2026.04.15 Wednesday
今日から「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)を読み始めます。ロマネスク美術は、師匠の池田宗弘先生がスペインに滞在していた頃に、同地に残るロマネスク美術を研究していて、その成果を文化庁に提出していました。当時、先生が描いたキリスト教関連のデッサンが多数あって、その勤勉ぶりに私は驚いていました。私自身、ロマネスク美術と言われて思いつく作品がなく、知名度としてはルネサンス美術より低いように感じていましたが、本書の「はじめにーロマネスクへの旅」にもそんなことが書かれていました。「ゴシック期やルネサンス期の美術にくらべると一般になじみが薄く、またいまだに評価も低いけれど、じつはロマネスク美術こそヨーロッパの美術の歴史のなかで非常におおきな転換点、ほとんど『革命』的な出来事だったのではないかと、わたしは考えている。古代ギリシャ・ローマ、あるいはルネサンス以降の近代美術のいわゆる名画・名作ばかりがヨーロッパ美術ではない。わたしたちは、美術作品を目のまえにしたとき、『名画スタンダード』とでもいうべき規準や価値観に、あまりに囚われすぎていないだろうか。」とある通り、西欧美術史の中ではロマネスクはゴシックに先行した様式であり、10世紀から12世紀のキリスト教を中心とした教会建築や壁画、彫刻に多く見られます。私も20代の頃にヨーロッパにいて、ロマネスク様式の堅牢な石造教会を訪ねたことがありましたが、印象としては質実剛健で象徴化されたキリスト像がずしりと気持ちに響いてきたのを思い出します。私は趣向として、どの様式よりもロマネスクが好きなのかもしれません。ロマネスク美術はカタチの大胆な省略があり、写実性よりも大衆に伝えたいコンセプトを大切にしているのが、現代美術に通じるものがあると感じているからです。本書が謳っている『革命』とは何か、ロマネスクがその後の美術史にどんな影響を齎せたのか、楽しみながら丁寧に読んでいこうと思っています。
2026.04.14 Tuesday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「終章 ラグルズ『ピクチャレスク農業』」を取り上げますが、これが本書最後の章になります。「彼(ラグルズ)によれば、小麦が豊かに実って波打ち輝いている畑の光景は『画聖』クロード・ロランの描くローマの風景の前景と変わるところがない。また、耕作地の景観に関して重要なのは季節の変化による多様性であり、そこから『我々の生活の至福』のみならず『最も偉大で最も自然な景観美』が生じる。ここでは、風景の有する時間的、精神的意義への言及が注目される。ラグルズは、『地の霊』ならぬ『土壌の霊』という言葉を使って、耕作地に関しては全て『土壌の霊』に相談すべしと説く。そして、どんな土壌も季節による変転を好むとし、その変化がピクチャレスクにつながると言う。~略~ラグルズが農地の日常性の中に美を見出そうとしたことは価値判断の主観化やそれに伴う風景観の多様化・複層化が生じ始めたことを示していると言えるが、これはピクチャレスクの美学におけるパラダイムの変化を示している。ピクチャレスクは当初、特定の風景を恣意的に切り取って二次元的な『眺め』とでも言うべきものに還元して鑑賞する体験だったが、18世紀最後の四半世紀あるいはそれ以降の流行期間の中で変質してゆく。本書の中で見てきたように、それは自然の中を歩き回り、個別の事象を視覚・聴覚・触覚で感じ取り、『醜』も含めて審美対象とし、時間の流れの中で対象の変化を捉えるようになっていった。」本章はここで終えますが、著者が「あとがき」で伝えている箇所を引用いたします。「絵画から始まって、やがて観光や庭園、さらには建築といった分野にまでピクチャレスクの影響が広がっていったことに注目することで、私は研究対象を拡大、あるいは拡散して来た。」とありました。イギリスにおけるピクチャレスクの美学が幅広く浸透してきたのを、私は日本人として羨望の眼差しで眺めていました。それは何故か、画一的で利便的な住居空間、または環境に対して、工夫を凝らすことで芸術性に溢れたものにしてゆくことは日本でもやってきたことですが、それに関する日本の研究書が少ないために、私はイギリスに羨望したのでした。その結果、私たちの意識が薄いことに気づいたからです。そうであれば、何か芸術性に関わる重層的な考察が日本にも根付くことを願ってやみません。
2026.04.13 Monday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章 ピクチャレスクと建築」の「7ピクチャレスクと村」を取り上げます。「彼(ポーコック)が言う望ましいコテージの外観は、規則性を排した泥壁、草葺の建物で、森の木々の間から屋根だけが見え、煙突からは人が住む証拠である煙が立ち昇っていると説明される。また、彼は周囲の風景の中で建築物を捉え、その場の風景に溶け込むような外観の建物を設置するようにと説くが、これらはいずれも典型的なピクチャレスクの発想である。その他、一般論としてコテージは風景美に貢献するだけでなく、慈善や国防にも役立つという利他的有用面や、地域の資材を使って経済性を考慮したり、漆喰等を使うことで耐久性にも配慮するといった実用面もポーコックは強調しているが、これらはいずれも目新しい主張ではない。~略~理想の村やコテージに関する理念はこれらとはやや異なる方向へも展開した。それは、コテージや村を新しく建設するのではなく、現存するものを保存すべきであるという考え方が現れたことである。~略~本章で取り扱ったコテージなど小規模な建築物やその集合体としての村は、都市部以外の地域に住んでいた労働者階級の人々の日常的な生活の場である。それがどのように建てられ、あるいは形成され、そしてどのように維持・改築されるべきかという問題は、そこに住まう人々の生活はどうあるべきかという根本的な問いかけに直結していた。ピクチャレスクの建築哲学が最終的に行き着いたのは、長い期間のうちに環境に順応し地域に根付いた生活スタイルに適合しているかどうかが理想の美の一つの基準だということである。『自然と一体化した』そのような建物は、手を加えながら可能な限り住み続けられるべきであり、やがては住居としての役目を終えて廃墟化し、最後は自然に還ってゆく。ピクチャレスク美学の中で風景装飾として注目され始めたコテージ建築は、イギリスの近代化の中で変容していって現代に生きる我々の価値観に通じる人生のモラルを具現する存在になっていった。」今回はここまでにします。
2026.04.12 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日のテーマは過去にNOTE(ブログ)で幾度となく取り上げたものですが、素材の変容について繰り返し述べてみたいと思います。このところずっとやっていた新作の杉板の刳り貫き作業にそろそろ終わりが見えてきて、次の段階として杉板を炙って炭化させる制作工程に入ります。これは4点の壁掛けの作品に貼り付ける部品です。ただ、杉板をそのまま使うのではなく、素材を変容させて、私はその効果を狙いたいと考えているのです。画面の下地には油絵の具を使うので、塗装した面と炭化した木材の組み合わせで、幾星霜の痕跡という自分の世界観を出そうとしています。素材の変容は自分の初期作からやっている方法で、そもそも陶彫は最終工程で窯に入れるため、陶土は変容して窯から出てきます。これも批評家の言葉を借りれば、模造された出土品とも言えて、つまりは私の創作行為の基本は変容ありきなのです。その陶彫と組み合わせるために木材を炭化させることを思いついたのですが、炭化という変容が益々面白くなって私のその後の作品によく登場しています。火災をはじめとする災害の多い日本において、風景彫刻ではマイナスイメージに捉えられることもあり、ある程度留意する点も必要ですが、純粋に炭化の肌合いに私は魅せられているのです。木材を炭化させるか塗装を試みるか、またそのまま使ってみるか、作品全体のイメージから判断していますが、木材に砂マチエールを貼り付けて油絵の具を染み込ませる方法も私の得意とするものです。ともあれ私は素材の変容が好きなのだと思っています。その究極が窯入れで、高温で焼成されることにより陶土は石化します。私は陶土が、炎神に翻弄され鎧を身に着けたサムライのような印象を持ち、窯入れ前と窯入れ後ではまるで異なるモノとしてその存在感を放っていると感じます。造形には変容が面白い要素であることに間違いはありません。
2026.04.11 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通い、制作一辺倒の1週間でしたが、1週間のうち1回は鑑賞の機会を設けたいと思っていて、それが出来た時は理想の1週間だったと振り返っています。前に幾度なくNOTE(ブログ)に書いていますが、実技と鑑賞は車の両輪で、私は自分の感覚の中でバランスを取りたいと考えています。勿論、見に行った展覧会や映画が自らの表現に直接結びつかなかったとしても、心地よくなったり、心に刺激があったりすることで、人が何かを創り出す行為が素晴らしい行為であると自覚できるからです。私はそうした意欲に支えられて、毎日過ごしていると言えます。毎朝工房に行って陶彫や木工に挑むにしても、毎日が昨日の続きではありません。何か新鮮なものがそこにあって、今日のこの瞬間を味わえて良かったと思うのです。創作活動は技巧的に同じ方法でも、作ろうとしているものは毎日異なります。また自分の行為の跡を確認して満足を覚えるのも創作活動の魅力のひとつです。最近は寝起きに思いつくRECORDのアイディアもあって、日々の創作的刺激は自分で作り出すものだろうと思っています。鑑賞で言えば今週の木曜日に東京の上野にある東京都美術館に行って、スウェーデンの絵画展を見てきました。具象的傾向の絵画展でしたが、風景や人物に施された色彩に北欧らしさがあったと感じました。私は20代の頃に5年間ヨーロッパに暮らしていましたが、北欧には足を踏み入れたことがなく、この時に行っておくべきだったと残念な思いを持ちました。南欧には何度も行っていたくせに、若い私は北欧に魅力を感じなかったのでしょうか。北欧を巡って来た旅行者から、北欧は物価が高いと言われたことも影響しているのではないかと思っています。毎晩時間を決めている読書では、ピクチャレスク関連の書籍がもう少しで読み終えます。これも庭園や建築に絡んだ箇所に興味が尽きませんでした。