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「『マタイ論争』と身振り」について
「カラヴァッジョ」(宮下規久朗著 名古屋大学出版会)は、今日から「第6章 カラヴァッジョの身振り」に入ります。本章最初の単元「1『マタイ論争』と身振り」の気になった箇所を取り上げます。「カラヴァッジョ作品の特質のひとつは登場人物の大きな身振りにある。ときに大げさにも思われるこうした身振りは、登場人物の心理と物語の動きを明示し、主題の説得力を高めて作品に力強さを与えている。絵画にとっての身振りは、ルネサンス以降、表現の重要な要素とされてきており、心の動きは身体の動きによってわかるとしたアルベルティの思想がレオナルドやロマッツォに継承され、16世紀後半にヴァザーリやジリオによって、デコールムに関連して身振りの重要性が強調されていた。~略~時間や動きを表現することのできない美術は、ひとつの身振りでその前後の状況を示す必要があった。しかし静止した画面の中では身振りの意味を正しく読み取ることが困難となる場合がある。そのため、多くの場合、日常生活で実際に用いられる身振りの一時的な形態をそのまま写すのではなく、表現の伝統とコードに則ったいくつかの型によって表現されることになる。~略~描かれた身振りが絵画読解上の問題となった典型的な例が、《聖マタイの召命》をめぐる論争である。」画面では右側に立つキリストが指示したマタイは、群像のどの位置にいるのか、さまざまな解釈が成されてきました。「カラヴァッジョ作品においては、頻出する人差し指は必ず自分以外の第三者を指し、しかもほとんどの場合、それに指示されるものは画面の主役たる聖なる存在である。《マタイ》の場合も、髭の男が人差し指で示しているのは左端の若者であり、この身振りによって注目させられているこの若者こそがマタイであると考えるべきではないだろうか。」今回はここまでにします。