Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 新作の基本形態
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日も先週に引き続き来年に向けての新作について書いていきます。私がやっている陶彫による彫刻は、その大きさを確保するために部品(ユニット)をひとつずつ作り、窯に入れていきます。そのため、まず集合彫刻を構成する最初のユニットをどうするのか、私の仕事はここから始まるのです。今年の個展で発表する「発掘~六蹟~」は最初のユニットとして直方体を作りました。直方体を縦に立てて、それを6体で囲んで、その内包する空間に意味を持たせました。次作は春頃にボンヤリした風景イメージが浮かびましたが、それは囲む構造ではなく、点在する在り方を示していました。集合彫刻がばらばらに存在する景色を、実際に陶土に触れていくことで徐々に具体化していくのは、今まで経験してきた制作工程に則ったものです。その最初の陶彫部品を今日試しに作ってみました。次作は直方体ではなく円柱です。陶彫の内部はがらんどうなので円筒と言うべきか、その円筒を積み上げて塔状にしていけば、イメージに近づくだろうと思っています。「発掘~六蹟~」に比べると、今回は曲面を多用していて陶彫らしい雰囲気があります。これを幾つか作るわけですが、最初の1点は彫り込み加飾も施して、当初のイメージとの確認作業をしたいと思っています。雑駁なイメージに具体性をもたせるために、手で陶土に触れ、表面の凹凸をデザインして、それを削り取りつつ、その形態を把握する必要があります。彫刻は実体が眼の前に現われてこそ、その真価が見えるものです。そうなればもうボンヤリとしたイメージではなく、実体を伴った彫刻作品として作っていくことに邁進できます。その最初の段階を今日試作してみました。陶土は乾燥で多少収縮し、上下左右に表面が引っ張られて皹が生じますが、直方体に比べると曲面が多い円筒は、平坦で角のある矩形よりも柔軟かもしれず、罅割れが最小で済むのではないかと期待しているところです。
    週末 土練機を分解掃除をした1週間
    週末になりました。土曜日はその週の振り返りを行ないます。今月の個展で発表する作品の梱包が終わり、搬入を待つばかりとなった現在は、次作の陶彫作品の制作を始めています。まずは最初の段階としては土練りです。土練機を暫く放置してしまったため、土練りに支障をきたすことになり、これは困った事態になったなぁと思っていました。土練機の取り扱い説明書によると、分解掃除や油差しはたまにするように書かれていましたが、私は練る陶土を変えることなく使っていたので、とくに分解掃除はしないで済ましてきました。土練機は単純な構造で、2本のプロペラが筒状になった器の中で陶土を掻きまわして陶土を混合させる仕組みになっています。ただし長く使わないと筒状の周囲に陶土がこびりついてしまうので、プロペラに圧がかかり、故障の原因にもなるのです。今回は意を決して八角レンチでボルトをはずし、筒状の部品の内側のかたくなった陶土を削り取りました。その削り取った陶土にも水を打って柔らかくして、他の陶土と一緒に土練機にかけました。日常的に面倒臭がらずに分解掃除を行えば、土練の質は上がります。実際に分解掃除が終わった土練機の調子は良く、混合した陶土は細工のし易い状態になりました。ひとつ作品が終わったら分解掃除をするべきだなぁと自分に言い聞かせています。道具の手入れを必ずやることは、造園職人だった亡父から伝承されているにも関わらず、それを怠っていた自分を恥じました。その人がどんな仕事をするのかは道具を見れば分かると、職人が言っているのを聞いたことがあります。彫刻は、芸術表現の中でも職人技に特化した部分があるのは事実です。立体イメージを具現化するために手わざを駆使していることがあり、また陶の場合は最終工程である焼成を成功させるために、全てにわたって条件が課されているのです。不自由な技巧の範囲で自由な表現を謳歌するのが陶彫の面白さです。そんなことを考えながら過ごした1週間でした。
    26’個展案内状の宛名印刷

    今年の個展の案内状が出来上がっているので、知り合いに案内状の宛名印刷を行ないました。プリンターのインクが切れて、途中で印刷が出来なくなってしまいましたが、もうこんな時期になったのかと季節の移ろいを感じています。昨今、切手代が高くなったので、何か別の手段で個展の宣伝をしたいところですが、今のところ他の方法が見つからず、葉書というアナログな方法に頼るしかありません。私は年賀状を止めてしまったので、この個展案内状が自分の元気の表明になっています。昔の職場で一緒だった方々は、現在どうしているのか、まだ教職に就いている人もいるでしょうし、その人たちは新しい教育課題に日々取り組んでいると思います。今年から画廊が変わったので、案内状表面の表記が新しくなりました。去年に比べると大人しいデザインになったと思っています。毎年来ていただいている方々は、画廊の場所に迷うのではないかと心配もしています。銀座の裏路地は店が立て込んでいるし、去年のように1階に大きなウインドウがあって作品が見えるわけではありません。所謂雑居ビルの3階にあり、しかも奥にエレベーターがあります。隣にある階段を間違えて上っていく人もいると画廊主から言われました。案内状裏面はカメラマンが撮っているので、カッコよく出来上がっていますが、宛名を書いた表面の地図をよく確認してもらえると幸いです。案内状は画廊が出すものと私が出すものがあって、枚数に限界があります。このホームページをどのくらいの人がご覧になっているのか分かりませんが、ここにも個展のインフォメーションを書いておきます。「相原 裕展 発掘シリーズⅩⅤⅢ」2016年7月27日(月)~8月1日(土)11:30am~7:30pm(最終日5:00pm)場所:うしお画廊  〒104-0061東京都中央区銀座7-11-6GINZA ISONOビル3F tel03-3571-1771fax03-3571-9701。路地の入口に「羽衣」という中華料理店があり、それが目印です。地下鉄銀座線A5出口から一番近いのですが、JR新橋駅から銀座口に出て歩いてもそんなに遠くはありません。

    新聞記事より「半径五メートル以内」
    先日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「あまり遠くのこととか先のこととかを考えるのではなく、自分の半径五メートル以内のことをちゃんとやっていこう…宮﨑駿 」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「物心ついた頃、周りには戦禍の跡が溢れていた。いま在るものもやがて崩れるとの思いは、自身の相当深い部分に植えつけられていると、アニメーション監督は語る。大量消費に蝕まれる人間の度しがたさに耐えられるか心許ないが、それでも五百万人に映画を送るより三人の子供を喜ばせたいと。『折り返し点  1997~2008』から。」大量消費に晒されるのは映画も造形美術も同じです。しかも形あるものはいつか崩れると私も思っています。私自身は作品が売れず、流行に乗る反響を感じたことは未だにありませんが、それはどうであれ、私も遠くのことや先のことは考えないようにしようと思っていることは確かです。目標は大きく捉えず、すぐ足元の小さな目標を達成することの方が容易で、その繰り返しで人生の目標がいずれ見えてくるのかもしれないと思っています。私の作品も周囲の人を喜ばせることにはなっていると自負していますが、作品を作ることで何が幸せかを考えると、私の作品世界を理解してくれる人が少しでも増えてほしいと願うことかなぁと思います。誰かが見ていてくれると思うから創作に精を出すのであって、その人と意思の疎通を図るのは無上の喜びなのでしょう。アニメーションもそうですが、造形美術にしても社会が不安定になり、物質至上主義に陥れば無用の長物になることは間違いないわけで、戦時中であれば、そんなものを作っているのは非国民と言われた過去の時代があったのです。そうした戦禍の跡を見てきたアニメーション監督は、自分が精を出して作っているものが刹那のものになることも分かった上で、自分の身近にいる子どもたちを喜ばせたいと感じているのでしょう。ものを創り出す無力さが垣間見えるのも、最近の社会情勢の不安が要因なのかもしれません。
    7月は個展に向けた1カ月
    7月になりました。今月は個展に向けた1カ月になります。昨年までお世話になっていたギャラリーが今年から変わり、いろいろなところで心機一転を図りました。まず出品作品ですが、立体作品を減らし、壁に掛ける平面作品を増やしました。立体作品は大き目の「発掘~六蹟~」の1点のみで、小品「陶紋」は例年と変わらず4点あります。壁に掛ける平面作品「炭景」は4点なので、周囲の壁に掛けていきます。変えたのは作品だけでなく、毎年作っている図録も変えました。例年の冊子を止め、三つ折りのパンフレットにしました。その方が簡潔に作品の状況が伝えられると判断したのです。自分にとってこれは作品を見直す良い機会かもしれないと思っています。というのは、ギャラリーでの発表が始まってから、私の作品はその空間を意識するようになり、あの空間をどのように演出していこうか、イメージしながら空間配置も考えてしまう結果となり、それは空間を変容させていく表現になっていった経緯があるからです。画廊の空間ありきで考える彫刻は空間演出の装置ともなり、そこに鑑賞者を取り込んでいく鑑賞方法を提示することになりました。当然、画廊が変われば空間も変わり、現在私の頭にはうしお画廊の空間が浮かんでいるというわけです。今年の「発掘~六蹟~」は彫刻の中を歩き回ることは出来ませんが、次作は床に立体を点在させて、彫刻の間を自由に歩けるようにしたいと思っています。今月は鑑賞にも力を入れていきたいと考えます。新作も始まっているので、美術鑑賞を通じて感覚を磨きたいと考えていて、また展覧会情報を調べていくことになりそうです。私の作品は古代の出土品のように見える抽象性の強い形態をしていますが、それと直接の関連はなくても、日本の伝統に支えられた文様や、あるいは写実性のある表現にも私は興味があります。極論すれば美とは何かが常に自分の頭にあって、自らの琴線に触れる瞬間を待ち望んでいると言えそうです。今月も心が満たされる1カ月であればいいなぁと思っています。