2026.03.27 Friday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章 ピクチャレスクと建築」の「2ピクチャレスク理論とコテージ」を取り上げます。「多様性と、時間をかけたその調和の尊重は、典型的なピクチャレスクの理念である。注目すべきはギルピンが、様々な人々がそれぞれに造り上げた『小さな住まい』即ちコテージの集合体である村を景観の一つの単位としてとらえ、その村のあるべき景観について意見を述べていることである。ピクチャレスクの理想に合致する景観が生み出されるには、独断的な指針でなく多様な思考と時間の経過による変容が前提となる。~略~彼(プライス)はそこで、まず城郭や大邸宅などの壮大な建物を取り上げ、さらにそれらの建物の廃墟の魅力について述べた後、コテージや水車小屋などに話題の対象を移す。大建築が『優美と壮麗』を表す例であるのに対し、コテージなどの卑近な建物は『多様と錯綜』を表し、『そのままでも極めてピクチャレスク』であるとして彼は価値を見出す。~略~コテージャー達の建物がピクチャレスクの理想から見て好ましいのは、それが財産の誇示のために作られた装飾優先の建物とは異なり、住人に『快適さと楽しみ』をもたらす実際の『一般的な住居』としての建物であるからだ。つまり、住む側の立場に立ってコテージを見つめる『人間性』が必要で、それを持ち合わせていない者が新しい村を作ろうとしても理想的なものは作れない。~略~プライスの労働者観に関しては、フランス革命を背景にした保守的な時代背景や、地主であるという彼自身の社会的立場など様々な要因をも考慮する必要があって断定的な評価は難しいと思われるが、ここで重要なのは彼が労働者の生活に関わるモラルを重視して、その上でそのモラルと美観の両方を尊重する立場を取ったことだろう。そのモラルの内容は問われなければならないが、プライス以降、住居は居住者がいて初めて存在意義を持つという当たり前の事実にピクチャレスクの美学は立脚するようになっていったこと、つまり、ピクチャレスクとモラルが結びついていったことは見落としてはならない。」今回はここまでにします。
2026.03.26 Thursday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章 ピクチャレスクと建築」に今回から入ります。まず「1コテージ・コテージャーの理想化」を取り上げます。「ピクチャレスクはコテージとどう関わったのだろうか。流行の初期においてコテージはピクチャレスク風景の重要な装飾の一つだった。失われゆくものへのノスタルジアはピクチャレスクの風景を支える一つの要素であり、コテージはその典型例である。つまり、コテージへの関心の高まりはイギリス社会の急速な近代化への反発という意味でピクチャレスクの本質と深く関わっていた。~略~グレイやギルピンの描写では、都会の贅沢対田舎の素朴さという二項対立の構図の中で旅先で出会った人々が好意的に捉えられており、クーパーの『神が田園を創り、人間が町を創った』という一文にもあるように、当時は産業革命の影響による都市部の環境悪化の中で田園の景観やそこに住まう人々は美化して表現される傾向にあった。~略~イギリスの歴史を振り返れば、清教徒・名誉革命を経たこの国は18世紀に入って繁栄の道を邁進し、海外にも進出する。国家の外への拡張に伴い、一方で国内の問題に関心が向かう正反対のヴェクトルも生じ始め、批判の矛先は国内に蔓延する悪徳や腐敗、さらには金銭欲に耽る新興商業階層にも向けられ始める。その『虚しく放蕩的で、利己的なめめしさ』はフランスから持ち込まれたものであり、その『めめしさ』やそれによる『国民の弱体化』をもたらしたものは『商業』や『貿易』とされていった。つまり、国家の危機は海外からもたらされたものとされたのである。他方、『無分別、贅沢、利己的めめしさ』に取り憑かれた人々の対極には、質素ながらも『身体的な力、忍耐、勇気、道義』を兼ね備え、外国からの破滅的な影響を免れた農業労働者の男性が置かれることになる。」今回はここまでにします。
2026.03.25 Wednesday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第3章 ピクチャレスクと庭園」の「5ピクチャレスク理論の完成(2)」を取り上げます。本単元はプライスの「ピクチャレスク論」が中心になります。「初版の『序文』においてプライスは、『ピクチャレスク論』はナイトの『風景:教訓詩』に触発されて出版されるものであること、ナイトと自分の考えには若干の相違 があるがその主張はほぼ同じであり、二人の著作は相互補完的な関係にあることを述べ、共通する敵、即ち本論の中で何度も攻撃の対象となるブラウンとその後継者達に対してナイトと共闘することを宣言する。~略~ピクチャレスクの主たる特質は『粗さ』と、突然の変化、それらと結びついた『不規則性』であり、その一つ一つの対象の形態、色調、光と影の効果、配置の錯綜、そしてそれら相互の『結びつき』が重要である。これらの点に配慮できるのが『画家』であり、それがゆえに『画家の目』が重要な指針となる。~略~森林伐採や植林といった森林環境をめぐる諸問題、特に外来種の植林や高地植林への批判、そして古木の保護などにプライスは関心を持っていたが、その他にも『ピクチャレスク論』には現代の環境観にとって重要であると考えられる点が少なくない。彼が徹底して反対したのはブラウンによる広大な風景庭園の造園だったが、その土地『改良』は囲い込みに支えられており、いわば近現代の大規模開発の初期の例であったと言える。プライスは、その開発の中で消えゆく村落やそこでの伝統的な地域住民の生活を守るように訴えている。また、村の周囲を流れる魚の泳ぐ河川を自然状態に維持することなども彼は問題にしていた。~略~産業革命の進展の中で19世紀に入るとプライスが守ろうとした伝統的な農村の社会構造の秩序は徐々に変化、衰微していった。その中で、プライスに対する評価も変わっていったと思われる。~略~ワーズワスが理想として掲げているのは領主のいない均質で平等な関係の中で住民が自然と共生しながら生きる調和した地域共同体であり、プライスが考えている、領主から領民への『慈愛』が絆となった階級的に調和した共同体との違いは明らかである。」今回はここまでにします。
2026.03.24 Tuesday
目に留まる記事には切迫した政治色がなく、日常が盛り込まれている何事もない記事に注目してしまうのが私の癖です。今日の朝日新聞「天声人語」には夭折の作家梶井基次郎の「檸檬」に纏わる記事が掲載されていました。そうか、今日は梶井基次郎の命日だったっけ。自分が若い頃、背伸びして読んだ「檸檬」はほとんど理解出来ないまま、書籍はどこかへいってしまいました。「東京・神保町のまちを歩く。大通りに面した歩道に電話ボックスがあって、何やら若い人たちが集まっている。何だろう。記念撮影をしている男性に話しかけると、韓国の観光客だという。彼は言った。『ここに来たかったんです。感動しました』。人気アニメ『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』には、主人公が電話ボックスでヒロインと出会い、一輪の白い花をわたす場面がある。ファンの間では、神保町のここがモデルとされているそうだ。電話のうえに花を置いていく人もいるらしい。なるほど。古臭いといわれそうだが、そう聞いて、頭に浮かんだのはレモンだった。黄色いレモンがひとつ、京都の書店の売り場に置かれる。そう、梶井基次郎の『檸檬』である。~略~きょうは檸檬忌。基次郎の没後94年である。黄ばんだ文庫本を書棚から取り出し、懐かしく、頁をめくる。〈えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた〉。将来への漠然とした焦燥を抱えながら、私は彷徨し、レモンを握る。夭折の作家をしのんで三好達治は『友を喪ふ』という詩を残している。〈日向に光る黒髪の 悲しや 美しや あはれ命あるこのひと時を 僕は見る〉。さて、このレモン、どこに置こうか。」文学とは不思議なもので、レモンを檸檬と漢字で表記するだけで、何か特別なモノに見えてくることに私は惹かれます。詩が面白いと感じた自分の高校時代に、外国の翻訳詩より日本の現代詩にその不思議さを感じたのは、言葉ひとつひとつの多様性が心に刺さった瞬間でしたが、それはあながち間違っていなかったのではないかと自負しています。梶井基次郎の「檸檬」も内容よりも題名に惹かれたのが、当時の私の正直な思いでした。
2026.03.23 Monday
「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第3章 ピクチャレスクと庭園」の「4ピクチャレスク理論の完成(1)」を取り上げます。本単元はナイトの「風景:教訓詩」が中心になります。ナイトはブラウンの風景庭園を辛辣に批判していました。「ブラウンの庭園は、風景の『材料』を周囲と『結び付けず』に『バラバラ』に置いただけの、豊かな自然とは相容れないものであるのに対し、よき『趣味』が生み出す理想の風景では『(景観を)構成する部分部分』は一つにまとまり、『目を魅惑し、魂を虜にする』『美しく、見事に混ざり合った全体』を作り上げる。~略~ブラウンやその追随者達に対する攻撃は、庭園内の自然はどうあるべきかという問題とは異なった面からも行われている。それは、所有者の財産をみせびらかそうとする彼らの卑俗性である。領地の地図を示せばよいのにそれをせず訪問者をさ迷わせて苦しめるのは、領主が自分の地所の広さを見せつけたいからであるとして、そのような行為は領地の豊かさとその一方での貧しさの両方を露にしていると詩人は非難する。~略~まずナイトはその土地の『天候と土壌』をよく『吟味』してどのような植物が最も『ふさわしい』のかを見極めるべきだとする。そうすれば豊かな葉や若枝が得られるのであり、その反対に樹木は『健康で生気に溢れて』いなければ、『目に心地よい』ものではなくなる。~略~今日ダウントンの峡谷には菩提樹、オーク、トネリコ、楡の木々の他、希少価値のある苔や地衣類など、60種を超える古くからの植物と、カワウソ、アイサ(鴨類)、姉羽鶴などの動物が生息し、これらの豊富な動植物がこの地域をナチュラル・イングランドの保護の対象にしている。人口芸術である庭園を『自然』に近づけることを目指したナイトの理想は、現代においてようやく完成していると言ってよいかもしれない。」今回はここまでにします。