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  • 週末 映画「GK網走監獄襲撃編」雑感
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日の内容は映画鑑賞で、漫画が原作の実写版です。昨日の夕方、その漫画を紹介してくれた教え子を誘って、私は横浜市鴨居にあるエンターテイメント系映画館に「ゴールデンカムイ網走監獄襲撃編」を観に行ってきました。映画の舞台になった網走監獄は広大な敷地に作られたオープンセットで、これは網走刑務所の地形を全てスキャニングし、VFXチームによってリアルな世界観が表現されていました。こうした映画作りに制作陣の本気度が見られて、日本の映像表現もハリウッドのようになってきたなぁと思いました。個性的なキャストも際立っていて、観客を飽きさせないドラマを生み出していました。網走監獄での群衆アクションは見どころのひとつで、激しい虐殺が繰り返されていました。物語としては明治末期の北海道で、莫大なアイヌの埋蔵金を巡る争奪戦を描いたものです。歴史上の人物やら架空の人物が幾重にも重なり合った血生臭い展開が、家内はどうやら苦手なようで今回の映画鑑賞は遠慮すると言ってきました。私も物語そのものはあまり好きになれませんが、アイヌ文化に興味があり、その風習やデザインに、嘗て北海道を旅した時にアイヌの村落に行って興味を持ったことが契機になっています。その村落は観光化されたところでしたが、とりわけ私は木彫や織物に惹かれました。そのアイヌ文化に触れる箇所が映画にもあって、独特な食文化を紹介しています。映画の本筋とは関係ないところで、面白みを感じてしまう私は、本当の意味でこの映画のファンとは言えないのかもしれませんが、アイヌ文化を伝承するという趣意が出て来るところは、私にも理解できます。埋蔵金を争奪するというテーマはドラマとして組み立てられたもので、その先にアイヌ文化の継承が連なっているのではないかと私が想像するところです。
    週末 年度末~新年度移行の1週間
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今週は3月から4月に移行した1週間であり、つまり年度末から新年度に移行した1週間とも言えます。教職を退職した私には単に月が移行した何でもない1週間でしたが、気持ちとしては教職に就いていた時のように新たな船出を意識するものでもありました。気持ちを切り替えていくのは良いことだと感じていて、今年度も創作活動に頑張っていきたいという変わらぬ目標を持つことにしました。今週の工房での制作は、相変わらず壁に掛ける新作に貼り付ける杉板の刳り貫き作業をやっていましたが、この作業のゴールが見えていて、次の段階に進む心の準備をしていました。さて、下地の塗装はどのようにやっていこうか、色彩をどうしようか、楽しい迷いが頭を過ります。気候も三寒四温で、作業のしやすさを感じています。ストーブを点ける機会も減りました。火曜日と金曜日のスポーツ施設での運動は必ずやっています。私の場合は水泳ですが、血糖値の安定と体力維持のためにこれはずっと継続です。今日の土曜日の午前中は、家内の定期健診に付き合い、病院の送り迎えをしてきました。午後は映画を観に行きましたが、家内が内容が苦手と言っていたので、今回は教え子を誘いました。彼女はこのアニメを私に紹介した人で、声をかけたら是非行きたいと言ってきました。アニメの実写版にあまり成功例はないのですが、私が今まで観てきた「キングダム」と同じように、成功している例ではないかと思います。観に行ったのは「ゴールデンカムイ網走監獄襲撃編」で、横浜市鴨居にあるエンターテイメント系映画館に行きました。映画や美術鑑賞に土曜日を避けていた私は、週末がどのくらい混雑しているか、ある程度は覚悟して行こうと思っていました。映画館はまずまずの入りでしたが、昼のレストランは長蛇の列が出来ていました。映画の後の夕食に何とかレストランに入れたので、まぁ良かったかなと思いました。映画の詳しい感想は後日に回します。
    「コテージと装飾」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章  ピクチャレスクと建築」の「5コテージと装飾」を取り上げます。「プロウの『装飾農園』における『装飾』の意味とは、一つは農業用の建物を教会や修道院などに似せて外観を楽しめるようにしたことで、これはミドルトンが出した方向を発展させたものである。重要なのはもう一つの点で、前作同様に周囲の景観の中に建物を位置付けて一つの調和した風景として見るという視点を導入したことである。『田園建築』だけでなく『装飾農園』における立面図の全てにおいて、プロウは木々や草、雲などと言った背景や前景を書き込んでいる。『装飾農園』のタイトルの最後に書かれているように、彼の言う装飾は『ピクチャレスク効果』を狙ったものだった。~略~18世紀の半ばまで尚古趣味の対象であった廃墟は、諸行無常や盛者必衰を意味する、いわばモラルの表象だった。庭園ブームの中で廃墟は人工的に新しく作られたが、サイレンセスター・パークの中にバサースト卿が建てたアルフレッド・ホールの人工廃墟(1732)はその最初の例の一つである。世紀後半になると廃墟がピクチャレスク風景の中に取り込まれる中で、ウェイトリーは廃墟のエンブレムとして意義を否定し、外観的な特徴からその『性格』を『変遷、老朽、荒涼』として庭園の中に取り込んだ。これは、廃墟が不規則や不均衡といった形態の不完全さを追求するピクチャレスクの美学に通じるものだったからであり、また対象の持つ表象的な意味の否定は初期ピクチャレスクの特定の一つだった。世紀末が近づくにつれ、廃墟趣味の関心はかつては威風を誇った城郭などから小規模なコテージなどの『控えめ』な対象にも広がる。~略~どのような芸術美にも結びつかず吐き気を催すだけの醜が存在するとカントが主張するように、哲学者らは美的な醜とは別に快をもたらすことのない絶対的な醜の存在に言及している。何らかの美として捉えうるか否かは、そのものの内実だけでなく距離を置いた見かけのイメージとして受け入れることができるかどうかによるが、それは鑑賞者の属する文化や時代性などによって異なる。J・T・スミスのコテージに表象されるような醜の魅力は、18世紀末のピクチャレスクの『装飾』観の一側面を表していると言ってよいだろう。」今回はここまでにします。
    「労働者用コテージの改良」について
    「ピクチャレスクとイギリス近代」(今村隆男著 音羽書房鶴見書店)の「第4章  ピクチャレスクと建築」の「4労働者用コテージの改良」を取り上げます。「『土地所有の紳士へのヒント』は最初の労働者用コテージの改革案であり、そのため先行書に頼るのではなく自らの経験によって書かれている。そこには、立面図と平面図の他に具体的な寸法や各材料の価格の詳細な見積もりまで記されており、平面図にはそれぞれ部屋の役割が細かに説明されている。極めて具体的で実用的なものである。この手法は明らかにパターン・ブックの様式を取り入れたものであるが、農場主や地所全体の所有者用の比較的大規模な建物を取り扱うそれまでのパターン・ブックとは全く異なり、田園で実際に働く労働者のために建てる小さなコテージが取り扱われた最初の建築書である。~略~簡潔さの中でも『規則性』を尊重するウッドの主張には新古典主義の様式を得意とする、1728年生まれという一世代前の建築家としての彼のこだわりが認められる。左右対称であることを尊重するウッドは、規則性を演出するためだけの為窓や為扉をつけている。『規則性は美だ』というウッドの主張は、その後、不規則性や多様性を重視するピクチャレスクの流行の高まりと共に消えゆく運命にあった。~略~ホランドはピクチャレスクという言葉を使っていないが、ここでは有用性と共に美観が意識され、両者の融合が目指されている。練り土レンガはこの両方に貢献する有効な手段として導入されようとしているのであり、のちに見るように19世紀に入るとガンディーらが練り土レンガを使った極めて斬新な形態のデザインを考案することにもつながる。~略~バーナードの『ピクチャレスクで、住むこともできるコテージ』は、富裕層のための装飾用と貧困層のための実用という平行して交わることの無かった二種類のコテージを、互いに融合させようという提案だったと思われる。実用的なコテージに美的要素を求めることで住居としての価値が高まり、それは居住者にとっても所有者つまり地主にとっても利益をもたらすという考え方である。これは、ピクチャレスクの美学が有用性を取り込んでいった最初のステップだった。」今回はここまでにします。
    新年度ではあるけれど…
    4月になりました。昨日のNOTE(ブログ)の続きで言えば、今日から新年度です。4月には入学式や入社式があり、日本の場合はこの4月から学業や仕事が始まることが多いのです。私は教職を退職して5年が過ぎたので、そろそろ年度で考えることはしなくてもいいと思っていますが、長い間の習慣から抜け出せない自分がいます。ずっと携帯している黒革の手帳の日記も今日から新しいノートに差し替えました。さて、そんな4月ですが、創作活動のことを考えると、私は7月後半に個展をやって、そこで1年間の締め括りにしているので、彫刻家としては7月から8月に制作が入れ替わります。その時が、いやその時こそ自分にとって気持ちを新たにする時期なのかなとも思っています。今日から新年度ではあるけれど、そこに拘る必要がなくなっているのが現状です。今月は7月の個展に向けた新作の制作が佳境に入る時期です。壁に掛ける4点の作品の下地を考えなければならないため、絵画的な技巧を用います。もう一度当初のイメージを確認し、絵画技法をどう扱うか考えながら試行していきます。うまくいけば今月中にある程度決着がつくかなぁと思いますが、創作活動は計算できるものではなく、行きつ戻りつするので、まだ分からないと思っていた方がよいでしょう。今月も美術館やら映画館に足を運んで鑑賞に勤しむつもりです。鑑賞は思考に刺激を与え、情感を豊かにするものだと私は考えています。それは言葉で言い表せないほど楽しい時間です。創作の実践は楽しいかどうか分からない時間帯で、常に自分に何かを問いかけているため、体力や気力を消耗することも多々あります。これは教職とは違い、他者のためにやっているわけではなく、自分のためにやっている仕事なので、気儘に楽しめるはずが、そんなふうに考えられないのは何故なのでしょうか。混沌とした中に自分が放り投げられたように感じることもあります。それでも今月も根気よく制作を頑張っていきたいと思います。