Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 観音に纏わる謎について
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今回は昔から私にとって謎だったことに焦点を当ててみたいと思います。仏像の中で観音の性別について私はしっくりこないものを感じていました。例えば中央に坐する阿弥陀如来像は男性だろうと思っていて、その両脇に控える観音は、その容姿からいっても女性のような気がしていました。優しい顔立ちと柔らかい物腰が私にそう感じさせていたのですが、仏像に性別を明記したものはなく、性を超越したものなのかなぁとも思っていました。現在読んでいる「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)に私の疑問に応えてくれる個所がありました。「仏教研究の権威であるロルフ・A・スタインによれば、観音は本来男性であったが、それが女性化したのは中国と日本であった。『中国と日本では、観音像は女性的に表現されたり、あるいは両性が混合していたりした。その理由は不明である』。~略~彌永信美氏は、インド以来、菩薩は基本的にすべて男性と考えられており、その代表である観音菩薩もまた当然男性の尊格であるとし、インド、中央アジア、中国、日本、東南アジアにおいても観音は常に基本的に男性像である、すべての像がヒゲを生やしていることがその特徴だと述べている。~略~『慈母観音』ということばであらわされるような優しく慈愛に満ちた女性神としての観音の信仰は、近現代の日本人からみれば自然なもののように感じられるが、仏教全体の通念からみれば、まったく異例な、異様な信仰なのだったと述べている。」釈迦にしろイエスにしろ、男性が信仰の中核を担っている宗教が多い中で、観音が女性であって欲しいと願う日本人であればこそ、聖母像が「マリア観音」に変容できたという経緯が成り立つのだろうと、本書を読んで私は考えました。私は特定宗教は持ちませんが、超越した存在として祈りの対象は私の中にもあります。それを何と呼ぶか分かりませんが、私にとってその存在は女性であってくれればいいなぁと勝手な思い込みをしています。慈しみ深く母性に溢れた存在に親しみたいと私は願うからです。それは観音のような容姿をしているとイメージもしています。
    週末 用事が多かった1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通っていました。ただ最近は寒波の影響もあって、工房での制作時間を短くしています。午前中は工房で、壁に掛ける新作のレリーフ部分を作っています。杉板の刳り貫き作業をずっとやっていて、もう創作行為ではなく職人的な作業ばかりだなぁと思っています。工房での制作は遅ればせながら着実に進んでいて、完成イメージも固まりつつあります。今週は午後の時間に用事が多く、毎日違うことをやっていました。日曜日は「如月展」案内状の宛名印刷を行ない、月曜日にそれを郵便局に投函してきました。火曜日は特に何もなく、水曜日は元管理職仲間が刺し子による個展を、横浜山手西洋館のひとつを借りて開催していたので見てきました。帰りに中華街に立ち寄って、彫刻家の師匠のために腐乳を買ってきました。木曜日はそれを長野県に住む師匠宅へ送ってきました。その日は私が所有する集合住宅の業者がやってきて打ち合わせも行いました。金曜日は横浜駅近郊にある歯科医院に出かけて行き、歯科治療を受けてきました。今日の土曜日は衆議院議員の期日前投票を行ってきました。明日の天候を心配して、多くの人が期日前投票所に来ていて、大変混雑していました。私は20代の頃に海外で暮らしていた5年間を除いて、選挙には必ず出かけています。初めは両親の教えもあって面倒くさいと思っていましたが、社会人になってこれは権利だと自覚するようになり、自ら進んで出かけるようになりました。とりわけ教育行政に関する公約に注視していましたが、政党には固執せず、その都度支持する政党を変えていたので、私は無党派層になるのだろうと思います。横浜市の教育組織に属していても私は無党派層でした。近所の人がある政党の支持をお願いに来ても、私は自ら選ぶので協力できませんと言って断っていました。今週はともかく用事が多い1週間だったと振り返っています。
    新聞記事より「絶滅していく行為」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「真っ先に絶滅していく行為っていうのは、人が工夫してやろうとしたことなんじゃないかなと思いますね。みうらじゅん」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「電灯の紐に別の紐をつけて寝ながら消す。通勤電車の中で新聞をうまく畳んで読む。そんな工夫に意味がなくなると行為もなくなると、イラストレーターは言う。モノを買い換えずに使い続ける文化があるから工夫もすると。どの動作も文脈を外して見れば、たぶん奇矯に映る。デザイナー・藪本晶子の『絶滅危惧動作図鑑』の巻末対談から。」世の中は凄まじい勢いで便利になって、アナログな世界はどこかへいってしまったようだと私も感じています。工夫をする必要がないのは、逆に怖ろしいことではないかとも考えます。もし電脳世界が全てストップしたら、何も出来ない人が溢れるのではないか、その時、手元にあるモノで何とか生きていこうとする意欲が残っているのか、甚だ疑問に感じます。工夫するという意味とは多少違いますが、ここで思い出したことがあります。私が教職に就いていた頃、鉛筆の芯を刃物で削れない子がいて驚いた記憶があります。出来ないならシャープペンを使えばいいと隣で言った子にも驚きました。私たちが生きていく上で便利なことは有難いけれど…考え出したらキリがなくなります。今回は文章ではなく、これを書いたみうらじゅんという人に目が留まりました。テーマが逸れますが、ラジオ番組でみうらさんが仏像について話をしているのを聞いて、何と楽しい話題に溢れている人だろうと感心したことを思い出したからです。その頃、私は中学校の教壇に立っていて、美術科鑑賞の授業で仏像を取り上げていたのでした。京都・奈良への修学旅行を控えていた3年生が、楽しく仏像が学べ、それらを印象に残すにはどうしたらよいか思案していました。そこにみうらさんの談話があって、よし、これだと思い立ったのですが、なかなかみうらさんのようにはいかず、知識偏重の紋切り調になってしまったのが悔やまれます。それから自分の興味関心もあって仏像の書籍を多く読みましたが、それは未だに実践できていません。
    「子安観音と聖母マリア」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第9章 聖母像の変容」は8つの単元から成っていて、今回は「3子安観音と聖母マリア」と「4観音の成立」の2つの単元を取り上げます。「日本の『子安観音』の起源は、仏教伝来よりもはるかに古い。ただ、仏教に習合されて、観音となっただけである。日本の原始的、土俗的な信仰である神道をみれば、万物を産出する水と男女神の交合が生命の根源であり、紀記によれば、日本の国土は女神イザナミが産み出したものであり、最高神は太陽である女神アマテラスであった。~略~産出するものとしての大地、水、その豊穣性は、女性性を示すものであり、それが古典的な大乗仏教の時代以来常に観音のイメージに密着してきたことが観音と子安明神との習合をおこした原因である。十一面観音とアマテラスを同体化しようとする動きは、あきらかにアマテラスの女性化を意味していたであろう。その女性化は、アマテラスが天皇の神であり国家の最高神であったために容易にはなされなかったが、子どもを産み育てる子安観音は、容易に観音と同体できたのである。両者における女性的要素は、とくに中国、日本における観音自身の女性化を考える上できわめて重要な論点である。~略~観音はさまざまな『女の災厄』を救い、『女性が男女の子を自在に得ること』を得さしめる。重要なことは、観音は衆生を救うために、この世で三十三化身を行い、その霊験を示すことである。観音がこの世界に姿を現すということ、天上の神若しくは超越的存在ではなく、天界と此の世を結ぶ仲介者の役をなすことは、たしかに聖母に似ている。~略~イラン宗教の影響がクシャーナ朝の仏教と混淆したと同時に、キリスト教は、その起源においてイラン宗教とかかわっていたのであるから、その基盤において、キリスト教の救済思想は仏教と共有するものをもっていたと考えられないか。あらゆる意味で、衆生を救う仲介者として、仏教は観音を、キリスト教はマリアを、イランから鼓吹されて生み出したのではないかと考えることもできる。」今回はここまでにします。
    元同僚の刺し子展&中華街散策
    今日の午前中は工房での制作に励み、午後は家内と横浜の中心街に出かけてきました。元管理職仲間の女性が、在任中から刺し子で大きな作品を作っていて、私と前後して退職した後も、横浜山手西洋館のひとつであるエリスマン邸で個展をやっていました。その個展が今日から始まるので、家内と出かけてきたのですが、今回はエリスマン邸ではなく、ブラフ18番館で開催していました。私は新作を見るのと同時に、お互い元気でやっているのかどうかの確認も込めて、彼女と暫し話をさせていただきました。刺し子は根気の要る作業で、画題となっているのは各地にある建物やその背景である雲を描いていて、その作業の熱意には頭が下がる思いです。教職を退職した後も私も含めて、創作活動に精進するのは大変いいことだと私は考えます。管理職の時は学校のことばかり考えていて、退職したら燃え尽き症候群になる人もいる中で、次のステップに移行できたことは大きいと思います。お互い末永く創作に関わっていければ幸いです。刺し子展を見た後、私たちは坂を下って中華街に行きました。そこで昼食をとって散策をしました。以前、中華街に来た時に師匠の池田宗弘先生に頼まれた腐乳のことを思い出し、店の前で池田先生に電話をして、また腐乳3瓶を買って先生宅に送ることにしました。先生は期日前選挙にいくため、長野県東筑摩郡麻績にある山を下りて投票所に向かっている最中でした。先生の元気な声を聞いて私も少々安心しました。中華街は相変わらず観光客が多く、食べ歩きしている人が目立っていました。人気のあるレストランには列が出来ていましたが、家内がよく利用するレストランには何とか入れてランチメニューにありつけました。今日は久しぶりに山手西洋館を巡り、中華街で食事をとるという横浜散策が出来て楽しかったなぁと思いました。