2026.04.26 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いていますが、今回は趣向を変えて、今日の新聞記事より季節満載の話題を取り上げます。「(漫画家でエッセイストの東海林さだおさんが)今月、88歳で亡くなった。週刊朝日の連載『あれも食いたい これも食いたい』では、40年近くあらゆる食べ物を取り上げた。独特のオノマトペとともに、誰にも身近な日常を紡ぎ続けた。原点には幼き日の飢えがあった。戦中に東京から山梨に疎開し、戦後も栃木で暮らした。主食はすいとんやサツマイモばかり。春になれば、おかずは朝から晩まで裏山から採ってきたワラビだった。『いつもおなかをすかしていましたね』と取材に答えている。春の味覚のなかでも好んだのがタケノコだった。魅力は、えぐみとともに、節の間に詰め込まれた『山里の竹林の空気』だと。そこには、少年の頃の追憶も混じっていただろう。連載でも、竹林に生えているタケノコをそのまま焼いて食べる『地獄焼き』を取り上げた。我が家近くのスーパーも、この時期は青果売り場の一角を春の恵みが占める。タケノコは福岡、タラノメは新潟、ウドは群馬。みな質素だが、精気に満ちた顔ぶれが集う。東海林さんに倣ってタケノコをゆでた。米ぬかとともに小一時間、台所に土の香りが漂った。」これは「天声人語」の記事で、政治色がない内容に私は思わず気を留めてしまいます。我が家にも亡父が残してくれた山林に僅かばかりの竹林があって、タケノコが出ています。近所の人たちがタケノコ掘りにやってきて、それを我が家にも分けてくれます。スーパーで売られている調理済みの食品とは違い、自然の恵みを口に運ぶまでは大変な手間がかかると家内は言いますが、自然から採れたばかりの青果は格別な味がするもので、それだけで食事が進みます。日本は四季によってさまざまな味覚が味わえますが、最近の気候変動の影響によって、この四季の味覚をずっと守り続けていけるのか甚だ心配です。そんなことも頭を過る昨今の事情です。
2026.04.25 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通い、制作中心の1週間でしたが、今週は水曜日と木曜日の午後は美術館や映画館に出かけました。制作では壁に掛ける新作に貼り付けるコラージュを作成していて、それは文様を刳り貫いた杉板を炙って炭化した状態を作り出すのです。細かいところまでガスバーナーで炙っているので、なかなか時間がかかります。燃えて無くならないように注意を払って炙ります。さらに金ブラシで余分な煤を払って、布で残りの煤を杉板にこすりつけています。火を使うので常に野外で作業を行なっていました。これを絵画として扱うのは考えにくいのですが、コラージュの下地は油絵の具による塗装(描写)を考えているので、分類で言えば絵画になるのかもしれません。そんな制作を1週間続けていましたが、今週の印象的だったことは美術と映画の鑑賞に出かけたことでした。水曜日は東京の上野にある国立西洋美術館で開催している「チュルリョーニス展」に行き、リトアニアで20世紀初頭に活躍した画家の作品に触れてきました。画家は音楽家でもあり、音楽に触発された作風は抽象性があって興味を抱きました。ギャラリーショップで購入した本展の図録が瀟洒なデザインになっていて、とても気に入りました。木曜日は横浜シネマリンというミニシアターに家内と出かけていき、「ホールディング・リアット」を観て来ました。これはイスラエルとパレスチナの複雑な問題を描くドキュメンタリーで、不安定な未来が浮き彫りになる社会的な課題を突き付けられました。日本人である私たちは、中東の民族性や宗教に纏わる問題になかなか理解が追いつきませんが、人質として連れ去られた家族の苦しみにやるせない思いが湧いてきました。そうした問題は国際的に広まって、現在でも続いています。最近は平和と言う言葉をあまり聞かなくなりました。これから世界はどうなっていくのか、日々の世界情勢に耳を傾けながら、つい快いスポーツニュースに気を留めてしまう自分がいます。
2026.04.24 Friday
「ロマネスク美術革命」(金沢百枝著 新潮選書)の「第4章 かたちの自由を求めて」の気に留まった箇所を取り上げます。「アーチや側柱に彫刻がほどこされると、華麗さはいっそう増幅された。さらには、扉口が聖と俗の境目であること、つまり聖域である堂内と俗界である外部とを分かつ特別な場であるという、ファサードの象徴的重要性が鮮明に印象づけられるようにもなった。~略~ロマネスク的な身体はねじれ、よじれ、そして歪む。ときに長く引きのばされ、ときにコロコロ丸くなる。自在に変形するのだ。この歪み、あるいはこのかたちの自由を、どう捉えればよいのだろうか。代表的な通説はふたつある。ひとつは、『枠組みの法則』。格組みの法則に従うと、建築部材のかたちを優先させるため、図像の形態には一見すると不自然な、いわば非写実的な変更が加えられる。~略~もうひとつは、いわゆる『隙間恐怖』である。聖堂の扉口に立ち、テュンパヌムを仰ぎ、そこにびっしりと隙間なく入り組んだロマネスク彫刻を見ると、たしかにそう言いたくなるかもしれない。~略~ロマネスクの彫刻家は現実世界の再現に重きを置いていない。もっと自由に、あるいは伝えたいことを的確かつ効果的に伝える術を、彼らは模索していた。キリスト教の教義とは限らない。恐怖や喜びなど、原初的な衝動を覚醒させるような喚起力のあるイメージを求め、それを見事に彫琢してみせた。」ロマネスク美術ではイニシャル装飾も見られます。「島嶼系写本で一般的だった文字を飾るという習慣と、古代以来の再現芸術との融合によって生じたイニシャル装飾の変容は、ロマネスク期に植物から生き物や物語へと刷新されていった柱頭彫刻の変容過程と重なっている。~略~記号であり情報の一部である文字と、建物を支える部材の一部である柱頭やテュンパヌム。そこにほどこされた装飾と像には、どちらも聖なる世界と俗なる世界、抽象と具象の境界にあって人々の目を引きつける機能があり、そしてその役割を十全に果たしている。『枠』との微妙な緊張関係の上に成り立つ動的なエネルギーこそ、ロマネスク美術の真髄と言ってよい。」今回はここまでにします。
2026.04.23 Thursday
今日も昨日と同じ午前中は工房で制作をしていました。午後になって家内を誘って、横浜の中心部にあるミニシアターに映画「ホールディング・リアット」を観に行きました。この映画は知人からいただいたチラシで情報を得ました。映画には娯楽性のあるものの他に社会的問題を提起するものがあり、本作は後者に当たります。2023年10月7日にイスラエル南西部にあるキブツ(農業共同体)が、ガサから侵入したハマスの武装勢力に襲撃されて、殺害されるか人質になるという壊滅的な被害を受けました。その人質になってガザへ連れ去られた娘リアットとその夫の救出に父が渡米し、当時のバイデン政権に人質解放を求めるというドキュメンタリーを撮影したものでした。それをイスラエルのネタニヤフ政権が戦争継続の理由として利用していたことも明らかになっていました。本作は米国映画なのでイスラエル側に肩入れをして、ハマスの残虐性を強調しているかもしれないと私は思って観ていましたが、どうもそうではなくて民族間の複雑な分断が絡み、イスラエル・パレスチナ問題に多層的な視座を齎していると感じました。図録に「奪われた人ではなく、残された側の『壊れていく時間』」という感想があり、家族に人質がいるためにひとり一人の考えが交錯し、その関係がギクシャクする様子が露骨に現れていました。戦争は何を齎すのかという問いは、現在でも米イスラエルによるイラン攻撃で、日本にいてもその影響から逃れられないことに直面しています。一緒に観ていた家内が、本作は人質なので具体性がある反面、二国間で解決できる問題だけど、現在のイラン情勢は人質の代わりに原油が駆け引きに使われているので、その影響は国際的に計り知れないと言っていました。まさにその通りで、戦争の齎す規模の大きさに米イスラエルは気づかなかったのでしょうか。本作はさまざまなことを考える契機になり、明るい未来が描けない現在の状況に何か解決の糸口がないものか、私は黙ったままの家内と早めに帰路につきました。
2026.04.22 Wednesday
今日は午前中工房で制作し、昼頃に家内を演奏会場に送り届けて、その足で東京の上野にある国立西洋美術館に行きました。当館で開催中の「チュルリョーニス展」はネットの展覧会情報で知った画家で、その幻想的な世界を一度覗いてみたいと思ったのがきっかけです。ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスはリトアニアを代表する画家で、20世紀初頭に本国で活躍していたようです。父がオルガン奏者だったので、当初は父より音楽の手ほどきを受け、その後公爵の支援を受けて音楽の専門教育を学び、音楽家として認められました。さらに美術も学び始め、画家としても頭角を現したという特異な経歴を持っています。展覧会場には音楽から発想された幻想的な絵画が並んでいて、この時代に象徴性・抽象性を秘めた世界観は、革新的でもあったことが伺えました。しかも叙情性も豊かで、墓碑をシルエットとして描いた「リトアニアの墓地」や鳥瞰図的視点で描いたピラミッド状の量塊「祭壇」に私の眼は釘付けになりました。さらにチュルリョーニスは35歳で逝去したことも私には驚きでした。音楽も美術も彼が才能に溢れていたことは会場を見渡せばよく理解できます。リトアニアが旧ソビエト連邦から独立して、漸く独自の民族性が認められたことで、今までチュルリョーニスのことを知らなかった私は、ここにきて音楽との関連でカンディンスキーとの関係はどうだったのか、率直な疑問を持ちました。図録にそんなことが掲載されているかどうかを調べたら、こんな文章がありました。「1911年、カンディンスキーは最初の抽象画を描き、同じ年に偉大なリトアニア人画家M・K・チュルリョーニスが亡くなった。1904年以来、チュルリョーニスは今日では典型的な抽象画とみなされる類の作品を描いていた。カンディンスキーはその作品をよく知っており、深く感銘を受けた。~略~『絵画は何かを目指してもがき、古い枠組みを打ち破ろうとしているが、しかし未だその枠組みにとどまっている。』チュルリョーニスが見据えた絵画の未来は、いったいどのようなものであっただろうか。この問いの答えを明らかにしないまま、彼は1910年に病に伏し、翌年に命を落とした。まさしくカンディンスキーが『芸術における精神的なもの』において具象絵画との決別を宣言した頃のことである。」(山枡あおい著)