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  • 上野の「アンドリュー・ワイエス展」
    昨日、東京上野にある東京都美術館で開催中の「アンドリュー・ワイエス展」に行ってきました。アメリカ写実絵画の代表格であるワイエスは、過去に何度か展覧会を見て、私はその空漠として静謐な風景に魅了されてきた一人と言えます。本展で代表作はなかったものの、巧みな水彩技法を駆使した作品は、ワイエスの精神性を物語る情景を描いたものが多く、作家本人の成育歴等を知りたくなりました。図録によると「ワイエスは幼少期、虚弱であったため、小学校入学後まもなく通学できなくなり、家庭教師がつけられた。彼は『子どもの頃、他の子どもたちは皆学校に行っていたが、私はトウモロコシ畑や森を歩き回ることで教えられたのだ』と語っている。では、彼はいったい何を学んだのだろうか。精神医学者アンソニー・ストーは、『想像の世界に入り、孤独の体験を楽しんでいるような子どもは、豊かな可能性を秘めた創造性を発達させる』と述べている。~略~(有名な挿絵画家だった)父の突然の死は、彼が生きている間に精神的な自立を果たす機会を奪い、その影を生涯にわたって心の奥底に落とすこととなった。その結果、ワイエスの作品には、より厳しく真摯で、ときに思索的な雰囲気が漂うようになり、絵画表現にもいっそうの深みが感じられるようになっていった。~略~ワイエスは、生と死を対立するものとしてではなく、感覚的に連続したものとして捉えていたのではないだろうか。父の死、自身の臨死体験、そしてオルソン姉弟の死といった出来事が、彼に生と死に対する深い洞察を与え、それらを受け入れながら制作に反映させてきたのである。そして、ワイエスの死生観や作品から感じられる無常感は、自然との関わりのなかで育まれてきた、日本人の無常感や死生観、すなわち人間も自然の大きな循環の一部であるという感覚とも通じている。」(高橋秀治著)とありました。本展に出品された作品は窓や扉を描いたものが多く、全体のキーワードを「境界」と定めています。内なる世界と外の世界に何か物語を感じてしまうのは、観賞する私たちがそれぞれ持っている記憶から呼び覚まされる情景であるのは確かです。それだけでもワイエスの世界観は単純な写実とは違う要素が入り込んでいると私は思っていました。
    車検&画廊打合せ&美術館へ…
    今日は用事が重なり多忙感がありました。まず朝は工房に出かけ、「炭景」の仕上げを行ないました。これで「炭景」4点は完成しました。午前11時に車をディーラーに持ち込んで車検をお願いしてきました。私の車はミツオカですが、そのベースカーが日産なので、いつも自宅近くの日産の販売店に持っていくのです。今日は家内も一緒に整備士の話を聞いていました。車は人の命を預かる重要な道具なので、整備だけはしっかりやっておこうと私は思っています。今日はその足で東京銀座まで出かけ、来月個展を開催する「うしお画廊」でオーナーの牛尾さんに会ってきました。細かい打合せが必要になったので、私からの質問に答えてもらいながら、私自身は個展へ向けて気持ちを上げていきました。内容としては、今月13日(土)にカメラマンを呼んで個展用図録や案内状の撮影をするので、その前に画廊から出す案内状の枚数やら壁掛けの展示方法、彫刻小品の台座の数などを確認しました。「うしお画廊」は今の画廊になって開廊10年を迎えたそうですが、旧「みゆき画廊」であり、その歴史は相当古いようです。画廊の空間に身を置くと、私には心機一転という気持ちが湧いてきます。私の作品は空間演出を取り入れているので、まず空間ありきで考えています。今回の個展が私の再出発になることを願っていて、またそこで醸し出される雰囲気がどうなるのか、楽しみになりました。打合せ後、家内と上野に移動し、東京都美術館で開催している「アンドリュー・ワイエス展」を見てきました。アメリカの画家ワイエスは、嘗て東京で展覧会を開催していて私はそれを見に行っています。その時は大変な混雑ぶりで、なかなか絵の前に行くことが出来ずに鑑賞の消化不良を起こしました。日本人に人気のある画家であることは間違いなく、今回も平日でありながら人で溢れていました。詳しい感想は後日改めます。
    「殺人、箱舟、バベルの塔」(後編)
    「キリスト教美術をたのしむ」(金沢百枝著 新潮社)の「殺人、箱舟、バベルの塔」は7つの単元から成っています。今回は〔15ノアの箱舟と大洪水 Ⅰ〕から〔18バベルの塔〕までを扱います。まず〔15ノアの箱舟と大洪水 Ⅰ〕。「地上に人が増えはじめると、人間は『悪いことばかり考えるように』なりました。それをご覧になった神さまは、人を造ったことを後悔し、大洪水を起こして世界を一新することに決めました。~略~しかし、堕落した世にたったひとり、御心にかなう人物がいました。セトの子孫で、アダムから数えて10代目のノアです。~略~神さまはノアに箱舟を造るよう命じ、ノアの3人の息子とその妻、そして地上のすべての動物の雄雌が、大洪水を生き延びられるよう計らいました。」次に〔16ノアの箱舟と大洪水 Ⅱ〕。「ノアの大洪水の神話的起源はバビロニア神話にあるとされています。『創世記』を書いた人々がバビロニアに強制移住させられたのが紀元前6世紀頃ですから、遅くともその頃から影響はあるのでしょう。聖書では箱舟は直方体ですが、バビロニアの洪水伝説を記す『ギルガメッシュ叙事詩』では、箱舟を立方体としています。」次に〔17ノアの箱舟と大洪水 Ⅲ〕。「神さまは天地創造の2日目、『水の中に大空あれ。水と水を分けよ』と命じました。世界を覆っていた深い淵の水を上下に分けたのです。大空の上には『上の水』、残った地上の水(海とその奥底にある深淵)を『下の水』と呼びました。大空(覆い)には『天の窓』があり、それらを開くと雨(上の水)が降る。他方、深淵の源が開くと、海の水(下の水)が溢れます。大空(シェルタリング・スカイ)の上が天国。海の果てにある『永遠の山』が、この宇宙の外壁です。太陽も月も、雹や雪も、出番がないときは、『永遠の山』の穴倉にひそんでいます。」次は〔18バベルの塔〕。「『バベル』とは『神の門』の意で、バビロンのことです。紀元前6世紀のバビロンには90メートルにも達する高い塔があったと、近年の発掘調査で明らかになりました。~略~この物語のポイントはふたつあります。ひとつめは、『全地に散らされることのないように』とあるとおり、人間たちが集結することで力を有し、神の意のままにならない存在になろうとしたこと。ふたつめは、言語の混乱です。ひとつの言葉しかなかった彼らの傲慢を戒めるために、神は言葉を多言語化し、それによってバベルの塔の建設計画は瓦解しました。」今回はここまでにします。
    新聞記事より「老いといふ…」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「老いといふやさしき闇に甘えるな火いろの言葉に見果てぬ夢を  春日真木子」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「百歳を迎えた歌人の歌集『宇宙卵』の巻頭歌。火いろは緋色。老いは穏やかで納まりのよい終いの季節などではなく、むしろ軽やかに赤々と燃える季節なのかもしれない。歌人はそんな思いで老いの未知の感触を探る。老いて人はかろみを得るのか。肉が落ちるからもあろうが、責任も記憶の容量も減って身軽になる。そして不意にどこかへ翔んで、行方知れずになりもする。」私には自分の終焉がまだ想像できないのですが、若い頃に比べると、確実に死に近づきつつあることを感じることがあります。身体の動きが以前より緩慢になったり、ちょっとした言葉が思い出せなかったりするからです。嘗てショーペンハウワーの書籍で死生観について気を留めたことがあり、逝去間近で綴った谷川俊太郎の詩からも、老いや死に至る心の変化を読み取ったことがあります。老いを感じるのは、1週間に2回近隣のスポーツ施設で水泳をやっている時に、以前なら大きく身体を使って、よりスムーズに泳ぐにはどうしたら良いだろうと考えながら、向上心を持って挑んでいましたが、現在は現状維持を目標にしていて、前と同じように泳げたら良いと思うようになりました。体力を維持することが何よりと感じているのは、老いのせいかもしれません。一方、創作活動は現状維持はなく、常に深化を狙っています。「火いろの言葉に見果てぬ夢」は自分の場合は創作活動にだけイメージされる状態なのだろうと思います。創作活動は悪魔のようで、そのゴールが見えません。まさに「見果てぬ夢」で、工房にいると身体のことは忘れていられるのです。工房から自宅に戻って来ると、身体がだるくなって、身体の各部分に故障個所があるのではないかと空しい気持ちになります。老いは気持ちの持ちようで何とかなる?いやいや、そうではないかなぁと思うこの頃です。
    6月は何をするべきか?
    6月になりました。さて来月に個展を控えた自分としては今月は何をするべきか、紙面を割いて検討したいと考えます。このNOTE(ブログ)は広く公開しているにも関わらず、私の覚書的な役割も担っていて、そんなことを人に伝えてどうするのか躊躇することもありますが、個展開催までの行程をメモしておくことも、後になって有効だろうと思っているのです。これが今月の目標ともなるからです。今月はまず個展のために図録を作ろうとしていて、その撮影日をカメラマンと相談し、13日(土)にしました。その際、案内状も作るため、画廊との打ち合わせもしなくてはならず、どこかのタイミングで画廊に行ってこようと思います。作品の方は集合彫刻に貼り付ける印を新しく彫る仕事があります。陶にサインが出来ないため、和紙に印を押し、それを陶彫部品の見えないところに貼り付けているのです。印には番号も記します。集合彫刻なので組み合わせを考えて順番をつけておきます。その際、陶彫の微妙な修整も行います。画廊が変わるため、この機会に図録のデザインも一新しようと思っています。そのために図録の雛型を作ろうと思います。毎回雛型は作っていますが、今回はいろいろ考えて軽妙洒脱な図録に出来たらいいなぁと思っています。例年なら図録用撮影が終わったら、作品の梱包作業に入ります。作品が陶彫である以上、陶彫一つずつに木箱を用意し、そこに収納して保存する必要があります。並行して来年へ向けて次作の準備も始めていきます。創作活動には終わりがないため、個展はひとつの区切りにすぎず、作品のコンセプトは続いていくのです。造形イメージが枯渇しない限り制作は続きます。梱包作業の退屈さから逃避するために次の創作活動に移行しているとも言えます。今月は展覧会や映画鑑賞も行きたいと思っています。画廊に行く日に美術館にも立ち寄る予定です。今月も充実した1カ月にしようと思っています。