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  • 「根源的驚異と畏怖の喚起」について
    「宗教図像学入門」(中村圭志著 中公新書)の6つ目のパート「根源的驚異と畏怖の喚起」は最後のパートで3つの章から成り立っています。まず「第22章 原初の怪獣」から。「西洋はドラゴンの形状は爬虫類タイプ(四本足)あるいは鳥類タイプ(二本足+二枚の翼)、そして両方が合わさったようなペガサスタイプ(四本足+二枚の翼)と色々ある。大きさは犬並みから恐竜並みまであり、翼は中世以降コウモリ型になった。しかしドラゴンという言葉自体は蛇の名称に由来する。~略~インドのナーガは漢語で『竜』と表記されるが、実際には中国の竜に似ていない。西洋のドラゴンにも似ていない。実際これはコブラを意味しており、図像的には人面蛇身に描かれる。多頭の蛇として描かれることもある。釈迦の修行中に天蓋の代わりを務めたとも言われ、ヒンドゥー神話ではヴィシュヌ神に対して同じことをしている。~略~中国の竜は爬虫類の王様のような存在だが、絵ではだいたい蛇のように長くて四足を持ち、頭のあたりに鬣や髭や角など色々なものがついていて複雑な顔立ちをしている。~略~中国の竜には高貴なイメージがあり、地上と天界を結ぶ働きをもっている。そのためもあって、中国の皇帝はシンボルとしている。怖い存在であるには違いないが、恐怖よりも畏怖の感じだ。」次に「第23章 世界と自己の起源」。「宗教はすべて自己の根拠を問うものだという考え方がある(今・ここにいる私の究極の始原は何か?究極の原因は何か?究極の拠り所は何か?)。私の始原を問う思考は、個人的な限界を飛び越えて世界そのものの始原を問う思考に流されていく。そうだとすれば、宗教の神話の究極の姿は天地創造の語りということになる。~略~最初の三日で天地の舞台(時間、空と海、陸)を整備し、続く三日で生き物(日月星辰、空と海の動物、陸の動物と人間)を造り上げた神は、七日目に休息する。聖書の天地創造神話はユダヤ教の安息日(1週間に1度の労働停止日)を根拠づける神話なのだ。」最後に「第24章 死と終末」。「大乗仏教の浄土信仰は、輪廻空間の一種である浄土(極楽など)に生まれ変わる(往生する)という仏教としては変則的なプロブラムをもっている。苦しみ多き輪廻において浄土は一種の緊急避難所となり、そこで修行を積んで解脱するのである(ただしはるか後世、日本などではこの浄土を究極の救いという風に捉えるようになった)。新約聖書の『ヨハネの黙示録』は世界終末における審判のビジョンを取り入れた。世界はやがて終結し、キリスト再臨など色々な出来事が起きたのち、善き者は『新しいエルサレム』すなわち天国へ、最後まで悔い改めぬ者は『火の池』すなわち地獄へ落される。~略~近代化が進むにつれ、先進国では宗教は主流の社会規範ではなくなった(人々は科学や国家の法律や哲学的な倫理に従うようになった)。これに応じて宗教的来世観も希薄化した。社会的怨念や神の復讐を唱えることは上品なこととはみなされなくなり、宗教信者も地獄をあまり語らなくなった。」以上です。
    「塔と宇宙樹、聖なるランドスケープ」について
    「宗教図像学入門」(中村圭志著 中公新書)の5つ目のパート「聖なる空間をレイアウトする」は4つの章から成り立っています。今回はそのうち後半の2つ「第20章 塔と宇宙樹」と「第21章 聖なるランドスケープ」を取り上げます。「塔はいかにも印象的であるし、ピラミッドから仏塔まで、カテドラルの尖塔からミナレットまで、聖性の象徴であることは間違いないように思われるのだが、それは教理的なものというよりも、宗教行事の式次第や祭壇のレイアウト、聖歌の印象的な節回しと同様の、典礼的な演出法に属する。宗教をメタな視点で横断的に眺めたときに、聖なる演出として塔が目をひくというわけである。~略~城塞などの塔には監視塔の役割もある。これと天を衝く高さという要素を掛け合わせると、人間界を監視する『神の眼』のピラミッドのイメージが生まれる。~略~近代において宗教社会から世俗社会に変貌を遂げた欧米社会では、搭状建築は(科学的・産業的・社会制度的な)進歩の象徴ともなった。~略~こうした象徴物は宗教原理主義者の格好のターゲットにもなる。21世紀になってすぐ、ニューヨークの貿易センタービルはイスラム過激派によって破壊された。ここにもバベルの塔に対する宗教的不信感が作用しているのかもしれない。」次に聖なるランドスケープ。「一般に中国思想においては陰と陽の対照が大きな意味をもっており、山水画の場合も同様だ。なお、谷が女性性を象徴するということには、老子の『道徳経』にある神秘の牝としての『谷神』のイメージも響いている。~略~東アジアの日本だが、神道そのものがアニミズム的色彩が強く、山、森、島、滝などに霊性を感じる伝統がある。それは密教によっても補強され、行者が山野を駆け巡る修験道という伝統も成立した。富士を竜脈ならぬカミそのものとして拝む富士参詣曼荼羅のような図像も生まれている。」私は日本のアニミズム的色彩に大変興味があって、さまざまなところに神が宿る伝統を喜ばしく思う一人です。両親の実家があった時は、正月の朝になると、庭の井戸や納屋、裏山の祠に小さく刻んだ餅を捧げていました。私にとっては聖なるランドスケープであったわけで、そこに棲み給う神々が自分を守護してくれていると子供心に信じていたのでした。
    週末 抽象化への過程
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今回取り上げる内容は、抽象化への過程というもので、自分の作品へのアプローチを踏まえた在り方を述べようと思っています。私の作品は廃墟となった建造物を原初イメージとし、それを彫刻作品として自分なりに昇華させたものです。非対象とも非具象とも呼べないものですが、作品化する過程で幾何学的な形態がいつも頭にあります。最終的に出来上がる形体は立方体であったり、直方体であったりしますが、最初に抽象形態ありきでは私は考えていないのです。彫刻を学び始めた頃は人体塑造ばかりをやっていましたが、ヨーロッパ滞在を契機に対象は人体から建造物に変っていきました。その導入からしても、まず具象からイメージを発するのが私のやり方で、眼の前に浮かぶ風景は、たとえば古代遺跡であったり、在りし日の父と造成した庭園であったりしています。物体が点在する空間があり、そこに配置するモノが私にとって立体造形なのです。一時的にイメージを頭に留めておくために、私は紙に鉛筆でエスキースを書くこともありますが、何本も線を引いているうちに次第に線は整理されて、幾何学的形態に辿り着くという過程を通ります。実はあまり下書きをしない私でもあれこれ考えているうちに抽象形態になっていくというのが自然の過程で、これは具象からキュビズムに発展して、そのうちに純粋抽象になっていく近代美術史を、私は自分なりに辿っているのだと改めて発見しました。世界で興った美術的潮流は、私個人の 抽象化への過程でもあるのです。時にキュビズムで思考を止めてしまうこともあります。私の最終プランがこれでよいと納得すれば、私の過程はそこで終了します。自分が求めているものが時代の革新とは関係ないこともあるからです。広がる美術的視野のどこを切り取って、自分のものにするのか、自分にとっては自由であるべきで、現代に生きる上で幸いと考えるのはその選択肢が多いことが挙げられます。
    週末 焼成2回&閉廊パーティーの1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も毎日工房に通っていました。今週は窯入れを2回行いました。乾燥した後、仕上げや化粧掛けを施した陶彫部品があり、そのまま長く放置できなかったので、今週一気に焼成を行なうことにしたのでした。焼成をしていないうちは、ただ陶土を乾かしただけにすぎず、何かがあれば欠損してしまうリスクがあります。焼成しておけば、床に落とす等の衝撃がない限り、損傷はありません。この2回の焼成で新作の陶彫部分は全て終了になり、残すのは板材を刳り貫く加工だけなのです。この板材加工もなかなか手間のかかる作業で、今週の主だった制作は板材にデザインを施したことでした。陶彫の窯入れは月曜日と木曜日の夕方に行いました。月曜日に窯入れした作品は木曜日に窯出しを行い、次の作品をその日のうちに窯に入れました。窯入れをすると窯以外の電気のブレーカーを落としてしまうので、火曜日と金曜日は工房で作業が出来ず、通常なら美術館に行ったりしているのですが、今週はその予定がなく、火曜日は近隣のスポーツ施設で水泳をしていました。金曜日も水泳をしていましたが、夕方から東京銀座のギャラリーせいほうに出かけました。今週一番印象に残ったのが、このギャラリーせいほうの閉廊パーティーでした。ギャラリーとの付き合いは20年間に及び、私の陶彫による世界観のほとんどがそこで培われました。私は大勢の彫刻家がいたパーティーの中で、ギャラリーの空間をじっと見つめていて、そこに展示した自作の振り返りをしていました。白い空間に私の錆色をした出土品のような陶彫作品が映えるなぁと感じていた一方で、個展開催中は自作をじっくり眺めて、作り足りないところに気落ちしながら、来年こそ力量を高めていこうと決意していました。その決意の継続が20回も個展が続いた原動力になっていると改めて感じていました。
    Gせいほうの閉廊パーティー
    20年にわたって私の個展を企画していただいた東京銀座のギャラリーせいほう。私は休むことなく無我夢中で創作に明け暮れ、20回の個展をやってきました。初めのうちは横浜市立中学校の校長職にありながら、休日を全て創作活動にあてて、開催日程に合わせ、綱渡りのような緊張をもって制作をしてきました。それによって私の世界観が育ったのも確かです。ギャラリーせいほうが閉廊することを画廊主の田中さんから知らされたのは個展の最終日でした。今日がその閉廊パーティーで、ここで個展を開催した彫刻家たち50数人が集まりました。私は母校の先輩や他の彫刻家諸氏と話が出来たのも幸運でした。ギャラリーせいほうは、私の学生時代に師匠の池田宗弘先生の個展を手伝ったことが契機になって、ここに時々顔を出すようになりました。陶彫家辻晋堂氏や速水史朗氏(速水氏は先日もせいほうで個展をやっていました。)の仕事を知って、私の脳裏に陶彫の技法が刻まれました。海外生活から帰って、地元で教職公務員になり、陶彫の研鑽を積み、以前影響を受けた陶彫家が個展をやっていたギャラリーせいほうを訪ねました。師匠からの紹介もあって、2006年に私は最初の個展を企画していただきました。私は天にも昇る心境になり、勢い勇んで個展に臨みました。当時、私は中学校で教務主任という立場で多忙を極めていましたが、せっかくのチャンスを何とかモノにしようと奮闘しました。それから毎年全力投球で、20年間を乗り切ってきました。二束の草鞋生活で時間がなかったせいか、創作の迷いはなく、また余計なことも考えず、一直線に自らの世界観を構築してきたのではないかと振り返っています。私の制作姿勢は今も変わりません。私の夏の個展は「うしお画廊」に引き継いでもらうことになりました。「うしお画廊」はギャラリーせいほうのような彫刻専門画廊ではないのですが、彫刻専門画廊はほとんどなくなってしまったのではないかと思っています。ギャラリーせいほうの田中譲様、20年間本当にお世話になりました。