Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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  • 「キリスト教美術をたのしむ」読後感
    「キリスト教美術をたのしむ」(金沢百枝著 新潮社)を読み終えました。本書は「旧約聖書篇」とあって、私にとっては馴染みの薄い旧約聖書を紐解いてくれた書籍になりました。以前NOTE(ブログ)に書いたことがありますが、亡き哲学者の叔父が内村鑑三の影響下で「無教会主義」を提唱したキリスト教信者でしたが、これはプロテスタントでイエス・キリスト以降の新約聖書を元にした教えです。しかもカトリックのような儀礼や装飾があるわけではなく、それらを排除した神の精神性を重んじた教えであることは私にも理解出来ました。私の横浜の出身高校もミッション系でしたが、ここもプロテスタントでした。また20代の頃にウィーンに5年間いましたが、周囲にキリスト教信者が多くいても、とりたてて旧約聖書を学ぶ機会はありませんでした。余談ですが、旧約聖書に接する機会は米国製の特撮映画「十戒」や「ノアの箱舟」、「サムソンとデリラ」等で、宗教的知識というより娯楽性の強いエンターテイメントにありました。旧約聖書に描かれた世界は、誤解を恐れずに言えば寓話性があって、創作として見れば大変面白い世界があると私は思っています。キリスト教が成熟するまでの過程に、民族的な神話や伝承が数多くあり、その時代の預言者の卓越した考え方に民衆が従ってきた経緯があったことが本書で理解出来ました。ヨーロッパをはじめとする各地に残されている美術作品にもユニークなものが多く、旧約聖書の内容に合わせて、これら作品を訪ね歩くことは楽しいだろうなぁと思います。本書に図版が多かったのが、私の興味関心の対象になりました。学者であるならば、図像を読み解き、聖書の内容理解に努めるのは、本当に面白いだろうと察します。私自身の創作活動は宗教性、物語性を排除して、素材は素材であるという造形の原則に立ち返っていますが、鑑賞の対象としてキリスト教美術は、私の興味の大半を占めています。若い頃から西洋美術に触れてきた以上は、宗教美術は避けて通れない分野なのです。
    銀座の「寿 直人の変な人…?」2回目展
    今日は朝のうちに工房で陶彫制作を行ない、昼前に家内を誘って東京の銀座に出かけました。高校の同期生で俳優・映画監督をやっている竹中直人君からラインがきて、銀座1丁目のギャラリーQで、しりあがり寿さんと2人展をやっている情報を伝えてきました。「寿 直人の変な人…?」展は今年2回目で、昨年も同ギャラリーで開催していました。私は竹中君と高校時代に美大受験という同じ目標をもって、東京の美大受験用予備校に通い出した仲でした。竹中君は多摩美グラフィックデザイン科に入り、2人展を組んでいるしりあがり寿さんも同じ専攻科にいたようです。因みにギャラリーQの画廊主も彼らの先輩に当たる人であるのが、今日ギャラリーで話して知りました。竹中君は高校時代から身近な人の形態模写をやって、周囲の友達を笑わせていましたが、ピン芸人では終わらずに、地道な進路選択として劇団青年座に入り、演技をしっかり学んだようです。その卒業公演を私は見に行きましたが、悪役の演技が素晴らしかった記憶があります。彼は芸能界では常に注目される存在で、独特な個性を持つ俳優だけではなく、映画監督としても質の良い作品を世に送り出しています。その彼がイラストを描いて展覧会をするのは美大出身だけに自然な流れのように思われますが、そこでも彼の個性が際立っています。彼は役者根性があって、人の観察に長けているんだろうと私は勝手に想像しています。彼のイラストは人の風貌をペンで描いたものが多く、軽妙洒脱で何気なく笑いを誘うのです。そこにその人らしい台詞を書き込みますが、それもその人の性格を表していて、機知に富んだものになっています。その人々は彼の頭の中で想像した人々だろうと思いますが、あぁこんな人物がいるかもしれないと思わせるところが、彼の観察の成せる技なのです。私が今も彼と付き合えるのは、私も自己表現者で、教職に就きながら彫刻を続けられたからと思っています。お互い表現者として末永く頑張ろうというのが、彼との定例の挨拶です。彼の描く「ヘタうま」イラストは彼の若い頃に培ったデッサンに支えられたものです。それは演技と同じで基礎から積み上げた成果に他なりません。
    「義人と預言者、ヒロイン群像」(後編)
    「キリスト教美術をたのしむ」(金沢百枝著 新潮社)の「義人と預言者、ヒロイン群像」は5つの単元から成っています。今回は〔35 ヨナⅠ〕から〔37 スザンナ、エステル、ユディト〕までの3単元を扱います。まず〔35 ヨナⅠ〕。「この大嵐は誰のせいか、船員たちは占うことにしました。籤を引くと、当てたのはヨナ。観念した彼は、みなに事情を説明し、こう続けます。『わたしの手足を捕らえて海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、この大嵐があなたたちを見舞ったことは、わたしが知っている』。しかし船長はそうせず、船を陸に戻そうとみなで懸命に漕ぐのですが、海は荒れるいっぽうです。やむなく彼らがヨナを海へ放りこむと、海は静まりました。すると神が、大魚に命じてヨナを呑みこませます。ヨナは3日3晩、大魚の腹のなかですごしたあと、陸地に吐き戻されました。」次に〔36 ヨナⅡ〕。「キリスト教徒はヨナの物語を『救済』と『復活』の象徴としますが、ユダヤ教徒にとっては『悔悛』の物語です。神に逆らったヨナは大魚の腹中で改心したからこそ助かり、ニネベの町は王が冠を脱いで灰の上に座し、羊たちさえ断食したからこそ神罰をまぬがれた。」最後に〔37 スザンナ、エステル、ユディト〕。「長老たちの㚥計を信仰ゆえにまぬがれたスザンナは、獅子の穴から生還したダニエル、大魚に呑まれて助かったヨナとともに、神の救いを表します。キリスト教では『教会』や『聖母マリア』の象徴ともみなされ、その場合、長老は『異教』と『ユダヤ教』を意味します。~略~あるとき、ペルシャの宰相ハマンが王をそそのかし、ユダヤ人撲滅の勅書を出しました。老若男女を問わずユダヤ人を殺し、その財産を没収するという恐ろしい法令です。エステルは寵愛を武器に王に法令の撤回を請い願い、民族の危機を回避しました。~略~美女を前にしたホロフェルネスはぶどう酒を飲み過ぎ、寝台に酔いつぶれました。このときを待っていたユディト。ホロフェルネスの短剣を抜きとり、その髪を摑むと、『今こそ、わたしに力をお与えください』と神に祈りながら首を斬り落としました。~略~将軍亡きあとのアッシリア軍は怖じ気づいて敗走、ベトリアは救われました。」今回はここまでにします。
    「義人と預言者、ヒロイン群像」(前編)
    「キリスト教美術をたのしむ」(金沢百枝著 新潮社)の「義人と預言者、ヒロイン群像」は5つの単元から成っています。今回は〔33 ヨブ〕と〔34 ダニエル〕を扱います。まず、〔33 ヨブ〕です。「(ヨブは)家族仲もよく、互いの家で食事したりと、楽しく暮らしていました。『無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた』とあります。そんなヨブを試練が襲います。天上にいる神とサタンとの間で、こんな会話がかわされたのです。ヨブの信心深さを褒める神さまにたいして、サタンは、それはヨブが恵まれているからだといいます。」その後に不条理な出来事があって、ヨブは全財産を失います。「苦しむ夫を見かねたヨブの妻は、『どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう』といいます。しかしヨブは『神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか』と語り、神を責めません。~略~(この意味するところは)世界というものは人知では計り知れず、災難も苦しみもその一部であるという、聖書の世界観の開示でしょう。」次に〔34 ダニエル〕。「賢王ソロモンの建てた神殿が、バビロン王ネブカドネツァルの攻撃によって灰燼に帰し、ダビデから400年以上続く王朝が滅びたのは、紀元前6世紀頃とされています。ユダヤの民は捕えられ、バビロン(新バビロニア)へ奴隷として連行されました。世にいう『バビロン捕囚』です。周辺諸国へ逃げた人々もいました。~略~捕囚の民は『神の国』の到来を待ち望んでいたことでしょう。ダニエルはその時代、バビロンの宮廷で活躍した預言者です。~略~ベルシャツァル没後に王国を継いだダレイオス王は、有能なダニエルを重用、国全体を統治させますが、それを妬んだ高官たちがダニエルを陥れようと企みます。しかしダニエルには何の汚点もなく、失脚させるのは困難でした。そこで高官たちは、信心深いダニエルに言いがかりをつけるために、『向こう30日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる』という法律の発布を王に認めさせます。ダニエルが神に祈らない日はありません。ダニエルは捕えられ、獅子の穴に投げ込まれますが、天使が獅子の口を閉ざしていて無事でした。それを見た王は、ダニエルを陥れた高官たちをその穴に投げ込んだそうです。」今回はここまでにします。
    新聞記事より「不明の息遣い」
    今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「ここから先へ行っちゃったら危ねえなというところへさわらないと、表現って出てこない。吉増剛造 」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「私が言葉を用いるのではなく、言葉が自ら歌い、語りだす位相、つまり言葉以前の『不明の息遣い』にまで遡ろうとしてきたと、詩人は語る。そのために人との交通も遮断し、己の言葉が枯れ果て、折れる限界にまで行こうとした。『きょとんとしてる』赤児みたいに、言葉のしぐさをぎりぎりまで削いでいったと。『我が詩的自伝』から。」自己表現はどうしたら出てくるのか、私はそれを煮詰めたことがありません。自己表現をやっていると公然と言っているにもかかわらず、それはどこから湧いてくるのか、どんな境地になったら表現が生まれるのか、私には自分の足元を掬われるような今日の新聞記事に気を留めたのでした。「不明の息遣い」に到達し得る精神状態に、ひょっとしたら無意識になっているのか、それすらも私には分かりません。言葉は普段から意思の疎通や伝達に使っているので、言葉は生活と隣り合わせの容易さがあり、それだからこそ言葉を自分なりの表現にしていくのは逆に難しいし、「言葉のしぐさをぎりぎりまで削いで」いかなければ表現の域に達しないのかもしれません。私が若い頃に詩に憧れた理由がそこにあるように思います。普段使いな媒体が何か特別なものに感じられた瞬間に、私は詩に魅了されました。さらに言葉だけではなく、あらゆる創作分野に詩が宿ると私は考えていて、自分が作っている彫刻にも詩的何かが存在していると私は感じています。彫刻表現は言葉に比べると、素材と対峙して造形するという抵抗があり、また素材の声を聞いて親和的に対話する場面もあります。私は無意識に「不明の息遣い」を捉えているのでしょうか。生活と隣り合わせにない彫刻だからこそ表現にまで達するのに時間がかかり、それ故自らの作品に対してこれは自己表現だと標榜できると私は信じているのです。