやっていこうと思います。
    「建築書の中のコテージ」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章  ピクチャレスクと建築」の「3建築書の中のコテージ」を取り上げます。「第一期のパターン・ブックは旧支配階層が好んだ壮大な古典的建築を扱うものが多かったが、その後の依頼者の変化は当然のことながら建築家達への要望を変えることになり、その結果より小さな出費で実現が可能な小規模建築の提案がパターン・ブックに不可欠なものとなっていった。そして、そこにピクチャレスクがより深く関与するチャンスが生まれたと考えられる。~略~モルトン以降、ピクチャレスクとコテージとの関係は多くのパターン・ブックなどによってさらに探求されるが、その時代はちょうどロマン派の時代に重なる。その中でパターン・ブックは変貌を遂げてゆくが、そこで著者達は創造的想像力を発揮しながら独自の建築観、その背後にある社会観、国家観、世界観とでも言うべきものをコテージのパターンの中に表現しようとした。古典的建築は普遍的真理の表象であるという意義を担っていたが、その普遍性から個別性へという変化を映し出したのが、個人の創造性を許容しやすい小規模建築、中でもコテージ建築だった。~略~19世紀以降、住居の美観とは何かが問われる中で有用性と美は相互に関わり合う重要な問題であるとみなされるようになる。1807年にポーコックはピクチャレスク美は有用性と合流しうると述べ、1828年になるとラウドンは実用の住まいとしての『適合性』は美観にも関わる重要項目であると強調するに至る。つまり、住居としての適切さ、つまり有用性は美の一部と考えるようになっていったのである。~略~建物の地理的条件、気候や風土、建築資材、住民の生活様式、等々といった地域性に関わる項目がコテージ論議に不可欠なものになっていったのである。そして、この地域性の追求はコテージの集合体である村落景観への注目や、コテージの住人へのコミュニティへの関心を生むことになる。さらに、この問題は各々の地域の集合体である国としての『イギリスらしさ』とは何かという国民的問いかけへと発展していった。」今回はここまでにします。