2026.01.21
朝、工房で作業していると久しぶりに手が悴みました。寒くて長く作業が出来ず、午後は筆洗浄液やら油絵の具を買いに横浜駅にある画材店に行きました。今日の朝日新聞の「天声人語」に大寒に関する記事があったので、今日はそれを取り上げます。「『冬が来た』と題した詩を、高村光太郎が編んでいる。それは〈きつぱりと冬が来た〉と始まる。〈八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になった〉。ご存知の方も多いだろう。あの有名な詩〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉と同じ詩集に載っている。寒い冬が、やって来た。きのうは大寒の入りだった。1年で、もっとも冷え込みが厳しい時期とされる。実際に今週、強い寒気が列島に流れ込み、しばらく居座るようだ。名著『風土』で、和辻哲郎は寒さと冷たさについて考察している。乾いた西欧の冬に、冷たい空気はあっても、身に沁みるような寒さはない。湿潤な日本の冬と違って『人間を委縮させずにはおかないような、暴圧的な寒さはない』と論じた。~略~そういえば『冷たい』の語源は『爪痛し』との説がある。靴下を重ね、手袋をはめ、人は丸くなって、じっと、待つ。天地の道、極まれば則ち反ると唱えながら、春を待つ。高村は書く。〈ああ、自然よ/父よ/僕を一人立ちにさせた広大な父よ/僕から目を離さないで守る事をせよ〉。近所にある梅の木に目をやれば、その枝に、ぷくりとした芽がゆれていた。」私は時事問題がない「天声人語」に反応する癖があり、まさに時季を謳った内容に惹きつけられてしまいます。ましてや詩人高村光太郎は彫刻家であり、その造形的で彫塑的な言葉の選び方に迷いのない空間を感じるのです。孤高の清々しさもあります。もう一人の和辻哲郎は、私が学生の頃「風土」を読んで、その書籍が赤茶けて埃を被ったまま自宅の書棚にありました。最近それを再読して、NOTE(ブログ)に掲載した記憶があります。哲学者和辻哲郎の筋の通った理論にも私は少なからず影響を受けているので、今日の新聞記事が心に刺さったのでした。