Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

  • Tag cloud

  • Archives

  • 週末 寒くなった11月が終わる
    日曜日になりました。日曜日は創作活動についてNOTE(ブログ)を書いています。今日は11月の最終日なので、創作活動を踏まえながら今月を振り返っていきたいと思います。今月は寒くなりました。例年ならこの寒さが普通ですが、今年は夏の酷暑が長く続き、秋は足早に過ぎていったため、急に寒くなった感じがします。この季節感についていかないと身体がおかしくなりそうで、日々慎重にならざるを得ません。今月の新作の状況は陶彫制作の乾燥が進み、さらに全陶彫作品の窯入れも終わりました。今月は30日間あって、工房には30日間通いました。そのうち5日間は窯入れをしていたため、その日は工房の電気が使えず、朝早く窯の温度確認に来ただけでした。陶彫作品に設置する板材加工も刳り貫き作業が終わっていて、昨日から板材に砂マチエールを貼る作業に入りました。小品も4点出来ていて、それぞれに付ける板材加工も終わっています。これも砂マチエールの作業を始める段階になっています。漸く立体作品は完成までの見通しが立ってきました。さて、今月の鑑賞ですが、美術鑑賞として「日本画聖地巡礼2025」展(山種美術館)、教え子が学んでいる多摩美術大学の「芸祭」にも行ってきました。今月は演劇鑑賞もありました。「マイクロバスと安定」(本多劇場)は高校の同級生で俳優の竹中直人君が主役をやっているので観てきたのでした。美術関係のことで言えば、銀座のギャラリーせいほうの閉廊パーティーにも行ってきました。ギャラリーではひとつの時代が終わった感じがして、私自身は歩みを止めて制作を振り返ってみる機会を持ちましたが、同級生の俳優が劇場で頑張っている様子を見て、私も立ち止まってはいられないと思いを新たにしたのでした。読書は宗教図像学に関する書籍を読んでいました。もう少し宗教に纏わることが知りたくなって、池袋のジュンク堂書店に行って何冊か書籍を購入してきました。来月はそうした書籍を読んでいこうと思います。
    週末 板材完了&演劇鑑賞の1週間
    週末になりました。定番として土曜日は今週の振り返りを行ないます。今週も毎日工房に通っていました。今週はずっとやっていた板材の刳り貫き作業が完了しました。板材は6枚あって、それぞれ刳り貫いた文様が異なります。これを陶彫で作った橋桁に設置して、6点を円形に向かい合わせるのが新作の全体構成になります。6枚の板材はそれぞれが繋がっているようで、中央には欠損した空間があり、またそれぞれが独立しているようにも見せています。新作で意図したところはその繋がらない部分にあります。板材加工はこれで終わりではなく、次の段階として砂マチエールを貼り、そこに油絵の具を染み込ませ、またドリッピングで仕上げていきます。さて、水曜日に地域の方から連絡があり、近隣にある大規模な団地の街路樹を伐採する旨を伝えてきました。街路樹は古木になった桜で、倒木の危険があるため、自治会として伐採を決めていたのでした。工房に出入りしている後輩の木彫家がその桜を所望していたので、業者が桜の太い部分を野外工房に運んできました。彼によって街路樹が彫刻作品に生まれ変わることで再利用ができるなぁと思っています。さて、今週の印象的なことは木曜日にやってきました。私には久しぶりになる演劇鑑賞の機会がありました。高校の同級生である俳優の竹中直人君が出演する芝居が東京下北沢の本多劇場で公演されているので、私は一人で鑑賞に行ってきました。竹中君を通してチケットが1枚しか取れなかったので、一人で行ったのでしたが、受付でもう一人の同級生に会い、懐かしさがいっぱいになりました。芝居が跳ねた後、二人で竹中君に会って観劇の興奮を直接伝えました。彼は映画監督やテレビ出演もやっていますが、彼の本領は生の芝居にあるのではないかと私は思っています。リアルな舞台空間の中で、やり直しがきかない台詞回しを余裕と緊張をもって見事にやり遂げるプロ根性には関心するしかありません。芝居の前はいつも緊張すると、図録に彼は書いていましたが、そんなことは微塵も感じさせない彼の堂々とした立ち居振る舞いは、役者の模範を見るような思いがしています。竹中君のおかげで今週は心地よい気分にさせていただきました。
    演劇空間についての考察
    昨日、下北沢の本多劇場で公演中の演劇「マイクロバスと安定」を観に行った後で、私は20代の頃に思いを馳せた演劇空間についての雑念に頭が囚われてしまいました。現在の私の創作活動では彫刻が空間を演出するための装置と考えているところがありますが、当時の私は彫刻を学んでいるにも関わらず、空間を捉える意識がなかったのでした。当時は人体塑造の巧拙にばかり目がいっていて、アルバイトでやっていた亡父の庭園造成にも空間的な解釈はしていませんでした。そんな近視眼的な私に不思議な空間感覚を齎せた分野がありました。それは当時流行していたアンダーグラウンド演劇(アングラ劇)で、その中には外でテントを張って上演する野趣あふれる興行もありました。代表的な劇団には、唐十郎主催「状況劇場」、鈴木忠司主催「早稲田小劇場」、寺山修司主催「天井桟敷」などがあり、私は頻繁に観劇に行っていました。そこで私が気がついたことは日常の中に立ち現れる非日常の演劇空間のことでした。たとえば客席と舞台がしっかり分かれていれば、舞台空間を非日常化することは十分考えられ、安心して観劇できるのです。一方、劇団によっては舞台が定まらないこともあり、客席との境が曖昧で、そこに見えない結界が張られているのではないかと思わせることがありました。日常の中に突如非日常が登場する、その演劇的事件が若い私を刺激していました。私たちが慣れ親しんだ日常の当たり前な状況が、ふと超現実的な世界に変貌する、意味が分からない中で、私たちはそれが何かを究明したいと願い、それを受け入れるのに時間がかかります。そんな究極なことは現実にはありませんが、私たちの生活の中には馴染みのある非日常空間の現出もあるのです。それは神社仏閣が行う祭りです。そこに登場する祝祭空間は非日常で、神や仏を奉る儀式と演劇がどこか似ているように私には感じられるのです。人間は時折日常の中に演劇空間をもち込むことで、新鮮な視点を得たいのかもしれず、それを感じることで私たちの生活が活気のあるものに生ま変わることがあるのだろうと思います。昨日、本多劇場で友達が演じていた芝居を通して、そんなことを考えたのでした。
    演劇「マイクロバスと安定」雑感
    私の高校の同級生に俳優の竹中直人君がいます。彼を主役にした演劇「マイクロバスと安定」が東京下北沢の本多劇場で公演中なので、今日それを観てきました。劇場の受付前で、同じ同級生にも会って、昔の話題で盛り上がりました。その彼と竹中君と私は今も続いている同級生仲間で、昨年開催された同窓会でも親交を深めました。今日の「マイクロバスと安定」は竹中君と生瀬勝久氏による企画で、今回は第四弾となる作品でした。ベテラン俳優2人に5人の若手俳優が絡む緊張感溢れる芝居は、本当に見応えがありました。作・演出は倉持裕氏で図録には「世界に終わりをもたらす要因がー小惑星の衝突だとか宇宙人の襲来だとかーたとえどんなに現実離れをしていようとも、そこには必ず『死に直面した人間の振る舞い』という、誰もが将来必ず経験することが描かれています。」(倉持裕著)とありました。その通り本作では、世界が残り僅かで破滅するかもしれない中で、日常を過ごす人々の心理劇になっていました。舞台は演出家の自宅兼稽古場で、演出家(竹中直人)、演出助手(井岡晴太)、出演女優(サリngROCK)、演出家の旧友で嘗ての劇団仲間(生瀬勝久)、その娘で役者志望(飯豊まりえ)、隣人男女(松浦りょう・浜野謙太)の7人が平時を過ごしながら、そこで織りなす人間同士の関係性が中心に描かれ、その端々に世界が終末へ突き進む微妙な台詞が導入されていました。役者はその役になり切るのが才能と思いますが、本作では創作された架空の人物たちが、本当に課題を抱え、右往左往しているように感じられました。7人にそれぞれキャラクターの違いがあり、その個性や癖を全面に出し、また沈黙で覆いながらちょっとした間合いを取る、それは7人が徹底して脚本を読み込んで、己の人格の中に架空の他者を血肉化している証拠に他なりません。本作には豪華な演出もなく、また遊戯性もありませんが、演劇本来の面白味が詰まっていると感じました。演劇の空間とは何か、実は若い頃から私が考えてきたもののひとつで、今日の演劇を観て、私は若い頃に夢中になった演劇の空間にもう一度思いを馳せていました。竹中直人君、今日は有難う。そしてたまには自分を労ってください。
    「宗教図像学入門」読後感
    「宗教図像学入門」(中村圭志著 中公新書)を読み終えました。私は特定宗教を信仰しているわけではないし、先祖が敬ってきた地域の菩提寺に墓地があるにも関わらず、その菩提寺の宗派である浄土宗にも関心があるとは言えません。私にとって宗教とは学問のひとつに過ぎないと思っていて、そうしたことで派生する宗教的文化には、実は前から興味がありました。彫刻の師匠がキリスト教に関わる作品を数多く作っていること、亡くなった叔父が哲学者で、無教会主義を唱えた内村鑑三の私淑者であったことなど、周囲にはキリスト教に纏わる環境がありましたが、それよりも20代の頃に住んだヨーロッパで壮麗なカトリック教会で見た過剰な装飾に圧倒されたことが、私を宗教文化に近づけた要因であろうと思っています。本書を読んだ感想として、宗教のもつ根源的な問いかけに私の心は刺さりました。「宗教はすべて自己の根拠を問うものだという考え方がある(今・ここにいる私の究極の始原は何か?究極の原因は何か?究極の拠り所は何か?)。」という文章に造形によって自己表現を究めようとしている私には、宗教を芸術に置き換えれば常に自分が考えていることの合致を見るからです。精神的な捉えとしてみれば、宗教と芸術は似ているのかもしれません。本書は図像学を扱っているので、世界にある多種多様な宗教に対し、信仰や感情とは一定な距離を持って冷静に客観視していることに私は好感を持ちました。私も前述した通り、宗教を学問として扱いたい立場です。本書が特定宗教に深く入り込まず、カタログ的な図像紹介に努めているため、私はもう少しこれを知りたいと思ったこともあって、それは別の機会を持とうと考えています。本書のおわりに書かれている著者の文章を引用いたします。「宗教とは論理と感性が絡み合う形で成立して文化であることをイメージトリップを通じて理解していただくのが本書の目的だ。章を進めるごとに現れる宗教的視覚表現の新たな地平に、感性的論理の多次元性を看取していただけたとすれば、本書の目的は達成されたことになる。」さて、本書はあくまでも入門書なので、ここから学問としての宗教に入っていくスタートラインとも考えられ、差し詰め私は身近な宗教的なものから取り上げていこうと思っています。