Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 今年より図録からパンフレットに変更
    昨年までお世話になっていたギャラリーせいほうから、今年はうしお画廊に変わって、私の個展の作品点数や作品の内容にも変化が生じています。今年は大き目の陶彫による集合作品は1点のみ、小品は4点、さらに壁に掛ける平面性の強い作品を4点出品する予定です。作品の表現方法が変わっていく中で、昨年まで作成していた図録も変えることにしました。作品点数が少なくなったのが一番大きな理由ですが、作品が減ったとしてもインパクトを与えたいと私は考えていて、そのために大き目の三つ折りのパンフレットを導入することにしました。作品をより目立たせることを主眼において、存在感のある簡潔なものにしていこうと思ったのがパンフレットにした目的です。私の作品は陶彫部品を幾つか組み合わせて、ひとつのスペースを占有する作品なので、図録なりパンフレットを作ることは作品を紹介する上で必須です。しかも懇意にしているカメラマンにお願いしてデジタル作品としても鑑賞に値するものを作ることにしているのです。私はアナログな世界に生きる彫刻家を名乗っていて、画像化した自分の作品を見ると不思議な感覚に囚われてしまいます。現代はデジタル優勢の時代なので、こうした表現に私の興味が注がれるのです。今晩は撮影をしたカメラマン2人が私の自宅に来て、パンフレット500部を届けてくれました。厚紙に印刷したために三つ折りは私が手作業でやることなりましたが、これも作品と思えば、頑張るしかありません。打ち合わせを横で聞いていた家内が、私の作品に関するインスタグラムを立ち上げようと目論んでいます。インスタグラムに私自身は出ませんが、作品の制作工程なら自分で撮影しても良いかなぁと思うようになりました。どのくらい陶彫に興味を持たれている方がいるか分かりませんが、家内のセンスに頼ってみようかなと思っています。パンフレットは搬入までに準備して、個展に来られた方々に無料配布しようと考えています。
    週末 美術の分類について
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今回は美術の分類について雑感を述べていきます。私は大学で彫刻を専攻し、そこに生きがいを見つけ、何の躊躇もなく彫刻家を目指しました。ところが現代の多様化した美術表現は、絵画や彫刻という枠に捉われない表現が数多くあり、昔から言い慣らされてきた分類が時代に合わなくなってきているように感じています。私が所属する日本美術家連盟も絵画や彫刻という分類から、第1部門、第2部門、第3部門になりました。美術系の大学でも絵画(日本画・油画)・彫刻・工芸(各種工芸)・デザイン(各種デザイン)等に専攻が分かれていますが、横断的な表現ができるように配慮している大学もあるようです。私自身は自らの表現活動についても、彫刻という分類が果たして現在作っている陶彫による集合作品に合っているのかどうか、疑問を持つようになりました。現在は平面意識の強い作品も同時に作っていますが、これは果たして絵画と呼べるのか、自分には分かりません。絵画にしても彫刻にしても、西洋美術として明治時代にその概念がやってきました。それは現代アートのような造形を想定したものではなかったので、表現活動の分類について現代に相応しい語彙や分類に変えていく必要があると思います。とりあえず私は陶彫による集合作品を床に置く作品としてNOTE(ブログ)には書いています。加えて杉板をレリーフにした作品は壁に掛ける作品と称しています。それでも私は一般化した彫刻という言葉が好きなので、自らを彫刻家と自称していますが、壁に掛ける作品の比重が増えてくれば、造形作家と呼ぶことにしようと決めています。完全なる平面作品であるRECORDも私は毎晩作っているので、一日の作業を振り返れば、立体と平面の境がないのが私の発するイメージなのです。今日のNOTE(ブログ)には思いついたことをあれこれ述べてしまいました。それでも私が表現活動の最初の一歩で彫刻を学んだことを後悔していません。そこが核になって現在の私が存在しているからです。
    週末 美術&映画が充実した1週間
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週は来年に向けた新作の陶彫部品を作り続けていました。土台となる円筒形の陶彫部品は成形、彫り込み加飾が今日で2点終わりました。新作のイメージが少しずつ具体性を帯びてきて、私は期待を膨らませています。朧げなイメージが確かな形態となって見えはじめてくると、私には迷いがなくなります。彫刻制作の第一歩としては良い状態を示しているからです。どんどん作っていきたい衝動に駆られますが、このところの気温の上昇と湿気の多さで、工房に長く留まることができず、持参した水分がなくなったところでその日の制作は終了となります。若い頃のように気合だけで制作を継続すると、身体に負担がかかることも承知しています。まずは制作の第一歩なので、焦らず無理をせずに進めていきたいと思っています。さて、今週は鑑賞が充実していました。早めに今年の個展準備が終わっていたので、時間的な余裕があったのが要因のひとつですが、見たい展覧会や映画があったことも良かったのでした。美術鑑賞としては渋谷区広尾にある山種美術館で「川合玉堂」展に行ってきました。日本の原風景を緻密な技法で描いた作品は、日本絵画の貴重な財産であり、そこに懐かしさを感じる世代としては私が最後の世代かもしれないと思っています。玉堂の墨の運筆に私は暫し見惚れてしまいました。映画鑑賞としては横浜市鴨居にあるエンターテイメント系映画館に「キングダム 魂の決戦」を家内と観てきました。本作はその日が封切りだったので、かなりの観客がいましたが、面白さに溢れていて心底楽しめた時間でした。実は1週間前に家内の誕生日があって、何かして欲しいものがあるかと聞いたら、鰻が食べたいというので、映画を観た帰りに鰻屋に寄って白焼と蒲焼が半分ずつ入った鰻重を食べました。家内も私もこの歳になると誕生日を祝うことはなく、末永く生きていたいと願うようになりました。私の創作活動はまだ始まったばかりで、あと何十回誕生日を迎えたらゴールが見えるのだろうと思っているのです。
    映画「キングダム 魂の決戦」雑感
    私が今も愛読している漫画があります。原泰久氏による「キングダム」で、司馬遷が編纂した「史記」を基にした歴史漫画ですが、作者が想像で補っている部分が多く、そこに私は面白みを感じているのです。この物語は秦始皇帝となる嬴政とその片腕となる将軍李信を中心としたものですが、「史記」には僅かにしか登場しない李信を主人公に据えています。その方が想像力を膨らませることができて、ドラマティックになると図った結果でしょう。アニメも放映されていますが、映画版も5作目になります。その映画「キングダム 魂の決戦」は今日封切りで、私は家内と鴨居にあるエンターテイメント系映画館に本作を観に行きました。この映画の主だった内容は合従軍による函谷関の戦いを描いていて、漫画ならかなりの長編になるところを、どうしたら映画サイズに短縮させることができるのだろうと思っていました。函谷関攻防戦だけでなく、数々の戦さも省略してあって、映画では見どころを中心にして構成されていることが分かりました。漫画では順を追って登場する将軍たちが、映画ではいきなり多数登場して、漫画を読んでいない家内は混乱していましたが、それでも将軍それぞれの性格を多少なりとも描いていたのは演出の巧みさがあったと私は思っています。映像の大半を噴煙巻きあがる戦場を描いていて、本作は確かに群像アクロバットとして観ていて疲れる映画ではあるけれど、現代の映像技術はAIを用いたり、空上からのドローン撮影を効果的に入れていて、映像センスも感じました。物語の説明箇所で、石像化した武将が映像として動いている場面が挟んであり、美術スタッフの努力によるものと察しましたが、造形に拘る私はそれが美しいと思いました。ただし、函谷関攻防戦は本作では終わりません。続編が待たれるところです。何の衒いもなく観ていて楽しい映画は観終わった後も楽しい気分になりました。
    広尾の「川合玉堂」展
    今日の午前中は工房で陶彫制作に励み、午後になって渋谷区広尾にある山種美術館で開催している「川合玉堂」展に一人で行ってきました。恵比寿駅から傾斜の緩い坂道を登った先に山種美術館があります。午後は気温が30度を超えていて、茹だるような暑さの中を、汗を流しながら坂道を歩きました。美術館には川合玉堂による爽やかな日本情緒あふれる世界が待っていると、自分を励ましながら美術館へ行きましたが、期待は裏切られず、実に端正で、きめ細やかな風景画群がそこにありました。まさに清涼感と言えばいいのか、その隅々まで丹精込めて描かれた世界は外の酷暑を忘れさせてくれるような緊張感が漂っていました。図録には「玉堂は、円山・四条派の基礎の上に狩野派の様式を取り入れ、伝統的な山水画から近代的な風景画へと新たな境地を拓きました。」とあり、日本画壇では正統な画家として認められた存在でした。会場には代表作も数多くありましたが、私は墨の濃淡と掠れだけで驟雨を表した「雨江帰漁図」の湿気を含んだ表現が好きで、また、うっすらと薄日の当たる風景も感じ入って、暫し立ち止まって眺めていました。図録に画家の苦労が綴られていて、何気なく描かれたものに大変な苦労をされていたことが分かりました。「自然の光景に於て光の面白いところ、例えば日光の雲に映じた快き色を見て、其の光や色の好い感じを画き現わそうとしても、日本画の絵具や縑素では充分なる効果を収めることが困難で、材料の不充分を感ずることが多い。自分は酷だ自然の風景を愛し、常に其観察に努めつつあるが、中々に感じたるままを画き現わす能わざることが多い。ー今は苦しき時代である。併し苦の多いだけ、随うて面白味も多い。」現在の日本画は世界的に見てもかなり特殊な画法によって、世界中の人々を魅了しているのですが、墨ひとつでさまざまな技法を生み出し、そこに深淵な世界を内包しているわけです。私はそれが日本人としての誇りでもあり、その世界を味わい尽くすことが日本人としての自覚だろうと思っています。周囲の自然は徐々に失われてしまうかもしれませんが、玉堂の描いた世界が昔懐かしい記録ではなく、私にはまだその世界に浸れるものを有していることに幸福を覚えます。