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  • 週末 工具修理完了&映画鑑賞の1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も相変わらず毎日工房に通っていました。現在寒波が日本に居座っていて、吹雪で大荒れになっている地域があることを日々テレビが報道しています。首都圏はそれほどではないにせよ、寒さで身体が悴んで工房での作業に支障が出ています。真夏も真冬も工房での作業は、健康を考えて短縮せざるを得ない状況です。今週は午前中だけ工房で作業をやっていました。いつもなら6時間の作業が今は3時間だけですが、それでも毎日通って少しでも制作を前に進めることをしていました。主な制作として、今週は砂マチエールを施して油絵の具を染み込ませた厚板に、ドリッピングを試みておりました。絵の具が飛び散ったり跳ね返ったりして周囲は大変な状況になっていましたが、これは絵画的技法のひとつなので、意を決して絵の具まみれになってやっていました。木曜日には業者から電動糸鋸盤が修理を終えて返却されてきました。これで杉板材の刳り貫き作業に戻ることができます。私の立体作品は彫刻技法と絵画技法を併せ持つ制作工程があるので、ひとつの工程が行き詰まれば次の工程に移れるのです。ただし、陶彫が終わっているので作品の罅割れを心配しない分、気持ちは楽になっています。電動糸鋸盤は数十年使っているモノで、モーター部分が壊れていなかったので助かりました。留め具を変えてもらっただけで済みました。その日は夕方になって家内と映画にも行きました。私は工房と自宅を行き来する生活のため、息抜きをするとなれば美術館か映画館に行くことにしています。ロングラン上映をしている邦画「爆弾」を観てきましたが、大変面白い映画で、出演している俳優の演技に感心いたしました。都会での爆発シーンもハリウッド映画のようで、邦画の水準がかなり上がっていることに嬉しさもありました。そういえば現在は洋画より邦画人気が高いようで、それも分かるなぁと思いました。
    「デューラーの宗教版画」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第7章 キリスト教銅版画の成立」は5つの単元から成っていて、今回は「3デューラーと対抗宗教改革期の美術」と「4ヴァッリチェッリアーナ図書館蔵『トマスの不信』の下絵作家と版刻者の特定」と「5対抗宗教改革期の教義における『トマスの不信』の解釈とその意義」の3単元を取り上げます。内容に通底するのは「トマスの不信」ですが、私はデューラーに関する箇所に着目しました。「デューラーの宗教版画は、その制作意図においても、技法においても、様式においても、少数の王侯貴族や文人の美的享受のためのものではなく、民衆を中心とする広範なキリスト者への福音伝達を目的としていた。~略~デューラーは《小受難》を1509ー10年に制作している。彼が二度目にヴェネツィアに滞在したのは1505年である。デューラーが、コネリアーノやトレヴィーゾ等の新しい祭壇画の図像を目にする機会があったことは確実である。キリストの全身とトマスの関係はトレヴィーゾそのままであり、顕著な類似を見せる。ただ、相違点は左手の動作である。トレヴィーゾが左手を下においているのに反して、デューラーのイエスはサン・マルコ大聖堂のモザイコのキリストとまったく同様に肘を折り曲げて手の聖痕を見せている。」次に日本に関する論考に及びます。「日本は、ローマから世界的に伝播した図像を正確に導入し、信者に伝えていたのだという事実の一端を明らかにした。布教書の挿絵版画は、管見のかぎりでは、今まではほとんど研究されていない。ただ、菅野陽氏の『日本銅版画の研究』(美術出版社、1974年)があるだけである。しかしながら、これらの布教書版画は、そのテキストとともに、対抗宗教改革期の宗教上の革新と、芸術上の革新とを結び付け、それらがともに、日本にゆがめられることも薄められることもなく導入され、それらによって、日本は、世界の広大な地域とその文化を共有していたということが、具体的に明らかになった。天草1592年のデューラーほど、そしてそれが日本の画家によって描かれていたということほど、日本キリスト教美術がルネサンス文化圏のなかにあったということを雄弁に語るものはない。」今回はここまでにします。
    映画「爆弾」雑感
    ロングラン上映を続けている映画「爆弾」が気になり、家内と相談して今日の夕方、横浜の鴨居にあるエンターテイメント系映画館に出かけました。長く上映しているので流石に観客は少ないだろうと思っていましたが、結構人が入っていて、私たちと同じようにちょっと観てみようと思った人が意外に多かったのだろうと思いました。観終わった感想は、ロングラン上映を続けている理由が分かるほど面白い内容でした。酔った勢いでコンビニの器物破損や店員に暴力をふるって警察に連行された男。その男はホームレス風でうだつの上がらない風体をしていますが、取調室での警察官とのやり取りで、自分には霊感があると言って、都内の爆破予言をして、それが的中してしまいます。彼は次から次へと爆破予言をしつつ、刑事たちの問いかけをかわし、謎めいたクイズを出して、警察を翻弄し、それを楽しんでいるような素振りを見せるのです。その裏には何があるのか、一筋縄ではいかない状況に、取り調べを受けている男と、そこに食らいつく頭脳明晰な刑事との丁々発止なやり取りが、本作の見どころかなぁと思いました。都内の爆破シーンはリアルそのもので、日本映画の演出技術にも驚きましたが、爆破後の悲惨な情景もしっかり描いていました。事件の真相を追う一方で、爆弾を仕掛けた愉快犯による犯行が、もしも映画のように実行されたら、日本の都会はこんなにも脆く崩れ去るものなんだと私は感じ入ってしまいました。次第に事件の全貌が解明されていきますが、取調室の異常な心理戦は現代社会の病巣を暗黙の裡に示しているようで、私はぞっとしてしまいました。それにしても爆破予告をする佐藤二朗のとぼけた凄みのある演技と、彼と真っ向から対峙する捜査一課刑事役の山田裕貴の尋常でない取り調べが、濃密な時間を醸し出していて、本作を観終わった後も私はその楽しさを味わっていました。一緒に行った家内も面白かったと車の中で言っていました。
    新聞記事より〈きつぱりと冬が来た〉
    朝、工房で作業していると久しぶりに手が悴みました。寒くて長く作業が出来ず、午後は筆洗浄液やら油絵の具を買いに横浜駅にある画材店に行きました。今日の朝日新聞の「天声人語」に大寒に関する記事があったので、今日はそれを取り上げます。「『冬が来た』と題した詩を、高村光太郎が編んでいる。それは〈きつぱりと冬が来た〉と始まる。〈八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になった〉。ご存知の方も多いだろう。あの有名な詩〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉と同じ詩集に載っている。寒い冬が、やって来た。きのうは大寒の入りだった。1年で、もっとも冷え込みが厳しい時期とされる。実際に今週、強い寒気が列島に流れ込み、しばらく居座るようだ。名著『風土』で、和辻哲郎は寒さと冷たさについて考察している。乾いた西欧の冬に、冷たい空気はあっても、身に沁みるような寒さはない。湿潤な日本の冬と違って『人間を委縮させずにはおかないような、暴圧的な寒さはない』と論じた。~略~そういえば『冷たい』の語源は『爪痛し』との説がある。靴下を重ね、手袋をはめ、人は丸くなって、じっと、待つ。天地の道、極まれば則ち反ると唱えながら、春を待つ。高村は書く。〈ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ〉。近所にある梅の木に目をやれば、その枝に、ぷくりとした芽がゆれていた。」私は時事問題がない「天声人語」に反応する癖があり、まさに時季を謳った内容に惹きつけられてしまいます。ましてや詩人高村光太郎は彫刻家であり、その造形的で彫塑的な言葉の選び方に迷いのない空間を感じるのです。孤高の清々しさもあります。もう一人の和辻哲郎は、私が学生の頃「風土」を読んで、その書籍が赤茶けて埃を被ったまま自宅の書棚にありました。最近それを再読して、NOTE(ブログ)に掲載した記憶があります。哲学者和辻哲郎の筋の通った理論にも私は少なからず影響を受けているので、今日の新聞記事が心に刺さったのでした。
    「布教書挿絵・扉絵」について
    「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第7章 キリスト教銅版画の成立」は5つの単元から成っていて、今回は「1キリスト教布教書(きりしたん版)の成立」と「2布教書挿絵・扉絵版画研究」の2単元を取り上げます。「ヴァリニャーノの現地人育成主義のもっとも基礎的な仕事は、知識の伝達の基本的なメディアとしての西洋の書物の翻訳出版、外国人宣教師のための日本の言語の辞書の編纂、日本文学の翻訳などによる文化の相互交換のシステムを作り上げることであった。このための活版印刷機、活字、印刷工の招来がヴァリニャーノの行なった大きな事業である。」次に布教書の内容に触れます。「ルイス・デ・グラナダの著作は神学、哲学を包含し、宇宙の構造とキリスト教の基本的な教義について漏れなく具体例をあげて説明している点で適切な教科書に選ばれたものと思われる。ここにはキリスト教の教義に加えて信仰の究極のあかしとしての殉教についての教えが述べられていることが大きな特色である。すでに、最初の弾圧が1587年秀吉による伴天連追放令によって行われており、ヴァリニャーノも、1592年の『日本第一回管区総会議事録』の第13章において、迫害、戦乱、(日本)国家の変動期においていかに修道院を組織するかについて述べている。天草1591年の『サントスの御作業』にもマルチリヨ(殉教)の理が説かれていた。実際に1597年長崎西坂において26聖人殉教が行われたことはあまりにも名高い。」次に「フィデスの導師」扉絵の「トマスの不信」に関する文章です。「復活したイエスは弟子たちの前に姿を現したが、そのときトマスだけは不在だった。彼はイエスが復活したということを他の弟子たちから聞いたときに、それを信じなかった。イエスはトマスとそのほかの弟子のいるところにふたたび現れて、自分の傷に手でふれ、手をさしいれよとトマスに言う。トマスはそのようにして手を傷にさしいれ、『わが主よ、わが神よ』と言った。イエスはトマスに向かって、『あなたはわたしを見て信じたのだが、見ないで信じる者はさいわいである』と言った。」今回はここまでにします。