2026.04.06 Monday
イラン情勢を巡る報道や、物価高に纏わる世知辛い社会の動向が、日々の新聞に溢れています。私はオールドメディアと呼ばれている新聞やテレビ報道を信じる世代のためか、一日1度は新聞に目を通すことが習慣です。新聞には時事問題の他にあらゆる記事があり、それが視界の片隅であれ、情報として入ってくることが結構大切だなと思っていたりしています。今回も社会問題ではなく、肩透かしを食らう記事が目に留まりました。「天声人語」より抜粋いたします。「高知県四万十市の中村地域では、喫茶店の朝食セットのトーストに山盛りの砂糖を添えるのが定番だという。いまどき、そんなところがあるのか。現地に向かった。記事を書いたのは高知新聞の富尾和方記者だった。53店を調べ、うち19店で砂糖の山を確認した。だからなんだと言われると困るが、本人いわく『記者がおったからこそ書ける記事』を狙ったとか。地元の人には当たり前の光景らしい。なぜ砂糖山なのか。街で尋ねたが、はっきりとは分からない。『文化ですからね』と創業半世紀の店の主人は言った。『ここの人たちは甘いのが大好き。しょうゆも甘口』と別の店主。『食べると元気がでる。コーヒーにはスティック4本や』という常連客もいた。『残念なことに、世の中にはただ単に健康によくないという理由だけで、多くの美味なものを簡単に斥けてしまう傾向がある』。作家のマーク・トウェインは自伝で嘆いた。いまの時代には響かなくとも、何か惹かれる言葉である。」記事を読んで、最近の我が家でも砂糖の山を見ることはなくなったなと思いました。朝のコーヒーは無糖、夕食後たまに飲む紅茶も無糖。私も甘党なので、大好きな和菓子か果物で糖分を採っていることに今さら気づきました。その他に朝のトーストは手製のジャムで、これは結構甘いのですが、近所の奥様が毎年作っていて、我が家にもお裾分けをしてくれるのです。ジャムの元になっている柑橘類は亡父が残した夏ミカンの木です。それに大変な手間をかけて作られているジャムは販売されているジャムより美味しいと感じるのは、私が植木に思いを寄せる贔屓かもしれませんが、奥様はきっと砂糖の山を前にして腕を振るっているはずです。
2026.04.05 Sunday
日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日の内容は映画鑑賞で、漫画が原作の実写版です。昨日の夕方、その漫画を紹介してくれた教え子を誘って、私は横浜市鴨居にあるエンターテイメント系映画館に「ゴールデンカムイ網走監獄襲撃編」を観に行ってきました。映画の舞台になった網走監獄は広大な敷地に作られたオープンセットで、これは網走刑務所の地形を全てスキャニングし、VFXチームによってリアルな世界観が表現されていました。こうした映画作りに制作陣の本気度が見られて、日本の映像表現もハリウッドのようになってきたなぁと思いました。個性的なキャストも際立っていて、観客を飽きさせないドラマを生み出していました。網走監獄での群衆アクションは見どころのひとつで、激しい虐殺が繰り返されていました。物語としては明治末期の北海道で、莫大なアイヌの埋蔵金を巡る争奪戦を描いたものです。歴史上の人物やら架空の人物が幾重にも重なり合った血生臭い展開が、家内はどうやら苦手なようで今回の映画鑑賞は遠慮すると言ってきました。私も物語そのものはあまり好きになれませんが、アイヌ文化に興味があり、その風習やデザインに、嘗て北海道を旅した時にアイヌの村落に行って興味を持ったことが契機になっています。その村落は観光化されたところでしたが、とりわけ私は木彫や織物に惹かれました。そのアイヌ文化に触れる箇所が映画にもあって、独特な食文化を紹介しています。映画の本筋とは関係ないところで、面白みを感じてしまう私は、本当の意味でこの映画のファンとは言えないのかもしれませんが、アイヌ文化を伝承するという趣意が出て来るところは、私にも理解できます。埋蔵金を争奪するというテーマはドラマとして組み立てられたもので、その先にアイヌ文化の継承が連なっているのではないかと私が想像するところです。
2026.04.04 Saturday
週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週は3月から4月に移行した1週間であり、つまり年度末から新年度に移行した1週間とも言えます。教職を退職した私には単に月が移行した何でもない1週間でしたが、気持ちとしては教職に就いていた時のように新たな船出を意識するものでもありました。気持ちを切り替えていくのは良いことだと感じていて、今年度も創作活動に頑張っていきたいという変わらぬ目標を持つことにしました。今週の工房での制作は、相変わらず壁に掛ける新作に貼り付ける杉板の刳り貫き作業をやっていましたが、この作業のゴールが見えていて、次の段階に進む心の準備をしていました。さて、下地の塗装はどのようにやっていこうか、色彩をどうしようか、楽しい迷いが頭を過ります。気候も三寒四温で、作業のしやすさを感じています。ストーブを点ける機会も減りました。火曜日と金曜日のスポーツ施設での運動は必ずやっています。私の場合は水泳ですが、血糖値の安定と体力維持のためにこれはずっと継続です。今日の土曜日の午前中は、家内の定期健診に付き合い、病院の送り迎えをしてきました。午後は映画を観に行きましたが、家内が内容が苦手と言っていたので、今回は教え子を誘いました。彼女はこのアニメを私に紹介した人で、声をかけたら是非行きたいと言ってきました。アニメの実写版にあまり成功例はないのですが、私が今まで観てきた「キングダム」と同じように、成功している例ではないかと思います。観に行ったのは「ゴールデンカムイ網走監獄襲撃編」で、横浜市鴨居にあるエンターテイメント系映画館に行きました。映画や美術鑑賞に土曜日を避けていた私は、週末がどのくらい混雑しているか、ある程度は覚悟して行こうと思っていました。映画館はまずまずの入りでしたが、昼のレストランは長蛇の列が出来ていました。映画の後の夕食に何とかレストランに入れたので、まぁ良かったかなと思いました。映画の詳しい感想は後日に回します。
2026.04.03 Friday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章 ピクチャレスクと建築」の「5コテージと装飾」を取り上げます。「プロウの『装飾農園』における『装飾』の意味とは、一つは農業用の建物を教会や修道院などに似せて外観を楽しめるようにしたことで、これはミドルトンが出した方向を発展させたものである。重要なのはもう一つの点で、前作同様に周囲の景観の中に建物を位置付けて一つの調和した風景として見るという視点を導入したことである。『田園建築』だけでなく『装飾農園』における立面図の全てにおいて、プロウは木々や草、雲などと言った背景や前景を書き込んでいる。『装飾農園』のタイトルの最後に書かれているように、彼の言う装飾は『ピクチャレスク効果』を狙ったものだった。~略~18世紀の半ばまで尚古趣味の対象であった廃墟は、諸行無常や盛者必衰を意味する、いわばモラルの表象だった。庭園ブームの中で廃墟は人工的に新しく作られたが、サイレンセスター・パークの中にバサースト卿が建てたアルフレッド・ホールの人工廃墟(1732)はその最初の例の一つである。世紀後半になると廃墟がピクチャレスク風景の中に取り込まれる中で、ウェイトリーは廃墟のエンブレムとして意義を否定し、外観的な特徴からその『性格』を『変遷、老朽、荒涼』として庭園の中に取り込んだ。これは、廃墟が不規則や不均衡といった形態の不完全さを追求するピクチャレスクの美学に通じるものだったからであり、また対象の持つ表象的な意味の否定は初期ピクチャレスクの特定の一つだった。世紀末が近づくにつれ、廃墟趣味の関心はかつては威風を誇った城郭などから小規模なコテージなどの『控えめ』な対象にも広がる。~略~どのような芸術美にも結びつかず吐き気を催すだけの醜が存在するとカントが主張するように、哲学者らは美的な醜とは別に快をもたらすことのない絶対的な醜の存在に言及している。何らかの美として捉えうるか否かは、そのものの内実だけでなく距離を置いた見かけのイメージとして受け入れることができるかどうかによるが、それは鑑賞者の属する文化や時代性などによって異なる。J・T・スミスのコテージに表象されるような醜の魅力は、18世紀末のピクチャレスクの『装飾』観の一側面を表していると言ってよいだろう。」今回はここまでにします。
2026.04.02 Thursday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章 ピクチャレスクと建築」の「4労働者用コテージの改良」を取り上げます。「『土地所有の紳士へのヒント』は最初の労働者用コテージの改革案であり、そのため先行書に頼るのではなく自らの経験によって書かれている。そこには、立面図と平面図の他に具体的な寸法や各材料の価格の詳細な見積もりまで記されており、平面図にはそれぞれ部屋の役割が細かに説明されている。極めて具体的で実用的なものである。この手法は明らかにパターン・ブックの様式を取り入れたものであるが、農場主や地所全体の所有者用の比較的大規模な建物を取り扱うそれまでのパターン・ブックとは全く異なり、田園で実際に働く労働者のために建てる小さなコテージが取り扱われた最初の建築書である。~略~簡潔さの中でも『規則性』を尊重するウッドの主張には新古典主義の様式を得意とする、1728年生まれという一世代前の建築家としての彼のこだわりが認められる。左右対称であることを尊重するウッドは、規則性を演出するためだけの為窓や為扉をつけている。『規則性は美だ』というウッドの主張は、その後、不規則性や多様性を重視するピクチャレスクの流行の高まりと共に消えゆく運命にあった。~略~ホランドはピクチャレスクという言葉を使っていないが、ここでは有用性と共に美観が意識され、両者の融合が目指されている。練り土レンガはこの両方に貢献する有効な手段として導入されようとしているのであり、のちに見るように19世紀に入るとガンディーらが練り土レンガを使った極めて斬新な形態のデザインを考案することにもつながる。~略~バーナードの『ピクチャレスクで、住むこともできるコテージ』は、富裕層のための装飾用と貧困層のための実用という平行して交わることの無かった二種類のコテージを、互いに融合させようという提案だったと思われる。実用的なコテージに美的要素を求めることで住居としての価値が高まり、それは居住者にとっても所有者つまり地主にとっても利益をもたらすという考え方である。これは、ピクチャレスクの美学が有用性を取り込んでいった最初のステップだった。」今回はここまでにします。