Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 映画「モディリアーニ!」雑感
    映画を連日観に行った記憶が私にはありません。映画マニアの人なら通常な事でも私には初めての体験です。理由としてはミニシアターの上映期間が短いため、こんな事態になったと言うより他にないのです。今日も工房での制作は午後に回して、昨日とは違う横浜のミニシアターに出かけました。画家モディリアーニを描いた映画を、私は20年前に観ています。それは2004年「モディリアーニ真実の愛」で、NOTE(ブログ)に感想を載せています。今回観た新作はジョニー・デップによる監督作品で、モンマルトルの乱雑さや汚さをあえてデザインした背景の中で、リアルな演技により芸術家(スーティンやユトリロ)の困窮した生活が描かれていました。図録によると「1916年、戦火のパリ。才能に溢れながらも批評家に認められず作品も売れなかった、酒と混乱の日々を送る芸術家モディリアーニ。キャリアを捨て、この街を去ろうとしたその時、仲間とミューズの存在が彼を引き止める。人生を変える運命とも言うべき”狂気と情熱の3日間”が始まる。その先に待つのは、破滅か、それとも再生かー。画家や彫刻家としてフランス・パリで活動していたが、不摂生な生活に貧困、肺結核、薬物依存などにより弱冠35歳で亡くなったイタリア人芸術家アメデオ・モディリアーニの濃厚な人生の日々を描いた本作」とありました。著名なコレクター(アル・パチーノ出演)とのやり取りで、自分の力作である数点の絵画を値踏みされ、絶望的な憂き目に遭いながら、鞄にしまってあった小さな未完の石彫を破格な値段で買い取ろうとするコレクターと、モディリアーニは嫌味を含んだ口論になってしまいました。こうした彼の生き方が本作の主題なのだろうと思いつつ、ここで、私は映画の本筋とは違う場面に心が動きました。モディリアーニは今でこそ画家として独創的な作風で美術史に名を残すほど知られた人ですが、私自身この絵画を理解するまでには時間がかかりました。私は映画に登場するコレクターと同じように、まず石彫に価値を見いだしたのでした。古代ギリシャのアルカイック美術に見られる顔の感情表現を極力抑えた彫刻に魅せられました。私にとってモディリアーニは永遠の石彫家であるのです。本作のちょっとしたエピソードに思わず自分の心が揺れた一幕でした。
    映画「今日からぼくが村の映画館」雑感
    今日の午前中は家内を誘って、横浜中心部にあるミニシアターにペルー映画「今日からぼくが村の映画館」を観に出かけました。本作の上映時間が午前中だったため、工房での制作は午後に回しました。映画という媒体の原初体験を描いた初期衝動が、昔観たイタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿とさせるものがあって、質の高い内容に仕上がっていました。ただ、本作はイタリアよりさらに素朴な南米の村の出来事で、アンデス山脈の高地にある村が舞台でした。そこで暮らす少年がふとしたことで移動映画館のことを知り、父と町に物売りに出かけた際に映画を観る体験をしたことでドラマが始まります。その体験を学校の仲間に興奮気味に話すうちに、子どもたちで映画に行くことになり、そこで観た彼らの恐怖体験によって各家庭が混乱し、大人たちが村で集会を開くことになったのでした。村人も一度映画を観てみようと映画館に出かけてみたのですが、映画は村人が使っているケチュア語ではなかったので内容が伝わらなく、紆余曲折あって、映画はスペイン語が出来る少年一人で観て、その内容を村の集会で伝えることになりました。映画内容をジェスチャーを交えて愛嬌たっぷりに伝える少年の仕草が可愛らしく、これが本作の見せ場になっていると私は感じました。村での伝統的な暮らしや祈りを捧げる場面、少年の唯一の味方として視野の広さに理解を示してくれた老婆の葬儀の様子など、アンデス山脈の高地に残る風習も本作では丁寧に描いていました。図録によると「本作では伝統的なアンデスの村の様子や文化と、アンデス世界と都市部のスペイン語世界を仲立ちする子どもたち、そしてアンデスの農村から都市に出ていって帰ってこなかった(これなかった)者たちとその家族が描かれる。アンデスの伝統文化を肯定的に評価しようという近年のペルー社会の変化と、それとうらはらに変わりつつある農村を背景に、失われつつある『理想的な』アンデスに対する郷愁が表されている、そのようなものとして本作を解釈することもできるだろう。」(蝦名大助著)一緒に行った家内が劇伴音楽として使われていたペルーの民俗音楽に心地よさを感じたと言っていました。
    「天地創造からアダムとエバまで」(前編)
    「キリスト教美術をたのしむ」(金沢百枝著 新潮社)の「天地創造からアダムとエバまで」は11の単元から成っています。今回は〔1天地創造〕から〔4動物の名づけ〕までを扱います。まず〔1天地創造〕。「原初、この世には、まっくらでドロドロな混沌と、底がわからないほど深い深い淵しかありませんでした。そこに神の霊が降り立ち、『光あれ』の言葉を放ったのが、天地創造の始まりです。光が生まれ、闇が分かたれました。2日目には、水が分かたれ、天が生じます。」次に〔2人間の創造〕。「一般的な魂の表現は、小さな裸ん坊。~略~この創造主、どこまで面倒くさがりだったのでしょう。威厳を保つためなのか、玉座から降りることなく、アダムを跪かせ、口をあーんと開けさせると、裸んぼを口の中へ送り込んでいます。~略~ミケランジェロがヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画に描いた『人間の創造』場面もそのひとつ。創造主とアダムの手と手が触れそうで触れない距離の微妙さが見事で、エネルギーの漲りを感じます。」次に〔3エデンの園〕。「その造園(エデンの園)が、アダムの創造の後の出来事であることに驚きます。アダムはどこか他の場所でこねて造られ、園に連れてこられたということになります。~略~そもそも、人間を造ったのは、園の番人が必要だったからかもしれません。実際、『創世記』に大きな影響を与えたメソポタミアのシュメール神話では、人間は神々の労苦を肩代わりする存在です。『天地を造るのもたいへんだったけれども、管理は骨が折れるから、人間を造って面倒なことを押しつけてしまおう』と言ったとか言わないとか。」次に〔動物の名づけ〕。「『動物の名づけ』には3つの意味があります。ひとつは、人間が動物の支配者であることの確認。~略~ふたつめは、『動物の平和』とも呼ばれる理想郷の表現です。~略~『動物の名づけ』の意味することで最も重要なのが、3つめの『片割れ探し』です。そもそも、動物たちが集められたのは、さみしいアダムの『助け手』をみつけるため。アダムは動物たちに名前をつけつつ、自分にふさわしい相手を探しましたが、みつけることができなかったのです。」今回はここまでにします。
    新聞記事より「季節のうつりかわり」
    今日の朝日新聞「天声人語」より記事を掲載いたします。政治色がなく社会に対する批判もない、何気なく綴られた記事に私が心の安らぎを覚えるのは昨今の社会情勢のせいだろうと思います。ただ異常気象を僅かに感じつつ、時には季節の情景を詠むのも心の安寧を保つためには必要かもしれません。「『季節のうつりかわりに敏感なのは、植物では草、動物では虫、人間では独り者、旅人、貧乏人である』。そう随筆に記したのは〈どうしようもないわたしが歩いてゐる〉といった句で知られる放浪の俳人、種田山頭火である。うららかな春が過ぎ、立夏を聞いたばかりと思っていたのに、早くも炎天が近づいているのか。きのう列島の各地では30度を超える真夏日になった。漢詩の一節が頭に浮かぶ。只今五月、すでに許のごとし。六月、更に来たれば何ぞ当たるべけん。訪れる季節も、去りゆく季節もなぜこうも駆け足なのだろう。初夏の風をほおに感じながら、名残惜しく、街を歩く。青々とした樹木は薫り、薄紅色のバラがほほ笑んでいる。公園では、子どもたちが弾んだ声をあげていた。まぶしく目を細め、雲ひとつない青空を見上げる。少し汗ばみ、のどが渇いた。水飲み場で蛇口をひねる。ごくごくと、いや、山頭火に敬意を表し、へうへうとして水を味ふ。木陰に入り、息をつく。〈こんなにうまい水があふれてゐる〉~略~『私は草や虫みたいな存在だ』。托鉢の旅を続けた俳人は書いている。やさしく、寂しく、ひとは生きていくのだと。『きのうも歩いた、きょうも歩いた、あすも歩かなければならない、あさってもまた』」種田山頭火は1882年から1940年まで生きた自由律俳句を世に広めた人で、私の勝手なイメージで語るなら世捨て人のような存在と思っています。人となりを調べていくと、人生に憂鬱が付き纏っていた要素がいろいろあることが分かりました。母が父の遊蕩のせいで自宅の井戸で投身自殺をしていたり、ことあるごとに酒に浸る生活があったようです。こんな文が残されています。「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」それでも現在に至るまで知られた俳人であるのは、自由律俳句の言葉一つひとつの印象が心に刺さるからでしょう。自然体であるべき姿勢がそこにあると思っています。
    週末 表現方法の多様性
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。現在、新作の制作では4点の壁に掛ける作品の画面にジェッソを塗った上から油絵の具を塗っています。抽象的な矩形に平塗をやっていますが、絵の具の効果はそれだけではなく、具象を対象とする写実的な表現が可能です。日本の図工・美術教育でも子どもがある年齢に達すると、写実をどう描くかを教えます。子どもの能力に多少の巧拙はあっても、私はその方法を伝授していました。美術系の大学の受験には何かのモティーフを写実で描くことを課しているところもあります。学生時代には、写実画から派生してさまざまな表現方法を探ることもあり、己の表現を獲得できるように切磋琢磨する美大生も少なくありません。そもそも描く行為は旧石器時代の洞窟壁画に見られるように、人類の歴史とともに発展してきました。最初は自然から採取した顔料を使って狩猟動物を描写記録していた人類は、やがて豊作を天に祈るようになり、宗教画が生まれました。眼では見ることができないものを具現化することに絵画が果たした宗教的役割は大きかったと思っています。絵の具もテンペラや油絵の具、水彩絵の具と多様化して、その用途に応じて使い分けるようになりました。チューブに入った絵の具が発明されたのは19世紀で、携帯できる描画セットは、戸外で風景を描く印象派の画家にとって都合の良いものでした。絵画史を雑駁に振り返っても、表現方法の多様性は余りにも豊富で、その延長線上に私がいると思うと、工房での運筆一つひとつに誇りを持って挑んでいてもいいのではないかと思ってしまいます。現代ではAIの進歩によって身体を使わずとも表現が可能になり、絵画表現はどこまでいくのか、私は楽しみでなりません。私自身は素材の力を信じていて、彫刻的な表現に全てを捧げていますが、彫刻より自由な表現が獲得できる絵画表現に時折近づくこともあります。今回はその例だなぁと思っています。