2025.12.15 Monday
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第2章 16世紀における近代世界システムの形成と『世界文化市場』の成立」は2つの単元から成っていて、今回は後半の「トレント公会議が美術に与えた影響」を取り上げます。題名は逆に捉えた言葉にしました。「トレント公会議と芸術の関係については、20世紀半ばまでは、エミール・マールの古典的著作が解釈の方向を決定していた。要約すれば、それはプロテスタントとカトリックを明確に二分し、プロテスタントを聖画像否定、カトリック美術をそのディフェンス(反ルター)運動として定義する二項対立の図式である。~略~定説となっているこれらの理論は、対抗宗教改革は規制と審問の時期であって、芸術的創造は意図しなかったという解釈に立っている。いっぽうパオロ・ブローディはこれを強く批判し、『カトリック復興』は新しい芸術を産み出そうとしまた産み出したと主張する。~略~最終的にわれわれの目的は、宣教師が日本に携行した美術がどのような起源をもっていたかを知ることにある。そしてそれは、基本的に、トレント時代の作品であるから、この時代の絵画のなかに原典を求めなければならない。そこには世界市場に流布した聖像画の図像や様式が刻印されており、それはきわめて重要な、また広範な影響力をもったのである。さらに言えば、この時期の美術が教会によって統制され、画一化されていたからこそ、世界の異なった地域に同型の聖像が伝播したのであった。芸術を作家の個性にのみ価値をおいて評価するならば、定型性を特徴とする中世、ビザンティンのイコンはその価値をもたない。しかしながら、そこにある同一の、そして強力な意味があるゆえにその形式が画一化されるとすれば、画一化にこそそれら絵画の真の意義がある。広大な世界に同一の教義を伝えるにあたって、教義上の同一性をあくまでも追求した教会は、聖像においても、同形性を重視したのである。~略~トレント終結後の教会の美術政策は、第一に、ルネサンスおよびマニエリスムの美術における世俗的な要素を検閲し、それらを聖堂から除去することにあったことが明白になる。これは否定的、異端審問的政策である。またこの時期の第二の方針は、教会が望む新しい宗教画を提案し、それを指導し、奨励することであった。検閲と奨励、この二つの動きは、この時期のすべての画論に共通している。」今回はここまでにします。
2025.12.14 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日取り扱う予定の色彩については、以前のNOTE(ブログ)に書いたことがあると記憶していますが、改めて考えてみることにしました。美術の重要な要素は何と言っても色彩と形態です。私は彫刻を専門としているので、形態に対してはその立体把握や空間の在り方を常に考えてきました。と言っても私は最初から彫刻をやろうと思っていたわけではなく、高校時代は工業デザイナーを志望していました。美大の工業デザイン科にはデッサンの他に平面構成という受験科目があり、その平面構成で色彩を扱うことになっていました。その受験科目によって、私は色彩に対する劣等感を持つようになり、色彩の組み合わせの妙など、私にとって苦渋としか言えないものでした。だからと言って立体把握に優れていたわけではなく、正直なところ消去法によって私は彫刻を選びました。当時の私には粘土で塑造をする方が楽しかったのでした。さて色彩ですが、初めから色彩感覚に溢れている人がいることは確かです。私は受験仲間の友人の作品を見て羨ましかった記憶があります。どの色彩と色彩を隣り合わせにすると感覚に刺さるものになるのか、私はヨーロッパに住んでその色彩の組み合わせの面白さを知ったのでした。ヨーロッパの街並みにあるウィンドゥ・ディスプレイを飾る豊かな色彩に、私の心は踊りました。こんな色彩を使ってみたい、煌めくのは原色に限ったことではなく、微妙な色合いを組み合わせることで、その効果が得られることも分かりました。私には小さな平面作品を毎晩作っているRECORDと称する一連の作品があり、そこで色彩の組み合わせを試行しています。学生時代、色彩感覚が乏しいと感じていた私は、色彩に対する興味と学習で、乏しかった能力を補っているのかもしれません。
2025.12.13 Saturday
週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も毎日工房に通っていました。今週は砂マチエールの貼り付け作業が完了し、それらを乾燥させるために暫く放置することにしました。次は油絵の具を染み込ませていく作業がありますが、砂マチエールの乾燥を待つ間に、壁掛けのレリーフ作品の準備を始めました。今週後半はそのレリーフ作品のためのパネルを作成しました。パネルは90cm×90cmの正方形で、4点の連作になります。今年の夏に東京銀座のギャラリーで発表した「痕跡A・B」に続く作品で、杉板を焦がして構成要素とするところは今までと同じです。前作よりさらに複雑化した構成になる予定で、モヤモヤしたイメージに対し徐々に具体性を持たせようとして、昼夜を問わず頭の中で試行錯誤しています。レリーフでも立体でも彫刻と呼べる作品は、初めに哲学ありきと思っていますが、理路整然というにはあまりにも断片的で、しかも発想が散らかし放題となっていて収拾がつきません。毎日工房で手を動かしながら考えを巡らせるのは、私に限ったことではなく、週末にやってくる若いアーティストたちも同じです。そこが創作活動の原点とも言えるでしょう。さて、今週で一番印象的だったのは映画鑑賞で、木曜日に家内と「ペリリュー 楽園のゲルニカ」を観に行ってきました。家内の亡父が戦争中に兵士として南の島にいたこともあり、家内にしてみれば亡父の話を思い出しながら、戦争中にあった南の島での苛酷なドラマを見ていたようで、戦後多くのことを語らなかった父を偲ぶ機会でもあったようです。因みに私の亡父は通信兵をやっていたようで、前線に出ることはなかったと言っていました。「ペリリュー 楽園のゲルニカ」は愛らしいキャラクターが登場するアニメではあるけれども、内容は厳しいもので、戦争を語り継ぐひとつの方法だろうと私は思いました。戦争体験者が少なくなる昨今、第二次世界大戦の悲劇を語り継いでいくにはどうすべきか、私たちが知恵を絞るとともに、何もしなければ平和はやってこない現状を知るべきだろうと思います。
2025.12.12 Friday
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第2章 16世紀における近代世界システムの形成と『世界文化市場』の成立」に今日から入ります。本章は2つの単元から成っていて、今回は「トレント公会議の聖画像崇拝再確認」を取り上げます。「ルターの主張は、中世的な民衆信仰の外在的形態を廃し、個人の霊魂に信仰の主体を置こうとする近代化の動きであったと考えられるが、古来からの民衆の信心形式を継続することを重視するカトリック教会は、この攻撃を致命的なものとして受け取った。~略~トレント公会議では、聖人、聖遺物、聖画像の再確認が行なわれ、これらを擁護する言説や文化が『対抗宗教改革』運動の重要な部分を占めることになった。~略~教会と教皇および聖職者が、信者に対して、義認されるのは、人のおこない、すなわち、七つの『秘蹟』によっているのだと教えてきたその教義が否定されてしまったことになり、信仰上の動揺は非常なものがあった。~略~公会議は、秘蹟においては信仰のみが有効だとするルターに抗して、秘蹟は執行されることをもって有効であるという『有効なしるし』の教義を明確にした。ミケランジェロの《最後の審判》は義認に関して曖昧な表現をとっているとされるが、それはこの作品が1541年に完成したからであって、誰かはわかっていないが彼の助言者も彼自身も、疑認論について明確な概念があったのかどうか不明である。」本文に登場する義認とは何か、義認とは、キリスト教において、罪ある人間が神によって義(正しい)と認められることを指すものです。また秘蹟の説明もしておきます。秘蹟とはキリスト教で、神の恩寵を信徒に与える主要な宗教的儀式のことです。 ギリシア正教では機密と称し、ギリシア正教とカトリック教会では洗礼・堅信・聖餐・告解・終油・叙階・婚姻の七種があります。「綜合的にみてトレント公会議は新旧の論争の的となった教義を明確に再定義したことでカトリック教会の危機を救ったということができる。しかし、その後教会は会議で決定した事項を遵守し、実行する必要があった。そのために現代の教皇は、新しいエネルギーに溢れた各地の信心会の協力や、トレントで描き出された理想的な司教像を実践する優秀な高位聖職者らの献身的な努力を動員しなければならなかった。」今回はここまでにします。
2025.12.11 Thursday
今日の朝日新聞夕刊に表題の評論が出ていました。戦後80年の今年を代表する映画として、主人公は絵を描くのが好きな一等兵で、本作は「砲撃と殺し合い、苛酷な飢えと病、敗戦を知らずに洞窟に立てこもる日本兵の悲劇」という情景が全編にわたっていて、自然豊かなパラオ島を舞台に、絵を通して主人公が兵士たちを記録をしていく物語が展開されていきます。本作を知ったのはやはり先日の朝日新聞の映画評で、こんな一文が私に刺さりました。「戦争には国を守るという国体防衛のヒロイズムが付きまとうが、前線に送り出された者は恐怖と飢餓の根源的な試練に直面し、個人の生存本能と国家の理想の間で引き裂かれる。無残な死に方が何度も登場し、アニメだから直視できるが、感受性も無傷ではいられない。覚悟のいる企画である。」今日の夕方、家内を誘って横浜の鴨居にあるエンターテイメント系映画館で本作を観て、既読の映画評が具体的な描写になって眼の前にやってきました。主人公は上官から命令されて、仲間の最期の勇姿を遺族に向けて書き記す「功績係」をやっていて、どんなに惨めな最期でも、果敢な勇姿に仕立てていました。物語が進むうちに敵である米軍との関わりよりも、一緒に戦っている仲間とのやり取りの方に厳しい状況が描かれており、主人公には生き延びて帰国したい厭戦的発想もありました。国のため命を惜しまない上官や仲間もいれば、主人公に共感する友達もいて、複雑な関係の中で、主人公が米軍に投降する際にそれを味方に拒まれて殺されかけたりもしました。戦争が終わっていたにも関わらず、投降しない34人の兵士たちに望郷の念を抱かせたのは、主人公が書き残した兵士たち一人一人の記録で、それによって兵士たちの出所が判明し、日本で待つ家族たちが彼らに手紙を送ってよこしたことが契機になりました。観終わった後で、本作は名作だろうと私は感じました。これは実写やリアルなアニメ描写であれば、とてもまともに見られない場面もあり、3頭身の愛らしい人物キャラクターであるからこそ、かなり強烈な描写もソフトにアレンジされていると思いました。