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  • 新聞記事より「下の方こそいとおしい」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「老後は下の方こそいとおしい。 阿刀田高」この言葉からは何を意味しているのか分からず、著者の鷲田精一氏のコメントを読むまでは謎が解けませんでした。コメントを読んで、思わず笑えたのは私一人ではないでしょう。解答のコメントを載せます。「と聞いて下方を見ないこと。昔の小学校の『通信簿』のことだ。上に並ぶのは国語、算数、理科、社会、下の方に図工、音楽、体育。親は上方の成績ばかり気にかけた。が、老いてから思うのは、絵が描けたら、ピアノが弾けたら、山を歩けたらといったことばかり。自分はどれもだめだと作家は言う。『年老いて人生への悔いがないでもない』と。『90歳、男のひとり暮らし』から。」通信簿の教科の並んでいる順番はどう決められたのだろう、教職に長く居ながらそんなことを気にしたことがなかった自分は、改めて上方に位置する教科と下方に位置する教科の重要性を思わざるを得ませんでした。中学校では上方の4教科に外国語を加えて主要5教科という呼び方をしている時期がありました。今でもそう呼称する昭和生まれのベテラン教師がいるかもしれません。主要5教科は社会に出てどんなふうに役立つのだろう、これは学習の基礎基本だと私は疑いもなく生徒に言っていました。最低必要限の知識は5教科によって補えるのは事実です。日本人の識字率が高いのはこの成果を裏付けるものです。下方の教科は主要ではないという位置付けですが、実技教科と呼ばれるもので、情操教育の一端を担うものです。感情を表現したり、さまざまな体験型の授業もこれに含まれますが、老後になると、寧ろこうした教科で培った思いが自分の生きがいになるケースもあると考えられます。私の場合は図工美術です。私は自分の生涯で何度も美術があって良かったと思っていて、下方の教科に位置するものが、自分の心を支えているのです。
    「カトリック教会の融合政策」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第1章 16世紀における近代世界システムの形成と『世界文化市場』の成立」は6つの単元からなっています。今回は「5 カトリック教会の『融合』政策」と「6 『融合』論を超えて」の最後の2つの単元を取り上げます。まず、「5 カトリック教会の『融合』政策」から。「信仰の対象であるイエスや聖母の『異民族化』が、教会の方針として一般的に見られるようになったのは、20世紀の1930年代以降であるが、その発端は、本論が対象とする16世紀、17世紀に、『偉大なる伝統文化をもつ』国である日本と中国で、そこに布教した宣教師の創意に始まったのである。~略~16世紀当時、帝国と教会は先住民を野蛮または素朴とみなし、政治的には植民地化し、文化的には強制的にキリスト教を移植した。しかし、同じ時代にあっても、ポルトガル布教圏の日本、中国では、かれらはこの両国を『高度の文明をもつ独立国』として認識し、有利な交易を行なうが植民地化はせず、文化的には『既存の文化を尊重し、西欧文化をこれに適合させる』という政策をとった。」次に「6 『融合』論を超えて」には「信仰における普遍的なもの」という副題がついていました。「キリストこそキリスト教の唯一の神であり、聖母は二義的な存在である。聖書はマリアについてイエスを生んだ母であるという以外にはこれを崇敬するための記述は一切していない。」それではなぜ聖母を信仰の対象としたのか、こんな論述がありました。「聖母は、太古の母神から、生命の授け手、万物の豊穣という本質を譲り受け、キリストの助け手として教会によって召還された女性であった。民衆の信仰心の基層に残る大地母神への信仰をすくいあげ、キリスト教の中心に、生命の授け手であり、母性の象徴であるマリアを置くことによって、本来は家父長的であり、男性中心であり、女性嫌悪であるユダヤーキリスト教を、より調和的な、より慈悲に満ちたものにすることに成功したのである。~略~世界布教の開始期にあたる対抗宗教改革期は、このドグマがルターらの聖母崇敬否定論によって危機に陥った時期であった。したがって、これに対抗したカトリック教会は、聖母崇拝のあらたなキャンペーンを張る必要があり、16,17世紀はこの近代化された聖母図像の一大興隆期となったのである。このことが、布教における聖母の優勢を導きだした教会側の理由であった。」今回はここまでにします。
    「世界布教、土着文化等」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第1章 16世紀における近代世界システムの形成と『世界文化市場』の成立」は6つの単元からなっています。今回は「2 世界布教と世界文化」と「3 土着文化とキリスト教文化の関連」と「4 カトリック教会側の布教美術政策とグアダルーペの聖母」の3つの単元を取り上げます。まず「2 世界布教と世界文化」から。「地中海世界に生え育った『文化』が、はるかアメリカ、アジアの地に種子を蒔かれ、根を下ろし、どのような事実を実らせるのかという問題が提出される。16世紀以降の非ヨーロッパにおけるすべてのキリスト教文化は、基本的にこの枠組みで考察されるのである。」次に「3 土着文化とキリスト教文化の関連」です。「(植民地で形成された美術)の過程は支配者側と先住民側のあいだの困難な交渉であって、そこには『植民地の現実』を生きた先住民が創意を生み出したとしても、その過程は単純化できるものではないとする。このことは、世界に移植されたキリスト教美術を研究する場合にきわめて正鵠を得た議論である。~略~(聖母像を選出した理由として)聖母像が異教徒の宣教にあたってもっとも多用された聖像だからであり、また、対抗宗教改革期のカトリックが、もっとも厳密に規制した定型図像だからである。したがって、聖母像という模範型が、その地域の政治的社会的状況、その地域の伝統文化、あるいはその他の複合的な歴史的過程にしたがって、どのように変容するかが明らかになるのである。」最後に「4 カトリック教会側の布教美術政策とグアダルーペの聖母」から。「スペインからの入植者、メキシコで生まれたスペイン人、土着民という複雑な人種的構成からなるメキシコという国家のなかで、かれらを統合するものは『土地』しかない。『サボテンの上に立つ母なる女性』は西欧人にとっては聖母であり黙示録の女であるが、土着の人間にとってはトナンツィンである。現地のインディオ、ファン・ディエゴへの聖母の出現は、科学的には証明できない『神話』である。~略~外来の聖母ではなく、『わが大地に降り立った聖母』こそ、この広大な土地に住む多種多様な人種を統合できたのである。」今回はここまでにします。
    週末 素材の変容
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日取り扱おうとしている素材の変容に関しては、以前のNOTE(ブログ)に書いたことがあるかもしれません。私の常套手段である木材に砂マチエールを貼り付けて、そこに油絵の具を染み込ませる方法は、ある意味で木材という素材を打ち消しているとも言えます。それはまさに素材の変容なのだろうと思っています。私は素材をありのままの状態で彫刻に生かすのが好きですが、自作の基調とする素材が陶彫で、しかも釉薬はかけずに土を焼き締めしたまま提示するので、陶彫以外の素材を組み合わせるとすれば、その陶彫との関係性を考えていくことになります。主に使うのは木材ですが、今年夏に東京銀座のギャラリーで発表した「発掘~跨橋~」は、実家の大黒柱に使われている古木を陶彫作品と組み合わせました。古木をそのまま陶彫作品と組み合わせた理由は、実家の大黒柱にあまり細工はしたくないことと、ありのままの状態でも私自身は納得できる関係性が築けていると思ったことが大きな要因となりました。それは幾星霜を経た木材と出土品のような陶彫がうまく融合できたことに拠っています。現在作っている新作は厚い合板を使っているので、陶彫に合うように素材の変容を行なう必要を感じたのです。素材の変容によって他素材と組み合わせた時に、私には理屈では説明のしようがない感覚的な関係性を思い描くことになり、その部分に対して、これはいったい何なのだろうと考えることがあります。それはあまりにも素材同士が融合し過ぎると、私にはありきたりな退屈を覚えてしまう感覚が生じます。といって反発し合えば、なぜこの素材同士を組み合わせるのか疑問も出てきます。他素材同士の間に流れる融和とも刺激ともとれる関係は、実は私自身は面白いと感じていて、それがあるからこそ、素材の変容を加味しながら制作を進めていく意欲になっているわけです。
    週末 砂マチエールの1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も毎日工房に通っていました。先週で新作の板材の刳り貫き作業が完了したため、今週はその板材に砂マチエールを貼る作業に移行しました。板材は厚い合板で、それを刳り貫いただけでは陶彫作品との融合が図れません。陶土の肌合いとの組合せとして、板の表面に砂を硬化剤で貼り付け、そこに錆色の油絵の具を染み込ませ、さらにドリッピングをすると、表面がざらついた雰囲気になり、深い色合いのコラボレーションが生まれるのです。今までの作品でも私はこの方法を多用してきました。ただし、作業としてはこれは彫刻的な作業ではなく、どちらかと言うと退屈な作業になりますが、効果を考えるとなおざりに出来ないものだなぁと思っています。彫刻の工程のなかには、こうした職人的作業が多く含まれていて、例えば木や石を磨いたり、石目彫りのような加工は、現在私がやっている砂マチエールに近いものだろうと思います。今週はこんな作業をじっくり1週間やり続けていました。火曜日と金曜日はルーティンとして近隣のスポーツ施設に水泳に行ってきました。作業で使う筋肉だけでは身体を健康に保つことが出来ないので、私は昔から継続している水泳をやっています。水泳で心拍数を上げた後で、身体に器材をつけて水中筋トレをやっています。水泳にも水中筋トレにもコーチがついていますが、個人ではなく何人かで行うスポーツを私は気に入っていて、余程のことがない限り休むことはありません。スポーツに関しては自分一人で行うことが私は苦手なのかもしれません。金曜日は水泳の後、工房には戻らずに、注文したシュトーレンを受け取りに川崎市まで車を走らせました。友人のパティシエが作るシュトーレンは私にとって最高の品で、20代の頃に暮らしたウィーンの思い出がいっぱい詰まっているのです。